擬人観
擬人観(ぎじんかん)とは人間以外の動植物、無生物、事物、自然、概念、神仏などに対し人間と同様の姿形、性質を見いだすことである。
英語ではAnthropomorphismだが、実際にはPersonificationの訳語として用いられることのほうが多い。しかしPersonificationはより広い意味を持つ。そのため厳密にはAnthropomorphismは「人間形態化(観)」とでも翻訳するが、どちらも「擬人化(観)」という訳語が定着している。
擬人化の概念
古来より行われた擬人観と現在のそれは大きく異なっている。その代表的な見方が世界多くの神話で用いられた神々の存在とそれに準えられる自然の象徴との関連であり、大自然や絶対的な摂理に対する偶像崇拝の意味合いが強い。ギリシャ神話・ヒンズー神話・日本神話などはその典型であり、哲学や心理学などあらゆる学問に通じていた一つの根本概念であった。日本においても古代から日本においては「森羅万象全ての物に魂が宿っている」という多神教の考え方があり、日本最古の神社いわれる大神神社の神体は山そのものであり、自然崇拝の概念そのものであり、それを象徴する神が存在した。古代ローマの宗教ではさまざまな存在や概念に与えられた名詞がそのまま神格となっている例も多い(勝利=勝利の女神=ウィクトリアなど)。
また日本における神道の流れを汲む多神教の概念は中世~近世にかけて一種の寓話として盛り込まれ、子供の躾けなどに用いられた。「~には~の神がいる」という教えなどがその典型であり、そうして子供達に一つずつ道徳を解いていったといわれる。
その一方でキリスト教やユダヤ教など一つの神を絶対視する概念を持つ宗教では複数の神を擬人視することに対し否定的であり、また「人は人」「他は他」という思想によりそういった擬人観的な要素は少ない。とはいうものの、難解な抽象概念やアレゴリーなどは「無学者の書」とも呼ばれた絵画によって擬人視されることもしばしばあった。この伝統はカリカチュア、漫画へと連なってゆく。
このような擬人観を「認識における擬人化」(レトリック事典より)であると定義しており、対して文学などに見られる擬人化は「表現の擬人化」であると区別している。そしてこの表現の擬人化こそが今日に多く見られる一つの表現であり、擬人化の目的となっている。
表現の擬人化の目的
前述したように擬人化とは擬人観を元に対象を人間のように見る(表現する)ことであるが、それは前述した原始的な精神観念によるものだけでなく文学、絵画など文化的なレトリックでもあり今日擬人化とはこれすなわちフィクションの擬人化を指すことが多い。その目的は様々であるが、場合によって次のような効果を期待できる。
- 親しみを持たせ、対象に関心を高める
- たとえば、乳幼児期の子供は一般的に動植物・無生物などを擬人視して考える傾向にある。そのためこの年代を対象とした絵本や漫画・アニメでは動植物・無生物などが擬人化されて登場することが多く、そうすることによって仲間意識を持ち物事に対する関心を高めることができるからである。
- また各種団体がマスコットを作成したり、ゆるキャラあるいはネット社会を中心に萌え擬人化などを誕生させたりしているのも本来敬遠しがち、あるいは無関心な事象に一種の親しみを持たせる目的であるといえる。
- 対話形式を用いることで明確性を高める
- 参考書や教科書、その他子供向けの科学読みものなどでは図示の中で擬人化を巧みに用いて煩雑な説明を明確化させているケースがある。一つの文章を用いるとどうしてもそれが人間視点なのか、それとも非人間の視点なのか分からず紛れたり主述関係などが曖昧になったりするが擬人化を用い対話形式にすることで、図において個々の役割を明確化させることが期待できるからである。学習漫画はそのメリットを最大限に生かした好例である。
- ある種の表現に対する婉曲表現
- たとえば、一部の殺虫剤では簡単なイラストを用いて効能を標榜するほか害虫に視覚的な嫌悪感を示すことが多いためにそのストレスを軽減する目的で用いる場合がある。また文学や社会記事などにおいても、「高波が一帯の村々を呑み込んだ」「激しい炎が一帯をひとなめした」などと表現することで本来の露骨さを回避でき凄惨な情景を漠然とさせることができる。
- 臨場感を出す
