ノート:集団的自衛権/過去ログ2

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「日本での状況」節の除去提案[編集]

2014年3月22日 (土) 07:29に加筆[1]されました「日本での状況」節について、確かに集団的自衛権は日本では他国に比べて注目を集めることが多いようですが、日本に限らず全ての国が国際法上保有している権利であり(日本のように権利行使に国内法上の制約をおく国もありますが国際法上は他国同様日本にも権利がある)、なおかつ国際法上集団的自衛権行使による援助を要請する権利も全ての国にあります(国によっては援助をしてもどこも応じてくれないこともあるかもしれませんが)。そのすべての国が関連した権利であるはずの「集団的自衛権」という項目において、全ての国の中から「日本での状況」の、しかも2014年の事項だけをことさらに取り上げる必要があるでしょうか(Wikipedia:日本中心にならないようにも参照)。ノート:自衛権#「日本における自衛権」節とページ数が明記されていない参考文献の除去提案でも似たようなことを申し上げましたが、冷戦下の米ソのように全世界的に影響を与えたような事例でもない限り、基本的に個別の国の国内状況は日本の自衛権アメリカ合衆国の自衛権のようにその国ごとの項目で扱われるべき事項ではありませんでしょうか。また例えば日本の自衛権に集団的自衛権について書くにしても、連合国軍の占領、自衛隊発足、日米安保条約締結・・・といった具合に古い事項から書いていったほうが良いのではないでしょうか。その場合にも、国際的に影響がない(またはまだ未知数な)集団的自衛権にまつわる日本国内の政局を逐次的に取り上げる必要があるようにも思えません。以上の理由から、「日本での状況」節を除去することを提案します。--Henares会話) 2014年3月23日 (日) 04:37 (UTC)訂正。--Henares会話) 2014年3月23日 (日) 04:43 (UTC)修正--Henares会話2014年3月23日 (日) 04:50 (UTC)

  • 申し訳ないです。私が編集したのですが、悪意(安倍首相を貶めようとか言う気持ち)は全くありませんでした。しかし、結果として不適切になってしまい、甚だ遺憾に思います。除去することに異議は全くありません。--KRT24会話2014年3月23日 (日) 05:02 (UTC)
素早いご返答ありがとうございます。きちんと出典が明記された編集でしたので、KRT24さんによる編集が「悪意」だとか、荒らしの類でないことは明らかだと思います。該当部分についてですが除去をさせていただきました[2]。もし「日本の自衛権」など日本の防衛問題に関心をお持ちでしたら、芦部信喜『憲法』第五版(ISBN 4000227815)、佐藤幸治『日本国憲法論』(ISBN 479230511X)などが出典として非常に良いのかなと思いました。ご参考になれば幸いです。--Henares会話) 2014年3月23日 (日) 05:23 (UTC)訂正--Henares会話2014年3月23日 (日) 05:24 (UTC)

中立義務について[編集]

2014年5月19日 (月) 15:08 UTCの編集において加筆されました中立義務に関する記述ですが、「第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり」と、第三国すべてが中立義務を負っているかのような記述となっていますが、その出典とされたこの論文には「それ故、既存の条約が明確に規定していない限り、国際法によれば、戦争発生時に国家が中立の地位に止まる義務は存在しない。」(57頁より引用)と、そのような第三国の中立義務を明確に否定しています。ですので、宣戦布告を行わない限りすべての国が中立義務を負うという趣旨の書き方では、出典の記述内容に反しているのではないでしょうか。参考文献として示しました山本草二『国際法【新版】』でも、「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより、その領域を交戦当事国の軍事行動のために利用させない義務と、交戦当事国に対し軍事的援助を保証しない義務を負う」(750頁より引用)と、一方的行為を行うことによって中立義務を負うと書かれていて、初めから中立義務を負うとは書かれていません。従いまして、出典に書かれている内容に反することを理由に、上記2014年5月19日 (月) 15:08 UTCの編集と2014年5月17日 (土) 17:54‎の編集で加筆された部分の除去を提案します。--Henares会話) 2014年5月24日 (土) 03:30 (UTC)修正--Henares会話2014年5月24日 (土) 03:37 (UTC)

「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味ですから、現在のwikiの記事の記載と何の矛盾もありません。詳しく言えば、土屋茂樹「集団安全保障と中立」のP57にあるように「しかし、明確な態度または言葉によって反対の意思を表示しない限り、すべての国家は中立とみなされ、中立に由来する権利義務関係が発生し継続する。」とあるように、第三国は何もしなければ自動的に局外中立国となり、中立国としての(権利および)義務が発生することになります。しかし、第三国には中立国となる義務はありませんから、宣戦布告により中立を捨てて、交戦国となることができるということになります。
なお、山本草二『国際法【新版】』では「一方的行為により中立国としての地位を取得することにより」とありますが、その「一方的行為」とは具体的に何でしょか。宣戦布告は聞いたことはありますが、「中立宣言」の様なものは、国際条約で取極めがなされているなどとは聞いたことがありません。国際法上の根拠を示して、その「局外中立国の地位を得るための一方的行為」とは何か明示してください。--119.173.35.101 2014年5月26日 (月) 16:53 (UTC)
お返事ありがとうございます。「しかし、明確な態度・・・」以下を読み見逃していたようです。大変失礼しました。土屋著「集団安全保障と中立」をある程度読みなおしたうえで申し上げます。まずウィキペディアの編集方針との関連で、「集団安全保障と中立」という論文には「集団的自衛権」、「自衛権」などといった用語が一切登場しません(「集団安全保障」と「集団的自衛権」は全く意味が異なる用語であり、必要ならばこれらの意味の違いについても申し上げますが、今はひとまず議題になっていないので用語の相違に関する説明は一旦省略します)。引用された個所にも、集団的自衛権に関する言及は一切ありません。これは、Wikipedia:独自研究は載せない冒頭が言うところの「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」(太字部もママ)に該当しないように思います。ですから、「中立」などの記事では有用な論文であるのかもしれませんが、資料そのものに集団的自衛権に言及がないにもかかわらず私たちユーザーが独自に「集団的自衛権に関係がある」と判断してこの論文で直接取り上げられていない「集団的自衛権」という記事に記述する情報をこの論文から導き出そうとすることは、Wikipedia:独自研究は載せないという方針に反すると思います。私も集団的自衛権と中立義務との関連についてこの記事に百科事典的に書くことができるのならば、中立義務やそのなかの避止義務・黙認義務について言及した文献を「参考文献」節に挙げられている以外にもいくつか個人的に所有しておりますので、ぜひ協力させていただきたいです。ですので、今後この記事にて有意な執筆をなさる上でも、いま一度Wikipedia:独自研究は載せないを読み返されてみてはいかがでしょうか。以上は前提としてのお話でした。以下に本題について申し上げます。
「第三国には中立の地位に止まる義務がない」ということが「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」ということとイコールの関係になっていることを不自然に感じます。まず「宣戦布告」という用語は「集団的自衛権」という用語と同じように「集団安全保障と中立」には登場していないようです。「宣戦布告」という用語について、著作権の関係ですべてを書き写すことはできませんが、関連する参考文献の記述を以下に引用します。
  • 一国が他の国に対して戦争を開始する意思を表明すること。戦争宣言、宣戦布告ともいう。(中略)近年、戦争の違法化の下で、開戦宣言は侵略の証拠とされることもあったが、第二次世界大戦後は、国際連合憲章が武力行使を一般的に禁止したため、法的には正式の開戦宣言を行うこと自体が許されなくなったものと解され、1974年の国際連合総会決議「侵略の定義」でもその有無を問題としていない。(「開戦宣言」、『国際法辞典』、43頁)
  • 不戦条約は、侵略目的の手段としての戦争を禁止し、その戦闘行為に対しては交戦権行使としての効力を奪った。それは、原因・目的により「戦争に訴える権利」そのものを否認した最初の条約である。もっともこの条約には重大な欠陥があり、とくに、開戦宣言・最後通牒など開戦意思を伴わない武力の行使など、世紀の戦争ではないものは対象外となったこととか、(中略)である。(中略)第二次世界大戦後の国連憲章は、各国に対し、紛争の平和的手段による解決を義務付けるとともに、これと直接関係するものとして、国際関係での武力の行使と武力による威嚇を原則としてすべて禁止した。この規定は、伝統的な開戦意思の要件を否定して世紀の戦争であるかどうかを問わず、すべての武力の行使と威嚇を違法なものとして禁止し、不戦条約の欠陥を克服したものである。(『国際法【新版】』706頁。)
以上のように、現代国際法では開戦意思であったり、その意思表示である宣戦布告という行為が持つ国際法上の意義はかつてほど認められていないのです。確かにスイスのような永世中立国でもなければ中立であり続ける義務はありませんが、「中立の地位にとどまらない」ことと「宣戦布告をして交戦国になる」とではかなり意味が違うように思いますし、そこに現代国際法上は意義が薄くなってしまっている宣戦布告という行為が専門家が著わした出典に言及されていないのにもかかわらず私たちウィキペディアユーザー独自の判断で介在してしまうという論理展開は、あまり好ましい記述内容ではないと思います。少なくともおっしゃるような、「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味、とは、ご提示の出典からは判断できないと思います。
中立国としての地位を得るための一方的行為として最も有名なものとしては、1815年ウィーン会議での「スイス国の永世中立及びその領域の不可侵の承認及び補償に関する宣言書」(『国際法辞典』、201頁より。『現代国際法講義』、41頁では「宣言書」ではなく「議定書」と表記)でしょうか。「国際法上の根拠」必ずしも条約の形となるわけではありませんが、「国際条約」でなければならないというのならば、ソ連・オーストリア間の1955年「モスクワ覚書」(『国際法辞典』、31頁より)がこれに該当すると思います。あるいは、特定の国による特定の武力紛争に対して「一方的行為」により中立を宣言ということでしたら、南北戦争に対してのイギリスによる1861年5月31日の中立宣言(『別冊ジュリスト No.156 国際法判例百選』、16頁より)が有名でしょうか。いずれの事例が最も有名なのかは判断いたしかねますが。
「一方的行為」とは具体的に何か、についてですが、ウィキペディアには「一方的行為」という項目もあり、『国際法辞典』にも「一方的行為」という項目があります。安田著『自衛権再考』は私が追加した文献ではないので確認することができませんが、「一方的行為」という用語は『国際法 【新版】』でも『現代国際法講義』でも索引語として取り上げられる国際法学の基礎用語で、『国際法 【新版】』では「一方的行為とは、個別国家または国際組織型の国際法主体に対し一定の法的効果を発生させるために行う一方的な意思表示であって、国際法上の法律行為の一種である」(60頁)としています。またこの記事の参考文献とはしておりませんが、小寺彰など共著『講義国際法』も確認してみたところ、やはり索引語となっていて解説もなされていました。『国際法辞典』では「一方的行為」の英訳として"unilateral acts"とかかれていますが、この"unilateral act"という用語は国際裁判にも頻繁に登場します(例:ノルウェー漁業事件国際司法裁判所判決、132-143頁ではノルウェーによる"unilateral act"の国際法上の有効性を国際司法裁判所が認定)。この用語を扱ったネット上で無料で閲覧できる論文も少なくないようです[3][4]。中立の宣言などについても、「国際条約で取極めがなされているなどとは聞いたことが」ないということでしたら、私のこの発言中のなかで言及している国際法の基本書にはいくらか記述があり、これらは大きな図書館であばどこでも所蔵しているかと思いますので、これらについても一度お読みになってみてはいかがでしょうか。--Henares会話) 2014年5月27日 (火) 12:46 (UTC)訂正--Henares会話2014年5月27日 (火) 12:50 (UTC)
集団的自衛権の行使に宣戦布告が必要という点については、平成13年5月31日参議院外交防衛委員会での国務大臣防衛庁長官中谷元氏の発言番号153番「そういう点において、国連憲章に書かれている集団的自衛権というのは、私は、国家が戦争の宣言をして堂々と戦うというための集団的自衛権であって、そういう私が今述べたような例とはちょっと意味合いが違ってくるんじゃないかなというふうに思います。」[5]という国会答弁が根拠で良いと思います。
また2014年5月20日ダイヤモンドオンライン「シリーズ日本のアジェンダ『集団的自衛権行使容認』の是非【第2回】憲法解釈の変更による行使容認に反対、行使が不可欠なら憲法改正こそが王道、――元内閣法制局長・弁護士 阪田雅裕」[6]の「集団的自衛権の行使は、わが国が攻められていないのに、日本から離れた場所で行われている戦争に参加することですから、行使をした途端に、それまで局外者であったはずのわが国が、交戦当事国になってしまうのです。その結果、敵国が日本の領土を攻撃することも許されるようになります。」と言う記載で「局外者(局外中立国)」から「交戦当事国」に変わるとの認識が示されています。条約違反をせずに中立国から交戦国に変わるには、宣戦布告をし、さらに他の中立国に交戦国に立場を変えたとの通知を行わなければなりませんから(開戦に関する条約)、宣戦布告が必要になります。
「局外中立国の地位を得るための一方的行為」についてですが、スイスの例は、スイスとオーストリア、プロイセン、ロシア、イギリス、フランス、ポルトガル間の合意に基づく議定書ですから一方的行為ではありませんし、ソ連・オーストリア間の1955年「モスクワ覚書」も両国の合意ですから一方的行為ではありません。南北戦争に対してのイギリスによる1861年5月31日の中立宣言は、[7]"to maintain a strict and partial neutrality in the contest between the said contending parties"と「maintain=維持する」とあるように、既に中立であったものを今後も中立でいることを確認したというだけであり、中立宣言で中立国の地位を得たというものではありません。このため、いずれの例も不適当です。「局外中立国の地位を得るための一方的行為」については、取り下げられたらいかがですか。--119.173.35.101 2014年5月30日 (金) 16:29 (UTC)
「局外中立国の地位を得るための一方的行為」については取り下げる以前に、私が申し上げましたことと微妙に違っているようです。私が申し上げましたのは、「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより、その領域を交戦当事国の軍事行動のために利用させない義務と、交戦当事国に対し軍事的援助を保証しない義務を負う」という『国際法【新版】』750頁の引用です。「局外中立」という言葉は119.173.35.101さんのご発言を何度か引用しただけで、私自身は用いていないはずです。まず南北戦争への英国の中立についてですが、これでは119.173.35.101さん個人によるs:en:British proclamation of neutrality in the American Civil Warの解釈論に陥ってしまっているように思います。日本国憲法9条の解釈が人によって全く違うことと同じように、こうした法律関連の一次資料をウィキペディアユーザー自身が解釈してしまいますと、人によって解釈が異なるため全く記事の書き方が変わってしまい、編集やそのための議論も収拾がつかなくなってしまいます。こうした一次資料を論拠とすることはWikipedia:信頼できる情報源#情報源でも推奨されていません。少なくとも多くの学術機関で国際法の教職を歴任し国際海洋法裁判所の判事を務めた山本草二が、法学専門の出版社である有斐閣の査読を経て出版した二次資料である『国際法【新版】』に、「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより、その領域を交戦当事国の軍事行動のために利用させない義務と、交戦当事国に対し軍事的援助を保証しない義務を負う」と書かれていることを否定する論拠としては、信頼性という点で劣ると思います(読者の皆様の立場になってみて、私たちウィキペディアユーザーによる宣言書の解釈と、山本草二先生による記述、どちらの方が信頼されるでしょうか?)。少なくともウィキペディアの編集方針ではs:en:British proclamation of neutrality in the American Civil Warのみを情報源とした情報より『国際法【新版】』に書かれていることの方が優先されると思います。
中谷長官国会答弁[8]、そして阪田弁護士のインタビュー[9]、いずれにも、「中立」という言葉が登場しません。「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。」という119.173.35.101さんが書かれた記述は、「集団的自衛権」「中立」「宣戦布告」という3つの用語が登場しますから、「集団的自衛権」「中立国」「宣戦布告」の3つの用語を明示的に用いてこれら3つの概念の関連性を論じた資料がなければ、119.173.35.101さんご自身のお考え以外にこれら3つの概念を関連付ける論拠が存在しませんから、これではやはりWikipedia:独自研究は載せないに反してしまっていると思います。また中谷長官国会答弁やダイヤモンドオンラインといった資料は、それ自体がWikipedia:信頼できる情報源#法律についてに照らして、『国際法【新版】』をふくめ今本文の参考文献節(集団的自衛権#参考文献)に記載される資料に書かれていることを否定する論拠としては信頼性が劣ると思います。--Henares会話2014年5月31日 (土) 02:00 (UTC)
IP:119.173.35.101会話 / 投稿記録さんによる加筆[10]user:Henaresが転載
なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。[✝ 1]
  1. ^ 土屋茂樹「集団安全保障と中立」滋賀大学教育学部紀要 人文科学・社会科学・教育科学 P58「避止義務とは、中立国が交戦国の一方に対して戦争遂行に関する直接または間接の援助を与えてはならないという義務である。直接の敵対行為を行うことにより、交戦国の一方を援助することができないのみならず、軍隊の供給、軍艦、軍用の船舶・航空機・武器弾薬その他の軍用資材、補助金の供与はすべて禁じられる。」とあるように、中立国の立場のままで「直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処する」という集団的自衛権を行使することはできない。なお、集団的自衛権を理由に宣戦布告を行い、中立国の立場を捨てて交戦国として集団的自衛権を行使することは、国際法上何の問題もない。
報告 Wikipedia:コメント依頼にこのノートへのリンクを掲載させていただきました[11]。私個人はどなたか第三者様のコメントがあるか、または一定期間待ってもどなたからもご意見がないまでは発言を控え、しばらく第三者様のご意見をお待ちしたいと思います。--Henares会話2014年5月31日 (土) 02:09 (UTC)
コメント IP:119.173.35.101会話 / 投稿記録さんによって加筆された右記記述[12]について、集団的自衛権、宣戦布告、中立国、戦時国際法、中立義務、といった用語を119.173.35.101さんによる記述と同じように関連付けた出典が一定期間待っても示されませんでしたので、この記述を除去しました。コメント依頼はいったん終了とさせていただきます。--Henares会話2014年6月7日 (土) 02:01 (UTC)
合意を得ていない白紙化を回復します。
「私個人はどなたか第三者様のコメントがあるか、または一定期間待ってもどなたからもご意見がないまでは発言を控え、しばらく第三者様のご意見をお待ちしたいと思います。」と言っておきながら、誰ひとりHenaresさんに賛成していないのに強引に白紙化をするというのは、合意形成のルール違反です。--119.173.35.101 2014年6月9日 (月) 14:24 (UTC)
表に出典を追加します。--119.173.35.101 2014年6月9日 (月) 14:29 (UTC)

コメント依頼を行いました。Wikipedia:コメント依頼#合_2014年6月--119.173.35.101 2014年6月9日 (月) 14:33 (UTC)

「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」(Wikipedia:合意形成#合意形成より)
「私個人はどなたか第三者様のコメントがあるか、または一定期間待ってもどなたからもご意見がないまでは」と申し上げましたよね?すでに以下のことに対して何ら説明がないまま、私の2014年5月31日 (土) 02:00 (UTC)の発言から 2014年6月7日 (土) 02:00‎ちょうど168時間経過していましたので(ぴったりの数字になったのは偶然ですが)、Wikipedia:合意形成#合意形成というガイドラインに基づく「一定期間」はすでに経過しています。よって、Wikipedia:合意形成#合意形成というルールに基づけば、119.173.35.101さんによる加筆を除去するという合意は成立していました。ルールを読みもせずに「合意形成」だとか「ルール違反」といった言葉を用いないでください。もっとも、119.173.35.101さんにもご都合がおありでしょうし、私がこれまでに申し上げました以下の疑問について合理的なご説明を頂けるのならば(本当は他にも矛盾点疑問点があるのですがひとまずこれらだけでも)Wikipedia:合意形成#合意形成というルールに基づく合意を無視した記述復元ではあったとは思いますが、いったん今すぐ差し戻すことは控えます。
  • 疑問点1)「第三国には中立の地位に止まる義務がない」ということと「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」ということを同一視した文章誤読について。
  • 疑問点2)土屋著「集団安全保障と中立」に集団的自衛権への直接的言及が一切ないことについて。
  • 疑問点3)中谷長官国会答弁(リンク切れになっていますので以後アーカイブを用います)と阪田弁護士のインタビュー[13]に119.173.35.101さんが記事本文で用いた「宣戦布告」「中立国」「戦時国際法」「中立義務」という概念への直接的言及が一切ないことについて。
  • 疑問点4)山本草二著『国際法【新版】』に「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより、その領域を交戦当事国の軍事行動のために利用させない義務と、交戦当事国に対し軍事的援助を保証しない義務を負う」と書かれていることを指摘したのにもかかわらず、『国際法【新版】』より信頼性が劣る資料しか提示していないことについて
もうすでに、なぜ119.173.35.101さんによる加筆が誤っているのかについてはすでに説明済みです。記述復元に当たって集団的自衛権#出典に加筆されたことも出典とされる資料に一切書かれていません。よってこれらは独自研究かどうか以前に嘘の出典です。すでに申し上げた疑問に対して合理的な説明をしようともせず、無関係な資料の個人的解釈や誤読を根拠に自ら加筆した文章にこれ以上固執しつづけるようでは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに違反します。従いましてWikipedia:独自研究は載せないおよびWikipedia:検証可能性に適合する形で大幅に改善されない限り、1週間後に再び除去させていただく予定です。それでもまだ改善なき復元を繰り返されるようでしたら、119.173.35.101さんという利用者についてコミュニティに判断を仰がせていただかなければならないとも思っています。--Henares会話) 2014年6月10日 (火) 16:08 (UTC)訂正--Henares会話) 2014年6月10日 (火) 16:09 (UTC)修正--Henares会話2014年6月10日 (火) 16:15 (UTC)

