ミャンマーの首相
表示
ミャンマーの首相(ミャンマーのしゅしょう)は、ミャンマー連邦共和国の首相。
1947年制定の初代憲法では、首相は大統領の補助機関たる連邦政府(内閣の名称)の一員で、地域代表院(下院)の指名基づいて大統領が任命しており、内閣閣僚たる国務大臣を指名する権限を有していた[1]。また、1974年制定の第二代憲法では、大臣17名で構成される閣僚組織(内閣)の間で選出され、国家評議会[2]の構成員の一人であった。1988年以降は、軍事政権の最高決定機関である国家平和発展評議会(SPDC)の議長によって任免されている。2011年2月4日に、テイン・セインが大統領に選出された後、首相ポストは廃止された。
歴代首相
1948年の独立以来のビルマおよびミャンマーの首相は以下の通り。
代 | 名前 | 就任 | 退任 | 政党 |
ビルマ連邦 | ||||
---|---|---|---|---|
1 | ウー・ヌ | 1948年1月4日 | 1956年6月12日 | 反ファシスト人民自由連盟(AFPFL) |
2 | バー・スエ | 1956年6月12日 | 1957年3月1日 | AFPFL |
3 | ウー・ヌ(第二期) | 1957年3月1日 | 1958年10月29日 | AFPFL |
4 | ネ・ウィン | 1958年10月29日 | 1960年4月4日 | 軍人 |
5 | ウー・ヌ(第三期) | 1960年4月4日 | 1962年3月2日 | 連邦党 |
6 | ネ・ウィン(第二期) | 1962年3月2日 | 1974年3月4日 | 軍人 / ビルマ社会主義計画党(BSPP) |
ビルマ連邦社会主義共和国 | ||||
7 | セン・ウィン | 1974年3月4日 | 1977年3月29日 | 軍人 / BSPP |
8 | マウン・マウン・キャー | 1977年3月29日 | 1988年7月26日 | 軍人 / BSPP |
9 | トゥン・ティン | 1988年7月26日 | 1988年9月18日 | 軍人 / BSPP |
10 | ソウ・マウン | 1988年9月21日 | 1988年9月23日 | 軍人 |
ビルマ連邦 | ||||
10 | ソウ・マウン | 1988年9月23日 | 1989年6月18日 | 軍人 |
ミャンマー連邦 | ||||
10 | ソウ・マウン | 1989年6月18日 | 1992年4月23日 | 軍人 |
11 | タン・シュエ | 1992年4月23日 | 2003年8月25日 | 軍人 / 国民統一党(NUP) |
12 | キン・ニュン | 2003年8月25日 | 2004年10月18日 | 軍人 / NUP |
13 | ソー・ウィン | 2004年10月19日 | 2007年5月18日 | 軍人 / NUP |
代行 | テイン・セイン | 2007年5月18日 | 2007年10月12日 | 軍人 / NUP |
14 | テイン・セイン | 2007年10月12日 | 2010年10月21日 | 軍人 / NUP |
ミャンマー連邦共和国 | ||||
14 | テイン・セイン | 2010年10月21日 | 2011年3月30日 | 軍人 / NUP |
首相ポスト廃止(2011年3月30日-現在) |
備考
- ^ 首相と国務大臣は共に地域代表院の議員でなければならず、連邦政府は下院に対して連帯責任を負った(議院内閣制)。
- ^ 国家評議会:人民議会(国会の名称)閉会中に法的拘束力を持つ命令を出す権限が与えられた組織。地方行政区分を基準に選出された国会議員28人と首相によって構成され、議長は大統領に就任こととなっていた。非常事態宣言や条約の締結・批准・脱退など高度な政治的権限が付与されていた。