大分県立芸術緑丘高等学校

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大分県立芸術緑丘高等学校
大分県立芸術緑丘高等学校(奥)手前は大分県立芸術文化短期大学人文棟
大分県立芸術緑丘高等学校(奥)
手前は大分県立芸術文化短期大学人文棟
過去の名称 大分県立別府第二高等学校
大分県立別府緑丘高等学校
大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校
大分県立芸術文化短期大学附属緑丘高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大分県の旗 大分県
校訓 自律・恕思・創造
設立年月日 1948年(昭和23年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 音楽科美術科
学期 3学期制
高校コード 44110E
所在地 870-0833
大分県大分市上野丘東1-11
外部リンク 公式サイト
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大分県立芸術緑丘高等学校(おおいたけんりつ げいじゅつみどりがおかこうとうがっこう)は、大分県大分市上野丘東にある音楽・美術の専門教育を目的とする高等学校

概要[編集]

歴史
1948年昭和23年)4月の学制改革により発足した「大分県立別府第二高等学校」を前身とする。当初より音楽・芸術の専門教育を目的に設立された。校舎は開校当初別府市にあったが、1980年(昭和55年)に現校地の大分市に移転。1965年(昭和40年)4月から2005年平成17年)3月までの40年間は大分県立芸術文化短期大学の附属高校であった。2008年(平成20年)に創立60周年をむかえた。
日本国内で美術科と音楽科のみの公立高校は、本校と東京都立総合芸術高等学校の2校のみである。
設置課程・学科
全日制課程 2学科
校訓
「自律・恕思(じょし)・創造」
卒業後の進路
東京藝大京都市立芸大愛知県立芸大国立音大桐朋学園大武蔵野音大多摩美大武蔵野美大東京造形大などの芸術系大学や大分大学などの四年制大学が約40%、大分県立芸術文化短期大学をはじめとする短期大学が約50%を占める[1][2]

沿革[編集]

  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、別府市に「大分県立別府第二高等学校[3]」(新制高等学校)が開校。
    • 音楽・芸術・外国語の専門教育を目的としていた。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 商業課程と家庭課程を設置。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月31日 - 外国語課程を廃止。
    • 4月1日 - 「大分県立別府緑丘高等学校」と改称。
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - 音楽課程・美術課程の専攻科を設置。
  • 1960年(昭和35年)3月31日 - 家庭課程を廃止。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 移管により、「大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校」と改称。
  • 1980年(昭和55年)12月 - 大分市(現校地)に移転。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 「大分県立芸術文化短期大学附属緑丘高等学校」と改称。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 「大分県立芸術緑丘高等学校」(現校名)に改称。

出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中学生の皆さんへ - 大分県立芸術緑丘高等学校
  2. ^ 主な進学先 - 大分県立芸術緑丘高等学校
  3. ^ 大分県立別府第一高等学校は現在の大分県立別府鶴見丘高等学校の前身。
  4. ^ a b c 大分県立芸術緑丘高等学校の歴史 (PDF) 大分県立芸術緑丘高等学校
  5. ^ 追悼 鉄腕エース稲尾 <22>同じ物差しでは次元が違いすぎた スポニチ九州、2007年12月6日
  6. ^ 稲尾 和久 日本プロ野球名球会公式ホームページ
  7. ^ 大塚博堂全科
  8. ^ 世界の歌姫「佐藤美枝子 クリスマス・コンサート」 おおいた文化情報エンジン
  9. ^ 『東京タワー』の著者、リリー・フランキーさんの特別トークセッションを開催します 大分県立芸術文化短期大学、2007年9月30日
  10. ^ 池永康晟美人画カレンダー2016 星の消ゆるを待つ 芸術新聞社

関連項目[編集]

リンク[編集]