健磐龍命

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健磐龍命(たけいわたつのみこと)/武五百建命(たけいおたけるのみこと)は、日本のまたは人物。阿蘇神社熊本県阿蘇市)の祭神等として知られる[1]

概要[編集]

健磐龍命[編集]

阿蘇神社が奉斎する阿蘇山としての性格を持つほか、阿蘇神社では神八井耳命神武天皇の子)の子と伝える。子に建稲背命速瓶玉命国造大神[2]八井耳玉命甲佐明神[3]

9世紀の平安時代、健磐龍命神が従四位に叙せられると、噴火を鎮めるためか、20年足らずで正二位にまで上った。しかし正二位になった5年後の貞観6年(864年)には、阿蘇は山上の池が沸騰して天に吹き飛ぶ噴火を起こしたとされる[4]

武五百建命[編集]

武五百建命は神八井耳命の4世孫で、科野国造の祖となったとされる。崇神天皇の御代に阿蘇国造に任命され、子に阿蘇氏の祖となった速瓶玉命と、金刺氏の祖となった建稲背命がいる。[5]また、科野大宮社を創建したと伝わる。

伝承[編集]

阿蘇地方では、健磐龍命に関する次の伝承がある。すなわち、健磐龍命は祖父の神武天皇の命をうけて阿蘇山へ至り、外輪山の上から目の前に広がる湖を眺め、その広大さに感心して、水をなくして田畑を造ろう、と考えた。そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたが、一度目に挑戦したところはなかなか蹴破れなかった。それは、山が二重になっているからで、以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」と呼ばれるようになった。別の場所で挑戦したら、今度は見事に蹴破ることに成功したが、そのはずみで健磐龍命はしりもちをついてしまい、「立てぬ」と叫び、以後、その場所は「立野」と呼ばれるようになった。また、蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されてしまったことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。湖水が引くと、底から巨大なナマズが現れ、湖水をせき止めていたので、健磐龍命は刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れていったという。

系譜[編集]

  • 武五百建命

神倭伊波礼毘古命の皇子神八井耳命の3世孫の敷桁彦命の子で、兄弟に武恵賀前命火国造の祖となった建緒組命がいる。后は建御名方神の子出早雄命と、洩矢神の娘多満留比売命[6] の子孫である会知早男命の娘阿蘇比売命[7]で、子は阿蘇氏の祖速瓶玉命と金刺氏の祖建稲背命[8]

脚注[編集]

  1. ^ 「健磐竜命」『日本人名大辞典』 講談社。
  2. ^ 国造神社(熊本県HP)”. 2014年2月9日閲覧。
  3. ^ 甲佐神社(熊本県HP)”. 2014年2月9日閲覧。
  4. ^ 「余録」毎日新聞2014年11月29日。
  5. ^ 日本の苗字7000傑 苗字検索”. 2018年3月24日閲覧。
  6. ^ 洩矢神社社伝より
  7. ^ 諏訪史料叢書第28巻・大祝武居祝系図略より
  8. ^ 古代氏族系譜集成 2017年10月30日。