異論であれば5月26日に既に提出しています。「異論がない」訳ではないですよね。

考え違いをされていると思いますが、「提案」「異論」「同じ提案」「同じ異論」「同じ提案」「同じ異論」、、、という不毛な言い争いを1週間サイクルでして、wikipediaのリソースを浪費するというルールではありません。「同じ提案」がされてもその前の「異論」は生きています。「同じ提案」をすれば、それ以前の「異論」は消えてなくなる訳ではありません。Henaresさんは、既に、要領を得ない長文で同じことを何回も繰り返し述べて、リソースの浪費を続けていますが、この点の理解がされないまま中身の議論をしても、浪費が続くだけですので、Henaresさんがまずその点を理解したことを確認したいと思います。--119.173.35.101 2014年6月11日 (水) 14:52 (UTC)

百科事典の編纂にかかわろうというのに、この程度の長さで文章を理解できませんか。お話になりません。そもそも基本書すらお読みになったこともないようでしたし、en:Secondary_source#Lawをあたかも方針のように語っておられたことから方針を一読すらなさったこともないようでしたから、基礎の基礎から丁寧に解説して差し上げたつもりだったのですが。時間がありませんので後日になりますが、後日119.173.35.101さんという利用者に対するコメント依頼を作成させていただく予定です。--Henares会話) 2014年6月11日 (水) 15:36 (UTC)訂正--Henares会話2014年6月11日 (水) 15:36 (UTC)
もう一点、Wikipedia:合意形成のどこにも書かれていないご自分で勝手に作り出したルールを私に押し付けられても困ります。少なくともウィキペディアに参加なさるのならばご自分の中のルールではなくウィキペディアのルールに従ってください。またWikipedia:合意形成Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性もいずれも、ウィキペディアの方針やガイドラインをご理解いただける見込みはないように思われますので、記事本文が改善される可能性は低いと考え読者の皆さま方への注意喚起のため{{独自研究範囲}}を付記しました。--Henares会話2014年6月11日 (水) 16:02 (UTC)
報告 1週間コメント依頼を行っても第三者意見を頂けなかった状況でさらにコメント依頼だけを行っていても、第三者の方からご意見を頂ける可能性は大きくないように思われましたのでWikipedia:井戸端/subj/法律学記事において出典に直接的に書かれていないことを記事に書くことについてを発議しました。--Henares会話2014年6月12日 (木) 13:44 (UTC)
コメント (部外者ですみません)井戸端でお見かけし、気になって調べたのですが、防衛研究所紀要第7巻第2・3合併号 森田桂子『武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性』p.139に「(略)集団的自衛権を行使して被害国を支援する場合には、伝統的に強要された中立の地位を離脱する事態を生じる。」とありますので、これを材料に記述の整理ができないかなと思いました。よろしければご検討ください。(門外漢ですので検討に値しないものでしたら無視してください。。。すみません。)--ぽん吉会話2014年6月13日 (金) 03:05 (UTC)
ご意見ありがとうございます。「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」を通読してみました。大変勉強になりました。まさしく中立と集団的自衛権の関係について述べた資料であり、この資料をもとに修正するのならば中立と集団的自衛権の関係について記述することに賛同したいです。ただ、引用された個所ですが、「連盟規約や不戦条約が戦争を違法と位置づけて以降」という時代においての記述であるようです(国際連盟規約と不戦条約はいずれも戦前の条約)。その記述がある次の段落には以下のような記述があります。
  • 交戦状況に入らない第三国が一方の交戦国を公然と支援し、中立義務を逸脱する実行は実際に第2次大戦中にも登場し、この頃から第三国が戦時中にとりうる中立以外の新たな地位として「非交戦国」というカテゴリーが議論され始めた(9)。この論争は現在でも未だに解決を見ていないが・・・以下略(140頁より引用)
また「宣戦布告」という用語について、この資料では以下のように宣戦布告を行ったうえので戦争と自衛権行使の場合の戦争を別のものとして扱っています。これはこちらで申し上げました『国際法【新版】』706頁共通することであるように思います。
  • 20世紀初頭以降、戦争が違法化されていくにしたがって中立法の継続的妥当性は疑問視され、その適用範囲を狭めようとする傾向が見られるようになった。とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。(137頁より引用)
ですので、この資料を出典とするのであれば、宣戦布告をしない限り中立国であり続けるという意味の文章はやはり修正して、少なくとも現代では中立国以外に非交戦国というカテゴリーが論じられていて、「解決を見ていない」ことについても記述する必要があると思います。もっとも、この論文で展開されている中立と集団的自衛権との関係性は非常に複雑です。冒頭部で簡単に説明するのではなく独立した節を設けて、一定量の文量で執筆しないとどうしても誤解のある文章にしかならないと思いました。『自衛権再考』を除いた現状の集団的自衛権#参考文献の資料はすべて所有していますので、少しお時間をいただければこれら参考文献の記述とも適合する形で加筆させていただくことも可能です。冒頭部から除去して独立の説を設けることで、さらに詳しく中立について記述する、ということで119.173.35.101さんとぽん吉さんのご理解をいただくことはできませんでしょうか?なお、「連盟規約や不戦条約が戦争を違法と位置づけて以降」もとに独立した節で中立について述べるということにご賛同いただけるのならば、数日後程度に記事本文に反映させたいと思っています。--Henares会話2014年6月13日 (金) 11:19 (UTC)
Henaresさん方が独自研究に入っているように見えます。防衛庁長官が国会答弁で、集団的自衛権の行使には宣戦布告が必要と言っているのですから、それ以上議論の必要はなく、Hebaresさんのは「ためにする議論」というべきでしょう。--119.173.35.101 2014年6月13日 (金) 15:59 (UTC)
中谷長官答弁に中立に関する情報が書かれていないこと、宣戦布告について長官答弁より信頼性が勝る情報源に全く違うことが書かれていること、これらはすでに説明済みであり何ら回答を頂いていません。そしてuser:ぽん吉さんからご提示いただいた資料にも119.173.35.101さんが記事に書いたこととは全く違うことが書かれていますが、これについても何もご説明がありません。これらの疑問が議論の本題であるにもかかわらず「議論以前に」などと前置きして議論の本題と無関係な独自の合意論を語ったり、「それ以上議論の必要はなく」などとおっしゃるということは、都合の悪い議論には応じられないということでしょうか?--Henares会話2014年6月14日 (土) 03:15 (UTC)
コメント 現在の文章をいったん除去して独立の説を設ける案に賛同します。中立と集団的自衛権についての説明は重要な部分と思いますので、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を参考に、まずは節を設けて詳しく記載し、その後まとめとなる文章を導入部に書くのが理想的ではないかと思います。--ぽん吉会話2014年6月16日 (月) 04:28 (UTC)
森田論文に取り上げるほどの価値があるか疑問です。「非交戦国Non-belligerent State」という説をアメリカの学者が主張していることは知っていますが、国際条約では一切承認されていない概念であり、だから森田論文の結論も「現在でも未だに解決を見ていないが」と誰も「非交戦国」を正当化できていないとなっています。伝統的国際法(すなわち現実に存在する条約や国際慣習に基づく立場)では、戦時には国を「交戦国」と「中立国」の2分割で考えるのに対し、「非交戦国」を認める立場では「交戦国」「中立国」「非交戦国」と3分割で考える訳ですが、根拠となる国際条約や慣習があるわけではありません。なお、「Non-belligerent」は「非戦闘員」として国際条約に認められた概念ですので、混同されませんように。--119.173.35.101 2014年6月16日 (月) 14:55 (UTC)
(ひとつ確認)119.173.35.101さんは、中立と集団的自衛権について独立の節を設けて(あるいは既存の節内に詳しく書くなどして)記事本体に書くことには反対ではないですよね?如何でしょうか?--ぽん吉会話2014年6月17日 (火) 03:04 (UTC)
内容次第ですね。--119.173.35.101 2014年6月17日 (火) 15:01 (UTC)
提案 お返事ありがとうございます。もちろん内容次第でしょうが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)などを見ると冒頭文(導入部)は、主題の定義+記事の概要の形が望ましいようで、「記事本体では言及が無いが冒頭文だけには書かれている」のは、今回に限らずですが、記事として改善すべき点と思います。せっかくHenaresさんが「少しお時間いただければ加筆は可能」とおっしゃってますので、件の文章は「いったん」除去し、記事本体で記述を充実させてからあらためて検討するということでよろしいでしょうか。(結果は119.173.35.101さんの仰るとおりになるかもしれませんので、回り道にみえるかもしれませんが。)どうでしょう?--ぽん吉会話2014年6月18日 (水) 00:35 (UTC)
意味が分かりません。「誰々さんに記事を一任します」的なことは、wikipediaの根本精神に反すると思いますよ。現在の記載を消す必要も感じません。「独自研究」というタグを早く外すべきだとは思いますが。--119.173.35.101 2014年6月18日 (水) 15:07 (UTC)
(119.173.35.101さんへ)お返事遅くなり時機を逸してしまったかもしれませんが、誤解をそのままにもできないのでお返事します。ひとつめ、「Henaresさんに記事を一任します」とは申し上げておりません。「Henaresさんからのご提案もあったので、まずHenaresさんに書いていただき、それを基に加筆・修正などしてはいかがでしょう」という意味です。ふたつめ、Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価に「政府の公表物は信頼できることも多くあります。しかし、政府の信頼性のレベルには大きな幅があり、しばしば、あからさまに情報の隠蔽を許容したり、全くのごまかしを発表したりする様な事を行って、自らの権益を保持することがあります。」とありますとおり、「政府の公表物」は「査読された公表物」や「権威づけられた専門家による公表物」よりも信頼性の点では劣ると考えられています。大臣の国会答弁(=政府の公表物)など、そのときの政府の政策的意図が変われば答弁内容も変わるものなので、むしろ「第一次小泉内閣において○○大臣は~と答弁していた」など断りをいれないと使えない類の情報源ではないでしょうか。ご再考ねがいます。--ぽん吉会話2014年6月23日 (月) 02:11 (UTC)
通常の合意形成の手続き、即ち、ノートに文案を提示してそれにみんなが賛成すれば記事を変更する、ということでしたら異論はありません。
ふたつめですが、もう一度、Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価を読んで見てください。「査読された公表物>権威づけられた専門家による公表物」とは書いてありますが、「権威づけられた専門家による公表物」と「政府の公表物」の順序関係は書いてないですよね。この点を確認してください。結局「政府の公表物」は「権威づけられた専門家による公表物」にも該当するので、順序はつけられない訳です。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 15:59 (UTC)
あの、、、そのときの政府の見解というのは「特定の観点」に偏った情報源ですよね。例えば2014年6月現在であれば、国会答弁は与党である自民党・公明党つまり安倍政権にプラスになるよう、マイナスにならないよう発言します。wikipediaではこうした「特定の観点」に偏った編集をしないよう利用者に求めております。Wikipedia:中立的な観点、お読みください。--ぽん吉会話2014年6月25日 (水) 04:18 (UTC)
まずNPOVのルールを確認しましょう。色々な所に同じことが書いてありますが、次が一番コンパクトです。
Wikipedia:検証可能性#中立性「全ての記事は中立性の方針(NPOV)を満たさなければなりません。記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。ごく少数派の観点は、それを専ら記述するための記事を除いて、含める必要はありません。複数の出典間で見解が異なる場合、テキスト中で主張者とその言説を表記し、「ジョーン・スミスはXを主張し、一方でポール・ジョーンズはYであるとしている」などと記してください。 出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。多くの信頼できる情報源は中立的ではないことが多いです。編集者の仕事は、単に信頼できる情報源に記載されている主張を忠実に紹介するだけです。」
出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。」と明確に書いてありますよね。このルールを当てはめると、集団的自衛権を行使する際、宣戦布告が必要か必要でないかについて「複数の出典間で見解が異なる場合」、「政府見解では宣戦布告が必要だが、何々の見解によれば宣戦布告は必要でない」と書くのがNPOVの方針に従った書き方ですが、「見解が異ならない場合は」両論併記の必要はなく、本文に異論のない意見を書き、脚注に出典を示しておけば良いことになります。
なお、異論がないのに、わざわざ「と政府は主張している」などと書くのは、異論の存在を暗示させるとして避けられるべきものとされていたはずです。英語版しか見つかりませんでしたが、
en:Wikipedia:Manual of Style/Words to watch#Synonyms for said"To write that someone asserted or claimed something can call their statement's credibility into question, by emphasizing any potential contradiction or implying a disregard for evidence."「誰々が何々と言ったとか主張したと書くことは、矛盾の可能性を強調したり、証拠の不備を暗示したりすることにより、文章の信頼性に疑問を付ける可能性がある。(だから避けるべきである)」
それで、「集団的自衛権の行使に宣戦布告は不要」と主張する人はいるのでしょうか。私が調べた限りではなかったと思います。そうであれば、現在の書き方で良いと思います。もちろん、「宣戦布告は不要」という信頼性の高い論を見つけた方がいれば、両論併記に変更することになると思いますが、仮定の話をしても仕方ないですね。--119.173.35.101 2014年6月25日 (水) 15:04 (UTC)
委員会の議論において中谷長官の答弁に対して異論があったことは説明しました[14]。それを一切無視して中谷長官答弁だけを抜き出している時点で、「出典とする情報源自体」ではなく119.173.35.101さんの情報源の選び方が非中立的であり、WP:NPOVに反しています。「と政府は主張している」などと書くのはあくまで最終手段であって、119.173.35.101さんのお一人がいつまでも納得していないだけで『国際法【新版】』の記述に明らかに反する国会答弁に加筆に足る信頼性がないことは明らかですから、出典としては除去することが適切と思います。「と政府は主張している」などと書く必要もないでしょう。--Henares会話2014年6月25日 (水) 16:00 (UTC)
  • 提案 これ以降、最新の発言はノートの末尾で行いませんか?コメント依頼中ですので新たな参加者の方もいらっしゃるかもしれませんし。--Henares会話2014年6月25日 (水) 16:00 (UTC)
論点整理をせずに、ごちゃ混ぜに、末尾に書いても、新しい人はコメントしにくいでしょ。
HenaresさんはwikipediaのNPOVを理解できていないようですね。
『情報源の選び方が非中立的であり、WP:NPOVに反しています。』とHenaresさんは言ってますが、直上に書いてあるようにWikipediaのNPOVの方針では、情報源が非中立的なことは全くNPOVに反しないのですよね。NPOVというのは要するに両論併記ですから。
『「と政府は主張している」などと書くのはあくまで最終手段であって』とHenaresさんは言ってますが、これなんかも恥ずかしい勘違いで、Wikipedia:中立的な観点#中立性の基本的な概念「基本的には、偏りのない(中立的な観点から)記事を執筆するということは、特定の観点からの意見を主張するかわりに、論争における様々な立場を公正に説明することです。」要するに、両論併記があるべき姿であって、「最終手段」ではぜんぜんない訳です。分かりました?
あと「見解が異ならない場合」の取り扱いのルールが書いてある個所を追記しておきます。
Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。」--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 16:36 (UTC)
「宣戦布告について長官答弁より信頼性が勝る情報源」って何ですか。大臣の国会答弁は日本国政府の公式見解であり、その準備に何人もの官僚が関与して間違いのない文案を作るのを知らないのでしょうか。一介の学者の説を「信頼性が勝る」などとは、常識を疑います。まず、この点をハッキリさせましょう。
次に、山本草二著『国際法【新版】』の「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより、その領域を交戦当事国の軍事行動のために利用させない義務と、交戦当事国に対し軍事的援助を保証しない義務を負う」という記載が、2次ソースに該当するか、疑問があります。学者が書いたことが全て2次ソースになるのではなく、1次ソースと関連付けてそれを根拠に記載してる場合のみ2次ソースになるのですが、その本ではどのような1次ソースを根拠としていますか?その本の当該記述は1次ソースにも、2次ソースにもならない記述に見えます。
土屋著「集団安全保障と中立」に集団的自衛権への直接的言及が一切ないことにこだわっていますが、別に戦時中立法(「陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約」「海戦ノ場合ニ於ケル中立国ノ権利義務ニ関スル条約 」などのハーグ諸条約)の解説書なら何でも同じことが書いてある訳で、さらに土屋氏の論文は根拠としてOppenheimの"International Law"を引いているのですが、まさかOppenheimの大著を不十分とか言わないですよね。戦時中立法が、集団安全保障が発動されたとき(国連安保理が武力制裁を発動したとき)、国連加盟国の制裁への協力義務があるため、修正を受けるという説は多数ありますが、集団的自衛権で修正を受けるなどと言う話は聞いたことがありませんし、修正を受けないなら、その点について学者が論文を書く動機がそもそもないでしょう。
そもそもHenaresさんが「独自研究」とこだわっていますが、文章を3つに分けて、

集団的自衛権の行使には宣戦布告が必要である(防衛庁長官国会答弁)。集団的自衛権を行使すれば、局外中立国から交戦当事国に立場は変わる(元内閣法制局局長)。外国間で武力紛争が発生した場合、第三国は、明確な反対の意思表示がない限り、局外中立国と見做され、局外中立国としての義務すなわち交戦当事国を支援しない義務が発生する。(土屋論文)。

