松田辰雄
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| 松田 辰雄 八段 | |
|---|---|
|
1939年ごろ | |
| 名前 | 松田 辰雄 |
| 生年月日 | 1916年10月8日 |
| 没年月日 | 1955年1月14日(38歳没) |
| 出身地 | 大阪府大阪市 |
| 棋士情報 | |
| プロ入り年月日 | 1935年[注 1] |
| 所属 |
十一日会 →日本将棋革新協会 →将棋大成会(関西) →日本将棋連盟(関西) |
| 師匠 | 神田辰之助九段 |
| 段位 | 八段 |
| 順位戦最高クラス | A級(5期) |
| 2022年2月21日現在 | |
| ■テンプレート ■プロジェクト | |
松田 辰雄(まつだ たつお、1916年10月8日 - 1955年1月14日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下。大阪府大阪市出身。
経歴
[編集]1946年、順位戦B級に参加し、1948年にA級に昇級。この年はB級の上位1名とA級の上位3名が名人挑戦者決定戦に進出し、4者パラマス方式で挑戦者が決定された。松田はA級2位で、B級1位の五十嵐豊一をまず下し、A級1位の木村義雄と三番勝負に挑んだ。
名人復帰に燃える木村を相手に、関西出身の松田は盛大な声援をバックに対局した。先手番の第1局は居玉、後手番の第2局は「阪田流向飛車」で挑んだが、2連敗で挑戦はならなかった。倉島竹二郎によるとその2局目の松田は、40度近い発熱状態で体調不良だったという[3]。木村はその後、名人の塚田正夫から名人を奪取した。
この年以降、松田は病気のために休場する。そして1955年、順位戦復帰かなわずB級1組在籍のまま逝去。
死後
[編集]2020年、石川陽生七段らによって、松田の生涯を記録した同人誌『不撓 -忘れられた棋士、松田辰雄八段の記録-』が発行された[4]。
昇段履歴
[編集]- 1932年 入門
- 1935年 四段
- 1947年5月10日 七段(順位戦B級)
- 1948年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 1955年1月14日 逝去
主な成績
[編集]在籍クラス
[編集]→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
| 開始 年度 |
順位戦 出典[5]
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竜王戦 出典[6]
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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| 1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
| 1946 | 1 | 六・七段戦5位 | ||||||||||||||||
| 1947 | 2 | B級11位 | ||||||||||||||||
| 1948 | 3 | A 10 | ||||||||||||||||
| 1949 | 4 | A | ||||||||||||||||
| 1950 | 5 | A | ||||||||||||||||
| 1951 | 6 | A | ||||||||||||||||
| 1952 | 7 | A | ||||||||||||||||
| 1953 | 8 | B114 | ||||||||||||||||
| 1954 | 9 | B115 | ||||||||||||||||
| 順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 | ||||||||||||||||||