中動態

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中動態(ちゅうどうたい、ラテン語: [genus] medium英語: middle [voice])は、インド・ヨーロッパ語族のひとつ。能動態とは人称語尾によって区別される。中動態と受動態は形態の上で区別されないことが多い。中動態がよく残っている言語にサンスクリット古代ギリシア語アナトリア語派などがある。

中動相・中間態などとも呼ぶ。サンスクリット文法では反射態(reflexive)と呼ぶことが多い。

名称[編集]

ディオニュシオス・トラクスによって、古代ギリシア語の態(διαθέσις)は能動態(ἐνέργεια)、受動態(πάθος)、および中動態(μεσότης)の3つに分類された。

パーニニサンスクリットの動詞の態を「別人のための言葉」(parasmaipada、為他言)と「自身のための言葉」(ātmanepada、為自言)に分けた。

概説[編集]

インド・ヨーロッパ語族の言語では、動詞の態には主語から外に向けて動作が行われる能動態と、動作が主語へ向けて行われる中動態の2種類があった。後者は受動態の意味を含んでおり、中動受動態(英語: medio-passive)とも呼ばれる。

具体的には、

  • 自分に対する動作(従う・すわる・着る・体を洗う)
  • 動作の結果が自分の利害に関連する場合
  • 知覚・感覚・感情を表す動作(見る・知る・怒る)
  • 相互に行なう動作(会話する・戦う)

などに中動態を使用することが多い[1]

実際には単なる慣用になってしまい、なぜ中動態を使うのか判然としない場合も多い。

現代のヨーロッパの諸言語には中動態は残っていないが、再帰動詞が中動態に似た機能を担っている。

セム語には、中動態とよく似た意味をもつ派生動詞がある(ヘブライ語のヒトパエル形、アラビア語の第八派生形)。

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サンスクリット[編集]

サンスクリットでは中動態が広く使われる。例えば、能動態の yajati(祭祀する)は、祭官が他人のために祭祀するときに使い、中動態の yajate は祭主が自分のために祭祀するときに使う[2]

能動態のみ、または中動態のみしか存在しない動詞も多い。後者の例には manyate(考える)などがある。時制によって態が変わる動詞もある。

現在組織では形態の上で中動態と受動態が区別される。それ以外では中動態によって受動態の意味を表すことが多い。

ギリシア語[編集]

古代ギリシア語には中動態がよく残っている。たとえば能動態 λούω(洗う)に対して中動態 λούομαι(自分を洗う)。

動詞によっては中動態のみが存在する。例: μάχομαι(戦う)。また、時制によって異なる態を持つことがある。たとえば、ἀκούω (聞く)は、現在形では能動態だが、未来では ἀκούσομαι と中動態になる。

形態の上ではアオリストおよび未来でのみ中動態と受動態が区別される。

ラテン語[編集]

ラテン語の受動態は中動態に由来し、実際に中動態的な意味を残していることがある。たとえば、能動態の verto が何かの向きを変えるという意味であるのに対し、受動態の vertor は自分が向きを変えることを意味する[3]。対応する能動態を持たない動詞(deponentia)は中動態的である。例: sequor(追う)、imitor(まねる)、loquor(話す)。

上の例にも見られるように、ラテン語を含むイタリック語派ケルト語派アナトリア語派トカラ語派などでは、中動態(受動態)の人称語尾は -r が加えられることを特徴とし、サンスクリットやギリシア語などと異なっている。この -r の起源は非人称形にあると考えることができる[4][5]

脚注[編集]

  1. ^ 高津 (1954) pp.262-263
  2. ^ 辻 (1974) p.106
  3. ^ Palmer (1954) pp.262-265
  4. ^ マルティネ (2003) pp.264-267
  5. ^ Palmer (1954) p.264

参考文献[編集]

関連項目[編集]