テイン・セイン

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テイン・セイン
သိန်းစိန
Thein Sein
TheinSeinASEAN.jpg

任期 2011年3月30日2016年3月30日

ミャンマーの旗 ミャンマー連邦
第14代首相
任期 2007年5月18日 – 2011年3月30日
元首 タン・シュエ国家平和発展評議会議長

出生 (1945-05-11) 1945年5月11日(71歳)
イギリス領ビルマの旗 イギリス領ビルマ エヤワディ
政党 連邦団結発展党
配偶者 キン・キン・ウィン

テイン・セインビルマ語: သိန်းစိနThein Sein1945年5月11日 - )は、ミャンマーの政治家、同国大統領(軍事政権後初代・国家元首通算第10代)、連邦団結発展党党首を歴任した。軍事政権内での序列は4位であった[1]。同国首相などを歴任。

就任時の階級は中将、後に政党結党前に軍籍を離れる[2]。民族的には華人であり、中国語名は登盛簡体字:登盛)。

略歴[編集]

  • 三角軍区司令
  • 2003年 - 国家平和発展委員会副秘書長
  • 2004年 - 国家平和発展委員会第一秘書長
  • 2007年5月 - 中旬より、病気療養中のソー・ウィンの首相代行
  • 2007年10月24日 - ソー・ウィンの死を受け、正式に首相就任の布告がなされた
  • 2010年4月26日 - 軍籍を離脱し、29日に連邦団結発展党を結成
  • 2010年11月7日 - 2010年ミャンマー総選挙で当選を果たす
  • 2011年2月4日 - 大統領に選出
  • 2011年3月30日 - 大統領に就任、ポスト廃止に伴い首相を退任
  • 2016年3月30日 - 大統領を退任。

経歴[編集]

オバマと会談するセイン(2012年11月18日)

貧しい家庭の出身であり、18歳で軍士官学校に入った[3]

他の軍高官とは違い、利権や汚職などのスキャンダルに見舞われず、国民にはクリーンなイメージを持たれているとされる[4]。また野心がなく、上官の命令に逆らうことはない官吏タイプとも評されている[4]。このためタン・シュエの信頼が厚く[4]、「忠実な部下」「典型的なイエスマン」[5]とも評される。他、タン・シュエの後に大統領として指名されたのは、タン・シュエ自身が引退後に、「自らの安全」も考慮した結果ともされる[3]

軍出身ではあるが基盤がなく、このため大統領就任前にはタン・シュエの意向に沿った政権運営がなされるとの指摘もあった[6]。しかし、就任後はアウンサンスーチーの政治活動を容認するなど、民主化に一定の寄与をしていることも事実であり、タン・シュエが保守派と言われるのに対し、テイン・セインは改革派と称されることもある[7]

アウンサンスーチー以外の政治犯も釈放しており、メディアの自由化の促進、国民の人権を脅かす法律の廃止なども実施している。特にミャンマー最大の反政府武装組織カレン民族同盟と停戦合意にこぎつけるなど、様々な改革を実行している。これらの改革は諸外国にも歓迎されており、これまで敵対的だった西側諸国との関係が改善している。2011年12月にはヒラリー・クリントン国務長官が、2012年11月にはバラク・オバマ大統領がミャンマーを訪問している[8]。2012年4月には来日しており、当時の野田佳彦内閣総理大臣と会談している[9]。2013年5月20日にはミャンマーの国家最高指導者として1966年以来47年振りとなるアメリカを公式訪問して、ホワイトハウスバラク・オバマ大統領と首脳会談を行った [10]

健康問題[編集]

心臓病のため、心臓ペースメーカーを使用している[11]

誕生日について[編集]

2015年の毎日新聞の報道によると、ミャンマーにおいては占星術と結びついた呪術に使われるのを避けるため、テイン・セインに限らず要人は正確な誕生日を公表しないという[12]。記事では関係者への取材から、実際にテイン・セインが生まれたのは1944年の可能性が高いと述べ、ある占星術師は1944年5月の金曜日の生まれと明かしたと記載されている[12]

出典[編集]

  1. ^ “ミャンマー新大統領にテイン・セイン首相”. 毎日放送. (2011年2月5日). http://www.mbs.jp/news/jnn_4642460_zen.shtml 2011年2月5日閲覧。 [リンク切れ]
  2. ^ ミャンマー ~民主化の現状と自由化の波~ (PDF)” (日本語). 東京都中小企業振興公社 国際支援室 (2011年2月). 2012年1月2日閲覧。
  3. ^ a b “ミャンマー:弟の大統領再任望まぬ 兄が心境、体調気遣う”. 毎日新聞. (2014年12月24日). http://mainichi.jp/select/news/20141225k0000m030070000c.html 2015年1月3日閲覧。 
  4. ^ a b c “ミャンマー:大統領にテインセイン氏 政権、軍部意向反映へ”. 毎日新聞. (2011年2月5日). http://mainichi.jp/select/world/news/20110205ddm007030065000c.html 2011年2月5日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ “ミャンマー大統領にセイン首相 軍主導の現行路線継承へ”. デイリースポーツ. (2011年2月5日). http://www.daily.co.jp/society/main/2011/02/04/0003784420.shtml 2011年2月5日閲覧。 [リンク切れ]
  6. ^ “ミャンマー大統領に軍政首相 軍トップが影響力”. 東京新聞. (2011年2月5日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020502000037.html 2011年2月5日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ みずほアジア・オセアニアインサイト (PDF)” (日本語). みずほ総合研究所. 2011年12月3日閲覧。
  8. ^ 工藤年博ジェトロアジア経済研究所新領域研究センター長. “ミャンマー改革の3年―テインセイン政権の中間評価―”. 独立行政法人経済産業研究所. 2015年3月28日閲覧。
  9. ^ テイン・セインミャンマー大統領の来日”. 外務省. 2015年3月28日閲覧。
  10. ^ “ミャンマー大統領が47年ぶりに訪米…大韓航空を利用”. (2013年5月21日). http://japanese.joins.com/article/832/171832.html 2014年12月21日閲覧。 
  11. ^ “Man in the mirror in Myanmar”. Asia Times Online. (2011年5月4日). http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/ME04Ae01.html 2012年3月3日閲覧。 
  12. ^ a b ミャンマー:誕生日は最高機密 政権中枢に「黒魔術使い」 - 毎日新聞2015年9月10日。この記事では、記事掲載時のウィキペディアにおいても日本語版と英語版で誕生日が異なることに言及されている。