フィッセルヘーヴェデ

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紋章 地図
(郡の位置)
Wappen Visselhövede.png Locator map VER in Germany.svg
基本情報
連邦州: ニーダーザクセン州
郡: ローテンブルク(ヴュンメ)郡
緯度経度: 北緯52度58分
東経09度35分
標高: 海抜 70 m
面積: 158.85 km²
人口:

10,199人(2015年12月31日現在) [1]

人口密度: 64 人/km²
郵便番号: 27374
市外局番: 04262
ナンバープレート: ROW
自治体コード: 03 3 57 051
市庁舎の住所: Marktplatz 2
27374 Visselhövede
ウェブサイト: www.visselhoevede.de
市長: ラルフ・ゲーベル (Ralf Goebel)
郡内の位置
Visselhövede in ROW.svg

フィッセルヘーヴェデ(Visselhövede、低地ドイツ語ではVisselhöövd)は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ローテンブルク(ヴュンメ)郡に属す小都市である。リューネブルガー・ハイデに位置する。

地理[編集]

位置[編集]

フィッセルヘーヴェデはブレーメンハンブルクハノーファーの三都市の中心であるリューネブルガー・ハイデ辺縁部フィッセル川(フィッセルバッハ川ともいう)沿いに位置する。市域は主に農業用地が占めている (107.09km2)。26.44km2が森林、5.22km2が建築・公用地である。この街は海抜70mに位置する。市内の最高地点はドレーゲンボステル市区のヘレンベルクで93.4mである。中核市区からフィッセル川、ヒディンゲン市区からローダウ川が湧出する。アラー川右岸の支流である全長22kmのレールデ川も市内に湧出する。

市の構成[編集]

フィッセルヘーヴェデは中核市区の他、14の周辺市区からなる。ブレックヴェーデル、ブーフホルツ、ドレーセル、ドレーゲンボステル、ヒディンゲン、イェディンゲン、ケッテンブルク、リューディンゲン、ニンドルフ、オッティンゲン、ローゼブルーフ、シュヴィッチェン、ヴェーンゼン、ヴィットロフである。住民のほぼ半数が中核市区、残りの半数が周辺市区に分かれて住んでいる。

隣接する市町村[編集]

フィッセルヘーヴェデ市と直接境を接する市町村は、キルヒリンテルンフェルデン郡)、ザムトゲマインデ・ボテルノイエンキルヒェンゾルタウボムリッツヴァルスローデ(以上、4つはハイデクライス郡

ボテル (14km)
ローテンブルク (ヴュンメ) (19km)
トーシュテット (51km) ノイエンキルヒェン (11km)
シュネーファーディンゲン (21km)
フェルデン (アラー) (26km)
ブレーメン (66km)
Compass rose simple.svg
ゾルタウ (21km)
ニーンブルク (ヴェーザー) (62km) ヴァルスローデ (15km)
ハノーファー (77km)
バート・ファリングボステル (17km)

歴史[編集]

中世[編集]

フィッセルヘーヴェデはフィッセル川の水源の周りに発展した。ここには異教の霊場があった。現存するこの街の最初の文献記録は1258年のものである。1288年の文献は、フィッセルヘーヴェデの下位統治権がフェルデン司教コンラートに移った事を示している。

1432年にフィッセルヘーヴェデ教会区は戦闘によって甚大な被害を受け、中核部は焼失した。フェルデン司教ヨハンは城壁と堀を備え、出入りを2つの門に限定した新しい町を建設した(1450年)。これによってこの町は「フレッケン」の称号を獲得した。

近世[編集]

1567年宗教改革がなされた。1629年皇帝復旧勅令によってカトリックに復帰したが、1631年に最終的にプロテスタントの町となった。

1645年にフィッセルヘーヴェデは他のフェルデン公領とともにスウェーデン領となった。1712年デンマーク領となった後、1719年ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがフェルデン公領とともにこの町を獲得した。1805年から1813年までの間はナポレオンに占領され、フランス領となった。1813年10月12日にプロイセン軍によってフランス支配から解放された。その後、フィッセルヘーヴェデはハノーファー王国に属した。1866年以降80年間はプロイセンに属したが、この体制は1946年に戦勝国によって解体された。

19世紀から20世紀[編集]

1874年のアメリカ線建設により、フィッセルヘーヴェデは鉄道網に結びついた。1890年ヴァルスローデを経由してハノーファーに向かう路線(1986年廃止)が、1906年にはブロッケルを経由してローテンブルク (ヴュンメ) に至る路線(1974年から1982年の間に廃止)が開通した。

1938年にフィッセルヘーヴェデは「都市」の称号を得た。1974年に市町村再編のために近隣の14の町村が合併した。

行政[編集]

市議会は26議席からなる。

紋章[編集]

フィッセルヘーヴェデの紋章は銀地に黒いナーゲル十字(下端が尖った十字)。その中央に金のボウルが置かれ、その中に洗礼者ヨハネの首が描かれている。

この紋章は1948年から公式な市章として使われている。これ以前、司教領主エーバーハルト・フォン・ホレ統治下の1581年には別の紋章が用いられていたことが分かっている。