なら問題はないのでしょう。しかし、このような冗長な文はどうかと思いますので、現在の文で良いと思います。--119.173.35.101 2014年6月16日 (月) 14:55 (UTC)
議論の本題にお答えいただきましてありがとうございます。論点ごとに返答させていただきます。
私の常識をお疑いなのは自由ですが、基本的にウィキペディアでは「その準備に何人もの官僚が関与して間違いのない文案を作」った「大臣の国会答弁」よりも「一介の学者の説」のほうが信頼性という点で優先されます。Wikipedia:信頼できる情報源#法律についてをお読みください。
『国際法【新版】』の「一方的行為」に関する記述に一次資料への言及はありません。「1次ソースと関連付けてそれを根拠に記載してる場合のみ2次ソースになる」とおっしゃいましたが、一体どこから「1次ソースと関連付けてそれを根拠に記載してる場合のみ」などという発想がでてくるのでしょうか?Wikipedia:検証可能性はウィキペディア内部の方針ですから、信頼できる論者が自ら調査した一次資料を二次資料にすべて記載するわけではないと思います。といいますか、私がこの場で引用したわずかな個所だけを見て、何百ページもある資料を一次か二次かなどと判断できるものではありません。
私は土屋著「集団安全保障と中立」に信頼性がないなどと申し上げたことはありません。この論文に関して言えば、「第三国には中立の地位に止まる義務がない」ということと「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」ということを同一視した自らの文章誤読を根拠となさった、119.173.35.101さんの側の問題点を指摘しています。Oppenheimをふくめ資料の側の問題ではありません。
非交戦国について。『国際法【新版】』にも、非交戦国の概念について少しだけ言及があります(751頁)。この点について、「根拠となる国際条約や慣習があるわけではありません」とおっしゃいました。確かに条約はありませんが、「慣習があるわけではありません」という点の論拠は一体どこにあるのでしょうか?複数の資料に同一のことが書かれているにもかかわらず、119.173.35.101さんが個人的にご存じないからと言って論拠もあげずに他者が提示した論拠のある情報を否定しないでください。
いずれにせよ、上記のぽん吉さんとのやり取りや、「学者が論文を書く動機」などという憶測や、資料にもとづく情報を119.173.35.101さんが個人が「聞いたことがありませんし」という理由で新たな資料もあげずに否定しようとなさっているところをみると、いまだWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないへのご理解が十分ではないようです。ぽん吉さんからご提示いただいたWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)をふくめ、再度ご案内差し上げた文書の確認を願います。--Henares会話2014年6月19日 (木) 13:55 (UTC)
Wikipedia:信頼できる情報源#法律についてには「当該法域の専門家の意見」と書いてありますが、専門家とは学者だけではありません。法務省民事局長は民法の専門家ですし、金融庁銀行監督局長は銀行法の専門家です。官庁は所管法令について専門家です。戦時国際法について、防衛省は専門家であり、その長である大臣は当然専門家です。「大臣の国会答弁よりも一介の学者の説のほうが信頼性という点で優先されます」が誤りであることは理解できたでしょうか。
Wikipedia:信頼できる情報源#情報源「二次資料:ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。」学者の書いた本が全て2次ソースになるわけではありません。ある本で別の本を引用している場合、引用された本が2次ソースに該当するかどうかを調べないと、その本が2次ソースになるかどうかわかりません。結局これが無限に連鎖しますから、最終的に1次ソースと結びつかないと2次ソースにはなりえません。山本草二著『国際法【新版】』の当該箇所に1次ソースへの言及がないのであれば、当該箇所は2次ソースにはなりません。また、1冊単位で2次ソースに該当するかどうかを判断するのではなく、当該引用箇所について判断するのは言う必要もないでしょう。
「文章誤読」は--Henares(会話) 2014年5月27日 (火) 12:46 (UTC)のコメントでHenaresさんの方が誤読していたと認めたと思いますが、何のことでしょう。
「非交戦国」については、書きたいと言い出したのはHenaresさんの方ですから、Henaresさんの方で証明すれば良いと思います。ただし、明文の国際条約で「非交戦国」を認めるものは存在しないのは理解していますよね。戦争に関する国際慣習法は1907年のハーグ諸条約会議en:Hague Conventions of 1899 and 1907で、ほとんど明文化されていますから、難しいと思いますが、「非交戦国」について書きたいのなら、国際慣習法を見つけ出してください。--119.173.35.101 2014年6月20日 (金) 19:07 (UTC)
専門について。Wikipedia:信頼できる情報源#法律についてには「世界にはいくつかの異なった法体系があり、法はそれぞれの法域内でしか効力をもたないことに、まず留意してください。法は法域ごとに違いますから、当該法域の専門家の意見が、他の法域の解説者の意見より望ましいです。」とあります。集団的自衛権という権利が銀行法や日本の民法の「法域内でしか効力を持たない」、銀行法や民法が「当該法域」ではないことがお分かりになられませんか?そもそもご自身がこの場で持ちだしている資料の中に民法や銀行法について資料が一つでもありますか?
他者発言ばかりを読んでいて私の発言をチェックすることを怠ってしまいましたが、そもそも119.173.35.101さんが集団的自衛権行使のために必要とした宣戦布告について、先日引用した、宣戦布告という行為が現代では禁止されている、という趣旨の『国際法【新版】』の引用個所(再度引用はしません)には一次資料に関する言及がはっきりとあったはずですが[15]
「文章誤読」については3度説明済み[16][17][18]。「中立の地位に止まる義務がない」と「宣戦布告をして交戦国になることができる」との日本語の意味の違いまで解説しなければならないのでしょうか?
「国際慣習法を見つけ出してください。」とおっしゃいましても、私は意見の不一致が見られると申し上げただけです。一度でも国際慣習法だと申し上げましたか?意見が一致しないということについて加筆するならばWikipedia:信頼できる情報源#法律についてに「意見が一致しない」といった趣旨のことが書かれていることを引用すれば十分です。この点についても議論の内容を正しく理解してからご発言頂きたいです(できれば一度説明したことをそう何度も説明させないでいただきたいです)。そもそも専門家ではなく私が「見つけ出し」たものを書こうとするならばWikipedia:独自研究は載せないに反します。もうすでに何度も申し上げましたが、方針文書をきちんとお読みください。--Henares会話) 2014年6月21日 (土) 04:37 (UTC)修正--Henares会話2014年6月21日 (土) 06:24 (UTC)
『銀行法や民法が「当該法域」ではないことがお分かりになられませんか?』ってどういう意味ですか。日本語になってませんよね。「法域」とはその法が適用される空間的範囲のことですよ。Henaresさんは。「基本的にウィキペディアでは大臣の国会答弁よりも一介の学者の説のほうが信頼性という点で優先されます」という主張をされている訳ですが、その主張ってwikipediaのルールのどこを見ても出てきませんよね。戦時国際法の法域は全地球です。「他の法域」の戦時国際法の専門家なんて存在しない(もし火星の戦時国際法の専門家がいれば別ですが)訳ですから、防衛省は地球の戦時国際法の専門家であり、「当該法域の専門家」である訳です。
2次ソースは1次ソースと結びついていないといけないという点については、納得されたのですかね。そうであれば、「一方的行為」の部分は取り下げられますよね。
「宣戦布告という行為が現代では禁止されている」というのは、あまり聞きません。「戦争は国際法的に禁止されている」「侵略戦争は国際法的に禁止されている」というのは当然ですが、戦争の禁止が戦時国際法(戦時人道法)に基づく行為、例えば捕虜の取り扱いに関する規則とか都市爆撃に関する規則まで禁止しているとは言う専門家はいないでしょう。宣戦布告は「開戦に関する条約」に基づくもので、相手国に戦闘開始に先立ち、防御の余裕を与えるために作られた、戦時人道法の一つですから、開戦国の義務であり、「開戦に関する条約」は廃止されていませんので、禁止されてるとは言わないでしょう。Henaresさんのソースに当たって、禁止されているのが、宣戦布告なのか、戦争なのか確認されれば良いと思います。
「一度でも国際慣習法だと申し上げましたか?」ですか。
「確かに条約はありませんが、「慣習があるわけではありません」という点の論拠は一体どこにあるのでしょうか?。--Henares会話2014年6月19日 (木) 13:55 (UTC)」これは、Henaresさんの発言ですよね。
国際条約もない、国際慣習法もない、主張する学者自体が「解決を見ていない」と言っている、そんな学説(「非交戦国論」)を載せる必要があるのか、というのが私の主張です。別に多数の編集者が賛成するのであれば載せても良いと思いますが、「国際条約もない、国際慣習法もない学説」であることを明記する必要があるでしょう。
「そもそも専門家ではなく私が「見つけ出し」たものを書こうとするならば」であれば、非交戦国については、書かなくて良いですよね。
「文章誤読」については、何を議論されているのか正直分かりません。それと記事の編集に何の関係があるのでしょうか。記事に無関係な議論のように私には思えますが。それで、何をどう読み間違えたのか、それが記事の編集にどう関係するのか、明らかにして貰えませんか。--119.173.35.101 2014年6月22日 (日) 05:54 (UTC)
当該法域について。私は『集団的自衛権という権利が銀行法や日本の民法の「法域内でしか効力を持たない」、銀行法や民法が「当該法域」ではないことがお分かりになられませんか?』と申し上げました。一部だけ抜粋すれば意味が通じないのは当然です。文章は全体をきちんとお読みください。日本の銀行法や民法が集団的自衛権の専門法域ではないということがもし本当に理解できないのならば、119.173.35.101さんの知識では国際法関連の記事編集は無理だと思います。
「一次資料に言及がある場合のみ二次資料」などと、119.173.35.101さんの独自思想ではなく方針文書どこに書かれているのかご説明ください。「宣戦布告」については119.173.35.101さんが作り出した独自基準に照らしても現在の記述を否定する論拠だと申し上げただけです。少なくとも中立が一方的行為ではないという点は、「一方的行為」(unilateral act)という用語が一切登場しない中立宣言の119.173.35.101さんの個人的誤読以外に論拠はありません。「中立義務を負うのが一方的行為によるものではない」とおっしゃるのならば、どこかの資料に明示的にそのように書かれていることを引用してください。
「宣戦布告という行為が現代では禁止されている」というのは検証可能な『国際法【新版】』に書かれている情報です。「あまり聞きません」などという個人的知識不足を理由に新たな論拠もあげず論拠のある情報を否定しないでください。
「慣習があるわけではありません」について。私は「論拠は一体どこにあるのでしょうか?」と申し上げました。「というのが私の主張です」などとおっしゃりたいということは読めば分かります。そのようなことをうかがっているのではなく、論拠を提示してくださいと申し上げています。もっとも、「別に多数の編集者が賛成するのであれば載せても良いと思いますが」とおっしゃるのならば、すでに私とぽん吉さんが掲載に賛同しています。
非交戦国について。私自身が見つけ出したものではなく、専門家が見つけ出し専門家が著書に著わしたものについてしか申し上げていません。
「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味ですから、現在のwikiの記事の記載と何の矛盾もありません。[19]」とおっしゃったのは119.173.35.101さんですよね?まさに疑問が呈されている記述について「記事の記載と何の矛盾もありません」とおっしゃりながら、ご自分の発言に関する疑義について「記事に無関係な議論」とおっしゃるのは一体どういうことでしょうか?--Henares会話2014年6月22日 (日) 08:04 (UTC)
  • 日本の銀行法や民法が集団的自衛権の専門法域ではないということ
まず「法域」の意味を勘違いしないでください。「法はそれぞれの法域内でしか効力をもたない」とある「法域」とは、法律が適用される空間的地理的範囲であり、日本刑法の法域は日本ですし、アメリカのミシガン州民法の法域はアメリカのミシガン州です。Henaresさんは「公法と私法」とか「民事法と刑事法」というような意味と勘違いしているようですが違います。【専門法域】なんて全く意味が通じません。戦時国際法の法域は地球ですから、防衛相は「当該法域=地球」の国際法の専門家です。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
  • 「一次資料に言及がある場合のみ二次資料」などと、方針文書どこに書かれているのか
Wikipedia:信頼できる情報源#注意すべき論点「その二次資料は複数の独立した一次資料を利用していますか?」
Wikipedia:信頼できる情報源#独立した二次資料とは?「利用できる一次資料を彼ら自身で見ており、評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている。たとえ同じ一次資料があったとしても、分析者が異なれば、報告される事実についての結論は異なることになるかもしれません。実際には多くの二次資料では、それぞれの調査方法によってさまざまな一次資料を使っています。同意の先入観、不同意の先入観、誤りは、常に自明ではありません。こうしたものを明らかにする一番の方法は、ほかの二次資料と照合することです。」
Wikipedia:信頼できる情報源#情報源「二次資料:ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。」この意味は結局、直接1次資料を引用するか、他の2次資料を介して間接的に1次資料を引用するかしなければ2次資料にならないというのであって、直接間接に1次資料に基づかない物は2次資料になりません。
英語版はもっと明確ですよ。
en:Wikipedia:No original research#Primary, secondary and tertiary sources
A secondary source provides an author's own thinking based on primary sources, generally at least one step removed from an event. It contains an author's interpretation, analysis, or evaluation of the facts, evidence, concepts, and ideas taken from primary sources.
primary sources(1次資料(複数))から取られた物が2次資料と定義しています。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
もっと良いのがありましたので追加します。
Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料「二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の考察を提供するものであり、普通は事象から一歩離れたところにあるものです。二次資料には、一次資料から得た作成者の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見などが記されています。二次資料は必ずしも、独立した情報源あるいは第三者による資料ではありません。作成者は作成にあたって一次資料を使い、それらについての分析・評価を行っています。」--119.173.35.101 2014年6月25日 (水) 15:17 (UTC)
  • 「宣戦布告」については119.173.35.101さんが作り出した独自基準に照らしても現在の記述を否定する論拠だ
中谷防衛庁長官の国会答弁で十分だと思いますが、何か問題でもありますか。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
  • 「中立義務を負うのが一方的行為によるものではない」とおっしゃるのならば、どこかの資料に明示的にそのように書かれていることを引用してください。
このセクションの初めの回答(2番目のコメント)で既に引用済みです。もう一度書けば、
土屋茂樹「集団安全保障と中立」P57
「しかし、明確な態度または言葉によって反対の意思を表示しない限り、すべての国家は中立とみなされ、中立に由来する権利義務関係が発生し継続する。」
一方的な行為がなくても「中立に由来する義務が発生する」と明確に書いてありますね。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
  • 「宣戦布告という行為が現代では禁止されている」というのは検証可能な『国際法【新版】』に書かれている情報です。
引用してください。そしてそれが、2次資料に該当することを示してください。
上でHenaresさんが引用している別の文章を見てみましょう。
「20世紀初頭以降、戦争が違法化されていくにしたがって中立法の継続的妥当性は疑問視され、その適用範囲を狭めようとする傾向が見られるようになった。とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。(137頁より引用)」
これなんか、一般的な理解だと思いますが、「戦争は禁止されたが、宣戦布告は禁止されていない」という認識ですよね。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
  • 「慣習があるわけではありません」について。私は「論拠は一体どこにあるのでしょうか?」と申し上げました
どうぞ、国際慣習法があるというなら、出してください。立証責任は書く側が負うのですから、「非交戦国」について書きたいのなら、根拠となる国際慣習法をhenaresさんが示せば良いでしょう。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
  • ご自分の発言に関する疑義について「記事に無関係な議論」とおっしゃるのは一体どういうことでしょうか?
Henaresさんの書いている意味が分からないということです。「文章誤読」って何を指しています?別に私は何も「誤読」した覚えはありませんが、「誤読」と言われても意味が通じませんよね。上に書きましたが、再度書いておきます。
「文章誤読」については、何を議論されているのか正直分かりません。それと記事の編集に何の関係があるのでしょうか。記事に無関係な議論のように私には思えますが。それで、何をどう読み間違えたのか、それが記事の編集にどう関係するのか、明らかにして貰えませんか。--119.173.35.101 2014年6月23日 (月) 16:42 (UTC)
法域について。中谷長官国会答弁がなぜ信頼できる情報源に該当しないのかはuser:ぽん吉さんが大変わかりやすく説明済み[20]。複数の利用者が国会答弁の信頼性に疑問を呈していますので、あとは119.173.35.101さんに他者意見を理解するお力が備わっているか、またはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する強行な自説の主張を繰り返すかです。国会答弁については私が確認した時にはリンク切れでしたので私はこれまでアーカイブしか見ていませんでしたが、現在は議事録の全文リンクに変わっていて、先日初めて全文を読みました。中谷長官の例の答弁はこの外交防衛委員会において全面的に賛同を得られていなかったようですが、そもそもこの委員会議事録を本当に全文を読みになられましたか?委員会において意見が明らかに割れているにもかかわらず、119.173.35.101さんにとって都合のいい部分だけを抜き出すというのは、ぽん吉さんがおっしゃる通りWikipedia:中立的な観点に反します。いずれにせよ119.173.35.101さんがおっしゃるような中谷長官国会答弁は出典としては使い物になりません。
「一次資料に言及がある場合のみ二次資料」について。引用なさった部分のどこにも「一次資料に言及がある場合のみ二次資料」などと書かれていない。都合よく曲解し本来の意味を捻じ曲げているだけ。
中谷防衛庁長官の国会答弁で十分だと思いますが、何か問題でもありますか。について。国会答弁でなぜ不十分なのかについては私とぽん吉さんが再三にわたり説明済み。119.173.35.101さんがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに違反する言動を繰り返しているだけ。
「しかし、明確な態度または言葉によって反対の意思を表示しない限り、すべての国家は中立とみなされ、中立に由来する権利義務関係が発生し継続する。」という文章の中の一体どこに「一方的行為」という言葉が出てきますか?Wikipedia:信頼できる情報源#法律が言うところの「引用」になっていないことが分かりませんか?「引用」という言葉の意味をおわかりですか?そもそも、この「集団安全保障と中立」に集団的自衛権に関する言及が一切ないことについて説明しましたはずですが、それ以後もあれこれと理由を作り出して「集団安全保障と中立」を持ち出すということは、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」としているWikipedia:独自研究は載せないに従うおつもりはないということでしょうか?
国際慣習法の有無については現在「ある」と言う資料も「ない」という資料も提示されていないのですから、記事本文に「ある」と書いても「ない」と書いてもどちらもWikipedia:独自研究は載せないに反すると申し上げているのです。ノート:離散フーリエ変換でもWikipedia:独自研究は載せないの理解不足が指摘されていますが、ご案内差し上げた方針文書をこれまでに一度でもきちんとお読みになったことはありますか?理解できていれば「どうぞ、国際慣習法があるというなら、出してください。」などと、独自研究を私に要求するような言動はありえないと思うのですが。少なくとも複数の利用者が方針理解不足を指摘しているのですから、方針を熟読してください。
文章誤読について。もうすでに同じことを3度説明しました[21][22][23]。本文に書かれているような、「第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。」ということは「集団安全保障と中立」p58のどこにも書かれておらず、119.173.35.101さんが誤読して「書かれている」と勘違いしているという意味です。これでもなお私が申し上げていることが分からないのならば、議論を読み返して他者が言っていることを理解する努力をしてください。ウィキペディアは子供の遊び場ではありませんので、本来なにを議論しているのかなどという議論の初歩的なことをこうして何度も解説指導してもらえる場所ではありません。--Henares会話) 2014年6月25日 (水) 11:29 (UTC)修正--Henares会話) 2014年6月25日 (水) 11:46 (UTC)修正--Henares会話2014年6月25日 (水) 13:40 (UTC)
「戦争は禁止されたが、宣戦布告は禁止されていない」という認識について。「交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し」と書かれているのにもかかわらず「宣戦布告は禁止されていない」などという発想がどうやったら出てくるのでしょうか?この文章には「禁止されている」とも「禁止されていない」とも書かれていませんよね?ご自分が引用した文章をお読みになっていらっしゃいますでしょうか?--Henares会話2014年6月25日 (水) 13:40 (UTC)
せっかく対立点ごとに項目を分けたのに、ごちゃまぜにコメントするとは、分からない人ですね。--119.173.35.101 2014年6月25日 (水) 15:17 (UTC)
過剰に細分化してしまうと第三者の方に議論の推移が読み取りづらくなってしまったり、どこにコメントしていいのかわからなくなってしまうと思いますよ。特に今はノートに対してコメント依頼中ですので。--Henares会話2014年6月25日 (水) 16:00 (UTC)
コメント依頼中ならなおさら、論点整理は必要でしょう。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
集団的自衛権と中立という関係は通常国際法の基本書などでは論じられない論点で(だからと言って特筆性がないという意見ではないです)、先日申し上げた加筆案を書くのに時間がかかってしまっていますが、「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」をもとにした加筆案を私の利用者ページのサブページにでも書いてこちらに提示させていただこうと考えています。その際にはぽん吉さんとIP:119.173.35.101会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの会話ページに改めてお知らせさせていただこうと思っています。--Henares会話) 2014年7月1日 (火) 14:15 (UTC)修正--Henares会話2014年7月1日 (火) 14:18 (UTC)

中立[編集]

