大王町

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だいおうちょう
大王町
大王埼と大王埼灯台
大王町旗 大王町章
大王町旗 大王町章
1969年10月13日制定
廃止日 2004年10月1日
廃止理由 新設合併
浜島町大王町志摩町阿児町磯部町志摩市
現在の自治体 志摩市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
志摩郡
市町村コード 24522-4
面積 12.90 km2.
総人口 8,517
(2004年7月31日)
隣接自治体 阿児町志摩町
町の木 サクラ
町の花 スイセン
大王町役場
所在地 517-0603
三重県志摩郡大王町波切3234番地2
外部リンク 公式サイト
国立国会図書館によるアーカイブ)
座標 北緯34度16分54秒 東経136度53分05秒 / 北緯34.28161度 東経136.88472度 / 34.28161; 136.88472座標: 北緯34度16分54秒 東経136度53分05秒 / 北緯34.28161度 東経136.88472度 / 34.28161; 136.88472
大王町の県内位置図
特記事項 座標は志摩市大王支所の位置
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大王町(だいおうちょう)は、かつて三重県志摩郡にあった南勢地域(伊勢志摩)に含まれる。

町名は大王崎に由来する。2004年(平成16年)10月1日、志摩郡阿児町浜島町磯部町志摩町と合併して志摩市が発足し、自治体としての大王町は廃止された。

地理[編集]

隣接していた自治体[編集]

歴史[編集]

年表[編集]

名前の由来[編集]

  • 船越
    神鳳鈔』に東船越という名称で言及されている。船越とは全国に見られる地名であり、船による対岸への行き来がたやすい地を指す。船越神社も参照。
  • 波切(なきり)
    平城京から出土した木簡より、同地地名がいくつか発見されている。年代がわかっているもっとも古い木簡は天平17年(745年)であり名錐の地名が、それ以前と思われる(年代不詳)ものからは魚切里がそれぞれ見られる。平安期に書かれた『和名抄』にも名錐、『神鳳鈔』では名切、『吾妻鏡』では菜切と書かれている。もとは横に浸食され崩れた地を指すナグレであったと考えられる。
  • 名田
    波の荒いことを示すが由来であると考えられる。
  • 畔名
    『神鳳鈔』に安瀬名とあり、名田と同様に安瀬灘などが由来であると考えられる。

行政[編集]

人口[編集]

以下は国勢調査による[1][2]。1955年(昭和30年)は大王町(10,538人)と畔名村(968人)の合算値。

1955年(昭和30年) 11,506人
1960年(昭和35年) 11,019人
1965年(昭和40年) 10,319人
1970年(昭和45年) 10,309人
1975年(昭和50年) 10,085人
1980年(昭和55年) 10,030人
1985年(昭和60年) 10,133人
1990年(平成2年) 9,653人
1995年(平成7年) 9,036人
2000年(平成12年) 8,465人

経済[編集]

産業[編集]

教育[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

  • 大王町立畔名小学校
  • 大王町立波切小学校
  • 大王町立波切小学校名田分校
  • 大王町立船越小学校

交通[編集]

鉄道は通っていない。最寄駅は近鉄志摩線鵜方駅

道路[編集]

施設[編集]

医療施設
娯楽施設
  • 大王劇場 - 映画館(波切)
  • 寿座 - 映画館(波切)
  • 船越劇場 - 映画館(船越)

名所・旧跡・観光スポット[編集]

文化[編集]

1996年(平成8年)3月には「絵かきの町宣言」を行い、大王大賞展、写真コンテスト、スケッチ会、写真撮影会、海と灯台のある風景画コンクールなどを開催している。

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 昭和30年国勢調査年令別人口”. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2020年5月4日閲覧。
  2. ^ 10 総人口(総数:国勢調査)”. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2020年5月4日閲覧。
  3. ^ 丸山崇志「志摩発Jリーガー抱負 市役所訪問 松本山雅の谷奥選手」中日新聞2014年12月26日付朝刊、伊勢志摩版14ページ

外部リンク[編集]