ピンク (歌手)
P!NK / ピンク / Pink | |
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基本情報 | |
出生名 | Alecia Beth Moore |
生誕 | 1979年9月8日(44歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 |
ジャンル |
ポップ・ミュージック、ロック ブルー・アイド・ソウル、R&B |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1996年 - |
レーベル |
ソニーBMG アリスタ・レコード |
公式サイト | 公式サイト |
P!nk(ピンク、1979年9月8日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。本名はAlecia Beth Moore。2000年に、R&Bシンガーとしてデビューした。
来歴・概略
幼少時代
父は、ベトナム退役軍人。幼い頃から、彼女にボブ・ディランなどの曲をギターで弾いて聴かせてくれていた。その影響でP!NKは歌手を志すようになる。音楽好きな父親から色々と音楽を教えてもらったようで、ボブ・ディランやジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスなどの古いロックなどを好むようになる。しかし、7歳の頃に両親が離婚。尊敬していた父親が家を出て行ってしまった。
母親は彼女の夢を全く理解してくれなかったようで、彼女が高校を中退した際に、家から追い出したという。
デビューまでの過程
ティーンの頃にクラブへ顔を出すようになり、ほとんどの時間をダンスフロアやステージで費やすようになっていく。彼女はそのクラブで、スクラッチと言う名のダンサー(後のザ・ルーツのメンバー、スクラッチ)に出会い、彼の所属するラップグループでバッキング・ボーカルをやらせてもらうようになる。その後、毎週金曜日にはクラブでレギュラータイムをもらい、メアリー・J. ブライジの曲などを歌うようになる。
本格的に作曲を始めたのは14歳の頃で、スタジオに入ってデモテープの制作も始めていた。
ある日、R&Bグループのシンガーを探していたあるレコード会社のA&Rがクラブを訪れ、彼女を気に入り、「BASIC INSTINCT(ベーシック インスティンクト)」というグループのオーディションを受けるよう彼女に勧める。 オーディションに合格したものの、グループはすぐに空中分解、その後、当時LA.リードが社長を勤める、LA Faceレコードが契約した「チョイス (Choice)」というグループに抜擢されたが、このグループもデビュー直前まで漕ぎ付けながらあえなく解散してしまった。
しかし、これがきっかけでLA.リードと知り合ったP!NKは、彼に自分の作ったデモテープを聴かせたところ気に入られ、デビューすることになった。
デビュー以後
2000年初頭、P!NKはベイビーフェイスやシェイクスピアなどのR&B界を代表するプロデューサーたちを招いてアルバムの制作を開始した。
デビュー・シングル「ゼァー・ユー・ゴー」は全米で7位を獲得、続けてリリースしたセカンド・シングル「モスト・ガールズ」は、全米4位を記録した。
アルバム『キャント・テイク・ミー・ホーム』は、アメリカでビルボードアルバムチャートに連続59週間チャートインし、カナダ、オーストラリアでダブル・プラチナム、イングランドでもプラチナ・ディスクを記録。
2001年に入り、クリスティーナ・アギレラ、リル・キム、マイアと歌ったミッシー・エリオットのプロデュース映画、『ムーラン・ルージュ』の主題歌「レディ・マーマレード」(パティ・ラベルのカヴァー)が全米シングルチャートで5週連続1位、グラミー賞を獲得。 なおこの曲は2001年のMTVのVIDEO MUSIC AWARDにおいて、VIDEO OF THE YEARとBEST VIDEO FROM A FILMの2部門を受賞した。
同年の11月20日、2ndアルバム『ミスアンダストゥッド』をリリース。 このアルバムに収録されているほとんどの曲を、元4NonBlondsのリンダ・ペリーと共同制作。 これまでのR&Bテイストに変わって、先行シングル「ゲット・ザ・パーティー・スターテッド」に象徴されるような、ファンキーなテイストのロックが中心となっている。Billboard誌初回登場8位、世界中で1,200万枚をセールスし、発売日から数日でプラチナアルバムという偉業を成し遂げた。
2003年11月には、3rdアルバム『トライ・ディス』をリリース。前作に引き続きリンダ・ペリー、そして新たにランシドのティム・アームストロングも参加。前作以上にロック色濃い作品となった。この作品からのシングルカット「トラブル」は、「レディ・マーマレード」以来、ソロとしては初のグラミー賞を獲得。
2006年、3年振りの4thアルバム『アイム・ノット・デッド』をリリース。マックス・マーティンとブッチ・ウォーカーがプロディーサーとして参加し、サウンドが更に重厚になった。ボーナストラックに、実父とのデュエット曲も収録されている。
2008年、5thアルバム『ファンハウス』をリリース。1stシングル「ソー・ホワット」は、自身のソロとして初の全米1位となった。
エピソード
元々の髪色はブロンドである。芸名の由来は、髪色をピンクに染めていたからである。他に、子供の頃ズボンを下げられて顔が真っ赤(ピンク)になったため、あだ名がピンクになった、という事であるらしい。しかし、これは建前で、ピンク自身がテレビで、「親友のゲイの男の子に、『女の子のアソコを見たことがないから、見せて』とせがまれて、仕方なく見せたら、『女の子のはピンクなんだ』と言われたのが始まり」と語っている。2009年5月にバイセクシャルであることを公表したとされたが、[1]本人はこれをtwitter上で否定した。
ヘロインの中毒者だった過去がある[2]。『アイム・ノット・デット』収録曲の『フー・ニュー』は薬物のオーバードースで亡くなった友人のことを歌った曲である。
