小値賀町立小値賀中学校

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小値賀町立小値賀中学校
地図北緯33度12分6.5秒 東経129度3分35.1秒 / 北緯33.201806度 東経129.059750度 / 33.201806; 129.059750座標: 北緯33度12分6.5秒 東経129度3分35.1秒 / 北緯33.201806度 東経129.059750度 / 33.201806; 129.059750
国公私立の別 公立学校
設置者 小値賀町
設立年月日 1947年昭和22年)4月1日
共学・別学 男女共学
小中高一貫教育 連携型
学期 3学期制
学校コード C142210001105 ウィキデータを編集
所在地 857-4703
長崎県北松浦郡小値賀町中村郷76番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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小値賀町立小値賀中小学校(おぢかちょうりつ おぢかちゅうがっこう、Ojika Town Ojika Junior High School)は、長崎県北松浦郡小値賀町中村郷にある公立中学校。略称「値中」(ぢちゅう)。

2007年平成19年)より小値賀町立小値賀小学校長崎県立北松西高等学校と連携型小・中・高一貫教育を行っている。

概要[編集]

歴史
1947年昭和22年)の学制改革(六・三制の実施)によって旧・小値賀町国民学校の高等科・特修科が改組され、新制中学校として開校。
学校教育目標
「自分で考え、正しく判断し、最後までやり抜く生徒」
校章
の葉を背景に、「中」の文字を配している。
校歌
4番まであり、各番とも「小値賀中学ここにあり」で終わる。

沿革[編集]

  • 1947年(昭和22年)4月1日
    • 学制改革(六・三制の実施)により、旧・小値賀町国民学校の高等科・特修科を改組し、「小値賀町立小値賀中学校」(現校名)が開校。
    • 校舎は小値賀町立小値賀小学校に併設。
    • 6分校(斑[1]・大島・籔路木[2]・六島[3]・野崎・納島)を設置。  
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 斑分校が分離し、小値賀町立斑中学校として独立。本校の在籍生徒数が最大の835名を記録する。
  • 1951年(昭和26年)7月 - 野崎分校の新校舎が完成。
  • 1955年(昭和30年)9月 - 校内放送設備が完成。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 吹奏楽部が創設。
  • 1961年(昭和36年)4月 - 野崎分校が分離し、小値賀町立野崎中学校として独立。
  • 1962年(昭和37年)6月 - へき地集会場(講堂)が完成。
  • 1963年(昭和38年)9月 - 給食室が完成。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月 - 校舎が完成(第1期)。
    • 7月 - 長崎県中学校総合体育大会(中体連)で相撲部が団体戦で3位、個人戦で優勝。
    • 12月 - 校舎が完成(第2期)。
  • 1967年(昭和42年)8月 - 長崎県中学校総合体育大会で相撲部が団体戦で優勝。
  • 1968年(昭和43年)3月31日 - 納島分校を廃止。本校校舎が完成(第3期)。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月31日 - 大島分校と藪路木分校を廃止。在籍生徒は本校に編入。
    • 4月 - 分校廃止に伴い、大島・藪路木より生徒のスクールボート通学が開始。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月 - 玄関ロータリーが完成。
    • 5月 - PTAの作業により、貝塚伊吹園が完成。
    • 9月 - 校庭金網、国旗掲揚台が完成。
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月 - 砂場、校門が完成。
    • 12月 - 気象観測所が完成。
  • 1972年(昭和47年)
    • 2月 - 自転車置場が完成。
    • 4月 - 長崎県離島教育推進地区に指定。
    • 6月 - クラブ室が完成。
  • 1974年(昭和49年)6月 - 六島分校の新校舎が完成。
  • 1975年(昭和50年)1月 - 窯業室が完成。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 中学校へき地集会所(講堂)が完成。
  • 1980年(昭和55年)10月 - 教育工学室アナライザー工事が完成。
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月 - 国旗掲揚台が完成。
    • 8月 - 校舎外壁塗装が完了。
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月1日 - 野崎中学校が廃止され、再び野崎分校となる。
    • 9月 - 薩摩悦次より校旗が寄贈。
  • 1983年(昭和58年)2月 - テニスコートが完成。
  • 1984年(昭和59年)3月31日 - 野崎分校を休校。
  • 1985年(昭和60年)3月31日 - 野崎分校を廃止。斑中学校の廃止に伴い、在籍生徒を編入。
  • 1990年(平成2年)12月 - シャワー室が完成。
  • 1991年(平成3年)8月 - テニス部女子が九州大会に出場。
  • 1993年(平成5年)2月 - パソコン室が完成。
  • 1994年(平成6年)8月 - テニス部男子が九州・全国大会(個人戦)に出場。陸上部男子が九州大会(砲丸個人戦)に出場。
  • 1995年(平成7年)4月 - 六島分校を休校。
  • 1996年(平成8年)
    • 3月 - 新体育館が完成。
    • 4月 - 2名の入学により、六島分校を再開。
  • 1997年(平成9年)4月 - 長崎県より、長崎県立北松西高等学校との連携型中高一貫教育の指定を受ける。
  • 2001年(平成13年)4月 - 長崎県立北松西高等学校との連携型中高一貫教育を開始。
  • 2002年(平成14年)3月 - 六島分校を休校。
  • 2004年(平成16年)8月 - トイレの簡易水洗工事が完了。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 小値賀小学校(大島分校も)まで含めた小値賀地区 連携型 小中高一貫教育の試行が開始。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 小値賀地区 連携型 小中高一貫教育を完全実施。
  • 2009年(平成21年)11月 - 小中高一貫教育公開授業ウィークを実施。
  • 2010年(平成22年)4月 - 小中高一貫教育研究授業ウィークスを実施。
  • 2011年(平成23年)3月 - 小学校の移転に伴う校舎改修工事を完了。
  • 2012年(平成24年)6月 - 佐世保市中学校総合体育大会に出場[4]
  • 2017年(平成29年)3月31日 - 六島分校を廃止[5]