今更で大変申し訳ないのですが、出典4の「避止義務とは、中立国が交戦国の一方に対して戦争遂行に関する直接または間接の援助を与えてはならないという義務である。直接の敵対行為を行うことにより、交戦国の一方を援助することができないのみならず、軍隊の供給、軍艦、軍用の船舶・航空機・武器弾薬その他の軍用資材、補助金の供与はすべて禁じられる。」については原典に記載があったのを確認したのですが、以下の部分「従って、中立国が、国際紛争において、国際法上何の問題も無く一方の交戦国に加担するために集団的自衛権を行使しようとする場合、国連憲章51条により国連安全保障理事会の対応があるまでの暫定的な期間、中立国の立場を捨て集団的自衛権を行使して他方の交戦国に宣戦布告する旨をあらかじめ国際社会に明言しておく必要がある。」は、どこを出典とした記述なのでしょうか?土屋茂樹氏の『集団安全保障と中立』には無かったようですが…。--Hackwud会話2014年7月11日 (金) 05:41 (UTC)
その部分は[24]利用者:Rocky7さんが書いたところになります。一般的に言って、脚注に引用以外のことを書いても良いのですから、問題ないと思います。--119.173.35.101 2014年7月14日 (月) 14:51 (UTC)
119.173.35.101様、いつもありがとうございます!それでは[25]利用者:Rocky7さんに出典をお尋ねしなければなりませんね。しかし、この文脈では、
  • 「避止義務とは、中立国が間接の援助を与えてはならないという義務。軍隊の供給、軍用資材、補助金の供与はすべて禁じられる。」
  • 「従って、中立国が集団的自衛権を行使しようとする場合、宣戦布告を明言しておく必要がある。」
この間に論理の飛躍があります。他国に軍用資材や補助金を供与すると、中立国として国際法上の中立義務違反となる。だから、補助金の供与をする為には(集団的自衛権を行使する為には)、中立義務違反を犯さない様、宣戦布告をしなければならない。と、これは「引用以外の事を書いても良い」範疇をはるかに超え、「集団的自衛権の要件に関わる重要な事」となると考えます。
寧ろ実態を鑑みると、「被攻撃国、及び集団的自衛権を行使する国家に対する軍用資材、補助金の供与は『集団的自衛権の行使と見なされる場合』、宣戦布告をしなくとも、中立義務違反としての批判を免れる。」とするのが自然じゃないでしょうか。これまで、宣戦布告をせずに軍用資材や補助金の供与を行った為に、中立義務違反として国連や諸国から違法性を問われた事例がありましたでしょうか。
「軍用資材、補助金の供与」は集団的自衛権の行使ではありません。ですからHackwudさんの文章は前提が矛盾しています。Hackwudさんは陸戦中立条約と海戦中立条約を読んだことがありますか。ぜひ読まれた方が良いと思います。国際法は違反しても責任を問われるとは限らない点に特徴があります。戦争に負けなければ良いだけという側面があります。しかし、軍事大国のアメリカがしても不問とされることが、他国がやれば戦犯とされることもあり、それは不思議なことではありません。--119.173.35.101 2014年7月15日 (火) 16:28 (UTC)
119.173.35.101様、いつも有り難うございます。まず、避止義務により、中立国による軍用資材、補助金の供与はすべて禁じられるわけですよね?そしてその対象は個別的自衛権を行使する被攻撃国も、集団的自衛権を行使する第三国も含むという認識で間違いありませんか?--Hackwud会話2014年7月16日 (水) 01:14 (UTC)
条約は次のようになっています。
海戦中立条約
第六条 中立国ハ如何ナル名義ヲ以テスルヲ問ハス交戦国ニ対シ直接又ハ間接ニ軍艦、弾薬又ハ一切ノ軍用材料ヲ交付スルコトヲ得ス
第七条 中立国ハ交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過ヲ防止スルヲ要セサルモノトス
陸戦中立条約
第七条 中立国ハ交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過ヲ防止スルヲ要セサルモノトス
このため、補助金の供与などは、明文で禁じられている訳ではありません。しかし、土屋論文はOppenheimのInternational Lawを引いており、そこでは補助金も禁止されていると書いてあります。(P430 paragraph 351)また禁止されていのは、中立国と交戦国の間のやり取りです。
何を疑問に思っているか分かりませんが、軍用資材を中立国が交戦国に提供すれば中立義務違反です。「開戦に関する条約」違反にはなりません。一方、宣戦布告なしに集団的自衛権を行使すれば、中立義務違反と同時に「開戦に関する条約」違反になります。軍医資材の提供が「開戦に関する条約」違反にならないからと言って、中立義務違反にならなくなる訳ではありません。--119.173.35.101 2014年7月16日 (水) 16:32 (UTC)
119.173.35.101様、ご返信が遅くなり申し訳ございません。非常に忙しかったのと、時間をおいて頭を冷やして参りました。少しづつ、我々の「集団的自衛権」定義の根本的な相違が見えて来た気が致します。まずおさらいさせて戴きますが、「避止義務とは、中立国が間接の援助を与えてはならないという義務。軍隊の供給、軍用資材、補助金の供与はすべて禁じられる。従って、中立国が集団的自衛権を行使しようとする場合、宣戦布告を明言しておく必要がある。」について、
  • 「避止義務とは、中立国が間接の援助を与えてはならないという義務。」であり、
  • 「中立国が集団的自衛権を行使しようとする場合、宣戦布告を明言しておく必要がある。」そして、119.173.35.101様は、
  • 「軍用資材、補助金の供与は集団的自衛権の行使ではありません。」と仰いました。
集団的自衛権の行使に宣戦布告が必要だが、軍用資材、補助金の供与は集団的自衛権の行使で無いとすると、なぜこの間に「従って」という接続詞が入っているのでしょうか。言いかえると、「避止義務とは、中立国が間接の援助を与えてはならないという義務。」を根拠として後半が「中立国が集団的自衛権を行使しようとする場合、宣戦布告を明言しておく必要がある。」ならば、間接の援助を与える事、軍隊の供給、軍用資材、補助金の供与は全て集団的自衛権の行使に含まれるのでなければ、この文脈が通らないのです。
  • ①「避止義務とは援助を与えてはならない義務。」従って、「中立国が援助をする時には(集団的自衛権を行使する時には)宣戦布告が必要」ならば文脈が通ります。
  • ②あるいは、「開戦に関する条約が存在する。」従って、「中立国が集団的自衛権を行使するには(援助でなく、武力行使を行う為には)宣戦布告が必要」でも文脈が通ります。
  • ③しかしながら、「避止義務とは援助を与えてはならない義務。」従って、「中立国が(援助でなく)武力行使としての集団的自衛権を行使する為には、宣戦布告が必要」では、おかしいですよね。
Rocky7さんが書かれた文章は①でなければ論理が通りませんので、Rocky7さんは集団的自衛権には避止義務によって制限されている、「軍隊の供給、軍艦、軍用の船舶・航空機・武器弾薬その他の軍用資材、補助金の供与」を行う事は集団的自衛権の行使に当たり、「従って」それらを行うには宣戦布告が必要、と考えているとしなければ、文脈がどうしても通りません。
逆を言えば、119.173.35.101様はこの2文間に矛盾が生じないと仰る事は即ち、「軍隊の供給、軍艦、軍用の船舶・航空機・武器弾薬その他の軍用資材、補助金の供与」は集団的自衛権の行使に当たる、とせざるをを得ないのは、上記③のパターンが論理的に破たんしている事をみれば明らかです。
Rocky7さんにはノートで後半部分の出典について既にお尋ねを致しましたが、119.173.35.101様にお尋ねしたいのは、
  • ①「軍隊の供給、軍艦、軍用の船舶・航空機・武器弾薬その他の軍用資材、補助金の供与」が集団的自衛権の行使に当たるのでしょうか、当たらないのでしょうか?
  • ②上記が集団的自衛権の行使に当たらないとすればそれは同時に、「避止義務とは、中立国が交戦国の一方に対して戦争遂行に関する直接または間接の援助を与えてはならないという義務である。直接の敵対行為を行うことにより、交戦国の一方を援助することができないのみならず、軍隊の供給、軍艦、軍用の船舶・航空機・武器弾薬その他の軍用資材、補助金の供与はすべて禁じられる。従って、中立国が、国際紛争において、国際法上何の問題も無く一方の交戦国に加担するために集団的自衛権を行使しようとする場合、国連憲章51条により国連安全保障理事会の対応があるまでの暫定的な期間、中立国の立場を捨て集団的自衛権を行使して他方の交戦国に宣戦布告する旨をあらかじめ国際社会に明言しておく必要がある。」この前後の文章間で論理的な飛躍があると、ご確認戴く事になりますが、如何でしょうか。
しかしながら、本当に言いたいのはそこではなく、以降は私の独自研究ですが、私と119.173.35.101様の意見に食い違いが生じているのは正に、「集団的自衛権の行使」がどこまでを指すか、という集団的自衛権の根本的認識の違いが一つの大きな要因となっているのではないかという事です。119.173.35.101様は、武力行使以外は全て、集団的自衛権には含まない、とお考えなのではないでしょうか。だから、発生と同時に中立性を失う個別的自衛権の行使には宣戦布告をして中立の地位を脱する必要はないが、戦闘が生じていない第三国が武力行使(119.173.35.101様の考える、限定的な意味での集団的自衛権行使)をするには宣戦布告をして中立国を脱する必要がある、とお考えかと思います。しかし私は、本項集団的自衛権の冒頭にもありますように、「直接に攻撃を受けている他国を援助」する事も集団的自衛権行使であり、武力行使だけが集団的自衛権の行使ではない、と考えております。つまりは「開戦に関する条約」に定める宣戦布告が必要な武力行使でなく、通常ならば中立義務違反となるが、集団的自衛権を違法性阻却事由として物資の供与、後方支援も有りうるという認識です。あくまで仮に、の話ですが、「集団的自衛権に武器の供与」が含まれるとすると、集団的自衛権の行使(による武器の供与)に宣戦布告は必要だとお考えでしょうか。(例えばテロリストに武器を供与する場合、国際社会から違法な武力行使の支援として非難されるでしょうが、それが被攻撃国である国家への武器供与だった場合、それを集団的自衛権の行使として正当化し得る可能性が存在するのではないか、という事です。)我々の根本認識の切り分け作業の一つですが、後学の為にお答え戴ければ幸甚です。--Hackwud会話2014年7月22日 (火) 10:51 (UTC)
物資の供与は集団的自衛権の行使に当たりません。しかし物資の供与も、集団的自衛権の行使も中立義務の避止義務に違反します。したがって、どちらも宣戦布告してからでないと、中立義務に違反するということです。なにか論理的に矛盾がありますか。Rokcy7さんが書いた「軍隊の供給」とは「援軍を送る(=集団的自衛権の行使)」という意味だと思いますが、よろしいですか。なお、宣戦布告せずに物資の供給をした場合は中立義務違反に、宣戦布告せず集団的自衛権の行使をした場合は、中立義務違反と宣戦布告義務違反になります。
武器供与を集団的自衛権の行使ととらえて、集団的自衛権の行使なら中立義務違反をしても良い(違法性阻却自由?)などという話は聞いたことはありません。第2次大戦初期のアメリカの武器供与に関する「非交戦国」の話は、「武器供与は集団的自衛権の行使ではない」から交戦国とならないという話であって、Hackwudさんはその逆を言っていることになります。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 13:29 (UTC)
119.173.35.101様、ご回答有難うございます。明らかに矛盾しています。もう一度繰り返しますが、「避止義務とは、中立国が(物資の供与を含めて)間接の援助を与えてはならないという義務。」「従って、」「中立国が集団的自衛権を行使しようとする場合、宣戦布告を明言しておく必要がある。」です。物資の供与が集団的自衛権に当たらなければ、従って以降が成立しませんよね?--Hackwud会話2014年7月22日 (火) 14:00 (UTC)
何か勘違いしていませんか。「AもBもしてはいけない。したがってBはしてはいけない。」これは理解できますか。「Cを宣言しなければAもBもしてはならない。したがってCを宣言しなければBはしてはならない。」これも理解できますか。Aが物資供給、Bが集団的自衛権の行使、Cが宣戦布告です。署名のない段落ができるといけないので、コメントをずらしました。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 15:56 (UTC)
勘違いしているのはHackwudさんではなく119.173.35.101さんです。ただしHackwudさんも、119.173.35.101さんに他者意見に耳を傾ける意思がないことは明らかですから、これ以上相手にして差し上げる必要はないと思います。--Henares会話2014年7月23日 (水) 11:30 (UTC)
119.173.35.101様へ、色々とお答え申し上げなければならない件が残っているのは承知しておりますが、下記の気になってる点について、ご意見をお聞かせ戴ければ幸甚です。現在の日本国内閣の認識では、ホルムズ海峡での機雷掃海が集団的自衛権の援用により可能となる、との見方だと思いますが、集団的自衛権の行使に必ず宣戦布告が必要となると、ホルムズ海峡での機雷掃海を行う為に宣戦布告をしなければならなくなりませんでしょうか。これは集団的自衛権が必ずしも武力行使のみを指すものではない一例であると考えますが、如何でしょうか。宜しくお願い致します。参考 http://matome.naver.jp/odai/2140136649527073301 --Hackwud会話2014年8月12日 (火) 08:37 (UTC)
1995年に出されたサンレモマニュアルen:San Remo Manual(海戦に関する国際法を集大成し、わかり易くマニュアル化したもの)によれば、機雷の除去について次のようになっています。[26]
"92. Neutral States do not commit an act inconsistent with the laws of neutrality by clearing mines laid in violation of international law."
「パラグラフ92. 中立国は、国際法に違反して設置された機雷を、除去することにより、中立法に反する行為を行わない。」
機雷の除去は、国際法に反する機雷であっても、中立行為とは認められないようです。また、機雷除去が戦争行為になるかについては、サンレモマニュアルに、敵国商船(通常は攻撃対象にならない)を攻撃できる場合に関する記述に参考になるものがあります。
"60. The following activities may render enemy merchant vessels military objectives:"
"(a) engaging in belligerent acts on behalf of the enemy, e.g., laying mines, minesweeping, cutting undersea cables and pipelines, engaging in visit and search of neutral merchant vessels or attacking other merchant vessels;
「パラグラフ60. 次のような行為は、敵国商船を軍事対象に変える」
「(a) 敵のために交戦行為(belligerent acts)に従事する場合、例えば、機雷の設置、機雷の掃海(minesweeping)、海底ケーブルやパイプラインの切断、中立国の商船の臨検への従事、あるいは他の商船への攻撃」
機雷の掃海(minesweeping)は交戦行為(belligerent act)として例示されており、「非交戦国」などと称してできることではないと思います。宣戦布告が必要になると思います。また、機雷の掃海を行えば、攻撃されますから、丸腰で行えば沈められます。掃海艇に護衛を付ける場合、当然交戦となり、なおさら宣戦布告が必要でしょう。--119.173.35.101 2014年8月13日 (水) 14:49 (UTC)
119.173.35.101様、ご返信有り難うございます。まず最初の英文の和訳について、
"92. Neutral States do not commit an act inconsistent with the laws of neutrality by clearing mines laid in violation of international law." というのは、
中立国は、国際法に違反して設置された機雷の除去によって、中立法にそぐわない行為を犯した事にはならない。という事じゃないですか?全く正反対の意味だと思いますが…。--Hackwud会話2014年8月18日 (月) 09:01 (UTC)
サンレモマニュアル92項によれば、中立国は機雷の除去を行っても中立国の立場を失わない為、宣戦布告をせず、中立国のままで機雷の除去を行う事ができます。日本政府における見解では、ホルムズ海峡での機雷掃海は集団的自衛権の行使ですから、ここでは宣戦布告をせずに集団的自衛権の行使をする事ができる、という論理になります。--Hackwud会話2014年8月18日 (月) 10:46 (UTC)
ご指摘ありがとうございました。パラグラフ92の解釈が間違っていました。訂正します。
ただ、「ホルムズ海峡の掃海はできない」という結論は、以下の理由で変わらないと考えます。
リンクを付けられたMine Warfare at Seaに"Paragraph 92 expresses the right of a neutral state to take active measures to protect and clear its shipping routes within its own waters, without in any way affecting its position of neutrality."と、「自国領海内で」とのサンレモアニュアルに書いてない制限があることに関係しますが、パラグラフ92は中立国が無制限に違法な機雷を除去できると読むものではないようです。
Legal aspects of Contemporary Naval Mine Warfareという1999年の論文では、P588の"K. Neutral States do not Act Inconsistent with the Laws of Neutrality by Clearing Mines Laid in Violation of International Laws"と言う節で、サンレモの92と国際司法裁判所の1949年12月4月9日のCorfu Channel事件[27]が矛盾すると論じていて、今までに機雷の掃海で国際司法裁判所に訴えられた3つの事件Corfu Channel事件、Nicaragua事件[28]、Iran Oil Platforms事件[29]を論じています。
Corfu Channel事件はイギリスとアルバニア間の裁判で、イギリスが、アルバニア領海内のCorfu Channelに何者かが違法に設置した機雷を掃海したことについて、国際司法裁判所はイギリスによるアルバニアの領海の侵害で違法としています。このため論文の著者はサンレモ92はICJの判例に抵触すると言っています。
Nicaragua事件は、アメリカがニカラグア領海内に設置した機雷について、アメリカによる機雷設置はニカラグアの領海の侵害で違法としていて、ニカラグアによる機雷の掃海をニカラグアの権利としています。
Iran Oil Platforms事件は、論文の出た1999年は審理中でしたが、2003年11月6日に判決が出ています。イランがペルシャ湾に設置した非固定型機雷(非固定型は違法)について、違法とは言えないとしてます、
結局、3件とも領海を持つ側が勝っていて、サンレモ92のように、中立国は他国領海など無制限に機雷掃海をできるわけではなく、自国領海でのみ機雷掃海できるという意味で読むのが正しいというのが、[30]の意味だと思います。--119.173.35.101 2014年8月19日 (火) 16:28 (UTC)
119.173.35.101様、有り難うございます。例を挙げられた3件の内、機雷掃海に関するのはコルフ海峡事件だけで、ニカラグア事件は他国領海内での機雷設置の違法性と、Iran Oil Platforms事件は個別的自衛権の集積理論の有効性について争われた事件ですので、本件とは無関係かと思います。そのコルフ海峡事件も、イギリスがアルバニアに無断で、アルバニア領海内での機雷掃海を行った為に訴訟となったわけですが、日本政府によるホルムズ海峡の機雷掃海の話は、集団的自衛権の援用によるものですから、要件「攻撃を受けた国(ホルムズ海峡を領有するイラン、又はオマーン)からの援助要請」を前提としていますので、領海侵犯とはなり得ません。つまり、
  • イラン領海に設置された機雷をイラン政府の要請で集団的自衛権の行使により除去する行為は、サンレモ92によって中立国の立場を保ったまま宣戦布告なく行え、
  • オマーン領海内に設置された機雷をオマーン政府の要請で集団的自衛権行使により除去する行為は、サンレモ92によって中立国の立場を保ったまま宣戦布告なく行える
という事になります。--Hackwud会話2014年8月20日 (水) 01:33 (UTC)
その例では、「国際法に反して設置された機雷」にならないでしょう。
集団的自衛権の例ですから、イランとオマーンが戦争あるいは武力紛争をしている状況で、国連安保理はどちらも侵略者と認定していないという設定ですよね。
その場合、交戦国は相手交戦国の領海と公海を対象に海上封鎖(blockadeサンレモ93-104)をすることができることになります。イランが、オマーン領海に機雷を設置し海上封鎖し、中立国のためにイラン領海の無害航行を認める。オマーンが、イラク領海を海上封鎖し、中立国のためにオマーン領海の無害航行を認める、とすれば、どちらも国際法には違反していません。現実的には両国の行為のために中立国船舶は通れなくなるのですが、どちらか片方に責任があるわけではなく、どちらも国際法には反していないので、サンレモ92の要件を満たさず、中立国は中立のままで掃海をできないことになります。オマーンの要請に応じてオマーン領海内の機雷を掃海すれば、それは正当に設置された機雷の除去ですから、中立違反ですし、イランの要請に応じてイラン領海内の機雷を掃海すれば、それも正当に設置された機雷の除去ですから、中立違反です。--119.173.35.101 2014年8月21日 (木) 15:27 (UTC)

山本草二著『国際法【新版】』の中立についての記載は2次資料か[編集]

山本草二著『国際法【新版】』の「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより、その領域を交戦当事国の軍事行動のために利用させない義務と、交戦当事国に対し軍事的援助を保証しない義務を負う」という記載が、2次ソースに該当するか

Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料「二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の考察を提供するものであり、普通は事象から一歩離れたところにあるものです。二次資料には、一次資料から得た作成者の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見などが記されています。二次資料は必ずしも、独立した情報源あるいは第三者による資料ではありません。作成者は作成にあたって一次資料を使い、それらについての分析・評価を行っています。」
この基準に照らすと、山本草二著『国際法【新版】』の当該記載は、一次資料に基づいていないため、二次資料に該当しない。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
119.173.35.101さんが『国際法【新版】』を二次でないとおっしゃる根拠は引用した個所に一次資料への直接的言及がないということだけであるように思います。ですので、これは「一次資料に基づいて」と「一次資料に直接言及がある」という日本語の意味を119.173.35.101さんが混同しているだけです。「基づく」と「言及する」という日本語の意味を辞書などでよくお調べください。--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:14 (UTC)
それで、「国際法【新版】」の当該記述が1次資料に基づくということは、証明できるのでしょうか。証明できるのであれば、さっさと提示していただければ良いし、証明できないのなら、資料として取り下げてください。--119.173.35.101 2014年7月4日 (金) 17:18 (UTC)
今度は「資料に基づく」ことと「資料に基づくことを証明しなければならない」ということを混同しています。Wikipedia:秀逸な記事やその選考ですらそのような証明は要求されません。一体どこにそのような出典の執筆過程まで証明をしなければならないと書かれていますか?ご自分で勝手に作り出したルールを要求しないでください。もっとも、『国際法辞典』にも『国際法【新版】』における119.173.35.101さんの言い分を否定する記述にも一次資料への言及がある個所を既に引用しているはずですし、119.173.35.101さんからは1次資料に基づいているとの証明どころか一次資料に言及がある二次資料が提示されたことは一度もありませんが。--Henares会話2014年7月5日 (土) 04:11 (UTC)
『「資料に基づく」ことと「資料に基づくことを証明しなければならない」ということを混同しています。』って何ですか?いい加減にしてもらいたいものです。
1次資料に基づいていないのであれば、2次資料にはなりません。「1次資料に基づいていることを証明できない」のであれば、その文章は2次資料とは言えないでしょう。
普通、学術書であれば、脚注に根拠が記載されており、そこに1次資料が載っているものでしょう。そうでないというのなら、根拠のない記載であり、当該記載は2次資料とは言えないでしょう。--119.173.35.101 2014年7月6日 (日) 06:41 (UTC)
『「資料に基づく」ことと「資料に基づくことを証明しなければならない」ということを混同しています。』って何ですか?」と言われましても、そんなことは辞書を引くなりして自力で理解してください。そんなことをわざわざ私に尋ねないでください。そもそも『国際法【新版】』には一次資料への言及がはっきりと存在しますし、国会答弁や条約条文という一次資料だけに基づいて強硬な主張を繰り返しているのは119.173.35.101さんです[31][32]。私に要求していることをご自分が全く実践できていないということはお分かりでしょうか?--Henares会話) 2014年7月9日 (水) 11:33 (UTC)修正--Henares会話2014年7月9日 (水) 11:46 (UTC)
>そもそも『国際法【新版】』には一次資料への言及がはっきりと存在しますし
結構ですよ。何という一次資料かここに書いてください。その一次資料に「第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得する」ことの根拠が書いてあるんですよね。このセクションの決着を着けましょう。--119.173.35.101 2014年7月10日 (木) 14:55 (UTC)
仮に「第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得する」という『国際法【新版】』の記述が二次資料に該当しないのだとしても、「第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得する」ということを一次資料に言及した形で否定する119.173.35.101さん流の二次資料は一切提示されておらず、出典提示は掲載を希望する側の責任です。またこの加筆が誤っていることを否定する論拠としては宣戦布告が許容されていないことを示す『国際法辞典』や『国際法【新版】』の引用だけでも十分。さらにご自分は一次資料にはっきりと言及がある『国際法辞典』の119.173.35.101さん流の二次資料を、一次資料に一切言及がない資料で否定しようとする有様[33]。自分が実践しないことを他者に要求し続けるようでは議論以前にコミュニケーションが成立しません。--Henares会話2014年7月11日 (金) 21:44 (UTC)
「一次資料に言及がある資料が二次資料」という119.173.35.101さん流の「二次資料」に宣戦布告が現代では許容されない行為と書かれていることはすでに説明したはずですが、私に「一次資料に言及がある資料が二次資料」と要求しておきながら、そのような資料を一切提示せずに宣戦布告について「「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」という解釈が日本では支配的である。[34]」などという加筆を繰り返しているのは一体どういうことでしょうか?「一次資料に言及がある資料が二次資料」という119.173.35.101さん独自の「二次資料」概念は119.173.35.101さんが都合の悪い時は無視されるのでしょうか?--Henares会話2014年7月20日 (日) 11:40 (UTC)
宣戦布告と山本草二著『国際法【新版】』は無関係ですよね。なぜ宣戦布告の話を、このセクションでするのでしょうか。宣戦布告について話したいのななら、そのセクションでなぜしないのですか。わざとトークページを分かりにくくしているとしか思えません。--119.173.35.101 2014年7月20日 (日) 22:45 (UTC)
そもそもこの議論はこの加筆に関する議論です。出典誤読に関する論点が含まれていないなど、無用で都合のいい細分化を行いノートページを分かりにくくしているのは119.173.35.101さんです。それで、このセクションで私に対し一次資料を参照していることの証明まで求めておきながら、一次資料にはっきりと言及がある資料を一次資料に一切言及がない資料で否定しようとしたり[35]、twitterなどの一次資料に基づいた加筆を行ったりという[36]このセクションで119.173.35.101さんご自身がおっしゃった二次資料概念二次資料に関する独自見解と119.173.35.101さんの言動・行動との矛盾について指摘しています。「一次資料に直接言及がある資料の実が一次資料であるため一次資料を参照していることの証明が必要」などと119.173.35.101さんがおっしゃり始めたのは、このセクションです。それとも都合が悪い話題には応じないということでしょうか?--Henares会話2014年7月21日 (月) 00:44 (UTC)
「『国際法辞典』は集団的自衛権についての直接の記載ではない」という私のコメントに反論するなら、そのコメントにコメントすべきでしょう。なぜここにコメントするのですか。少しは常識を持ってください。『国際法辞典』が出典として適当でないのは、集団的自衛権に関する記載ではなく、しかもそのことが正反対の結論を導き出しているためです。それについては、ノート:集団的自衛権#宣戦布告は禁止されているかというセクションに書いてありますよね。
また、山本草二著『国際法【新版】』が2次資料であることの根拠は、いつになったら出てくるのでしょうか。もう資料として取り下げられたらいかがですか。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 13:57 (UTC)