文化と見所[編集]

聖ヨハニス教会

この町の見所としては、マルクト広場や小径がある旧市街、12世紀建造の聖ヨハニス教会、フィッセル川水源地や市庁舎が挙げられる。

ブルク通りの修復された旧ビュルガーハウス(ブルジョア階級の市民の家)は、現在フィッセルヘーヴェデ文化・郷土協会の本部となっている。2006年に歴史的なハイデ倉庫周辺がフィッセルホーフとして整備された。

都市近代化整備の一環で、当時あったハチミツミツロウ製造のゾンネンタウは高さ27mの水道塔を一部修復した。水道塔と当時の事務棟には現在、現代美術のギャラリーとアトリエが造られている。2007年からは戸籍役場の出張所が水道塔内に設けられている。結婚する者はここで手続きができる[2]

宗教[編集]

プロテスタント・ルター派[編集]

信仰を持つ住民の多くはプロテスタントルター派教会(フィッセルヘーヴェデ区の聖ヨハニス教会、ヴィットロフ区の礼拝堂)に属す。これらはブロッケルの聖十字教会、キルヒヴァルゼーデの聖バルトロメウス教会とともにローテンブルク/ヴュンメ教会クライスのフィッセルヘーヴェデ教会地域を形成している。

ローマ・カトリック教会[編集]

カトリック教会はフィッセルヘーヴェデ(ヘルツ・イェズ教会)、ヴァルスローデバート・ファリングボステルボムリッツ=ベーネフェルトの教会が教会組織を形成している。

イスラム教[編集]

イスラム教の信者は主にトルコ人クルド人の家族であるが、アラブ人イラン人パキスタン人の家族もいる。彼らはローテンブルク (ヴュンメ)、フェルデン (アラー)、ブレーメンあるいはヴァルスローデの組織に属す。

その他の宗教[編集]

これらの他に新使徒派教会の組織もある。フィッセルヘーヴェデでは、ドイツ全土がそうであるように無宗教の割合が増加している。

経済と社会資本[編集]

フィッセルヘーヴェデは工業が乏しい街である。かつてこの街にはマッチ製造、ボンボン菓子製造、乗り物製造の工場があった。現在の最も重要な会社は鉱油卸の企業である。

フィッセルヘーヴェデは連邦軍の所在地である。レーンスハイデ兵舎(2006年1月まではメルダース兵舎という名称であった)には 第285災害救護大隊が配置されている。1972年から1992年まではここにコントロール・アンド・レポーティング・センターもあった。

NDR超短波テレビの送信所を運営している。アンテナの高さは167mで、1974年に建設された。NDRの放送だけでなく、ヒットラジオ・アンテナや ffn といった民放プログラムや、イギリスのBFBS 1も放送している。

社会施設[編集]

フィッセルヘーヴェデは大規模な養護施設の所在地である。最寄りの病院はローテンブルク (ヴュンメ) のディアコニー病院、ヴァルスローデのハイデ郡病院およびフェルデンのアラー=ヴェーザー病院である。健康保険医の救急医療業務については、フィッセルヘーヴェデはヴァルスローデ管区に属す。フィッセルヘーヴェデにはドイツ赤十字社の救急本部があり、ヨハニター事故救急連盟の救護隊詰め所や継続教育に利用される本部がある。健康保険医の救急業務はヴァルスローデ病院の救命救急医が担当する。

交通[編集]

フィッセルヘーヴェデ駅

鉄道[編集]

フィッセルヘーヴェデには、ユルツェン - ラングヴェーデル線の駅がある。この路線はかつては複線であったが、1987年から単線となり、電化はされていない。以前は、ヴィットルフブロッケルを経由してローテンブルク (ヴュンメ) に至る路線と、ヴァルスローデ行きのブレーマーフェルデ - ヴァルスローデ線もあったが、現在ではこれらの路線は撤去されている。

道路[編集]

フィッセルヘーヴェデは連邦道B440号線(ローテンブルク (ヴュンメ) - ドルフマルク)と州道L171号線(フェルデン (アラー) - ノイエンキルヒェン)に面している。周辺のアウトバーンは、ハンブルク方面へはバート・ファリングボステル=ドルフマルク経由でA7号線を利用するか、ラーデ経由でA1号線を利用する。A27号線を使ってブレーメン方面へ向かうにはフェルデン経由、ハノーファー方面に向かうにはヴァルスローデを経由してこれを利用する。

近郊旅客交通[編集]

市内交通は基本的に市民バスシステムが担っている。本数が少なかったヴァルスローデ行きのバスは2004年の末に廃止された。これ以外ではヴェーザー=エムス・バスGmbHがローテンブルク (ヴュンメ)行きのバスを運行している。

人物[編集]

出身者[編集]

引用[編集]

参考文献[編集]

  • Klaus Heinzel: Visselhövede: Chronik einer Stadt, Geiger-Verlag, 1999, ISBN 3-89570-568-3.
  • Hrsg. Fremdenverkehrsverein Visselhövede e. V.: Aus dem Werdegang und der Geschichte der Stadt Visselhövede, Züclam, 1988.