私生活では、モトクロスレーサーのケアリー・ハートと出会う。馴れ初めは、一度モトクロスを観戦しに行った時にケアリーは16もの骨折をしたこと。当初は、「(怪我ばかりする様な不安な職種の)レーサーとは結婚しない」と思っていたと言う。しかしその後、再会した2人はすぐに意気投合し、交際する。が、直後に2年間の世界ツアーの予定が入り、淋しくてバスルームで泣くこともしばしば。そうするうちに会えないことにより、喧嘩別れに。そうする間に、またケアリーがレース中の事故を起す。しかしその間は、P!NKは様々な男性とパパラッチされる。彼女はケアリーを思い、コッソリしていたつもりだったと言う。ケアリーはその行為を腹が立ったと後に語っていたが、その後ケアリーの復帰レースをP!NKは観戦しに行き、その場でボードに「私と結婚してくれない?」と書きレース中でもある中OKをし抱き合う2人。挙式。その後、再度P!NKの忙しさから逢えなくなり、仲違い。その後PiNKは「ソー・ホワット」のミュージック・ビデオで彼を出演させる。彼女はネタとして「旦那が居なくなったのよ~って歌うとウケるでしょ」と言っていたが、実は「PVに出演してもらえれば私の気持ちも分かるだろうし、逢えるから嬉しかった。私達は10年逢わなくても同じ気持ちで居られるはずだから」と語っていた。今では仲が戻ったようで、ピンクのライブでサプライズとして、ケアリーは、突然ステージに上がり、ストリップを始めた。それを見て、ピンクは大笑いしたようである。
世間の過剰なまでのセレブリティ崇拝を批判している。「Stupid Girls」のPVでは、具体的な名前は挙げていないが、明らかにジェシカ・シンプソン、メアリー・ケイト・オルセン、50セントと踊るブリトニー・スピアーズ、パリス・ヒルトンのセックスビデオなどをパロディにしているのが分かり、この皮肉たっぷりのミュージック・ビデオは話題を集めた[3]。
動物愛護団体PETAを支援しており、以前、イギリス女王エリザベス2世に手紙を出し、近衛兵の帽子を熊の毛皮からフェイク・ファーに変えるよう懇願したこともある[4]。そのため、動物愛護団体に非難されながらも、本物の毛皮を着続けるビヨンセを「セレブリティは、自分が毛皮を着ていることでどんなメッセージを発しているのか責任を持つべきだわ。(毛皮を着ることを)問題ないとか、かっこいいって思っているかもしれないけど、大間違いよ。何の毛皮を着ているのか知らないけど、ビヨンセがその動物から襲われればいいのにって思うわ」と非難した[5]。
一方で、スキャンダルが絶えないブリトニーに声援を送ったこともある[6]。ちなみに、ビヨンセとブリトニー・スピアーズとは、ペプシコーラのテレビCMで共演した[7]。
2011年、フジテレビ系列ドラマ「大切なことはすべて君が教えてくれた」の劇中使用曲として、一部の楽曲が『Greatest Hits... So Far!!!』から使用されている。 2011年6月2日、夫のケアリー・ハートとの間に女児を出産した。(ツイッターで告白)
ディスコグラフィー
アルバム・シングル
発売年 | アルバム | シングル | |
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1st | 2000 | Can't Take Me Home | There You Go Most Girls You Make Me Sick |
2nd | 2002 | M!ssundaztood | Get The Party Started Don't Let Me Get Me Just like a Pill Family Portrait |
3rd | 2003 | Try This | Feel Good Time Trouble God Is a DJ Last to Know |
4th | 2006 | I'm Not Dead | Stupid Girls Who Knew U + Ur Hand Nobody Knows Dear Mr. President Leave Me Alone (I'm Lonely) Cuz I Can |
5th | 2008 | Funhouse | So What Sober Please Don't Leave Me Funhouse I Don't Believe You |
Best | 2010 | Greatest Hits... So Far!!! | Raise Your Glass Fuckin' Perfect |
DVD
- Live in Europe (2006)
- 3rdアルバム『Try This』のヨーロッパ・ツアーを収録。
- Live from Wembley Arena (2007)
- イギリスのウェンブリー・アリーナでのライブ映像を収録。
- Live In Australia (2009)
- 『Funhouse』ライブツアーのシドニーでの公演を収録。日本盤未発売。
その他
- Lady Marmalade (2001)
- P!nk Box (2007)
- アルバム『M!ssundaztood』、『Try This』、『I'm Not Dead』とDVD『Live in Europe』を収録したボックス。
- Pink 4 CD Boxset (2009)
- 1stアルバム『Can't Take Me Home』から4thアルバム『I'm Not Dead』までのアルバムを収録。
- Funhouse Tour Live in Australia
- 自身初のライブアルバム。ライブDVD『Live in Australia』とは収録曲が異なる。
ツアー
- Party Tour (2002)
- Try This Tour (2004)
- 全69公演。
- I'm Not Dead Tour (2006-2007)
- 全160公演。
- Funhouse Tour (2009)
- 全156公演。
- Funhouse Summer Carnival Tour (2010)
映画
2003年に、映画『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』のサントラに、主題歌「フィール・グッド・タイム」を提供した際、モトクロス・チェイスのアクションシーンに黒髪、黒い衣装で特別出演した。
2007年には、映画『カタコンベ』に、主人公の姉、キャロリン役で出演。
他にも、ジャニス・ジョプリンの伝記映画、『The Gospel According To Jani』のオーディションに参加し、主役の最有力候補として世間を賑わせたが、自ら「スケジュールが合わない」という理由で、主演獲得レースから身を引いた。
2006年の映画『ハッピー フィート』(原題: Happy Feet)の続編、『ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊』(2011年)では、前作の ブリタニー・マーフィに代わって、グロリアの歌声を担当した。