ホセ・セバージョス

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はセバージョス第二姓(母方の)はビジャビセンシオです。
ホセ・セバージョス Football pictogram.svg
JOSÉ FRANCISCO CEVALLOS 1 LAC (cropped).jpg
2014年のセバージョス
名前
本名 ホセ・フランシスコ・セバージョス・ビジャビセンシオ
José Francisco Cevallos Villavicencio
愛称 Las manos del Ecuador
(エクアドルの手)
ラテン文字 José CEVALLOS
基本情報
国籍 エクアドルの旗 エクアドル
生年月日 (1971-04-17) 1971年4月17日(45歳)
出身地 サンタ・エレーナ県アンコン
身長 182cm
選手情報
ポジション GK
ユース
1985-1989 エクアドルの旗 モリネーラ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-2006 エクアドルの旗 バルセロナ 380 (0)
2005 コロンビアの旗 オンセ・カルダス (loan) 11 (0)
2007 エクアドルの旗 デポルティーボ・アソゲス 40 (0)
2008-2011 エクアドルの旗 LDUキト 48 (0)
通算 538 (0)
代表歴
1994-2010 エクアドルの旗 エクアドル 89 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホセ・フランシスコ・セバージョス・ビジャビセンシオ(José Francisco Cevallos Villavicencio, 1971年4月17日 - )は、エクアドルサンタ・エレーナ県アンコン出身の元サッカー選手、現在はエクアドルのスポーツ担当大臣を務めている。エクアドル代表であった。ポジションはゴールキーパー

経歴[編集]

クラブ[編集]

バルセロナSC[編集]

1990年、グアヤキルに本拠地を置くバルセロナSCでプロデビューを果たし、2度の在籍期間中にリーグ戦計400試合以上に出場した。1991年、1995年、1997年にはクラブの中心選手としてリーグ優勝を果たした。1998年のコパ・リベルタドーレスではクラブ史上2度目の決勝進出を果たしたが、ブラジルのヴァスコ・ダ・ガマに敗れて初優勝はならなかった。

オンセ・カルダスとデポルティーボ・アソゲス[編集]

2005年にはコロンビアオンセ・カルダスレンタル移籍したが成功したとは言えず、1年後にバルセロナSCに復帰した。2007年にはデポルティーボ・アソゲススペイン語版に完全移籍し、そこで現役引退すると思われたが、大活躍を見せてエクアドル屈指のキーパーに返り咲いた[1]

LDUキト[編集]

2008年、セリエALDUキトに移籍した。同年のコパ・リベルタドーレス準々決勝ではアルゼンチンのサン・ロレンソと対戦し、PK戦ではアウレリアーノ・トーレスのキックを止めてクラブをPK戦勝利に導いた。準決勝ではメキシコのクラブ・アメリカと対戦し、キトで行われた試合で完封勝利を収めてクラブ初の決勝進出を決めた。決勝はブラジルのフルミネンセとの対戦となった。2試合合計スコアが同点となり、勝敗の行方はPK戦に持ち込まれたが、ダリオ・コンカチアゴ・ネーヴィスワシントンの3人のキックを止め、クラブ初優勝(エクアドルのクラブとしても初)立役者となった。大会のベストイレブンに選出され、ウルグアイのエル・パイス紙による南米最優秀ゴールキーパーにも選出された。IFFHSはセバージョスを世界第6位のキーパーに選出した。LDUキト移籍当初は1年だけの予定であったが、2010年まで契約を延長した。2009年にはレコパ・スダメリカーナコパ・スダメリカーナの両方を制し、2010年にはレコパ・スダメリカーナの2連覇と自身4度目のセリエA優勝を果たした。2011年5月6日、若手に道を譲るために現役引退を表明した[2]

代表[編集]

1994年にエクアドル代表デビューし、コパ・アメリカ1995[3]コパ・アメリカ1997(兄弟そろって出場)[4]コパ・アメリカ1999[5]コパ・アメリカ2001[6]に出場した。2002 FIFAワールドカップ・南米予選ではアルゼンチンに次ぐ2位となり、同国のFIFAワールドカップ本大会初出場に貢献した。日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップ本大会は1勝2敗でグループリーグ敗退に終わった。2004年までに77試合に出場し、いったんは代表引退を発表した。2002 FIFAワールドカップ・南米予選では素晴らしい活躍を見せて母国をFIFAワールドカップ本大会に導き、エクアドルのサポーターからはラス・マノス・デル・エクアドル(las manos del Ecuador、エクアドルの手)と呼ばれている。

2008年、エクアドル代表がLDUキトと戦った非公式の親善試合で4年ぶりに代表に復帰した。先発出場して45分間プレーし、5-0でリードしていたハーフタイムにマシモ・バンゲーラと交代した。その後、2010 FIFAワールドカップ・南米予選アルゼンチン戦とコロンビア戦にも招集された。

スポーツ担当大臣[編集]

2011年5月23日、サンドラ・ベラの後任としてエクアドルのスポーツ担当大臣に選ばれ[7][8]、翌日に就任した[9]

家族[編集]

兄のアレックス・セバージョス英語版もゴールキーパーとしてプレーしたプロサッカー選手であった。ホセの息子のホセ・セバージョス・ジュニアミッドフィールダーとしてプレーするプロサッカー選手である。2008年にLDUキトの下部組織に移り、2010年にトップチームデビューを果たした。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

エクアドルの旗 バルセロナSC
エクアドルの旗 LDUキト

代表[編集]

エクアドルの旗 エクアドル代表

個人成績[編集]

クラブ成績 リーグ カップ 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
エクアドル リーグ カップ 南米 通算
2008 LDUキト セリエA 19 0 N/A
2009 17 0 5 0 22 0
2010 8 0 7 0 15 0
2011 4 0 0 0 4 0

脚注[編集]

  1. ^ El Comercio[リンク切れ]
  2. ^ Cuelgan guantes Las Manos del Ecuador”. futbolecuador.com (2011年5月16日). 2011年5月17日閲覧。(スペイン語)
  3. ^ Copa América 1995 RSSSF
  4. ^ Copa América 1997 RSSSF
  5. ^ Copa América 1999 RSSSF
  6. ^ Copa América 2001 RSSSF
  7. ^ De la Cancha al Ministerio Futbol Ecuador.com、2011年5月23日
  8. ^ Cevallos será posesionado mañana como nuevo Ministro de Deportes El Universo.com 、2011年5月23日
  9. ^ Señor ministro Futbol Ecuador.com、2011年5月24日

外部リンク[編集]