インデントもどします。山本草二著『国際法【新版】入手致しました。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価に照らし、独立した二次資料であると判断いたします。有斐閣から出版され、法学博士である山本草二氏の単著であることも、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料として優位性のある二次資料だと考えます。--joker会話2014年7月25日 (金) 15:42 (UTC)

セクションの最初の文を読んでください。論点が完全にずれていますよ。--119.173.35.101 2014年8月24日 (日) 14:39 (UTC)

中谷長官国会答弁は信頼できる一次資料か[編集]

平成13年5月31日参議院外交防衛委員会での国務大臣防衛庁長官中谷元氏の発言番号153番。[37]「そういう点において、国連憲章に書かれている集団的自衛権というのは、私は、国家が戦争の宣言をして堂々と戦うというための集団的自衛権であって、そういう私が今述べたような例とはちょっと意味合いが違ってくるんじゃないかなというふうに思います」は信頼できる一次資料か。

信頼できる一次資料である。防衛庁長官はWikipedia:信頼できる情報源#法律についての「当該法域の専門家」に該当する。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
本項は、一般的な「集団的自衛権」についての記述であって、「日本の集団的自衛権」についてではないはずですが、一般的な「集団的自衛権」記述の出典として日本国国務大臣の発言を一次資料とする事に違和感を覚えますが、如何でしょうか。--Hackwud会話2014年7月3日 (木) 02:40 (UTC)
政府答弁は、「国連憲章に書かれている集団的自衛権というのは」と、一般論として述べているのであって、日本の特殊事情を述べている訳ではないので、問題ないと思います。--119.173.35.101 2014年7月3日 (木) 14:54 (UTC)
119.173.35.101様、ご回答戴き、誠に有り難うございます。「集団的自衛権の行使に宣戦布告が必要である」事のソースとして、答弁「(日本に可能な集団的自衛権は)国連憲章に書かれている宣戦布告をして戦う集団的自衛権とはちょっと違う」という事なのだと思いますが、特に湾岸戦争において「宣戦布告無き集団的自衛権行使」が国連、及び日本を含めた国連加盟各国によって発動に至っております。国連自身の見解が「集団的自衛権の行使には宣戦布告が必要ない」という事であり、実際これまで何度も「宣戦布告無き集団的自衛権行使」が発動されているならば、国連憲章の「集団的自衛権」行使に宣戦布告は必要ない、と考えるのが妥当であり、現実に即しているのではないでしょうか。--Hackwud会話2014年7月4日 (金) 03:35 (UTC)
湾岸戦争は、集団的自衛権の行使ではなく、集団安全保障の発動です。まず、この2つを明確に分けて下さい。湾岸戦争は国際連合安全保障理事会決議678に基づく集団安全保障の発動です。集団的自衛権は、国連憲章[38]51条により「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」しか行使できませんので、安保理決議が出ている以上、集団的自衛権は行使できません。よく、「国連軍ではなく多国籍軍なので、集団安全保障ではない」と勘違いしている人がいますが、安保理は、集団安全保障の発動として、国連軍を派遣しても良いし、多国籍軍を派遣しても良いし、ある1国の軍を派遣しても良いことになっています。このことは、国連憲章42条に「この行動(=集団安全保障の発動)は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。 」と明文で記載されています。
「集団安全保障の発動で宣戦布告がなかった」ということは、「集団的自衛権の行使に宣戦布告は必要か」ということに対し無関係です。集団安全保障の発動では「国連対侵略国」という構図で、戦争を行うのが国連ですから、各国が宣戦布告を行うというのはおかしく、安保理の武力行使決議自体が宣戦布告の代わりになります。
イタリアの法律学者・裁判官のBenedetto Confortiによれば、“Non-Coercive Sanctions in the United Nations Charter Some Lessons from the Gulf War” http://www.ejil.org/pdfs/2/1/1159.pdf 内において「2. The Gulf War should be seen within the framework of Article 51 of the United Nations Charter, and may therefore be regarded as legally justifiable because it was an exercise of collective self-defence.」(湾岸戦争は国連憲章51章の枠内として見るべきで、集団的自衛権の行使として法的に正当だと見なして良いor見なせるかもしれない)とありますが、これについては如何でしょうか。--Hackwud会話2014年7月10日 (木) 13:41 (UTC)
どうなのでしょう。ここは学説の正当性について論ずる場所ではありませんが、Confortiの説は、湾岸戦争が集団安全保障ではなく集団的自衛権だという根拠として、湾岸戦争では軍の指揮権が国連事務総長に委任されていないことを挙げています。しかし、軍の指揮は国連憲章上、事務総長の本来の職務ではないので疑問です。また国連憲章51条により、集団的自衛権は「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」しか行使できないのに、安保理の決議後も集団的自衛権だと言うのはどうかと思います。--119.173.35.101 2014年7月10日 (木) 15:31 (UTC)
119.173.35.101様、早速にありがとうございます。後半部分について、国連憲章51条では、「集団的自衛権は安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間しか行使できない」とは書いてないですよね。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」ポイントが2つあって、1、集団的自衛権は固有の(原文はthe inherent right of individual or collective self-defenceなので、inherent=固有の、生来の、生まれながらの)権利であって、国連憲章等によって与えられた権利ではない事。2、安保理措置までの間は、国連憲章のいかなる規定も、集団的自衛権を害せない事。つまり、安保理措置までは集団的自衛権を保障する、とあるけれども、安保理措置以降については禁止するとも書いてないわけです。集団的自衛権は固有の権利ですから、禁止されていない状態においては、安保理措置以降についても保証されていると考えるべきではないでしょうか。つまり、集団安全保障と集団的自衛権は両立し得ると見るべきではないでしょうか。--Hackwud会話2014年7月10日 (木) 16:28 (UTC)
どう読んでも、「集団的自衛権は安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間しか行使できない」としか読めませんが。「固有(inherent)」とは「本来持つ、生まれながらに持つ」と言う意味ですが、「制限できない」という意味ではありません。現実問題、主権国家には数多くの「固有」の権利(国連憲章以前の権利)がありますが、国連憲章やその他国際条約で制限されています。
また、もし湾岸戦争が集団的自衛権として行われたのであれば、国連憲章51条により、安保理に集団的自衛権の行使を報告する義務が発生しますが、見た所、集団的自衛権としての報告はされていないようです。もし見つけたら教えてください。--119.173.35.101 2014年7月11日 (金) 16:42 (UTC)
119.173.35.101様、有り難うございます。まず、 http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-1_5.pdf こちらの防衛省、防衛研究所の吉田靖之氏による『国連安保理事会決議に基づく多国籍軍の法的考察』第一章第一項において、「安保理事会は、(1990年:Hackwudによる注記)8月6日に決議661を採択し、憲章第7章下の行動として、イラクに対して包括的な禁輸措置を課した。8月9日に米国は、安保理事会議長に書簡を送り、米国はクウェート正統政府、及びサウジアラビアの要請に応え、憲章第51条で認められている固有の権利である個別的、及び集団的自衛権を援用して、ペルシャ湾地域へ自国軍隊を派遣することを報告した。英国も同様の書簡を安保理事会へ送付し、クウェート等に対する自衛権の発動を報告した。」とあります。原典は以下、国連の文書アーカイブにありました。 http://www.un.org/en/ga/search/view_doc.asp?symbol=S/21492 (昨日お知らせした通り、国連憲章51章に従い、私は政府を代表して、アメリカ合衆国がペルシャ湾周辺に軍隊を派遣した事をご報告申し上げます。我々は(国連憲章)51章にある、国家固有の個別的、そして集団的自衛権の行使として、この軍を派遣致しました。) と、 http://www.un.org/en/ga/search/view_doc.asp?symbol=S/21501 (同英国より)です。ひとまず、集団的自衛権の報告はなされており、湾岸戦争での多国籍軍は形式的には集団的自衛権の行使として派遣された、と見て間違いないようです。そして、この多国籍軍の派遣に宣戦布告は行われておりません。ここまではご納得戴けませんでしょうか。しかしながら、119.173.35.101様の仰るように、国連憲章51章の文から、集団的自衛権は安保理措置までしか行使できない、と読む学者もいる為、議論となっている模様です。この出典については後ほど追加致します。--Hackwud会話2014年7月15日 (火) 10:07 (UTC)
湾岸戦争は1991年1月17日に始まったのですが、ご存じないでしょうか。1990年8月6日は、まだ湾岸戦争は始まっていませんよ。しかも、1990年8月10日現在では、交戦国はイラクとクエートであり、アメリカが兵力を派遣したのが、サウジアラビアという中立の第3国。集団的自衛権の要件が、武力行使されたことであるのに、武力行使されていないサウジアラビアが集団的自衛権の対象になるというのは、矛盾していると思います。安保理はいつの時点で「必要な措置を取ったか」ですが、武力行使決議を行った1990年11月29日の国際連合安全保障理事会決議678がその境目で、それ以前は集団的自衛権の余地があり、それ以降は集団安全保障に性格が変わり、湾岸戦争が始まった1991年1月17日では、集団的自衛権ではなく、集団安全保障になっているというのが一般的な理解だと思います。Hackwudさんが引用した吉田氏の論文にも、「安保理事会は(略)11月29日にイラクに対する最後通牒とも言える決議678を採択した。」と、集団的自衛権では説明のつかない文がありますね。--119.173.35.101 2014年7月15日 (火) 15:56 (UTC)
119.173.35.101様、コメント有り難うございます。一つ一つ、確認して参りましょう。まず、私が提示した書簡 http://www.un.org/en/ga/search/view_doc.asp?symbol=S/21492 と21501 が、米国(英国)から、安保理に宛てられた正当な一次資料として有効だと認められますか?--Hackwud会話2014年7月16日 (水) 00:06 (UTC)
一次資料として有効だと思いますが、非常に問題の多いものだと思います。
1990年8月6日に国連安保理は国際連合安全保障理事会決議661を出し、その中で[39](page574) "Affirming the inherent right of individual or collective self-defence, in response to the armed attack by Iraq against Kuwait, in accordance with Article 51 of the Charter,"と決議するのですが、(1)まずサウジアラビアが抜けている、(2)イラクのクエートへの武力攻撃に対しての個別的集団的自衛の固有の権利を肯定するとあるだけで、自衛権の「行使」を支持するとはなっていないという点があります。決議661以降、明確に集団的自衛権を支持した決議を安保理はしていないようです。このため、米英はサウジアラビアも集団的自衛権行使の要件を満たすと考えたが、安保理は必ずしもそうは考えなかった、米英はサウジアラビアへの軍の派遣はクエートを守るための集団的自衛権の行使と考えたが、安保理は必ずしもそう考えなかった、と解釈が可能で、米英の言い分がそのまま安保理を通ったかは分かりません。このwikipediaの記事の冒頭にある定義「集団的自衛権とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。」に照らしても、米英の言い分がそのまま通るには無理があるように思えます。このため、一次資料として非常に問題が多く、安保理決議661と合わせて提示する必要があるものと思います。--119.173.35.101 2014年7月16日 (水) 16:14 (UTC)
なおイラク戦争では、アメリカは個別的自衛権の行使として戦争を始めていますが、ちゃんと2003年3月17日に最後通牒(=条件付き宣戦布告)[40]を発しています。
また、防衛庁長官の「今述べたような例とはちょっと意味合いが違ってくる」という国会答弁は、「いま述べたような例は国連憲章で定める集団的自衛権に当たらない」という意味であり、Hackwudさんの解釈は間違っています。--119.173.35.101 2014年7月4日 (金) 17:08 (UTC)
119.173.35.101様、コメント有り難うございました。また、返信が遅れて申し訳ございません。関連すると見られるステートメントを見つけました。お手数ですが、チェック戴けないでしょうか。https://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/pentagon4/ps18.htm この中段当たりでラスク長官が、"There is no requirement in international law for a declaration of war before the right of individual or collective self-defense can be exercised.「国際法上、個別的自衛権、または集団的自衛権の行使に、宣戦布告は必要ない」と述べておりますが、如何でしょうか。(度々の編集で履歴を汚し、申し訳ありません)--Hackwud会話2014年7月10日 (木) 10:50 (UTC)
「宣戦布告は必要ない」とされる理由をラスク長官は示していないので、評価が難しいですね。一次資料として、ラスク長官が1966年のベトナム戦争の際にそう言ったと書き方でしょうか。--119.173.35.101 2014年7月10日 (木) 15:31 (UTC)
119.173.35.101様、いつも迅速なご回答有難うございます。確かに、たった一行「国際法上、個別的自衛権、または集団的自衛権の行使に、宣戦布告は必要ない」と書かれているだけでその理由は示されていませんが、理由は何にせよ当事の米国務長官が「宣戦布告は必要ない」とはっきり言ってるので、「集団的自衛権に宣戦布告が必要ない」根拠として、一次資料たり得るのではないでしょうか。--Hackwud会話2014年7月10日 (木) 17:38 (UTC)
119.173.35.101様は「宣戦布告は必要ないとされる理由をラスク長官は示していないので、評価が難しい」と仰いますが、それについては中谷長官のコメントも同じではありませんか?中谷長官は「国連憲章に書かれている集団的自衛権というのは、私は、国家が戦争の宣言をして堂々と戦うというための集団的自衛権であ」ると考えている理由を示していますでしょうか。そもそも、我々はただの編集者です。その理由が示されていたとしても、我々にその理由に正当性があるか否かを判断する権限は無いのではないでしょうか。中谷長官のコメントとラスク長官のコメントで食い違いがあり、他にも疑義を唱えていらっしゃる方がいらっしゃる。そういう不確定で深刻な論争のある要素、集団的自衛権に「宣戦布告が必要である」とする主張を、『集団的自衛権』という項目の冒頭の説明に「事実として」持ってくるのは、マズイんじゃないかと思うわけです。
宣戦布告とは開戦に関する条約第一条によって規定されるものであり、宣戦布告という単語自体に「開戦に関する条約第一条」の意味が含まれています。これは法律用語であれば何でもそうであり、殺人罪といえば刑法第199条にある意味が含まれており、対抗要件と言えば民法192条にある意味が含まれているのと同じです。「開戦に関する条約第一条」には、敵対行為(hostilities)を開始する前に宣戦布告しなければならない、と書いてあるわけですから、中谷長官の発言は「開戦に関する条約第一条」を根拠にしてのことだと理解できる訳です。これに対し、ラスク国務長官の発言は、宣戦布告をしなくても良いと言っている訳ですが、なぜなのか、皆目見当がつきません。Hackwudさんは、ラスク国務長官の発言がなぜなのか、理解できますか。
これはちょうど「人を殺せば殺人罪に問われる」という発言と「人を殺しても殺人罪に問われることはない」という発言を比較した場合、殺人罪という単語を規定する刑法199条と比較すれば、前者は根拠があるのに対し、後者は根拠が皆目見当がつかないということと同じです。このため、中谷長官の発言は根拠があるのに対し、ラスク国務長官の発言は根拠が不明と言わざるをえません。このようなことで、記事の文章を消す必要があるとは思えません。--119.173.35.101 2014年7月15日 (火) 15:56 (UTC)
119.173.35.101様、いつもご丁寧にご回答戴き、有り難うございます。119.173.35.101様は、中谷長官が「集団的自衛権に宣戦布告が必要」と言った根拠は開戦に関する条約第一条だと考えていらっしゃる。そういう認識で宜しいですか?--Hackwud会話2014年7月17日 (木) 03:15 (UTC)
また、殺人罪の例えは不適切なように思います。119.173.35.101様に倣って例えると、「家族(密接な関係にある他国)が強盗に襲われ(武力行使の実在性)、命の危険があり(必要性)、今まさに助けを求めている(被攻撃国からの攻撃を受けた表明と援助の要請)。自分達の身を守る為の最低限度の武力による防衛行為でも(均衡性)、人を傷つける前には傷害を負わせる旨の宣言をしなければならない(決闘の宣言?)」と、「家族が強盗に襲われ、命の危険があり、今まさに助けを求めている。自分達の身を守る為の最低限度の武力による防衛行為ならば、人を傷つける前には傷害を負わせる旨の宣言をしなくても良いが、行使後、警察に通報しなければならない(安保理への報告)」こうすると前者は法的根拠がなく、後者は正当防衛(刑法36条1項)と見なせますね。--Hackwud会話2014年7月17日 (木) 03:15 (UTC)
宣戦布告は、開戦に関する条約第一条の意味だと認識しています。あと署名してください。--119.173.35.101 2014年7月16日 (水) 16:14 (UTC)
防衛庁長官は政治家であって、国際法という法域の専門家ではありません。「二次資料:ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源より)。少なくとも中谷長官国会答弁という一次資料が『国際法【新版】』より信頼性で勝るという考えに賛同している利用者は119.173.35.101さんの一人で、119.173.35.101さんに反対している利用者は私以外にも存在します[41]。もっとも、外交委員会議事録全文を読んでみましたが、どうやら信頼できるかどうか以前の問題のように思います。本文に引用されている中谷長官の「そういう点において、国連憲章に書かれている集団的自衛権というのは、私は、国家が戦争の宣言をして堂々と戦うというための集団的自衛権であって、そういう私が今述べたような例とはちょっと意味合いが違ってくるんじゃないかなというふうに思います。」という答弁に対しては、その直後に小泉親司議員から「これは、国際法を全く知らない議論だというふうに思いますよ。」というかなり強い批判がなされています。119.173.35.101さんは、第151回国会外交防衛委員会第12号全体をきちんとお読みになられましたでしょうか?中谷長官国会答弁がどのような文脈におけるものかきちんと理解されていますでしょうか?私は非中立性について「「出典とする情報源自体」ではなく[42]」と申し上げました。つまり、国会答弁自体が非中立的と申し上げているわけではなく、119.173.35.101さんの言い分にとって都合のいい部分だけを抜き出し全体的文脈を無視する119.173.35.101さんという人の行為が非中立的と申し上げています。資料そのものが中立であれ非中立であれ読む側が非中立なのでは資料の信頼性を語るまでもないと思います。--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:14 (UTC)
すでに「学者だけが専門家ではない」と根拠を示して言ったはずです。また、Henaresさんが引用したWikipediaのガイドラインは、そもそも2次資料に関するもので、1次資料には関係ありませんし、しかも、学者によって書かれたもの「だけが」2次資料になるという意味ではなく、例として学者によって書かれたものを挙げているに過ぎません。
また、小泉親司議員の「これは、国際法を全く知らない議論だというふうに思いますよ。」の「これは」は中谷長官の発言を指しているものでないことは、読めば誰でもわかることです。--119.173.35.101 2014年7月4日 (金) 17:08 (UTC)
あと、未だに「法域」という語を間違った意味で使っていますが、再三指摘しても理解できないのでしょうか。Wikipedia:信頼できる情報源#法律についてに書いてある「世界にはいくつかの異なった法体系があり、法はそれぞれの法域内でしか効力をもたないことに、まず留意してください。」の中の「法域」とは、ある法律がどこで適用されるかという空間的地理的概念であり、日本法の法域は日本、アメリカ法の法域はアメリカ、ドイツ法の法域はドイツという意味です。ところが「国際法という法域の専門家」などと、明らかに誤解した使い方を未だにしています。なんとかならないのでしょうか。--119.173.35.101 2014年7月5日 (土) 01:11 (UTC)
「学者だけ」などとは申し上げていません。他の情報源よりも信頼性で勝ると、私個人の意見ではなくWikipedia:信頼できる情報源#情報源というコミュニティの合意された文書に書かれていると申し上げています。学者の見解が示されていないのであれば政治家の意見だけでも出典としては可能な場合もあるでしょうが、私が申し上げたかったのは、その分野の学者の見解と政治家の見解が異なるならば学者のほうが優先されるという意味です。119.173.35.101さんコメントの中で「学者」というフレーズが用いられたのは[43][44][45]と、上記のコメントがすべてでしょうか。これらの中で提示された論拠は「学者」というフレーズが一切登場しないWikipedia:信頼できる情報源#法律についてと上記のように「学者によって」とはっきり明示されているWikipedia:信頼できる情報源#情報源だけで、それらを除いて「学者が論文を書く動機」などといった個人的な推測や論拠のない個人的な「常識」しか示されていませんので、「政治家の見解は信用できる」とはっきりと明言している論拠は一切提示されていません。逆にご自分で「学者の見解は信用できる」と明言しているWikipedia:信頼できる情報源#情報源を示されたはずですが。
小泉親司議員発言のなかの「これ」が防衛庁長官を指しているなどとは申し上げていません。小泉親司議員の発言のなかの「これ」だけではなく発言全体が中谷長官への異論であったと申し上げています。全文引用は長くなるので避けますが、もう少し長く引用します。
  • 「これは、国際法を全く知らない議論だというふうに思いますよ。どうですか。──いや、防衛庁長官ですよ、防衛庁長官を私が指名しているんですから。」
どこからどう見ても小泉親司議員発言は当時防衛庁長官であった中谷氏を向けられていますよね?「私が指名しているんですから」ということですから。そしてどこからどう見ても中谷長官に反駁していますよね?こうした意見があるにもかかわらずあれこれと理由をつけて中谷長官の言い分のみを論拠とし続ける、という行為が非中立的です。
「法域」とは、ある法律がどこで適用されるかという空間的地理的概念」ではありません。119.173.35.101さんはどうやら「法域」と「法適用地域」という言葉を混同しているようです。「法」の「域」が一体どうして「地」の「域」になるのでしょうか?「法」と「地」の違いはわかりますよね?日本の刑法も民法も適用地域は日本ですが、119.173.35.101さんの言い分が正しいことになるのならば日本の民法や刑法の専門家が日本国憲法の専門家にまでなってしまいます。が、それが誤っていることまでわざわざ説明しなければなりませんか?
それに複数の利用者が国会答弁よりも『国際法【新版】』のほうが信頼できるという複数利用者の意見を無視し続けるというWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する対話姿勢も全く改められていません。私が終了させたコメント依頼を再開しコメント依頼を行い第三者意見を募ったのは119.173.35.101さんですが、第三者意見に耳を傾ける意思もなくコメント依頼を行ったのでしょうか?『国際法【新版】』よりも国会答弁出来るという考えがコミュニティの賛同を得られるならば賛同する方が現れるはずですので、ご自分の言い分を繰り返すのではなく第三者意見をお待ちください。119.173.35.101さんに賛同する方が相当数現れるならばこの記事に『国際法【新版】』を論拠として私が書いた個所をすべて除去してもかまいません。逆に信頼性に関して119.173.35.101さんにこのまま異論を呈する利用者だけで賛同する方が現れないならば『国際法【新版】』のほうをコミュニティが信頼するということです。その場合はWikipedia:腕ずくで解決しようとしないに従い119.173.35.101さんには納得していただかなくてはなりません。--Henares会話2014年7月5日 (土) 04:11 (UTC)
Henaresさんの言う『その分野の学者の見解と政治家の見解が異なるならば学者のほうが優先されるという意味です。』というのは、全くNPOVを理解していない発言です。もし、政治家の見解と学者の見解が異なれば、Wikipediaの記事には両論併記が必要になりますよね。
Wikipedia:検証可能性#中立性「全ての記事は中立性の方針(NPOV)を満たさなければなりません。記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。ごく少数派の観点は、それを専ら記述するための記事を除いて、含める必要はありません。複数の出典間で見解が異なる場合、テキスト中で主張者とその言説を表記し、「ジョーン・スミスはXを主張し、一方でポール・ジョーンズはYであるとしている」などと記してください。 出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。多くの信頼できる情報源は中立的ではないことが多いです。編集者の仕事は、単に信頼できる情報源に記載されている主張を忠実に紹介するだけです。」
すでに何回もNPOVを解説していますが、まだ理解できませんか。NPOVが理解できないのなら、Wikipediaの編集は辞めるべきだと思います。
あと、国会委員会議事録で「これは、国際法を全く知らない議論だというふうに思いますよ。どうですか。──いや、防衛庁長官ですよ、防衛庁長官を私が指名しているんですから。」というやり取りは、次の答弁者を防衛庁長官にして欲しい、事務方が答弁しようとしたので、防衛庁長官を答弁者として指名したというやり取りであって、それ以前の部分に対して言っているものではありません。
「法域」についてもまだわかりませんか。「法はそれぞれの法域内でしか効力をもたない。」って書いてあるのですがね。法域も読まれたらどうですか。--119.173.35.101 2014年7月6日 (日) 07:09 (UTC)

