大岩堅一
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おおいわ けんいち 大岩 堅一 | |
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プロフィール | |
出身地 |
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生年月日 | 1958年1月26日(63歳) |
最終学歴 | 早稲田大学教育学部・社会科学専修卒 |
職歴 | 元朝日放送・長野エフエム放送アナウンサー |
活動期間 | 1980年 - |
出演番組・活動 | |
出演中 | 本文参照 |
出演経歴 | 本文参照 |
大岩 堅一(おおいわ けんいち、1958年1月26日 - )は、長野県で活動するフリーアナウンサー。長野県松本市在住。
来歴・人物[編集]
千葉県木更津市出身。大学生時代は文化放送でアルバイトをし、そこで当時若手アナウンサーだった竹内靖夫におだてられたことがきっかけで、本格的にアナウンサーを目指すようになる[1]。1980年にアナウンサーとして、大阪・朝日放送[2]に入社。入社後は、主にABCラジオの深夜放送で活躍。特に、同僚アナウンサー・楠淳生との「ケンクス」コンビは当時、雑誌「月刊ラジオパラダイス」のパーソナリティ人気投票で最高12位(1988年5月号)まで上がるなど人気を博した。
1988年6月に朝日放送を退社。翌月には、開局したばかりのFM長野へ入社するとともに、長野県松本市へIターンする。同局ではアナウンサー業と共に、ディレクターなども務めた。
平日朝のワイド番組『タブロイドラヂオ Let's午前中!』が主な担当番組だった。番組独自の「長野県の三大方言」の制定を始めとして、長野県在住の放送作家加瀬清志との共著『スタヂオの窓から信州が見える』の執筆活動なども行った。
また在長他局であるSBCラジオの特別番組『ラジオなんかいらない』では、放送局の垣根を越え数人集まったパネリストの1人として出演。当時ライブドアによるニッポン放送の買収騒動などで、にわかにラジオ業界が注目された中での出演だった。
2005年10月の大規模な番組改編で、平日の生ワイド番組からは完全に離れ、担当番組も週末の生放送番組『SATURDAY-D』のみとなった。
2006年3月31日にFM長野を退社、フリーアナウンサーとして活動していたが、2013年10月1日より、あづみ野FMの社員スタッフになり、アナウンサーとしても番組を持っている。
コラムニストの小田嶋隆とは大学で同じクラスだった。 愛車はシトロエン・C2。
現在の担当番組[編集]
あづみ野FM(コミュニティー)[編集]
- 金曜プライム・スタヂオ(2012年12月 - )生放送
- 頂は今日も晴天なり(開始日不明 - )
※あづみ野エフエム放送は、長野県安曇野市を中心エリアとするコミュニティ放送。
過去の担当番組[編集]
朝日放送[編集]
すべてABCラジオの生放送番組
- ABCヤングリクエスト(1981年10月-1986年9月)
- ☆☆倶楽部(1985年10月-1986年9月)
- ABCラジオジラ(1986年10月-1987年9月 金曜担当)
- ABCラジオファンキーズ(1987年10月-1988年3月 月曜担当→1988年4月-1988年6月 金曜担当)
FM長野[編集]
- マイ・ハーティ・タイム(1988年10月-1994年3月)
- 中部電力信州Seven Days(1988年10月-1992年3月)
- 薔薇色金曜カタルシス(1994年4月-1996年3月)
- タブロイドラヂオ Let's午前中!(1996年5月-2003年3月)
- Start Your Engine あ・さ・い・ち!(2003年4月-2005年9月 水・木曜担当)
- SATURDAY D|SATURDAY D Timeslip Touring〜土曜の昼は僕の生きがい〜(2005年10月-2006年3月)
- 土曜アメニ亭(2008年10月 - 2013年9月)
SBCラジオ[編集]
- わくわくわいど! アッパレ大通り(2006年4月-2008年3月 水-金曜担当)
- タイムスリップサタデー!(2008年4月-2008年9月)
- 松本宵の口Magazine(2006年10月3日 -2009年3月 )
- YOUスタ深志3丁目(2009年4月 - 2013年3月)
あづみ野FM(コミュニティー)[編集]
- おはよう!あづみ野(2013年4月 - 終了日不明)
著書[編集]
- スタヂオの窓から信州が見える(1998年10月、加瀬清志共著、信濃毎日新聞社、ISBN 978-4784098149)
その他[編集]
- 2010年2月13日に、ABCラジオの生放送番組『楠淳生のやんちゃな!weekend』へゲストで登場。古巣・朝日放送の番組へ久々に出演するとともに、「ケンクス」コンビが(放送上)22年ぶりに復活した。同番組では、朝日放送からFM長野へ移籍した理由として、「30歳前後の頃に、芸人が出演する番組が増えた影響で、アナウンサーが出られる番組が減った。『このままではいけない』と思っていたところ、(開局したばかりの)FM長野に知り合いがいたので、『自然豊かな信州での生活と両立させながらアナウンサーらしい番組をやってみたい』という気になった」と明かしている。同様に、月刊ラジオパラダイス1988年8月号「ラジパラタイムス」(78ページ)においては「タレントが台頭した所から離れて、独特の地域文化を持つ長野県で、存在感が薄れがちだった自分の生活を見直して、手作りの番組をやってみたかった」といったコメントをしている。
- 長野県に移住後は、FM長野を退社するまで、同社の本社がある松本市で一貫して仕事をしていた。活動の拠点を信越放送に移してからは長野市での仕事も行うが、松本放送局制作番組への出演が多い。
- FM長野で長年数多くの番組を担当してきたこともあって、長野県内では比較的知名度の高いラジオパーソナリティである。同県についての知識もあり、信州観光文化検定2級、松本検定は第1回に合格している[3]。音楽の話題では、1970-80年代の洋楽、日本のフォーク、ニューミュージックやアイドル物にかなり詳しい。朝日放送時代に「ケンクス」コンビで担当した深夜番組では、当時の人気アイドルにインタビューしたり、アイドルにちなんだ企画に挑んだりすることが多かった[1]。
- 12月21日を遠距離恋愛の日とした発案者。1221の両端の1がひとりを表し、中央の2がふたりを意味することからこの日に制定し、遠距離恋愛中の人にエールを送る日とした[4]。
脚注[編集]
- ^ a b 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年2月刊)より
- ^ 在籍当時は認定放送持株会社移行前の旧・朝日放送株式会社。
- ^ パーソナリティのご紹介 あづみのエフエム
- ^ “遠距離恋愛の日 - 12月21日”. 今日は何の日(Yahoo! JAPAN きっず). 2019年12月17日閲覧。