松浦典良

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松浦 典良(まつうら のりよし、1943年8月14日[1] - 2005年1月15日)は、日本音響監督

来歴[編集]

東京都中野区生まれ。漫画家手塚治虫のファンということもあり、1963年に手塚のアニメ制作会社虫プロダクションに入社し、『鉄腕アトム』からフィルム編集業務に携わる。1973年に虫プロダクションを退社し、音響制作の道へ入る。初の担当作品は1975年開始のテレビアニメアラビアンナイト シンドバッドの冒険』。1980年2月に所属していたAUDIO PLANNING Uを退社し、音響制作会社の株式会社「現 GEN」を設立し、代表取締役を務めていた[1]

2005年1月15日直腸癌で死去[2]

エピソード[編集]

「作品の善し悪しは声優のキャスティングで90%が決まる」というのが持論で、アニメ『機動戦士ガンダム』では、『巨人の星』の星飛雄馬のイメージを脱却できずにいた古谷徹アムロ・レイ役で新境地を開かせ、池田秀一にはシャア・アズナブル役を実現させて本格的に声優の道を歩むきっかけを与えた。しかし『機動戦士ガンダム』の劇場版で、アニメ制作会社の日本サンライズ(現・サンライズ)と衝突して音響監督を降板した。出演声優陣は「松浦が降りるなら自分たちも降りる」と抗議したが、『機動戦士ガンダム』の劇場版2作目以降は浦上靖夫が音響監督を担当しており、松浦はそれ以後、二度とガンダム関係・サンライズ関係の作品を担当することはなかった[2][3][4][5]

参加作品[編集]

※ 特記のない限り全て音響監督としての参加

テレビアニメ[編集]

1965年

  • W3(編集)

1967年

1969年

1970年

1975年

1977年

1978年

1979年

1981年

1982年

1983年

1985年

1987年

1988年

1992年

1994年

  • あそぼトイちゃん

1995年

1997年

1998年

1999年

2001年

2003年

OVA[編集]

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年

1991年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

2004年

劇場アニメ[編集]

1981年

1982年

1983年

1984年

1986年

1988年

1989年

1990年

1997年

2001年

ゲーム[編集]

1996年

カセット文庫[編集]

1988年

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 『機動戦士ガンダム記録全集3』日本サンライズ、1980年、p.206。
  2. ^ a b 池田秀一「第5章 去り逝く仲間たちへ…… 恩人・松浦典良さんへ」『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』ワニブックス、2007年1月7日、ISBN 4-8470-1700-5、167-169・175頁。
  3. ^ 古谷徹「第二章 「ニュータイプな声優」---アムロを支えてくれた仲間たち」『ヒーローの声 飛雄馬とアムロと僕の声優人生』角川書店、2009年7月25日、ISBN 978-4-04-715275-5、50-59頁。
  4. ^ 池田秀一「序章 役者への階段 『無敵鋼人ダイターン3』を終えて」『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』46-53頁。
  5. ^ 氷川竜介藤津亮太編「第二章 TV版と音楽と ガンダムにおける音楽観(1980)」『ガンダムの現場から 富野由悠季発言集』キネマ旬報社、2000年10月16日。ISBN 4-87376-537-4、136頁。
  6. ^ “どろろ”. 手塚治虫公式サイト. http://tezukaosamu.net/jp/anime/37.html 2016年5月6日閲覧。