厳原町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
いづはらまち
厳原町
廃止日 2004年3月1日
廃止理由 新設合併
上対馬町上県町峰町厳原町豊玉町美津島町対馬市
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
団体コード 42441-6
面積 175.59km2
総人口 15,033
推計人口、2004年2月1日)
隣接自治体 美津島町
町の木
町の鳥 ホトトギス
厳原町役場
所在地 817-8510
長崎県下県郡厳原町国分1401番地
座標 北緯34度12分8.4秒
東経129度17分16.5秒
 表示 ウィキプロジェクト

厳原町(いづはらまち)は、九州の北沖に当たる対馬の南部にあったで、対馬振興局(旧対馬支庁、旧対馬地方局)の所在地である。2004年3月1日に、大規模合併で対馬市の一部となっている。

地理[編集]

対馬の南端に位置する。東部から南部はリアス式海岸が発達しているが、西部はほぼ一直線に断崖絶壁の海岸線が続く。内陸部は300m~650m級の急峻な山が連なる。平地は西部の佐須川流域を除き、大規模なものはほとんど無い。このため集落は僅かな平地のある河口部などに点在し、集落間の道路はほとんどが曲がりくねった山道である。

最大市街地は東部の厳原地区である。同地区は昭和35年調査から平成12年調査まで、離島では珍しい人口集中地区を形成していた。また、同地区は対馬の政治・経済の中心でもあり、県や国の出先機関も多数所在する。

歴史[編集]

町役場付近は対馬国国府が置かれた地と考えられているが、いまだその遺構は見つかっていない。文永の役では町西部の小茂田浜に高麗軍が襲来し、大きな被害を受けた。

鎌倉時代に、対馬を治める宗氏が対馬中部の峰町佐賀地区から厳原地区に移館して城下町となり、以来対馬の中心地となっている。当時、この城下町は府中または府内と呼ばれていたが、明治維新後に厳原と改称された。

近現代[編集]

  • 1905年(明治38年) - 上下県郡総町村立対馬中学校(長崎県立対馬高等学校の前身)が設立される。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、下県郡厳原村・与良村(よらむら)・佐須村(さすむら)が発足。
    • 厳原村 ← 旧厳原城下10箇町・厳原村・南室村・小浦村・曲村・久田村
    • 与良村 ← 豆酘村・豆酘内院村・豆酘瀬村・佐須瀬村・尾浦村・安神村・久和村・内山村
    • 佐須村 ← 久根浜村・久根田舎村・上槻村・椎根村・樫根村・下原村・小茂田村・阿連村
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 与良村が分裂。
    • 大字豆酘が豆酘村(つつむら)として分立。
    • 残部は厳原村大字久田を編入し久田村(くたむら)と改称。
  • 1919年(大正8年)4月1日 - 厳原村が町制施行し、厳原町となる。
  • 1948年(昭和23年) - 厳原港に海上保安庁厳原海上保安部(現・対馬海上保安部)が置かれる。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 厳原町・久田村豆酘村佐須村が新設合併し、新たに厳原町が発足する。
  • 1959年(昭和34年)3月 - 厳原町役場久田支所が廃止される。
  • 1974年(昭和49年) - 厳原港大橋が開通。
  • 1978年(昭和53年)9月1日 - 対馬高校が現在地に移転。
  • 1980年(昭和55年) - 第一回「厳原港まつり」が開催される。
  • 2002年(平成14年)8月4日 - 国道382号小浦 - 厳原バイパス(厳原トンネルなど)が開通。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 下県郡美津島町豊玉町上県郡峰町上県町上対馬町と合併して対馬市となる。

地名[編集]

  • 厳原北里(いづはらきたざと) - 対馬市発足後は「北里」となる。
  • 厳原西里(いづはらにしざと) - 対馬市発足後は「西里」となる。
  • 厳原東里(いづはらひがしざと) - 対馬市発足後は「東里」となる。
  • 今屋敷(いまやしき)
  • 大手橋(おおてばし)
  • 久田道(くたみち)
  • 小浦(こうら)
  • 国分(こくぶ)
  • 桟原(さじきばら)
  • 田渕(たぶち)
  • 天道茂(てんどうしげ)
  • 中村(なかむら)
  • 南室(なむろ)
  • 日吉(ひよし)
  • 曲(まがり)
  • 宮谷(みやだに)
旧久田村
  • 安神(あがみ)
  • 内山(うちやま)
  • 尾浦(おうら)
  • 久田(くた)
  • 久和(くわ)
  • 佐須瀬(さすせ)
  • 豆酘瀬(つつせ)
  • 豆酘内院(つつないいん)
  • 与良内院(よらないいん)
旧豆酘村

豆酘村時代、大字は設置されていなかった。厳原町編入時に大字豆酘が発足し、1958年、遅れて豆酘の一部が独立する形で浅藻が発足。

  • 浅藻(あざも)
  • 豆酘(つつ)
旧佐須村
  • 阿連(あれ)
  • 樫根(かしね)
  • 久根田舎(くねいなか)
  • 久根浜(くねはま)
  • 上槻(こうつき)
  • 小茂田(こもだ)
  • 椎根(しいね)
  • 下原(しもばる)

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

交通[編集]

バス路線[編集]

道路[編集]

船舶[編集]

上対馬町 - 厳原港 - 壱岐 - 博多港
  • フェリー(九州郵船「フェリーちくし」・「フェリーきずな」)
厳原港 - 壱岐 - 博多港
厳原港 - 大韓民国釜山港

観光[編集]

名所・旧跡[編集]

武家屋敷跡

祭事・催事[編集]

  • 厳原港まつり - 1964年に「厳原港まつり」として始められ、1980年に朝鮮通信使行列が加わった。1988~2012年は「厳原港まつり対馬アリラン祭」という名称になっていたが、2012年に対馬仏像盗難事件が起こったため、2013年に朝鮮通信使行列を中止し祭名から「アリラン」を削除した[3]
  • 地蔵盆
  • 亀卜祭(サンゾーロー祭)
  • 赤米神事

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 一等三角点 基準点名:有明山、基準点コード:TR15129224101
  2. ^ 二等三角点 基準点名:男竜良、基準点コード:TR25129117701
  3. ^ 平成28年三角点標高成果の改定に伴う標高変更で649mから648mと1m低くなった[1]。尚、山頂にある三等水準点の標高は648.40m[2]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]