安部俊幸

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安部 俊幸
出生名 安部 俊幸
生誕 (1950-03-14) 1950年3月14日
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市
死没 (2014-07-07) 2014年7月7日(64歳没)
ジャンル J-POP
職業 作詞家
ギタリスト
担当楽器 ギター

ウクレレ
シタール
活動期間 1972年 - 2014年
共同作業者 ハーズメン
チューリップ
オールウェイズ
著名使用楽器
ギブソン・ES-335
ギブソン・SG
リッケンバッカー
アイバニーズ
ビートルズ

安部 俊幸(あべ としゆき、1950年3月14日 - 2014年7月7日)は、日本のミュージシャンで、チューリップギタリスト福岡県福岡市出身。ウクレレシタールなども演奏する。

愛用の楽器のなかではギブソン・ES-335が最もお気に入りだが、リッケンバッカーアイバニーズに特注したギターなども使用している。

ジョージ・ハリスンの影響を強く受けていた。

来歴・人物[編集]

チューリップ、オールウェイズにおいては作詞・作曲のいずれも手がけた作品があるが、安部(作詞)・姫野(作曲)コンビでの曲も多く、その代表曲に「博多っ子純情」(1977年)などがある。この曲に関して安部は、あるコンサートで「九州にも都市化の波といいますかどんどん押し寄せてきまして帰るたびに街の様子が変わって、ものすごく悲しい思いで帰ってくるのですが(東京へ)」と述べていた。

晩年はリードボーカル、コーラスなどを担当することはほとんどないが、初期のチューリップ時代にはステージはもちろんテレビ出演時にもリードボーカルの曲(「思えば遠くへ来たものだ」、「夏に別れを」など)を披露していた。MCが上手でステージのパフォーマンス時に観客を笑わせたりなどと司会の進行などをしていた。また独自の感性でエッセイ、旅行記などの著作も上梓した。

インドに居住していたが、同地で2014年7月7日、脳出血により64歳で没した[1]。訃報は同年9月9日に公表された。

財津和夫との出会い[編集]

安部と財津和夫に出会った時の情景は、安部にとって今でも忘れられないもので今でも鮮明に覚えているとのこと。安部は、デビュー前のチューリップと1971年に博多明治安田生命ホールで出会った。地元のテレビ局が開いた音楽イベントにハーズメンとして参加。舞台裏で安部が仲間と一緒にいた時に財津とチューリップのメンバーが入ってきて、ハーズメンに向かって「あんたたちかっこいいね!ビートルズ好いとうと?」と声を掛けてくれたのが初めての出会いであった。そして、チューリップの演奏が始まるとハーズメンはチューリップのパフォーマンスをみていたという。安部がこの時、財津をとてもかっこよく思い、自分の中の憧れの人になっていた[2]

著書(エッセイ集)[編集]

  • ひとりぼっちのアメリカ見聞録(1980年)
  • ティータイム・トーキング(1981年)
  • ジャーニー・ギターだったりして(1982年)
  • いつでもどこでもff(フォルテシモ)(1985年)
  • Words & Snaps(1997年)

参加作品(ギター)[編集]

  • 杉真理
    • 「I'm so sorry」(1991年『MADE IN HEAVEN』収録)
    • 「Welcome to my world」(1992年『WORLD OF LOVE』収録)
  • ピカデリー・サーカス(杉真理が率いたバンド。結成時は正式メンバー。CDリリース以前の初期のライヴにも参加)
    • 「Baby! it's all right」「彼女のBrand-new Day」(1999年『Piccadilly Circus』収録)

脚注[編集]

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  1. ^ チューリップの安部俊幸さん印で死去(2014年9月9日)、デイリースポーツオンライン、2014年9月9日閲覧。
  2. ^ 「ティータイム・トーキング」p.148 - 162「私のちいさな人生」