ハインツ・ホリガー

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ハインツ・ホリガー
Heinz Holliger
Heinzholliger.jpg
基本情報
生誕 (1939-05-21) 1939年5月21日(81歳)
スイスの旗 スイス、ランゲンタール
職業 オーボエ奏者、指揮者、
作曲家
担当楽器 オーボエ

ハインツ・ホリガー(Heinz Holliger, 1939年5月21日 - )は、スイスオーボエ奏者、指揮者現代音楽作曲家[1]

人物・来歴[編集]

スイス・ランゲンタール出身。ベルン音楽院とバーゼル音楽院で音楽教育を受ける。ヴェレシュ・シャーンドルと、ピエール・ブーレーズに作曲を師事。オーボエはスイスでエミール・カッサノウ、パリ音楽院ピエール・ピエルロ、ピアノをイヴォンヌ・ルフェビュールに師事。

オーボエ奏者としての卓越した演奏・楽曲解釈とともに、作曲家としても著名[2]であり、また指揮者としても活動しており、ポーランドなど東欧の現代作曲家の作品などを積極的に紹介してきた。教育者としては、1966年からドイツフライブルク音楽大学[注釈 1]で教鞭を執っていた[3]

家族・親族[編集]

演奏[編集]

オーボエのソリストとしては、1959年ジュネーヴ国際音楽コンクール1961年ミュンヘン国際音楽コンクールで首位を獲得。国際的に名声ある演奏家であり、献呈されたオーボエ作品も数多い。

演奏家としてのレパートリーは、バロック音楽から現代音楽にまでわたる。ホリガー木管アンサンブルを主宰し、主にバロック音楽を録音した。また、ヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してシェーンベルク作品集の録音も残している。妻ウルズラ(故人)は著名なハープ奏者で、古楽器を用いたバロック音楽から、モダン・ハープによる近現代の音楽まで、広いレパートリーを持っていた。2017年には、東京オペラシティの同時代音楽企画「コンポージアム2017」に招かれ、自作超大作「スカルダネッリ・ツィクルス」が取り上げられる。

指揮者としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団クリーヴランド管弦楽団ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団バイエルン放送交響楽団などを指揮している。名フィルで自作自演を披露したこともある。

作品[編集]

初期の作品はブーレーズからの直接の影響を受けており、『魔法の踊り手』(1963-1965)や『七つの歌』(1966-1967)のような作品は、典型的に60年代の前衛イディオムを取り入れた秀作であった。しかし、ホリガーは前衛イディオムの限界を早期に見極め、オーボエソロのための重音練習曲 (1971)や弦楽四重奏曲(1973)などでは、ホリガーの関心は奏者の呼吸や非日常的な触感の追求に移っていく。管弦楽のための『呼吸の弓/Atembogen』(1974-75)でその成果は頂点に達し、やがてベケットヘルダーリンのテクストの音楽化もライフワークとなっていく。

長い年月をかけて書かれた『スカルダネッリ・ツィクルス(ヘルダーリンの詩による、ソロ・フルートと小管弦楽、混声合唱とテープのための)』(1975 -1991)は、ホリガーの音楽美学の集大成といわれた。2種の全曲録音が残されている。

他に大規模な作品としては、チューリッヒ歌劇場で自分で指揮を取ったオペラ『白雪姫』(1998)などが挙げられ、ヨーロッパのテレビで何度も放送されている。

1999年には、シフ・アンドラーシュのために『パルティータ』を作曲。ホリガーにとって久々のピアノ独奏作品と言うことで話題になった。種々の様式混合とともに、ピアノのキーを半分だけ下げるなどの「虚ろな音色」の使用も特徴的である。

日本では当初から「ブーレーズ門下」の一面だけが強調されていたが、2015年の来日時のレクチャーでは、音楽の本質を学んだのはヴェレシュからだったと強調し、その作品を演奏(オーボエ、指揮ともに)した。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ フルート奏者のオーレル・ニコレも同時期に教授を務めている。

出典[編集]

  1. ^ heinz holliger”. www.ecmrecords.com. ecm. 2020年2月9日閲覧。
  2. ^ ハインツ・ホリガー”. www.nagoya-phil.or.jp. 名フィル. 2020年2月9日閲覧。
  3. ^ PROF. LUCAS MACIAS NAVARRO”. www.mh-freiburg.de. mh-freiburg.de. 2020年2月9日閲覧。

外部リンク[編集]