マイケル・ホイ

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マイケル・ホイ
許冠文
マイケル・ホイ許冠文
2005年
生年月日 (1942-09-03) 1942年9月3日(75歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国広東省広州市番禺区
職業 俳優映画監督脚本家
マイケル・ホイ
各種表記
繁体字 許冠文
簡体字 许冠文
拼音 Xǔ Guànwén
注音符号 ㄒㄩˇ ㄍㄨㄢˋㄨㄣˊ
発音: シュ グァンウェン
広東語拼音 Heoi2 Gun3man4
英文 Michael Hui
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マイケル・ホイ(許冠文 拼音 Xǔ Guànwén MICHAEL HUI、1942年9月3日 - )は、香港の喜劇役者、映画監督、脚本家である。中国広東生まれ。

人物・来歴[編集]

ホイ4兄弟の長男として生まれる。弟たちはスタンリー・ホイ(許冠武)、リッキー・ホイ(許冠英)、サミュエル・ホイ(許冠傑)。

溂沙書院・香港ラサールスクール(ラ・サール会経営の中等教育校)に学び、香港中文大学を卒業。香港を代表する俳優ブルース・リーとは、学年は違うが同窓であり、後にテレビ番組で共演した事もある。

中学校の教師や広告マンなどをしていたが、先に香港芸能界で活躍していた末弟サミュエルに誘われて、1968年TVBの番組司会者としてデビュー。その話術で、サミュエルとともに出演した番組『雙星報喜』によって、その人気を不動のものとした。

1972年リー・ハンシャン監督の映画『大軍閥』の主役に抜擢されてからは、次第に映画に活躍の場を移した。なかでも、1970年代後半から自ら監督・主演を務めた、日本で『Mr.BOO!』シリーズと名付けられた一連の作品は、興行的にも大成功を収め、海外の作品に押され気味で、一方で自国作品ではアクション映画が全盛だった香港映画のあり方を大きく変え、その後の香港映画復興に貢献した。1982年、『新Mr.Boo!アヒルの警備保障』で第1回香港電影金像奨最優秀主演男優賞を受賞。

その後も多くの作品を監督・出演する。1990年代からは出演作は減少したものの、香港映画界で活動を続けている。

『Mr.Boo!』シリーズは、日本においてもヒットし、特にテレビで放送された際に吹替えを担当した広川太一郎との組み合わせは絶妙で、その所為もあって日本での知名度も高い。2005年には、多くのファンからの要望で、テレビ吹替え版がDVDとして発売され、マイケル自身も来日し、その際、両者は初対面を果たしている。[1]

2000年代以降は、2004年の正月映画で、自身の作品へのオマージュ的作品である『新世紀Mr.Boo! ホイさま カミさま ホトケさま』に、ノンクレジットで出演した。2006年には、ジャッキーチェン主演の『プロジェクトBB』に出演、『キャノンボール』以来26年ぶりにジャッキーと共演している。また、TVBで放送された『一擲千金』(ディール・オア・ノー・ディールの香港版)の第1シーズンの司会者として、久しぶりに古巣TVBのレギュラー番組に出演した。

補足[編集]

ホイ兄弟はよく3兄弟と勘違いされるが、実は5兄弟である。芸能活動を行っているのはマイケル、サミュエル、リッキーの3人だが、映画制作とマネージメントで次男のスタンリー・ホイが参加している。長男がマイケル、リッキーが三男、サミュエルが四男で、男が4人。末っ子に妹のジュディ(芸能活動はしていない)がいて5人である。次男は裏方だが「Mr.BOO!(半斤八両)」でのラブホテル店員役や『フロント・ページ』での警察官役などで、こっそり出演もしている。

男性4兄弟の名前は上から順に許冠文(マイケル・ホイ)、許冠武(スタンリー・ホイ)、許冠英(リッキー・ホイ)、許冠傑(サミュエル・ホイ)で、名前の最後の文字を並べると「文武英傑(文武両道に並外れて優れた者)」と言う意味になる。

出演作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 許冠文/マイケル・ホイ来日記者会見 2005年8月25日 - シネマジャーナル

外部リンク[編集]