中立義務を負うには、その国の一方的行為は必要か[編集]

ある国が中立義務を負うには、その国の一方的行為(中立宣言など)が必要か。

不要。
土屋茂樹「集団安全保障と中立」P57
「しかし、明確な態度または言葉によって反対の意思を表示しない限り、すべての国家は中立とみなされ、中立に由来する権利義務関係が発生し継続する。」
なお、土屋茂樹「集団安全保障と中立」には「一方的行為」という語はないが、そのことが即ち、「一方的行為」は要件にないということである。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
土屋茂樹「集団安全保障と中立」には「一方的行為」という語はない」ということが一体どうして「「一方的行為」は要件にないということである」ということになるのか意味不明。「土屋茂樹「集団安全保障と中立」には「一方的行為」という語はない」のですから、出典のどこにも書かれていない個人的思想を持ち込まないでください。Wikipedia:独自研究は載せないの冒頭部に書かれているこの方針の大原則である「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」という点は無視して引き続き「集団安全保障と中立」を論拠とし続けるのですね。方針文書の冒頭すらいまだご理解いただけていないようで残念です。--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:14 (UTC)
要件に「一方的行為」が入っていないということは、「一方的行為」が要件ではないということです。これは法律学の初歩でしょう。これ以上この件について同様の議論をするということは、今後Henaresさんの悪意と解釈し対処します。--119.173.35.101 2014年7月4日 (金) 17:13 (UTC)
要件に「一方的行為」が入っていないということは、「一方的行為」が要件ではないということ」などという論拠もなく一人で勝手に作り出した概念が「法律学の初歩」ですか。そのような「法律学の初歩」があるのならば一体なぜ『国際法【新版】』という法律学者であり元国際海洋法裁判所判事という法実務者山本草二が著わした国際法の基本書に「すなわち第三国は、一方的行為により中立国としての地位を取得することにより・・・」と書かれているのでしょうか?なぜ「要件に「一方的行為」が入っていないということは、「一方的行為」が要件ではないということ」という「法律学の初歩」が明示的に書かれている資料が提示されていないのでしょうか?「初歩」とまで言うなら書籍の一つや二つくらい提示することは簡単だと思うのですが、なぜそれを提示してくださらないのでしょうか?また、「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」を無視して主張し続けているという指摘は引き続き無視されるのでしょうか?「悪意と解釈し対処」については、Wikipedia:善意に取るをお読みください。--Henares会話2014年7月5日 (土) 04:11 (UTC)
Henaresさんは「要件」という法律用語を知らないのでしょうか。法律要件とか構成要件とか聞いたことありませんか。「要件」とは何かというのは法律学の初歩ですよね。「要件」を理解していれば、「要件に入っていないことは要件ではない」ということは理解しているはずです。
それで、「中立」という状況を得るためには、「一方的行為」が必要とする山本説と、「一方的行為は不要」とする土屋説が対立する訳ですが、もし山本説が1次資料の根拠を持つ2次資料であればWikipediaの記事は両論併記になり、持たないのであれば土屋説のみを記載するというのがNPOVの方針に従った記事の書き方になります。
ただまあ、山本説に従えば、世界のどこかで武力紛争が発生した場合、世界のすべての国が「交戦国」になり、その後、「一方的行為(=中立宣言?)」をした国が、交戦国から中立国に変わる、ということになります。これは、土屋説の、世界のどこかで武力紛争が発生した場合、その他の国は自動的に「中立国」になり、その後、参戦を表明した国のみが中立国から交戦国に変わる、という説明と比べると、明らかに土屋説が合理的でしょう。
もちろんWikipediaは、2つの論を比較して優劣を決める場所ではなく、淡々と両論併記する場所ですから、山本説が「信頼できる2次資料」と言えるなら併記するだけですが。それについては、上のセクションで議論しましょう。--119.173.35.101 2014年7月8日 (火) 14:49 (UTC)

宣戦布告は禁止されているか[編集]

宣戦布告は禁止されているか。

開戦に関する条約は、いまだ有効な条約であり、その条約では宣戦布告は敵対行為(hostility)を行う前に行うべき義務である。
Henaresさんが引用した文章でも「20世紀初頭以降、戦争が違法化されていくにしたがって中立法の継続的妥当性は疑問視され、その適用範囲を狭めようとする傾向が見られるようになった。とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。(137頁より引用)」と、宣戦布告が禁止されているとは書かれていない。
戦争が禁止されたのは1928年のパリ不戦条約からであるが、1941年の真珠湾攻撃では、日本は宣戦布告をしなかったことを非難されている。戦争の禁止が、宣戦布告の禁止を意味しないことはあきらか。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
『国際法【新版】』という論拠に基づく意見に対し一切論拠のない反論。論じるに値しない。--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:14 (UTC)
訂正。「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」が提示されていることを誤認しました。申し訳ありませんでした。誤りを認め謝罪します。おっしゃる通り上記「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」では宣戦布告が「禁止されている」とも「禁止されていない」とも、宣戦布告の禁止に関する情報は書かれていません。この資料から言えることは宣戦布告という行為が「現代的な意義が失われた行為」または「現代においては行われる可能性がほとんどない行為」ということであって、「禁止されている」or「されていない」どちらとも言えませんし、「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」だけを根拠に「禁止されている」or「禁止されていない」と、いずれの結論を導き出したとしても出典に書かれていることに反してしまうでしょう。ですので宣戦布告の禁止について判断するならば別の資料を調査しなければならないと思います。これについては、現在このノートに示されている資料の中ではこちらで『国際法【新版】』とともに提示した『国際法辞典』の記述が最も直接的かと思います。もう一度引用します。
  • 近年、戦争の違法化の下で、開戦宣言は侵略の証拠とされることもあったが、第二次世界大戦後は、国際連合憲章が武力行使を一般的に禁止したため、法的には正式の開戦宣言を行うこと自体が許されなくなったものと解され、1974年の国際連合総会決議「侵略の定義」でもその有無を問題としていない。」(「開戦宣言」、『国際法辞典』、43頁、太字化はHenaresによる)
なぜ一次資料に直接的言及がなければならないと119.173.35.101さんがおっしゃるのかは分かりませんが、これにも国連憲章や国連総会決議という一次資料が示されています。これに対し、「現代で宣戦布告は許容されている」「現代で開戦宣言は合法行為である」などと直接的に示した資料は提示されていません。もっとも、『国際法辞典』も『国際法【新版】』も宣戦布告と集団的自衛権を関連付けておらず、「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」での関連付けも148-151頁で個別的自衛権との関連に関して少しだけ言及がありますが、集団的自衛権と宣戦布告との関連付けは見られません。--Henares会話) 2014年7月4日 (金) 13:21 (UTC)修正--Henares会話2014年7月4日 (金) 13:39 (UTC)
一応『国際法辞典』の当該記述に欠陥があることを示しておきます。次は米国議会調査局レポートです。
(page 27)"States likely still retain a right to issue declarations of war, at least in exercising the right of self-defense; and such a declaration seemingly would still automatically create a state of war."
「国家は未だ、少なくとも自衛権の行使に際し、宣戦布告を発する権利を有し、そのような宣言は自動的に戦争状態を作り出す。」
米国議会調査局のレポートも『国際法辞典』と似たような思考をするのですが、自衛権の行使は国連憲章51条で禁止されていないことに着目し、自衛権行使のための宣戦布告は少なくとも禁止されていないと結論づけています。『国際法辞典』では、自衛権行使のための宣戦布告を考慮するのを忘れて、短絡的に「国際連合憲章が武力行使を一般的に禁止したため、法的には正式の開戦宣言を行うこと自体が許されなくなった」と結論付けています。しかし、「国際連合憲章が武力行使を一般的に禁止した」ということは集団的自衛権も個別的自衛権も否定していますので、理論が誤っていると言わざるをえません。--119.173.35.101 2014年7月11日 (金) 16:22 (UTC)
>第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反になる
IPユーザー氏など一部のユーザーがこの記述に固執していますが、第二次世界大戦後に宣戦布告については、「宣戦布告が禁止されているかされていないか」ではなく、「宣戦布告がないまま(個別的・集団的問わず)自衛権行使」をした場合に、そのことが国際社会から「国際法違反」として扱われる実態があるかどうかについて出典を明示して書いた方がいいと思います。
それがない限り、Henares氏の出典をもって「第二次世界大戦後は宣戦布告がないまま(個別的・集団的問わず)自衛権行使をした場合に、国際社会から国際法違反として扱われる実態がない」との解釈がWikipediaで通ると判断されます。
その場合、第二次世界大戦後の宣戦布告は「現代的な意義が失われた行為」「現代においては行われる可能性がほとんどない行為」と扱っていいものと考えられ、「第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反になる」なる記述は少なくとも第二次世界大戦後には多くの軍事紛争において実態が合わなくなっているため、第二次世界大戦後にも全般的に国際社会で認知されていると受け止められかねない現在の記述について変更すべきです。
IPユーザー氏が出典を示せずに自分の記述に固執する場合は、段取りを経た上で半保護でIPユーザーに編集させないようにすることも視野に入れるべきだと思います。--TempuraDON会話2014年7月5日 (土) 09:02 (UTC)
開戦に関する条約という条約があり、それは未だに有効(市販されている国際条約集には普通載っています)です。その条約によれば、第一条で敵対行為(hostility)の開始前に、宣戦布告あるいは条件付き宣戦布告である最後通牒を発しなければならないとされています。有効な条約は当然出典ですよね。実際イラク戦争ではアメリカは宣戦布告していますし。
なお「固執」というのはどういう意味でしょうか。--119.173.35.101 2014年7月6日 (日) 07:21 (UTC)
Henaresさんの出している『国際法辞典』の記載が不適当な理由を改めて提示します。『国際法辞典』の記載は集団的自衛権あるいは自衛権について述べたものではありません。集団的自衛権と宣戦布告について直接に述べた、中谷長官国会答弁、阪田元法制局長官発言、ラスク発言、国務省文書、米議会調査局報告書に比べて、直接にトピックに関係する物ではありません。さらに致命的なのは、「自衛権のための宣戦布告」「集団的自衛権のための宣戦布告」となった場合、米議会調査局報告書は肯定するのに対し、国際法辞典は考慮すらしていない。あたかも、国連憲章で自衛権が認められていることを忘れているような推論を行っています。このため、国際法辞典の記載は適当ではありません。
また独自研究のタグをはられましたが、独自研究にはあたりません。NPOVでは、どちらの説が優勢かを書くことになっていますが、「集団的自衛権行使の際に宣戦布告は不要」という「直接の出典」(国際法辞典は直接の出典ではありません)がない以上、必要説が優勢であると書くべきです。--119.173.35.101 2014年7月20日 (日) 23:06 (UTC)

「非交戦国(Non-belligerent State)」について[編集]

集団的自衛権のなかに「非交戦国」について記載すべきか。

記載すべきではない。
そもそも、集団的自衛権と「非交戦国」は関連が薄い。
防衛研究所紀要第7巻第2・3合併号 森田桂子『武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性』p.139でも、「現在でも未だに解決を見ていないが」としている確立されていない概念である。国際条約に「非交戦国」を基礎づけるものははないし、国際慣習法にもみあたらない。
少なくとも、書くことを希望する側が、「非交戦国」の根拠となる国際慣習法を示すべきである。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」を論拠に「未だ解決を見ていない」と加筆しようとする者が、「未だ解決を見ていない」とは全く意味が異なる「国際慣習法として成立していること」をなぜ示さなければならないのか意味不明。「未だ解決を見ていない」と加筆しようとするなら「未だ解決を見ていない」という論拠を示せば十分。また、「国際条約もない、国際慣習法もない、主張する学者自体が「解決を見ていない」と言っている、そんな学説(「非交戦国論」)を載せる必要があるのか、というのが私の主張[46]」などという、方針のどこにも書かれていない個人的に勝手に作り出したルールを他人に押し付けないでください。--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:14 (UTC)
「非交戦国」とは何かを分からずに書いている人がいるようなので書いておきます。もともと「非交戦国」とは、第2次世界大戦の初期、中立国であるアメリカが、中立義務に反して、一方の交戦国であるイギリスに武器供与をしたことから出てきた概念で、中立義務に反して非軍事面で交戦国の一方を支援する国を指します。これに対し、集団的自衛権は、世界的には軍隊が行う軍事行動であり、非軍事行動である武器供与などと同列に論じることはできない物です。集団的自衛権の行使が「非交戦国」の枠内で収まることはなく、集団的自衛権を行使すれば交戦国になります。これは2014年7月1日の日弁連の会長声明にも出ています。2014年7月1日日弁連会長声明
「日本が集団的自衛権を行使すると、日本が他国間の戦争において中立国から交戦国になるとともに、国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。」
結局「非交戦国」と「集団的自衛権」は共通点のない概念であり、「非交戦国」の意味を知っていれば、「集団的自衛権」の記事には書くはずもない事項です。--119.173.35.101 2014年7月11日 (金) 16:58 (UTC)

独自研究[編集]

現在の記事の表現は独自研究にあたるか。

あたらない。
独自研究と言う主張は、wikipediaのルール(NPOV、「法域」「専門家」の意味、二次資料の定義など)に対する誤解が積み重なって主張されている物である。--119.173.35.101 2014年6月27日 (金) 18:08 (UTC)
Henaresさんが、ここまでの議論を無視して「独自研究」として記事を消していますが、何をしているのでしょうか。独自研究と言っているのはHenaresさんただ一人ですが、何か書かれていない物でも見えるのでしょうか。議論を無視した編集を回復しておきます。
なお、元内閣法制局長官も次のように言っています。[47]
「そもそも、集団的自衛権の行使とは、他国の防衛のために一緒に戦うことですからね。集団的自衛権を行使する際には政府が決断し、宣戦布告をするわけです。」
独自研究とは言えないですよね。--119.173.35.101 2014年7月14日 (月) 14:38 (UTC)
独自研究と言わざるを得ない部分があると判断しております。--joker会話2014年7月20日 (日) 19:04 (UTC)

この節のまとめ[編集]

この節は、無駄に長いものとなりましたが、そろそろ結論を出す必要があると思います。特に、HenaresさんのWikipediaのルールに関する明らかな誤解部分については、効率的な議論のためにも、早く自認してもらいたいものです。「山本草二著『国際法【新版】』の中立についての記載は2次資料か」、「中谷長官国会答弁は信頼できる一次資料か」や、とくに小節を作りませんでしたが、「専門法域」とか「NPOVの意味」とかの部分も、Henaresさんから根拠を示した反論が無い場合は、Wikipediaのルールに関する誤解を自認したものと扱いたいと思います。ルールに関する誤解を解決しなければ、中身の議論に入れませんからね。--119.173.35.101 2014年7月3日 (木) 15:05 (UTC)

私以外にも複数の利用者が119.173.35.101さんのご意見に対し異論を出していて、119.173.35.101さんに賛同する利用者はノートに一人も存在しません。この状況で119.173.35.101さんの言い分のみを書いた文章の一体どこが「まとめ」なのでしょうか?合意形成もなく、新たな出典も一切示さずに行ったWikipedia:出典を明記するに反するこの加筆で、一人で勝手に議論を終わらせるつおつもりでしょうか?「「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味ですから、現在のwikiの記事の記載と何の矛盾もありません。[48]」という明らかな資料誤読、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に該当しない「集団安全保障と中立」など、「論点整理」では都合が悪い論点は一切説明がありませんが、この点も未だに何を指摘されているのかすら理解できない状況なのでしょうか?--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:14 (UTC)
「この加筆」は私の物ではありません。的外れな非難は訂正してください。
また、「専門法域」や「NPOVの意味」も、納得されたのでしょうか。間違ったことを言って、それを指摘されても、知らん顔を続けるというのは、議論が混乱し進まなくなるので、間違いに気づいたなら、素直に認めて書き込んでもらいたいものです。
なお、「実際には第二次世界大戦後に集団的自衛権を理由に行われたアメリカの参戦などで宣戦布告は行われていない。」というのは明らかな誤りであり、上にも書きましたがイラク戦争ではアメリカは2003年3月17日に宣戦布告[49]を発しています。--119.173.35.101 2014年7月4日 (金) 17:31 (UTC)
「加筆」については誤認しました。IP利用者の方を軽視するつもりはないのですが、どうもIPアドレスの数字の羅列を混同してしまいがちなようです。誤りを認め非礼を謝罪します(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に照らし冒頭に書くことではないとは思いますが)。
複数の利用者が現在進行で119.173.35.101さんに対し異論を呈しているのに対し賛同する利用者は全く存在しないのですから、「まとめ」は取り消してください。
119.173.35.101さんのご意見に私以外にも複数の利用者が異論を呈していて誰一人賛同する利用者が現れないということはどのようにお考えでしょうか?異論を呈している利用者すべてが間違っていてご自分だけが一方的に正しいとお考えなのでしょうか?
「専門法域」に関する119.173.35.10さんのこちらのコメントは、「法適用地域」と「法域」という言葉を混同しているだけです。
「NPOVの意味」については資料が非中立的なのではなく119.173.35.101さんが非中立的なのだとはっきりと説明済み[50][51]。「知らん顔」もなにも、説明しています。
ご提示のホワイトハウスプレスリリースに集団的自衛権(collective self-defence)に関する言及も宣戦布告(Declarations of war)に関する言及なし。もうすでに何度も説明しましたが、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。」(Wikipedia:独自研究は載せない冒頭より)
冒頭に書かれていることが独自研究なのかどうか。これは119.173.35.101さんが提示された資料に本文にようなことが書かれているかどうかという問題です。少なくとも最初に疑問を呈した私はそういうつもりで発議しました。出典に書かれていないことが記事本文に書かれているのならばそのようなものは「信頼できる情報源」かどうか以前に「情報源」ではありませんから。119.173.35.101さんが提示された「集団安全保障と中立」外交防衛委員会議事録ダイヤモンドオンラインのいずれかに119.173.35.101さんが加筆した「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。」という情報が書かれていないのであれば、いくらこれらの資料に信頼性があろうとも、どれほど『国際法【新版】』の信頼性を否定しようとも、独自研究が独自研究であることに変わりはありません。独自研究は資料の問題ではなく執筆者の問題なのですから。そして「「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味ですから、現在のwikiの記事の記載と何の矛盾もありません。[52]」という誤読を論拠としていることや、「その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」に該当しない「集団安全保障と中立」を論拠としていること、「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。」という情報が書かれていいないダイヤモンドオンラインを出典としているという時点で、いくら資料の信頼性を語ろうとも独自研究は独自研究です。もう一度引用しますが「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。」(Wikipedia:独自研究は載せない冒頭より)ということなのですから、文章誤読がある時点で忠実でもなければ、集団的自衛権に関する言及がない時点で直接関連があるわけでもありません。議論によって独自研究が独自研究でなくなることはあり得ませんので、資料の誤読や資料に書かれていない事柄を独自解釈によって導き出すのではなく、「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。」という情報が、119.173.35.101さんの個人的解釈を交えることなくはっきりと明言されている資料を調査しご提示ください。--Henares会話2014年7月5日 (土) 04:11 (UTC)
「まとめ」を取り消せと言われましても。「まとめ」を書くセクションは必要ですからね。普通、各セクションの議論が収束すれば、まとめのセクションもまとまるものですが。しかし、セクションを分けたのに、そちらで議論せず、「まとめ」に長々と書き込まれるといつまでたっても合意に至りませんね。--119.173.35.101 2014年7月6日 (日) 07:29 (UTC)
いつまでたっても合意に至らないも何も、119.173.35.101さんを除いてすべての利用者が119.173.35.101さんが書いた文章を修正することで合意しています[53][54]。119.173.35.101さんの一人がいつまでも納得しないだけです。--Henares会話2014年7月9日 (水) 11:33 (UTC)

