三富新田

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三富新田

三富新田(さんとめしんでん)は、江戸時代元禄期に開拓された武蔵野台地上の一地域である、埼玉県入間郡三芳町上富と、同県所沢市中富下富の総称である。

地理[編集]

開拓前は一面の原野で周辺29か村の入会地であったが、元禄7年(1694年)に川越藩主となった柳沢吉保が、農作物増産等によって藩政を充実させる目的で、川越に召抱えていた荻生徂徠の建議を入れ、川越藩士の曽根権太夫に命じて藩内のこの地を開拓させたものである。特徴としては、幅6(約10.9 m)の道の両側に農家が並び、その1軒の農家ごとに雑木林が面積が均等になるように短冊型に並んでいるという地割である(例えば上富村では、1戸の間口が40間(約72.7 m)、奥行き375間(約681.8 m)、面積5町歩(15000=約49500平方 m)となっている)。この地割の方法は北宋王安石の新田開発法を参考にしたといわれる。元禄9年(1696年)の検地による屋敷の戸数は、上富91戸、中富40戸、下富49戸の計180戸。この整然とした地割と景観は現代まで良く残され、1962年には、旧跡として埼玉県指定文化財に指定されている。

歴史[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上富村は藤久保村・竹間沢村・北永井村の4村と合併し三芳村に、中富村・下富村は神米金村・北岩岡村・北中村と合併し富岡村となり三富地区が分かれる。
  • 1943年昭和18年)4月1日 - 富岡村が所沢町・小手指村・山口村・吾妻村・松井村と合併して所沢町となる。
  • 1950年(昭和25年) - 所沢町が市制を施行し所沢市となる。
  • 1970年(昭和45年)11月3日 - 三芳村が町制施行により三芳町となる。

その他[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

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