ロナルト・ヴァーテリュース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ロナルト・ヴァーテリュース Football pictogram.svg
名前
本名 ロナルト・カタリナ・マルティヌス・ヴァーテリュース
Ronald Katarina Martinus Waterreus
ラテン文字 Ronald Waterreus
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1970-08-25) 1970年8月25日(48歳)
出身地 ファールス
身長 185cm
体重 84kg
選手情報
ポジション GK
利き足 両足
ユース
オランダの旗 RKVV
オランダの旗 ローダ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1994 オランダの旗 ローダ 65 (0)
1994-2004 オランダの旗 PSV 285 (0)
2004-2005 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 0 (0)
2005-2006 スコットランドの旗 レンジャーズ 49 (0)
2006-2007 オランダの旗 AZ 6 (0)
2007 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ 18 (0)
代表歴
2001-2004 オランダの旗 オランダ 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロナルト・カタリナ・マルティヌス・ヴァーテリュースRonald Katarina Martinus Waterreus Nl-Ronald_Waterreus.ogg オランダ語発音[ヘルプ/ファイル], 1970年8月25日 - )は、オランダファールス出身の元サッカー選手。元オランダ代表。現役時代のポジションはGK

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期[編集]

地元のRKVV LEMIRSIAでキャリアを始め、5季滞在後にローダJCと契約し、1992年からプロキャリアを開始した。

PSV[編集]

1994年、正GKのハンス・ファン・ブロイケレンが現役引退したPSVアイントホーフェンと契約。当初はアヤックス・アムステルダムから加入したスタンリー・メンゾ英語版の後塵を拝していたが、数ヶ月後にア・デモス監督からディック・アドフォカート監督交代してからはメンゾより好んで起用された。2季目も同様に正GKを務め、1996-97シーズンにメンゾが去り、控えとしてヤン・ヴィレム・ファン・エーデnl)が加入したことで緊張感のあるポジション争いは終わりを告げた。

1997年夏に今度はドイツ人GKのゲオルグ・コッホen)が加入してきたが、序盤の3試合を譲ったのみで正GKの座を死守。コッホは僅か3ヶ月後に退団した。2度目の就任となったボビー・ロブソン監督下の1998-99シーズンは、かつてファン・ブロイケレンの後継者としてPSVに在籍していたパトリック・ローデヴァイクスnl)がFCフローニンゲンから加入してきたが、こちらも死守することに成功。

1999-2000シーズンのエリック・ゲレツ新監督の下では、当初イビツァ・クラリとローデヴァイクスに次ぐ3番手となり、クラブ側は売却を望み、欧州の幾つかのクラブから獲得の申し出があったものの、ヴァーテリュースは残留しポジション争いを決意。その後、クラリが負傷したことでチャンスを得ると、クラリ復帰後もポジションを死守した。翌2000-01シーズンもクラリとローデヴァイクスから死守し、目覚ましい成長を見せると、同シーズンの年間最優秀GK賞に輝いた。2002年にゲレツ監督からフース・ヒディンク監督が就任し、新たなGKとしてイェレ・テン・ラウウェラールが加入してきた。負傷で出遅れたことで開幕戦を譲ったが、テン・ラウウェラールの頼りない姿から復帰後すぐさまポジションを奪取すると、シーズン途中にテン・ラウウェラールはフローニンゲンへと貸し出された。テン・ラウウェラールの代役としてロブ・ファン・ダイクが加入してきたが地位を脅かされることはなかった。

しかし、2004年になると、国外で自身の腕を試したいとの思いから長期間正GKを務めたクラブと別れを告げることになった。奇遇にも前任者のファン・ブロイケレンとヤン・ファン・ベベレンもそれぞれ10季在籍後にPSVを退団していた。

