京橋 (広島市)

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京橋
京橋・広島市01.JPG
欄干
京橋・広島市02.JPG
橋全体
基本情報
所在地 広島県広島市
左岸:南区京橋町 - 右岸:中区橋本町
交差物件 太田川水系京橋川
座標 北緯34度23分39秒 東経132度28分12秒 / 北緯34.39417度 東経132.47000度 / 34.39417; 132.47000
関連項目
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『安芸国広島城所絵図』。右から2番目の川(京橋川)唯一の橋が京橋。
『安芸国広島城所絵図』。右から2番目の川(京橋川)唯一の橋が京橋。
1930年ごろの広島市の地図。右上猿猴川と京橋川の分岐すぐの最上流の橋が京橋。他の道より太く書かれていることから、当時主要幹線道路であったことがわかる。
1930年ごろの広島市の地図。右上猿猴川と京橋川の分岐すぐの最上流の橋が京橋。他の道より太く書かれていることから、当時主要幹線道路であったことがわかる。
1945年被爆後の広島市。上地図と位置関係を確認。落橋していないとわかる。
1945年被爆後の広島市。上地図と位置関係を確認。落橋していないとわかる。
被爆による火災消失分布図。上地図と位置関係を確認。当時この付近まで火災が広がっていた。
被爆による火災消失分布図。上地図と位置関係を確認。当時この付近まで火災が広がっていた。
画像外部リンク
広島県立文書館所有の戦前の絵葉書。木橋橋時代のもの。
[絵葉書](広島市京橋)

京橋(きょうばし)は、広島県広島市京橋川にかかる道路橋。現存するものでは市内最古の鋼橋で、被爆橋梁の1つ[1]土木学会選奨土木遺産

概要[編集]

橋名の由来は下記歴史参照。京橋川および京橋町の名はこの橋名を由来としている。なお、桁外面をコンクリートでコーティングしている[2]ため、一見すると鉄筋コンクリート橋だが鋼橋である。

最初の架橋年度は1591年[3]広島城開城のころである[4]。元々は西国街道筋の橋であり、その後国道筋の橋であったが、現在は市道の橋である。昭和初期になり永久橋化され、広島市への原子爆弾投下の際にも落橋を免れ現存している。

2012年現在、栄橋比治山橋猿猴橋荒神橋観光橋と共に、現存する被爆橋梁の1つである[1]。その中で最も爆心地近くに位置する[1]

諸元[編集]

本項において、2000年7月1日に土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会が作成した『歴史的鋼橋調査台帳』からの数字を主に参照し、広島市が公開している数字は測定年度が不明であるため括弧書きで表記した。

  • 路線名 : 広島市道南3区7号線[5]
  • 橋長 : 65.4m[2](64.5m[1])
  • 支間長 : 18.5m + 27.5m + 18.5m[2]
  • 幅員 : 7.8m[2](7.9m[5] , 8.0m[1]
  • 上部工 : 鋼3径間ゲルバー(カンチレバー)式鈑桁橋[2][1]
  • 下部工 : RC橋台2基、石張RC壁式橋脚2基[1]
  • 基礎工 : ?
  • 備考 : 桁外面はRC被覆[2]
  • 工事費(当時) : 7万円[6]

歴史[編集]

架橋初期[編集]

この地は太田川下流域三角州地帯内にあり、戦国時代以前には低地の砂地が広がる土地であった[7]安土桃山時代毛利輝元により広島城が築城されると城下町として発展した[7]

京橋は輝元が入城した1591年天正19年)に木橋として架橋している[3]。橋名の由来は、「京都へ続く橋」から命名された[4](城から京都(東)方向へ向かう場合、最初に渡る橋がここ。右絵図面参照。)。

江戸時代になると、毛利氏の次に入城した福島正則によって城下町は拡大整備され、それまで山沿いを通っていた山陽道(西国街道)を城下に引き込み、この橋は西国街道筋の橋となった[8]。福島正則の改易によって浅野長晟が入城し、1635年寛永12年)武家諸法度によって参勤交代が義務化されると、この橋は猿猴橋[9]とともに浅野氏広島藩の参勤交代ルートとなった。

また、防犯上の理由により城下は架橋制限されていた[10]ことから、この橋は京橋川唯一の橋梁であった。また当時城下はかなりの頻度で洪水被害に遭遇しており[11]、その際にこの橋も落橋した可能性が高いが記録等は不明である。

この時代、厳島神社管絃祭において、「御供船」と呼ばれる管絃船の後ろをついていく船を、城下それぞれの川で造られていた。この船は京都祇園祭山鉾を真似し、年々豪華に飾り立てた。1852年嘉永5年)、京橋川に浮かぶ御供船を見物する民衆たちによって京橋が崩落し、死傷者が発生する事故が起きている[12]

近代[編集]

明治以降になると国道2号筋の橋として機能した。

1894年(明治27年)、日清戦争勃発、広島城内に広島大本営が設置される。東京から行啓してきた明治天皇は広島駅からこの橋を通り大本営へ入っている[13]

その後、国道整備の一環として猿猴橋とともに永久橋化が決定した。1926年7月、起工[6]

