松平直紹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平直紹
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦9年11月12日1759年12月30日
死没 文化11年8月26日1814年10月9日
改名 豊太郎(幼名)→直紹
戒名 明徳院
墓所 東京都府中市多磨町多磨霊園
官位 従五位下、日向
幕府 江戸幕府
越後糸魚川藩
氏族 越前松平家
父母 父:松平堅房
兄弟 諏訪頼古井上直孝佐久間信崇直紹
正室:八重本多助盈の娘)
継室:板倉勝矩の娘)
直益、娘(松平近豊室)、娘(井上正直正室)、娘(花房正興正室)、千寿院(分部光弘正室のち朽木倫綱正室)、娘(有馬純通正室のち小笠原長担正室)、娘(岡部盛勝正室)、娘(田村顕彰室)、娘(阿部正棋室)

松平 直紹(まつだいら なおつぐ)は、越後糸魚川藩の第4代藩主。福井藩越前松平家分家6代。

生涯[編集]

第3代藩主・松平堅房の七男として生まれる。安永2年(1773年)、父の死去により跡を継ぐ。安永5年(1776年)11月15日に将軍徳川家治に拝謁し、安永6年(1777年)12月に叙任する。その後は日光祭礼奉行、田安御門番、半蔵門番、大坂加番などを歴任した。しかしそのために出費も激しく、藩財政の悪化を招いた。文化3年(1806年)11月28日、長男の直益に家督を譲って隠居し、文化11年(1814年)8月26日に死去した。享年56。