- これは文学で多く用いられており、たとえば「荒波が襲いかかる」「秋の夜長を虫が奏でる」などを用いることで人間が間接的にそれを経験するのではなく非人物が主体となることでその場の臨場感を一層深めているのである。また俳人の小林一茶は雀や蛙など動物に対して盛んに擬人化を取り込んでおり、それによって小動物に対する憐れみや同情がより深く抉られた表現となっている。
- 客観性を出す
- 対して、擬人化した非人間たちを人間社会から遠ざけることで客観性を出すことが可能である。このように動物たちが主体となって人間の有様などを観察するという試みがなされた文学も多く代表的なものに夏目漱石の『吾輩は猫である』があり、星新一のSF短編などもよく知られる。
- 諷刺、アレゴリー
- グリム童話やイソップ寓話、日本の昔話、故事成語などでは動物が主人公になったものも多いがその多くは人の道徳を諭したり社会を諷刺したりしたものが多い。このように擬人化は動物を主役に置くことで暗に対象批判のカモフラージュとしても用いられるほか、殺傷場面などのグロテスクさを回避したりする効果もある。
擬人化の世界
擬人化された世界では人と物が対等の立場にあるもの、あるいは生物、非生物が主役であり人が客観視されているものなどがある。表現としては創作の世界で動植物・無生物などが人格のある存在として描かれる、あるいは漫画・アニメ等で人間外の動物が動物の耳や尻尾を備えた人間の姿で描写されることなどもある。
異なる種の(擬人化された)動物が一緒に生活しているという世界設定の物語の場合、捕食-被食関係は無視されて「みんなお友達」として描写される場合と実際の動物と同様に捕食-被食関係が存在している場合とがある。
このような例は近世にも例がある。江戸時代の草双紙『心学早染草』(しんがくはやそめぐさ)では、人の心の善悪を善玉悪玉というキャラクターで擬人化している。
主な例
- アニメ・絵本の擬人化
- ミッキーマウス、ドナルドダックなどのディズニーキャラクター
- 名探偵ホームズ(日伊合作のアニメ。登場人物がすべて犬に置き換わっている)
- アンパンマン(やなせたかし作の絵本およびこれを原作としたアニメ。パン、動物、文房具、などを擬人化)
- きかんしゃトーマス(機関車を擬人化)
- ケシカスくん(文房具を擬人化)
- 歌の擬人化
- 赤いトラクター(小林旭の歌。トラクターを男性に擬人化)
- 怪傑黒頭巾(つボイノリオの歌。コンドームなどの避妊具を擬人化)
- くるみ(Mr.Childrenの歌。「くるみ」とは、「これから来る未来」を女性に擬人化したもの)
サブカルチャーの擬人化
現代の日本では漫画・アニメなどに関する同人用語である物語に登場する動物系・非人間キャラクターを人間に置き換えて別の新たな物語を作ることや、動植物・非人間キャラクターや無生物などの外見を人間化(擬人化)したイラストを描く(またはコスプレで演じる)ことを特に擬人化とジャンル分けする場合がある。
この場合、該当キャラクターや無生物をイメージしたコスチュームを着用した人間として描かれる(コスプレされる)ことが多い。ただし、元のキャラクターが服を着ている場合はそれと同じ服を着用した人間として描かれる(コスプレされる)ことが多い。中には由来となるモチーフの特徴をまったく外見に反映させない場合もあるが、この場合は擬人化されたキャラクターの性格や経歴、他の擬人化キャラクターとの人間関係などといった内面的な要素にモチーフの特徴が反映される[1]。こうした擬人化は同人の枠を超え、『びんちょうタン』や『090えこといっしょ。』など商業キャラクターも生まれている。
擬人名
擬人名(ぎじんめい)とは人間以外の動物や無生物、行為などを擬人化して呼ぶ名前である。
主な擬人名の一覧
ここでは、慣用的に広く用いられる擬人名の中で主なものを挙げる。
- 国の擬人名
- マリアンヌ(フランス)
- ジョン・ブル、ブリタニア(イギリス)
- アンクル・サム(アメリカ合衆国)
- イタリア・トゥリッタ(イタリア)
- ゲルマニア(ドイツ)
- 川の擬人名
- 坂東太郎(利根川)
- 筑紫次郎(筑紫二郎)(筑後川)
- 四国三郎(吉野川)
脚注
- ^ “漫画・アニメに擬人化ブーム 物の形残さず、性格で表現”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年10月3日) 2010年10月3日閲覧。
参考文献
- 大修館書店『レトリック事典』 擬人表現の項より
- 学習研究社 内山安二著 『まんがかき方入門』
など