暁型駆逐艦
暁型駆逐艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 駆逐艦 |
艦名 | |
前級 | 東雲型駆逐艦 |
次級 | 白雲型駆逐艦 |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:363トン |
全長 | 67.2m |
全幅 | 6.3m |
吃水 | 1.7m |
主缶 | ヤーロー式石炭専焼缶4基 |
主機 | 2軸推進、6,000shp |
最大速力 | 31ノット |
航続距離 | |
乗員 | |
兵装 | 8.0cm単装砲1基 57mm単装砲5基 45cm水上発射管2門 |
暁型駆逐艦(あかつきかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級。
概要
明治30年度の第二期拡張計画で建造された駆逐艦。同型艦2隻はイギリスのヤーロー社に発注された。改雷型とも言える艦級。
同型艦
※艦長等は『官報』に基づく。
暁(あかつき)
- 当初の艦名は第13号駆逐艦。1901年(明治34年)11月13日に進水し「暁」と命名[1]。同年12月14日、イギリス・ヤーロー社で竣工。1902年(明治35年)1月25日、日本へ回航[2]。同年5月7日、横須賀に到着。1904年(明治37年)5月17日、旅順港閉塞作戦中、老鉄山南東沖で触雷沈没。ロシア側に沈没が目撃されていないと推定されたため、その名は捕獲艦「レシーテリヌィ」(後に「山彦」へ改名)の使用欺瞞のために使われた。1905年(明治38年)6月1日、喪失公表[3]。同年10月19日、除籍。
- 回航委員長
- 中山鋋次郎 少佐:1901年6月4日 - 9月2日
- 艦長
- 中山鋋次郎 少佐:1901年9月2日 - 1902年5月24日
- 関重孝 少佐:1902年5月24日 - 1903年11月5日
- 末次直次郎 大尉:1903年11月5日 - 1904年5月17日戦死
- 回航委員長
霞(かすみ)
- 当初の艦名は第14号駆逐艦。1902年(明治35年)1月23日に進水し「霞」と命名[4]。同年2月14日、イギリス・ヤーロー社で竣工。同年3月10日、日本へ回航[5]。同年6月15日、横須賀に到着。1913年(大正2年)4月1日、除籍。同年8月23日、雑役船(掃海船、のち標的船)に編入され、霞丸と改称。1920年(大正9年)7月1日、霞に再改称。
- 回航委員長
- 大島正毅 少佐:1901年7月26日 - 1902年2月13日
- 艦長
- 大島正毅 少佐:1902年2月13日 - 1904年9月11日
- 白石直介 少佐:1904年9月11日 - 1905年12月12日
- 駆逐艦長
- 井口第二郎 大尉:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- (兼)相羽恒三 少佐:1906年1月25日 - 3月14日
- (兼)平岡善之丞 大尉:1906年3月14日 - 4月1日
- 角田貫三 大尉:1906年4月1日 - 1907年3月9日
- 三浦英晃 大尉:1907年3月9日 - 1908年4月20日
- (兼)阿部真一郎 大尉:1908年4月20日 - 9月25日
- 松下芳蔵 大尉:1908年9月25日 - 1909年2月20日
- 森田但次 大尉:1909年2月20日 - 1910年7月16日
- 杉浦正雄 大尉:1910年7月16日 - 1912年5月22日
- 阿部恒雄 大尉:1912年5月22日 - 不詳
- 回航委員長
脚注
参考文献