学校行事[編集]

3学期制をとる。

1学期
  • 4月 - 着任式、始業式、入学式、小中高合同歓迎遠足
  • 5月 - 生徒総会、佐世保市中学総合体育大会[4](球技)
  • 6月 - じげもん[6] 祭り、中2職場体験、公開授業ウィークス
  • 7月 - 親子ミニバレーボール大会、命の授業、海浜清掃、終業式、夏休み
  • 8月 - 夏休み、平和集会(9日長崎原爆の日)
2学期
  • 9月 - 始業式、中高合同体育大会、中3修学旅行、中2野外宿泊学習
  • 10月 - スケッチ大会、佐世保市中学総合体育大会[4](駅伝)
  • 11月 - 小値賀町文化祭、小値賀町少年の主張大会、芸術鑑賞、学習発表会
  • 12月 - 小中合同駅伝大会、人権集会、終業式、冬休み
3学期
  • 1月 - 始業式、小値賀中学校説明会(小学生対象)
  • 2月 -
  • 3月 - 卒業式、修了式、離任式

生徒会活動[編集]

  • 執行部 - 生徒会長・副会長・庶務
    • 学芸部
    • 厚生部

部活動[編集]

運動部
文化部
  • 吹奏楽部

制服[編集]

アクセス[編集]

最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺[編集]

  • 小値賀町立小値賀小学校
  • 長崎県立北松西高等学校
  • 小値賀町役場
  • 小値賀町立図書館
  • 小値賀町立小値賀幼稚園

脚注[編集]

  1. ^ まだら
  2. ^ やぶろき
  3. ^ むしま
  4. ^ a b c 2011年度(平成23年度)までは北松浦郡中学校総合体育大会であったが、市町村合併により2010年度(平成22年度)からは北松浦郡を構成する町は小値賀町と佐々町の2町のみとなってしまい、それぞれ中学校が1校しかない両町では計2校のみでの対戦となっていた。そこで両町は佐世保市と協議を重ね、2012年度(平成24年度)から佐世保市中学校総合体育大会に参加することとなった。(出典:小値賀と佐々が初参加し開会 - 長崎新聞ウェブサイト(2012年(平成24年)6月10日号))
  5. ^ おぢか議会だより第99号(2017年3月28日発行) (PDF) p.14 - 小値賀町ウェブサイト
  6. ^ 「地元の物・者」を表す方言。

参考文献[編集]

  • 「小値賀町郷土誌」(1978年(昭和53年)3月、小値賀町教育委員会)

関連事項[編集]

外部リンク[編集]