1927年(昭和2年)8月、鋼橋に架け替えられ、同年8月3日に開通式が行われた[2][4][6]。当時は、親柱および中柱の頂部に金属製の飾りが設けられた豪華な橋で、開通式には多くの人が訪れ混雑を極めた[6]

戦前は、鎮台・のちの第5師団・のちに広島大本営と旧陸軍の重要施設が置かれた広島城と、広島駅や東練兵場(現在の広島駅北側、東区光町・若草町一帯に所在した(地図参照))を結ぶ主要な橋であった[4]

金属製の飾りはその後、太平洋戦争中に金属類回収令によって1943年昭和18年)には取り外され、その後は石造りの本体だけとなった[4]

1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。ここは爆心地より約1.38キロメートル離れた所に位置した[1]。爆風方向に架かっていたため落橋はせず、被害は両側に建つ親柱の上部がずれた程度だった[4]。そのため、広島市内から当時救護所に指定されていた東練兵場への避難経路、あるいは市内中心部へ向かう救援活動の通り道として使われた[4]。 周辺の建物は両岸共に全焼している[4]

同年9月の枕崎台風および同年10月の阿久根台風による水害により市内の橋が次々と落橋する中、この橋はそれにも耐えている[14]

現代[編集]

1950年(昭和25年)稲荷大橋1966年(昭和41年)10月上柳橋と上下流に広幅員の橋が架橋したことにより主要幹線から外れ交通量が減り、現在は地元住民の生活道路として使用されている[4]

1993年(平成5年)、広島市は被爆建造物を新たにリストアップしなおし、その際にこの橋は被爆橋梁台帳に記載された[15]。被爆橋梁という歴史的に意義のある橋ということから、広島市は管理する全2818橋の中でも優先的に維持管理を行っている[16]

2011年(平成23年)、土木学会選奨土木遺産に選定された[17]

周辺[編集]

上流側に城南通り(広島市道中広宇品線)筋の上柳橋、下流側に広島県道164号広島海田線広島電鉄本線の通る稲荷大橋がある。ここから東に進んで駅前通り(広島市道駅前吉島線)から駅前大橋を渡ればJR広島駅にたどり着く。旧西国街道筋の橋であり、昔は東に道沿いに進めば猿猴橋にたどり着いていた。

京橋川の西岸、特に栄橋からこの橋までの間にはさまざまな造りの雁木が残っている。現在所在が判明しているものとしては国内最大級の河川用の雁木群であり、これら雁木群も土木学会選奨土木遺産に選定されている[18]。また西岸は、2004年から水辺の環境を活かしてオープンカフェが整備されている。

西側には世界平和記念聖堂エリザベト音楽大学広島市立幟町小学校、東側には広島グランドインテリジェントホテルなどが存在する。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 被爆橋梁リスト”. 広島市. 2013年12月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 歴史的鋼橋 G7-040 京橋”. 土木学会. 2013年12月4日閲覧。
  3. ^ a b 広島の歴史的風景 (PDF)”. 広島県立文書館. 2013年12月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 被爆60年 ヒロシマの記憶”. 中国放送. 2013年12月4日閲覧。
  5. ^ a b ひろしま地図ナビ”. 広島市. 2013年12月4日閲覧。
  6. ^ a b c d 中國方面 (PDF) 」 、『道路の改良』第9巻第9号、土木学会、1927年9月2013年12月4日閲覧。
  7. ^ a b 原爆戦災誌 1971, p. 5.
  8. ^ 商店街PR”. 広島商工会議所. 2013年12月4日閲覧。
  9. ^ 猿猴橋解剖学”. 広島市. 2013年12月4日閲覧。
  10. ^ しろうや!広島城 第20号 (PDF)”. 広島城公式. 2013年12月4日閲覧。
  11. ^ 太田川の洪水とその克服”. 国交省太田川工事事務所. 2013年12月4日閲覧。
  12. ^ しろうや!広島城 第31号 (PDF)”. 広島城公式. 2013年12月4日閲覧。
  13. ^ 志熊直人 『広島臨戦地日誌』 広島県庁、1899年、167頁。2014年5月13日閲覧。
  14. ^ 原爆戦災誌 1971, pp. 251-252.
  15. ^ 被爆建物・樹木・橋梁について”. 広島市. 2013年12月4日閲覧。
  16. ^ 広島市橋梁維持管理実施計画 (PDF)”. 広島市 (2009年3月). 2013年12月4日閲覧。
  17. ^ 選奨土木遺産に猿猴橋・京橋”. 中国新聞 (2011年10月15日). 2013年12月4日閲覧。
  18. ^ 京橋川の雁木群”. 土木学会中国支部. 2013年12月4日閲覧。

参考資料[編集]

  • 四国五郎 『広島百橋』 春陽社出版、1975年
  • 被爆建造物調査研究会 『被爆50周年 ヒロシマの被爆建造物は語る-未来への記録』 広島平和記念資料館、1996年
  • 広島市 『広島原爆戦災誌』(PDF)、2005年(原著1971年)、改良版。2013年12月4日閲覧。
  • 松尾雅嗣、谷整二「広島原爆投下時の一時避難場所としての川と橋 (PDF) 」 、『広島平和科学』第29巻、広島大学、2007年、 1頁-25頁、2013年12月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]