修正案[編集]

記事本文の修正案を書きました。こちらをご覧ください。この議論にご参加いただいたすべての方にお知らせをさせていただきます。--Henares会話) 2014年7月9日 (水) 11:37 (UTC)修正案に誤記を確認したため修正しました。文意の変更はありません。--Henares会話) 2014年7月11日 (金) 12:42 (UTC)「ある国家」を修正案に反映。--Henares会話2014年7月12日 (土) 04:13 (UTC)

私が見る限りですが、この修正案で問題点はないと思います。--TempuraDON会話2014年7月9日 (水) 11:53 (UTC)
論外だと思います。第一段落だけを見ても、「かつての戦争の非当事国にまつわる権利義務の総体を中立法といい」と文案はなっていますが、「権利義務の総体」が「中立法」って、主語と述語が一致していませんよね。さらに、
  • 文案「20世紀初頭以降に戦争が違法化されていくにしたがって中立法の適用そのものは否定されないものの、その適用範囲を狭ばめていく傾向がみられた」
  • 原文「但し、中立法の適用自体が否定されないとしても、非交戦当事者である第三国が侵略国、被害国それぞれの交戦国との間で武力不行使あるいは自衛権原則の観点から伝統的な中立法のいかなる範囲の義務を引き続き負うことになるのか不明な点も残されている。
「不明な点も残されている」ですよ。Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはでは、次のようになっており、明らかなNPOV違反ですね。
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない。 もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。」
第2段落は、「非交戦国」について書いていますが、「集団的自衛権」とは何の関係もない記載になっており、「集団的自衛権」の記事中に書く理由がありません。
第3段落も、「集団的自衛権」の説明として何が言いたいのか、趣旨が整理されていない文章ですね。事例が書いてあるだけで、何を立論したいのか明確ではない。一読したところでは、「カンボジアは中立義務を守らなかったので攻撃された」と中立義務違反とその結果を言っているように見えます。しかし、集団的自衛権の定義は「直接に攻撃を受けている他国を援助し」だったはずであり、カンボジアの中立義務(防止義務)違反により「(南ベトナムがカンボジアから)直接に攻撃を受ける」などとなるはずもなく、するとこの事例は集団的自衛権の定義が間違っているということを言うための事例なのかとも思えます。ところが、森田論文では「現代の武力紛争については、中立国が一方交戦国へ行った関与が「武力攻撃」に相当した場合に限り、不利益を受けた交戦国は自衛権の行使を許される」という、アメリカの行動と対立する主張をしています。Henaresさんの文案は、何が対立軸になっているか明確ではありません。もし「集団的自衛権の要件として『武力攻撃を受けた』と言う点が必要かにつき、意見が対立している」という趣旨であれば、そのように書くべきでしょう。
あと、冒頭の文章を消す理由は何も出されていないと思います。--119.173.35.101 2014年7月9日 (水) 15:28 (UTC)
コメント ご苦労さまです。まだ読んでる途中ですが、気になったのでひとつ。冒頭定義文「他の国家が武力攻撃を受けた場合に~」の「他の国家」って日本語不自然な気がするのですがどうでしょうか。「ある国家が武力攻撃を~」ではダメでしょうか。(細かいところでスミマセン。他確認終えたらまたコメントします。)--ぽん吉会話2014年7月10日 (木) 08:34 (UTC)
コメント 既に本文をご覧戴いた方には御承知かと存じますが、念のためご報告です。「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反になる。」の記述について、
  • 深刻な論争がある主張を事実として記さない。 もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。」
に従い、一時的にコメントアウトさせて戴きました。議論が合意、もしくは落ち着いたら、改めて記載致しましょう。--Hackwud会話2014年7月11日 (金) 07:25 (UTC)
合意を経ない変更を元に戻します。
ラスク国務長官の意見は、根拠が何も示されていないので、価値が低いと合意していますよね。「深刻な論争がある」と言えますか。
ラスク発言を汲んで、文章を次のようにすれば良いのですかね。
「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、中立国の地位を捨てる明確な意思表明をする必要があり、中立国のまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反になる。中立国の地位を捨てる意思表明の有無にかかわらず、集団的自衛権を行使した場合、中立国から交戦国に地位が変わることになる。集団的自衛権の行使に当たって宣戦布告が必要かについては、防衛庁長官は国会答弁で、国連憲章51条に規定する集団的自衛権を行使は宣戦布告を行って行使するものであるとしている。一方アメリカのラスク国務長官は、1966年のベトナム戦争(アメリカは宣戦布告を行わなかった)当時、「個別的または集団的自衛権の行使の前に宣戦布告は必要ない」と発言しているが、その根拠は示されていない。--119.173.35.101 2014年7月11日 (金) 17:33 (UTC)
1週間たちましたが、反対はないと言うことで良いですか。--119.173.35.101 2014年7月19日 (土) 14:32 (UTC)
119.173.35.101様、遅くなり申し訳ございません。今しばらくお待ち下さいませんか?遅くとも明日までにご返答申し上げます。--Hackwud会話2014年7月19日 (土) 23:47 (UTC)
119.173.35.101様。”ラスク国務長官の意見は、根拠が何も示されていないので、価値が低いと合意していますよね。”このような合意はしておりません。ラスク国務長官の意見は中谷防衛庁長官の答弁と、同程度と認識しております。119.173.35.101様は、信頼できる情報源#情報源の評価を恣意的に解釈されているように見受けられます。「信頼できる情報源であるどうか」という観点と「その情報源の内容が正確であるかどうか」という観点をご自身の都合で使い分けているのではないかと憂慮しております。検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を再度確認して頂きたく存じます。また、”「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味ですから”と、もとの記述の「対偶」ではなく「逆」や「裏」があたかも真であるかのように解釈されている部分が散見され、残念ながら独自研究と言わざるを得ない現状であると認識しております。--joker会話2014年7月20日 (日) 19:02 (UTC)
Joker/Refereeさんのコメントは今回の提案と無関係のため無効とさせていただきます。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 12:54 (UTC)
119.173.35.101様、「今回の提案と無関係のため無効」とお考えなのですね。他の方はどのようにお考えなのでしょう。それでは、言い方をかえます。ラスク国務長官の議会証言については「根拠」を求めておられるようですが、中谷防衛庁長官が「宣戦布告が必要」と発言した根拠は何でしょう?ラスク公務長官の証言内容にのみ、その根拠を求めるのはおかしいですよね?中谷防衛庁長官の発言内容の「根拠」をお示し下さい。その上で再度申し上げます。”ラスク国務長官の意見は、根拠が何も示されていないので、価値が低いと合意していますよね。”このような合意はしておりません。ラスク国務長官の議会証言は中谷防衛庁長官の国会答弁と、同程度と認識しております。優劣をつけるのであれば、集団的自衛権について制限をしてきた日本という特殊な国の議院内閣制における大臣である中谷防衛庁長官の国会答弁の方が、やや劣ると認識しております。改めて、検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」をご確認下さいますようお願い致します。--joker会話2014年7月23日 (水) 16:48 (UTC)
Joker/Refereeさん。今回の提案とは2014年7月11日 (金) 17:33 (UTC)の提案ですが、Joker/Refereeさんのコメントは、
「第三国には中立の地位に止まる義務がない」というのは、「第三国は局外中立の立場を捨てて、宣戦布告をして交戦国になることができる」と言う意味ですからと、もとの記述の「対偶」ではなく「逆」や「裏」があたかも真であるかのように解釈されている部分が散見され、残念ながら独自研究と言わざるを得ない
って無関係ですよね。それとも、どういう関係があるのでしょうか。--119.173.35.101 2014年7月24日 (木) 14:42 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。「今回の提案」に書かれている内容、すなわち「なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、中立国の地位を捨てる明確な意思表明をする必要があり」という記述は、「第三国には中立の地位に止まる義務がない」という出典を独自に解釈されているという主旨でのコメントをさせて頂いておりました。ご理解頂ければ幸いです。それで、ラスク国務長官の議会証言についてですが、「価値が低いと合意」とコメントされた点は、撤回されたと認識して良いのでしょうか?--joker会話2014年7月24日 (木) 16:19 (UTC)
提案を読まない人と議論しても無駄ですからね。Refree/Jokerさんの2014年7月20日 (日) 19:02 (UTC)のコメントは、提案に書かれていないことへの批判ですから、明らかに提案を読んでいない無関係なコメントであり、「無効」としたまでです。
ラスク国務長官の文書の価値は低いという合意は、[55]に対する[56]ですが、にも関わらず[57]という編集をしていることを言っている訳です。別に撤回するつもりはありません。もし、2014年7月11日 (金) 17:33 (UTC)以前に「ラスク国務長官の文書は価値が高い」と書いている人がいたなら話は別ですが、そうではないのですよね。それで、Referee/Jokerさんは、ラスク国務長官の文書の価値は高いと論じたいのでしょうか。もしそうでないのなら、無意味な論点です。もし論じたいなら相手しますが、2次資料にはならないし、1次資料としても理由を示さない1次資料ですから、どう考えても価値の低い文書でしょう。--119.173.35.101 2014年7月25日 (金) 16:58 (UTC)
119.173.35.101様、一点だけ。中谷長官の発言よりラスク国務長官の発言の価値が低いというわけではなく、中谷長官の発言も、ラスク国務長官の発言も、その当事の政府の立場を見るには重要な発言ですが、「集団的自衛権」そのものを定義しようとするには価値が低いという見方ですので、残念ながらまだ合意には至っておりません。--Hackwud会話2014年7月26日 (土) 01:07 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。 提案 のテンプレートの存在はご存知でしょうか?今後、何か提案をなさる際には、提案のテンプレートをご使用下さいますようお願いいたします。で、改めて申し上げます。中谷長官の国会答弁とラスク国務長官の議会証言とは同等と判断しております。--joker会話2014年7月26日 (土) 12:33 (UTC)
コメント 修正案について1点補足させてください。この修正案はあくまでもこの議論に関連した点のみしか修正していません。つまり、中立に関する点以外は、現状の記事本文と全く同じとしてあります。例えば今記事本文に書かれている集団的自衛権#日本における集団的自衛権は、個人的にはWP:NOT#NEWSWP:JPOVに照らしあまり好ましいものではないと思っていますが(書いておくにしても国家の権利なのだから「日本における」ではなく「日本」ではないかとも思いますが)、この#中立義務についての議題に含まれていないと思われる点については一切修正などしておりません。--Henares会話2014年7月11日 (金) 12:42 (UTC)


