高朋高等学校
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(北日本電波高等学校から転送)
高朋高等学校 | |
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北緯36度44分55.4秒 東経137度15分10.7秒 / 北緯36.748722度 東経137.252972度座標: 北緯36度44分55.4秒 東経137度15分10.7秒 / 北緯36.748722度 東経137.252972度 | |
過去の名称 |
北日本電波高等学校 北日本高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人神通学館 |
校訓 | 文武不岐 |
設立年月日 | 1961年 |
4月12日 | |
創立者 | 長須田七造 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D116320156043 |
高校コード | 16503E |
所在地 | 〒931-8452 |
富山県富山市東富山寿町1丁目1番39号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高朋高等学校(こうほうこうとうがっこう、英: Koho High School)は、富山県富山市東富山寿町にある私立高等学校。設置法人は学校法人神通学館。
設置学科
[編集]- 普通科(2年次から下記の3コースに分かれる)
- ベーシックコース
- アドバンストコース
- エクストラコース
沿革
[編集]- 1958年(昭和33年)3月24日 - 学校法人神通学館創立。
- 1960年(昭和35年)12月12日 - 北日本電波高等学校設置認可(無線通信科、無線技術科、電機科を設置)。
- 1961年(昭和36年)
- 4月1日 - 神通学館(富山市愛宕町)を仮校舎として北日本電波高等学校開校。
- 5月20日 - 無線通信科、無線技術科を電子科(通信、技術)に学科改編。
- 9月1日 - 新校舎(現在地)竣工。
- 1962年(昭和37年)
- 7月18日 - 柔剣道場竣工。
- 9月14日 - 校歌制定。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 電機科を電子科に統合し、工業経営科を設置。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 食堂棟・管理棟竣工。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 普通科を設置。
- 1967年(昭和42年)4月12日 - 講堂兼体育館竣工[1]。
- 1969年(昭和44年)9月1日 - 北日本高等学校と改名。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 工業経営科を廃止。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 電子科を廃止。
- 1978年(昭和53年)
- 4月1日 - 高朋高等学校と改名。
- 4月12日 - 創立記念日と定める。
- 1983年(昭和58年)4月27日 - 校旗樹立。
- 1985年(昭和60年)6月22日 - 校歌碑建立。
- 1989年(平成元年)5月10日 - グラウンド竣工。
- 1991年(平成3年)2月20日 - OA機器操作技能評価試験実施認定校に認可。
- 1993年(平成5年)8月31日 - 校舎・柔剣道場改修竣工。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 単位制課程を併設。
- 2000年(平成12年)4月1日 - 2学期制に変更。
- 2001年(平成13年)4月30日 - ボランティア活動普及事業指定校となる。
- 2003年(平成15年)5月27日 - 自転車盗難防止推進モデル校に指定。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 制服改定。
- 2008年(平成20年)4月1日 - コース制改編。
- 2014年(平成26年)3月31日 - 体育館耐震改修竣工。
- 2015年(平成27年)6月1日 - 学校田取得
- 2018年(平成30年)4月1日 - 硬式野球部屋内練習場竣工。
部活動
[編集]- 運動部
- 硬式野球部 - 富山第一や富山工業を指揮した森崎直樹が2013年(平成25年)に監督に就任し、県外出身選手の受け入れを進めチーム強化を図っている[2]。2017年夏の富山県大会では初の決勝進出を果たしたが、翌月に森崎が急逝。2019年、森崎と富山第一時代の同級生で東京都市大塩尻高コーチ時代に甲子園に出場した中島千尋が監督に就任[3]。
- 剣道部
- 柔道部
- バスケットボール部 - Bリーグ・富山グラウジーズの月1回の練習指導がかつてはあった[4]。
- バドミントン部
- 陸上競技部
- 応援(ブラス)
- 文化部
校歌
[編集]作詞:大島文雄、作曲:松本民之助
アクセス
[編集]- あいの風とやま鉄道線「東富山駅」下車、徒歩約10分~15分
主な出身者
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『富山市史 第四巻』(1969年12月20日、富山市役所発行)894頁。
- ^ 俺たちはもう「富山っ子」 7府県から選手が集まった高朋
- ^ 高朋高の監督に富山第一出身・中島千尋氏が就任
- ^ 部活動紹介