有馬清純
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永21年1月7日(1644年2月14日) |
死没 | 元禄15年12月10日(1703年1月26日) |
改名 | 大吉(幼名)、永純(初名)、清純 |
戒名 | 華岳院殿清山宗純大居士 |
墓所 | 福井県坂井市丸岡町篠岡の高岳寺 |
官位 | 従五位下・左衛門佐、周防守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 日向延岡藩主→越後糸魚川藩主→越前丸岡藩主 |
氏族 | 肥前有馬氏 |
父母 | 父:有馬康純、母:阿部忠秋の養女 |
兄弟 | 清純、本多純親、平岡頼恒、純息、純富、純珍、純就、純英、亀、分部嘉高正室、沼間清氏室、阿部正員正室、真田正房室、戸川安宣正室 |
妻 |
正室:岡部行隆の娘 継室:脇坂安政の長女・世伊 側室:須賀子(皆吉氏) |
子 | 一準、永井直亮正室 |
有馬 清純(ありま きよずみ)は、江戸時代前期から中期の大名。日向延岡藩主、越後糸魚川藩主、越前丸岡藩主。晴信系有馬家4代。延岡藩の先代藩主・有馬康純の長男。
略歴
[編集]延宝7年(1679年)11月27日、父の隠居により家督を継いだ。このとき、弟の純息と純富に合わせて2800石を分与している。しかし藩政において悪政を敷いたことから、元禄3年(1690年)に領内で山陰・坪谷村一揆が起こり、その責任を問われて元禄5年(1692年)に無城大名に格下げの上で越後糸魚川に移封させられた。
元禄8年(1695年)5月、越前丸岡へ移封となる。元禄15年(1702年)12月10日、59歳で死去し、跡を嫡男の真純(一準)が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
側室
- 皆吉須賀子、光徳院 ー 皆吉純忠の娘
子女