PSVでの10季で4度のリーグ戦 (1997, 2000, 2001, 2003) と1996年にKNVBカップを獲得し、さらにヨハン・クライフ・スハールを6度制した。欧州カップ戦でのタイトル獲得には至らなかったが、UEFAチャンピオンズリーグに7度出場し、UEFAカップでは準々決勝に3度進出。個人としては66試合に出場し、75試合のヤン・ハインツェと67試合のウィリー・ファン・デ・ケルクホフに次ぐ、PSVの欧州カップ戦最多出場記録で3位となっている。

イングランド / スコットランド[編集]

PSVの正GKとして10季在籍後、幾つかの国からオファーがあったものの、ヘールト・デ・フリーガーen)とニッキー・ウィーバーen)の負傷離脱に対する代役及び、正GKディビッド・ジェームスの控えとして2004年8月26日にマンチェスター・シティFCと5ヶ月半の契約を締結した[1]。マンチェスター・シティでは、リーグ戦の出番はなく、また、ヴァーテリュース自身がメジャーリーグ・サッカーでキャリアを終了することを望んでいたが、ケヴィン・キーガン監督から経験豊富な控えとしての役割が買われ、12月17日にクラブと契約を半年延長し、シーズン終了まで滞在することが決定した[2]

しかし、正GKシュテファン・クロスen)の長期離脱に対する代役として2006年1月31日にスコットランド1部レンジャーズFCと1年契約を締結した[3]。レンジャーズでは、クロス復帰後も正GKの座を守りぬき、UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06ではクラブ史上初となる決勝トーナメント進出に貢献したが、その後、オランダの新聞に語った内容がクラブを批判したと誤解され、レンジャーズのファンから怒りを買った[4]こともあり、クラブからの契約延長を拒否し2007年6月7日に退団した[5]

晩年[編集]

2006年12月4日、負傷離脱したヨエイ・ディドゥリツァハリド・シヌーen)の2名の代役としてAZアルクマールと契約[6]。AZとは当初2007年6月30日までの契約で一旦合意した[7]ものの、ヴァーテリュースのメジャーリーグ・サッカーでの引退するとの願望から最終的に6試合限定での短期契約となった[8]

2007年1月10日に念願だったアメリカ1部のニューヨーク・レッドブルズとシーズン終了までの契約(1年のオプション付き)を締結する[9]と、開幕戦から3試合連続で完封する活躍を見せ[10]、次戦のFCダラス戦(1-0勝利)も完封したことでクラブの連続完封勝利記録を更新する[11]素晴らしいスタートを切ったものの、度重なる負傷から出場機会は約半分にとどまり、2007年10月にシーズン終了に伴い引退することを表明した[12]

代表[編集]

オランダ代表としては、エドウィン・ファン・デル・サールの控えとして7試合に出場。2001年8月15日にイングランド戦で初出場を飾り、ファン・デル・サールの負傷によりUEFA EURO 2004予選チェコ戦とモルドバ戦にも出場した。UEFA EURO 2004の一員に選出されるも出番はなかった。

私生活[編集]

友人と共に絶滅の危機に瀕する猫種のためPantereusを1999年に設立。毎年ゴルフトーナメント等を開催し、その収益を世界自然保護基金に寄付している[13]

タイトル[編集]

クラブ
PSVアイントホーフェン
レンジャーズFC
個人

脚注[編集]

  1. ^ "Man City sign Waterreus"
  2. ^ "City keeper signs extension"
  3. ^ "'Keeper Waterreus joins Rangers"
  4. ^ "McLeish defends keeper Waterreus"
  5. ^ "Waterreus to end his Rangers stay"
  6. ^ "AZ land keeper"
  7. ^ "Waterreus tot winterstop bij AZ in het doel"
  8. ^ "Golfende Waterreus fit genoeg voor AZ"
  9. ^ "'Waterreus tekent eindelijk voor New York'"
  10. ^ "Waterreus houdt nul en New York wint"
  11. ^ "Waterreus en New York bezig met recordreeks"
  12. ^ "Ronald Waterreus bezig aan laatste wedstrijden"
  13. ^ "Golfdag stichting Pantereus wederom geslaagd (PSV TV)"

外部リンク[編集]