コメント 冒頭の定義部分については、Henaresさんの記述に賛成です。「ある国家」については訂正戴いたので、あと気になるのは「固有」ですが、「国家固有の国際法上の権利」で冗長でしたら、http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi033.pdf/$File/shukenshi033.pdf に従い、「国連憲章 51 条では、個別的自衛権のほか、集団的自衛権も、各国の「固有の権利」として定められている。」という記述を加えられないでしょうか。調子に乗って余計な記述をして混乱を招きました。申し訳ありません。不要な部分コメントアウトします。--Hackwud会話2014年7月15日 (火) 03:02 (UTC)
私も「固有の権利」という語は入れるべきだと思います。しかし、Henaresさんの文案の最初の文は「個別的自衛権」の話であって、なぜ集団的自衛権の記事に必要なのか分かりませんし、そういう書き出しなら当然あってしかるべき集団的自衛権との対比は何も書かれていません。なぜ個別的自衛権で終始する記載を入れたか、説明してもらいたいものです。--119.173.35.101 2014年7月16日 (水) 16:39 (UTC)
コメント Henaresさんの第2段落「伝統的に第三国に強制された中立の地位を離脱する事態が生じる。」の「強制された中立」とはどういう意味ですかね。
たしか、Henaresさんは山本草二著『国際法【新版】』の「一方的行為により中立国としての地位を取得する」という「強制された中立」とは相容れない説を推していたはずですが、矛盾に気づいていないのでしょうか。出典から丸写しすれば良いのではなく、出典を理解し、その説が他の説とどういう関係にあるかを理解しないと、編集はできないということです。土屋説も「第三国には中立の地位に止まる義務がない」という立場ですから、「強制された中立」などありえないと考えます。--119.173.35.101 2014年7月28日 (月) 14:26 (UTC)
  • 提案 あまり論点が拡散してしまっても議論に支障が出るように思いますので、ひとまずこの議論では中立と集団的自衛権との関連について述べた記述に論点を絞りませんか?記事全文の修正案が示されているからと言って誤りがあれば記事本文を修正することが特に妨げられるわけではありませんし、修正案を示している私自身も先日申し上げた「日本における」のように、中立に関連した記述を以外の点は個人的に修正したほうがよいと思っていても修正案ではそのままにしています。中立以外に何か議論すべきとお考えの点があれば、別の見出しをノートの末尾に付けて別に発議されてはいかがでしょうか?なお、「ある国家」については、特に現状明記してある出典の記述内容と食い違うものではなく、この議論においても意見の不一致が見られないように思いましたので、記事本文と修正案に反映させておきました。--Henares会話2014年7月12日 (土) 04:13 (UTC)
それで、Henaresさんの文案に直すべきところがあれば、sandbox利用者:Henares/sandbox/cを編集して直せば良いのですか。あまり、こういうやり方は例がないように思います。--119.173.35.101 2014年7月14日 (月) 14:56 (UTC)
賛成 ノートをさかのぼり、追いつきました。Hackwud様Henares様の提案に賛成です。現状では、Wikipedia:信頼できる情報源に照らし、119.173.35.101様より、HackwudHenares様の提示された出典に、より信頼性があると判断いたいします。--joker会話2014年7月14日 (月) 16:39 (UTC)
提案をしているのはHenaresさんで、Hackwudさんではないと思いますが、どの提案に賛成なのでしょうか。また、Hackwudさんは多数の出典を出していますが、どの出典のことですか。また、「どちらの出典により信頼性がある」などという判断をwikipediaではしないのであって、ある程度信頼性があれば、両論併記となることは、NPOVの説明として既に繰り返しこのページに書いてあります。--119.173.35.101 2014年7月15日 (火) 16:06 (UTC)
119.173.35.101様、失礼いたしました。訂正させて頂きました。Henares様の提案に賛成という意味です。私はWikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価といった観点で皆様の提示された資料を検討した次第です。両論であれば併記すれば良いかと思いますが、現段階では、119.173.35.101様は、残念ながら独自の見解に陥っていらっしゃるように判断しております。--joker会話2014年7月15日 (火) 17:30 (UTC)
新たに加筆された「宣戦布告との関係」節とその情報源を少し読みましたが、"G. International Law Does Not Require a Declaration of War as a Condition Precedent To Taking Measures of Self-Defense Against Armed Attack"と、はっきりと自衛権行使に際して宣戦布告が不要(Does Not Require a Declaration of War)という記述を情報源として、一体どうして「開戦に関する条約の宣戦布告義務がなぜ適用されないかについては何も論じておらず疑問が残る」などと、「出典」としている"The Legality of United States Participation in the Defense of Viet-Nam"に一切書かれていない開戦に関する条約などの記述が本文に書かれることになるのでしょうか?これでは"The Legality of United States Participation in the Defense of Viet-Nam"を情報源とした文章ではなく、この資料を読んだ119.173.35.101さんの個人的な感想文、個人的な「疑問」です。このような資料に書かれていない個人的な感想の類は独自研究に該当します。WP:NPOVは、冒頭に書かれている通りWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないを合わせて理解する」ことを求めています。WP:NPOVという方針は、出典にはっきりと書かれていることと出典のどこにも書かれていない個人的感想・独自研究を「中立」に扱うという文書ではありません。「集団的自衛権行使には宣戦布告が必要」とはっきり書かれている情報源がないのならば"The Legality of United States Participation in the Defense of Viet-Nam"に書かれている通り「宣戦布告は不要」という結論で一致しているのですから、Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはが言うところの「深刻な論争」すら存在せず、「宣戦布告は不要」という結論に検証可能な異論は存在しません。119.173.35.101さんの個人的な感想を検証可能な情報源にはっきりと書かれていることに優先して扱わないでください。そしてご自分がコメント依頼で募った第三者のみなさまの複数が119.173.35.101さんの方針へのご理解に疑問を呈しているのですから、ご自分の対話姿勢がWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反するものではないとおっしゃるならば、一度時間をかけて三大方針を読み返してください。--Henares会話2014年7月21日 (月) 02:00 (UTC)
「『集団的自衛権行使には宣戦布告が必要』とはっきり書かれている情報源」なら既に阪田元内閣法制局長官の新しい見解を示しています。
日刊ゲンダイ 阪田雅裕元内閣法制局長官「ルビコンを渡れば歯止めが利かない」” (2014年7月14日). 2014年7月14日閲覧。 “そもそも、集団的自衛権の行使とは、他国の防衛のために一緒に戦うことですからね。集団的自衛権を行使する際には政府が決断し、宣戦布告をするわけです。”
提示された文章は、精読されることをお勧めします。
また、開戦に関する条約第一条は、宣戦布告の法的根拠ですから、「出典のどこにも書かれていない」などという話にはなりません。宣戦布告の話をする以上その法的根拠から離れることはできません。論文に、その法的根拠に記載された義務についての理由付けが全くないのであれば、「疑問が残る」と言うほかないでしょう。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 13:41 (UTC)
独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。」(Wikipedia:独自研究は載せない冒頭より)
一体何回この文章をご案内差し上げたでしょうか?出典のどこにも書かれていないことを書いておいて、一体どうして「その資料に記された内容に忠実に記述」ということになるのでしょう?これは「法的根拠」の話ではなくまぎれもなく「出典のどこにも書かれていない」などという話です。すでに複数の利用者から指摘されているのですから、いい加減にご自分が方針冒頭部に書かれている基本中の基本すらを全く理解出ていない状態だということを自覚してください。119.173.35.101さん個人が資料に書かれていることを理解できないからと言って個人的な「疑問」を記事に書かないでください。他人が提示した資料の信頼性にあれこれと文句をつけておきながら今度は日刊ゲンダイですか。さすがに呆れました。"The Legality of United States Participation in the Defense of Viet-Nam"や『国際法辞典』という日刊ゲンダイより信頼性で勝る資料に食い違うことが書いてある以上、Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはが言うところの「勢力差」は日刊ゲンダイに書かれていることを無視して差し支えないレベルです。「一次資料に基づいていることの証明」のように、また都合のいい信頼性の理屈を恥ずかしげもなく堂々とひねり出して日刊ゲンダイが国際法学の専門の資料だとおっしゃるおつもりですか?119.173.35.101さんは方針理解できていないだけでなく出典の信頼性に関しても正常な判断ができていません。いずれにせよ「「出典のどこにも書かれていない」などという話にはなりません。」などと、Wikipedia:検証可能性を根本的に無視したことをおっしゃる時点でウィキペディアの三大方針の基本中の基本を全く理解できていません。これではお話になりませんので、方針を熟読してください。--Henares会話) 2014年7月22日 (火) 14:32 (UTC)修正--Henares会話2014年7月22日 (火) 14:34 (UTC)
こんどは「独自研究」と「信頼性」の問題の区別が出来ないのでしょうか。まず、独自研究でないことを認めることです。
Henaresさんは、今までも動かぬ証拠を突きつけられても、それを認めることをしないという行動パターンを続けてきました。
  • 2次資料は1次資料に基づくべきことをWikipediaの方針の基づいて突きつけられても、知らぬ存ぜぬを続けています。
  • 山本草二著『国際法【新版】』が2次資料であることの根拠を求められても、知らぬ存ぜぬを続けています。
  • Wikipedia:信頼できる情報源#法律についての「法域」の意味について、「法が適用される地理的範囲」だという動かぬ証拠を示されても、いまだに知らぬ存ぜぬを続けています。
  • 「防衛庁長官は戦時国際法の専門家か」「内閣法制局長官は戦時国際法の専門家か」という問いに対して、法学者だけが専門家だと、誤ったことを言い、それが誤りだと示されても、知らぬ存ぜぬを続けています。
  • NPOVが両論併記だと何度指摘しても、いまだに信頼性が高い一方を書くと、Wikipediaの方針に反することを言い、知らぬ存ぜぬを続けています。
他にもありますが、wikipediaのルールを守ったらどうですか。
日刊ゲンダイもマスコミですから、阪田元法制局長官の発言は2次資料になります。
これに対し、「国際法辞典」は集団的自衛権について書かれた物ではなく、しかもそのことが致命的な影響を与えていますから、集団的自衛権の2次資料としては使えません。集団的自衛権を念頭に置いていない記載ですから、仕方ないですね。
それで、ラスク発言ですが、なぜ宣戦布告が不要なのか分かりますか。そもそも宣戦布告の法的根拠をHenaresさんは理解していますか。法的根拠を理解しているのなら、それに照らして、どこに宣戦布告が不要なのかが示されているか、示してください。示せないのであれば、疑問が残りますよね。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 16:26 (UTC)
2次資料は1次資料に基づくべきことをWikipediaの方針の基づいて突きつけられても、知らぬ存ぜぬを続けています。」とおっしゃいましても、twitterや国会答弁のような一次資料に基づいて執筆しているのは119.173.35.101さんです[58]。上記では「法域」と「地域」という初歩的日本語の誤用など、もうすでに私や他の方が説明したことばかり繰り返していらっしゃいますが、また同じことを説明しなければならないでしょうか?それから出典に書かれていないことを書いているという当初の指摘からいつの間にか議論がずれていますが、ご自分が出典とした資料が「一次資料に基づいていることの証明」をふくめ、都合の悪い他者の指摘はこのように[59]一人で勝手に無効扱いにするつもりでしょうか?--Henares会話) 2014年7月23日 (水) 11:27 (UTC)誤字--Henares会話2014年7月23日 (水) 11:34 (UTC)
日刊ゲンダイもマスコミですがタブロイド#日本に例示されているタブロイド新聞ですよね。タブロイド新聞はWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源とされていますね。--joker会話2014年7月23日 (水) 17:32 (UTC)
  • 提案 「宣戦布告との関係」節を除去することを提案します。119.173.35.101さんがこの節の主要な部分を加筆した[60]ときより以前から、「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」などという意見に対しては議論に当初から参加している私以外の利用者からも反対意見がありましたし[61]、加筆の後もjokerさんや私から異論はありますが、119.173.35.101さんを除いてこれを支持する意見は一切ありません。なぜこうしたことを書くことが不適切なのかについてもすでに複数の利用者が119.173.35.101さんに対して解説済みであり、除去することに反対する利用者が119.173.35.101さんだけであるのならば、もうこれ以上説明して差し上げる必要はないと思います。--Henares会話2014年7月26日 (土) 07:16 (UTC)
  • 反対 1次資料であれ2次資料であれ出典のある文章を消すのは、基本的になしですから。6個も出典があるのに、セクション丸ごと消すというのはあり得ないでしょう。加えて、「ラスク証言は価値が低い」に対して猛反発していた人が、消すのに賛成とは目を疑います。--119.173.35.101 2014年7月28日 (月) 13:55 (UTC)
  • コメント 119.173.35.101様、誤解の無いように申し上げます。このノートの議論に参加して以降、特定の資料の「内容」について優劣をつけたコメントはしていないと思います。検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」に照らして各資料を判断させて頂いているだけです。よく読み返して下さい。ラスク長官の証言について疑義を申し上げたのは、中谷防衛庁長官の証言は価値があり、ラスク国務長官の証言が低い、という偏った資料の位置づけをなさっていたからです。ラスク国務長官の証言について、「理由を示さず」と記事に書かれるのでしたら、中谷長官の答弁にも「理由を示さず」と記すべきです。また、日刊ゲンダイについてはWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源であり、1つの1次資料と信頼性に乏しい情報源のみを出典としてて、「日本では支配的である」との記述は明らかに独自研究です。そもそも、「1次資料であれ2次資料であれ出典のある文章を消すのは、基本的になしですから。」というコメントを書かれる段階で、残念ながらWikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご理解されていないように判断しております。--joker会話) 2014年7月28日 (月) 15:22 (UTC)修正--joker会話2014年7月28日 (月) 15:39 (UTC)
NPOVに従えば、WP:YESPOV「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」は編集者に求められることですから、使用可能な出典を見て、判断すればよいことであって、国内で「集団的自衛権行使の際、宣戦布告は不要」という説を理由を示して論じている出典が皆無であれば、「宣戦布告が必要と言う説が支配的」と書いて何の問題もありません。また、既に述べましたが、開戦に関する条約という有効な条約がある以上、集団的自衛権行使(政府見解では武力行使になる)に「宣戦布告が必要」というのは、条約に従っているのに対し、「宣戦布告は不要」というのは、条約に反する結論ですから、理由が求められることになります。
あとWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源には、タブロイド紙を出典にできないとは書いていないですね。元内閣法制局長官の見解であり、十分信頼性があると考えます。何かガイドライン違反とかありますか。--119.173.35.101 2014年7月29日 (火) 15:33 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。まず、タブロイド紙についてコメントいたします。タブロイド紙はWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源に上げられていますが、その大元の節はWikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源になります。すなわち、原則タブロイド紙は信頼出来ないとされる情報源にあたります。これに対して、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料と判断できる"The Legality of United States Participation in the Defense of Viet-Nam"や『国際法辞典』等、他の方が提示された出典をことごとく取り上げず、ご自身の都合の良い出典だけを取り上げ、「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」ことを妨げております。「日本では支配的」と記述するには、そのように述べている独立した二次資料が必要でしょう。「という意見が日本では見られる。」これなら、事実ですが「という見解が日本では支配的である。」これは、意見でありWikipedia:独自研究は載せない#判断を下さない表現が好まれますに反しております。さらに、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源も記述されております。これらをお読みになった上て、Twitterを出典とするような記事を書かれたのでしょか?そうであるならば、検証可能性について、再度ご確認頂くようお願いするしかありません。次に、宣戦布告の理由ですが、開戦に関する条約がある以上不要だ、とおっしゃいますが、中谷長官はその条約に基づいて答弁したという二次資料はありますか?また、この条約は、集団的自衛権の行使に関しての条約ではありませんよね?一方、国連憲章第2条4項の「武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」という内容から、原則「武力の行使」が禁止されており、それを根拠として「宣戦布告の必要はない」とラスク長官は証言したのかもしれません。いずれにせよこれらはすべて「意見」であり独自研究です。検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を再度ご確認して頂き、Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかも合わせてご覧頂ますようお願い申し上げます。--joker会話2014年7月29日 (火) 17:30 (UTC)
用語はきちんと使いましょう。「信頼性に乏しい」と「信頼できない」は意味が違います。言い換えているうちに、意味が違って来ているのは、恥ずかしいですよね。
"The Legality of US participation"の方の信頼性ですが、信頼性はWP:SOURCES「創作物自体」「創作物の製作者」「創作物の出版機関」の3要素から判断しますが、「創作物自体」が決定的にダメです。Wikipediaの方針には「その情報源を採用するに相応しいかどうかは記事の内容に関係してきます。一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。」とありますが、原文の英語版ではen:wp:sources"The appropriateness of any source depends on the context. The best sources have a professional structure in place for checking or analyzing facts, legal issues, evidence, and arguments. The greater the degree of scrutiny given to these issues, the more reliable the source."「情報源の適切さは、内容に依存します。最も良い情報源は、事実、法的側面、証拠および主張を検証し分析する専門的な構造を持っています。これらの点につき、より多くの精査が加えられたものがより信頼できる情報源になります。」開戦に関する条約の義務を何も検証していない点において、「創作物自体」の信頼性がほとんどないことになります。
『国際法辞典』がダメなのは、既に述べましたが、「武力行使は禁止されている。だから宣戦布告は禁止されている。だから武力行使をする際に宣戦布告はしてはいけない。」という理屈で、3段目が大前提である1段目と矛盾していて成り立たないためです。『国際法辞典』自身は2段目までしか言っておらず、それを使って3段目を言おうとすることは、Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料にある「直接的かつ明示的」でないためできません。
>「日本では支配的」と記述するには、そのように述べている独立した二次資料が必要でしょう。
これは完全に間違っていると言っておきましょう。WP:UNDUE"Keep in mind that, in determining proper weight, we consider a viewpoint's prevalence in reliable sources, not its prevalence among Wikipedia editors or the general public."「適正な重みを付けるに当たって、信頼できる情報源におけるVP(View Point)の支配性を考慮するのであって、Wikipediaの編集者における支配性や一般における支配性を考慮するのではない、と言う点を肝に銘じてください。」提示された情報源の多い方が支配的になるのですから、宣戦布告必要が2で、不要がゼロですから、「必要」が支配的となる訳です。ですから、ハッキリ宣戦布告は不要と理由を示して書いてある文章を探せば良いのではないですか。--119.173.35.101 2014年7月31日 (木) 16:44 (UTC)
いったいいつまでWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないを無視し続けるおつもりでしょうか?いい加減にしてください。
{{告知}}を行っていますから、もうしばらく待ってそれでも「宣戦布告との関係」節の存置に賛同する利用者が119.173.35.101さんだけならば、ノートでの議論で否決された記述として「宣戦布告との関係」節を除去して問題ないと思います。もとよりこの節は「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」などと記述することに対して複数の利用者が反対しているのを無視して強行されたものですし、これだけ複数の利用者から反対された上で除去した後も119.173.35.101さんが他者意見を無視した復元を強行するならば、記事の半保護などもやむを得ないと思います。--Henares会話2014年8月1日 (金) 11:21 (UTC)
Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの「方針ではこうであると明示されても、(略)「納得する」ことを意図的に拒否している」というのは、まさにHenaresさんにピッタリの態度ですね。HenaresさんはWikipediaの方針やガイドラインを曲解しているという自覚がないのでしょうね。また「あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「納得する」ことを意図的に拒否している」というような、熟練した方々はどこか出てこられたでしょうか。
>「宣戦布告との関係」節の存置に賛同する利用者が119.173.35.101さんだけならば、ノートでの議論で否決された記述として「宣戦布告との関係」節を除去して問題ないと思います。
これもまた、HenaresさんはWikipediaの方針とガイドラインを何も理解していないという証明ですね。--119.173.35.101 2014年8月6日 (水) 16:05 (UTC)
コメント 119.173.35.101様、コメントありがとうございます。
>用語はきちんと使いましょう。「信頼性に乏しい」と「信頼できない」は意味が違います。言い換えているうちに、意味が違って来ているのは、恥ずかしいですよね。
このコメント、そのままお返し致します。ウィキペディアでは、Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源となっております。「信頼できない」となってますよね?きちんと確認せずコメントするのは恥ずかしいですよね。
再度申し上げますが、検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」をお読み下さい。
>>「日本では支配的」と記述するには、そのように述べている独立した二次資料が必要でしょう。
>これは完全に間違っていると言っておきましょう。
こちらのコメントも、そのままお返しいたします。「開戦に関する条約」が存在するだけで、発言の根拠とはなりえません。例えば、ニカラグア事件判決により集団的自衛権行使の要件が示されているのですから、中谷氏・阪田氏はこの判決にそぐわない答弁・回答をしていることになります。「開戦に関する条約」と両者の答弁・回答との「因果関係」を示す信頼できる資料をご提示下さい。Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義にて、「事実」と「意見」、そして「情報源」を正しくご理解下さい。また、Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなも併せてご確認下さい。「宣戦布告が出来ない」との記述について議論する必要はありません。「宣戦布告が必要」と記述したいのであれば、信頼できる出典を提示して下さい、と申し上げております。タブロイド紙である日刊ゲンダイは、通常は信頼できない情報源です。中谷長官の国会答弁は一次資料です。WP:PSTS#一次資料と二次資料を良くご理解下さい。残念ながら119.175.35.101様は、検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を正しく理解されていないように判断致しております。「宣戦布告が必要」と異なる見解・考えには、「宣戦布告が不要」だけではありません。「宣戦布告そのものが認められない」「宣戦布告は意義を失った」「宣戦布告は事実上不可能」といった見解が、無差別戦争観から戦争違法化への時代変化によって、存在している可能性もあります。ご自身に都合の良い二項対立のみを提示して、論点をずらすことはおやめ下さいますようお願い致します。この点については、「誤謬」が119.173.35.101様の参考になるかと思います。
「宣戦布告が必要」である「信頼できる出典」を提示できれば済むことです。現在、そのような出典が提示されておりません。また、「日本では支配的である。」「戦布告義務がなぜ適用されないかについては何も論じておらず疑問が残る」といった表現は、WP:UNDUE#フェアであることと、好意的な立場Wikipedia:言葉を濁さないWikipedia:避けたい言葉Wikipedia:大言壮語をしないといった項目をご参照の上ご自省頂き、今後の編集に活かして下さいますようお願い申し上げます。--joker会話2014年8月1日 (金) 17:13 (UTC)
>このコメント、そのままお返し致します。ウィキペディアでは、Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源となっております。「信頼できない」となってますよね?きちんと確認せずコメントするのは恥ずかしいですよね。
ついに嘘までつき出したようですね。どこにタブロイド紙が信頼できないと書いてあります。「信頼性に乏しい」と「信頼できない」ぐらい区別できるよね。--119.173.35.101 2014年8月5日 (火) 16:34 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。リンクも貼ってあるのですから、きちんとリンク先をお読み頂けませんでしょうか?Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源という節の中に、4つの項目が存在しており、その1つがWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源であり、その例としてタブロイド紙が上げられています。何が原則であるかご理解できますでしょうか?そこまで解説しなければなりませんか?いずれにせよ、「宣戦布告が必要である」という信頼できる資料はご提示できないことだけは確認できました。ありがとうございます。--joker会話2014年8月5日 (火) 18:35 (UTC)
そのルールの意味を理解してから書いたらいかがでしょうか。「通常は信頼できないとされる情報源」であり、例外的に信頼できる場合が多数記載されている訳です。まず、「自主公表された情報源」のうち「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。」は信頼できる情報源です。次に「自主公表された情報源:公式サイト」のうち「自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。」は信頼できる情報源です。そして、「信頼性に乏しい情報源」のうち「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。」は信頼できる情報源です。「通常は信頼できないとされる情報源」に記載されてる4類型すべてが「信頼できない情報源」という訳ではなく、そのルールはそれらの中で「信頼できる情報源」となるのはどういうものかを示しているのです。--119.173.35.101 2014年8月6日 (水) 15:48 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。
>そのルールの意味を理解してから書いたらいかがでしょうか。
仰るとおりかと思います。Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源のノートなり過去ログをご覧になれば、ルールの主旨は分かることです。例外的なものが多数挙げられていようと、例外は例外、原則は原則。それだけの話しです。それで、119.173.35.101様流のルール解釈で、「通常は信頼できないとされる情報源」であるタブロイド紙の日刊ゲンダイが今回は例外的に信頼できる情報源であると言える根拠などがありましたら、お時間があるときにでもお聞かせ下さい。ただ、この点はもはやどうでも良い話です。上記でもコメントさせて頂きましたが、私はこの節の除去に賛成ですので、「宣戦布告が必要」と記述したいのでしたら、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側ににあるように、信頼できる情報源をご提示下さいね。--joker会話2014年8月6日 (水) 16:20 (UTC)
辛抱強く対話を継続されるjokerさんには尊敬の念を抱きますが、ひたすらに自己正当化と他者否定に終始していることから119.173.35.101さんが他者意見に耳を傾けるご意思を全くお持ちでないことが明らかであり、最初のこの出典皆無の加筆を正当化すること自体が目的で議論や執筆を行っているとしか思えません。これ以上対話を継続したとしてもまともに話が通じる相手とは考えにくく、119.173.35.101さんに対して方針や他者意見へのご理解をこれ以上期待することには無理があると思います。また119.173.35.101さんは礒崎陽輔総理補佐官のTwitterを出典として掲載していますが、確証はありませんが磯崎様ご本人とも受け取りうる方からも異論を頂いています[62]。ご本人かどうかにかかわらず磯崎総理補佐官のご発言を含め他の政治家の発言を引用したうえで現状の記述を否定していらっしゃいますので、日本の政治家の間ですら119.173.35.101さんがおっしゃるような考え方はなされていないことが明らかだと思います。またもしもご本人様であるのならば、出典とする資料の著者(礒崎陽輔総理補佐官)の意図からこれほど食い違っている時点でそもそも礒崎陽輔総理補佐官のツイート[63]を情報源とした記述とは到底言えないでしょう。もうすでに119.173.35.101さんのご意見を否定する合意は形成済みであって119.173.35.101さんおひとりがいつまでも納得しないだけの状況です。中立との関係に関する加筆についてはもう少し待ってもよいかと思いますが、119.173.35.101さんがどのようなご意見を発するかにかかわらず「宣戦布告との関係」節は出来るだけ速やかに除去すべきと考えます。--Henares会話2014年8月7日 (木) 15:29 (UTC)
Henares様、コメントありがとうございます。ご指摘の通り、ウィキペディアのリソースを無駄にしてしまったのかもしれない、と反省しております。119.173.35.101様が、ウィキペディアの方針・ガイドラインを理解し、良きウィキペディアンとなることを期待し過ぎたのでしょうか。礒崎陽輔総理補佐官のTwitterについては、ノートへのコメントがご本人様かどうか判断しかねますが、礒崎陽輔氏の一連のツイートから、特定のツイートのみを非中立的に引用したことが明白となったことは確かであると判断しております。明らかに独自研究と言える節ですので、私もこの節の速やかな除去に賛成しております。--joker会話2014年8月7日 (木) 17:37 (UTC)
「宣戦布告との関係」節をすべて除去しました[64]jokerさんによる説得の試みが電算的資源の無駄であったとは個人的には思いませんでしたが、これほど多くの利用者からの異論を一切無視するような方に対してこれ以上の説得を試みることはjokerさんを含めウィキペディアの人的資源の無駄だと思います。さらに119.173.35.101さんが「宣戦布告との関係」節やそれに類似する記述を復元させたり、出典に書かれていないことを記事本文に書くといった活動が見られるのならば、すでに複数利用者の説得が不調に終わっていますことからログイン利用者であればWikipedia:投稿ブロック依頼の対象かと思いますが、対象がIP利用者ですのでWikipedia:半保護の方針#半保護とその解除,3.の事例として記事の半保護を依頼するか、またはWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへの通報が望ましいと考えます。--Henares会話2014年8月9日 (土) 02:59 (UTC)
一方的な除去を回復しました。除去する理由は示されていないと考えます。
正直申しまして、henaresさんのWikipediaの方針やガイドライン(NPOV、二次資料、法域、合意形成の方法)を無視する態度、ノートページでの議論に真面目に応じない態度(上の「中立」「山本草二著『国際法【新版】』の中立についての記載は2次資料か」「中谷長官国会答弁は信頼できる一次資料か」「中立義務を負うには、その国の一方的行為は必要か」「宣戦布告は禁止されているか」「 「非交戦国(Non-belligerent State)」について」のいずれ節においても、Henaresさんの説の誤りが示されると、関係のないことを書き込んで自説の誤りを認めない)は誰の目にも明らかだと思います。--119.173.35.101 2014年8月9日 (土) 14:47 (UTC)
119.173.35.101様、Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京における第三者コメントはご覧になられましたか?第三者の方からは119.173.35.101様のWikipediaの方針・ガイドラインに対する理解不足が指摘されておりますよね?また、告知のテンプレートを貼付以降、合理的な期間が継続しており、その間、この節が独自研究でないとする信頼できる資料は提示されませんでした。そのような中で、一方的な差し戻しを行っているのは119.173.35.101様であると判断しております。この一件を持って、Wikipedia:保護依頼をさせて頂きます。
なお、Henares様の誤りとコメントされておられますが、そのように考えておられるのは、119.173.35.101様お一人かと思われます。なお、「非交戦国(Non-belligerent State)」について「集団的自衛権」と共通点の無い概念とコメントされておりましたが、先に提示のあった、森田桂子氏の論文を読んだ上でのご発言なのですよね?、参考までに資料を追加で提示します。憲法第9条の交戦権否認規定と武力紛争当事国の第三国に対する措置(松山健二著)P.93 Ⅲ-2 PDFまた、第168回国会でのテロ対策特別措置法に関する資料 P.183 PDFなどもございますので、ご一読頂ければと思います。--joker会話) 2014年8月9日 (土) 23:15 (UTC)修正--joker会話2014年8月9日 (土) 23:44 (UTC)
「一方的な差し戻し」というのは、単に現状を維持するだけであり、合意が成立していない以上、許容されると考えます。許容されないのは、「一方的な削除」の方ですよ。
資料読みました。「憲法第9条の交戦権否認規定と武力紛争当事国の第三国に対する措置」ですが、
>非交戦国選択可能説では、武力紛争当事国の一方を支援する国際法上の根拠として集団的自衛権の行使を挙げるものがあるが(57)、これに対して、武力行使による支援は集団的自衛権の行使としてなされるものの、武力行使以外による支援については国際法が一般的に認める範囲であるとする見解もある(58)。
という所しか非交戦国と集団的自衛権の関係はないですよね。両説が対立しているとあります。脚注57をたどると[65]"Nor is there any reason for interpriting Article 51 as permitting only such assistance on behalf of the victim of an armed attack as involves the use of armed force."とあるのみで、それ以上の理由は示されていません。
テロ対策特別措置法に関する資料p183
>集団的自衛権の下での最小限の武力の行使は「非交戦国」との地位と両立し得ることは国際司法裁判所判決でも示されており、どこまでが「非交戦国」としてとりうる措置なのかということを詰めておかなければならない。
とはありますが、本当にそのような国際司法裁判所の判決があるんですかね。検索しても見つかりませんでしたが。--119.173.35.101 2014年8月11日 (月) 16:17 (UTC)
119.173.35.101さんが行ったのは「現状維持」ではなく、ノートでの複数利用者の反対意見を無視した編集強行[66]復元の繰り返しです。119.173.35.101さんが正しいとおっしゃるのならば、なぜご自分が記事の編集権をはく奪されたのかをよくお考えください。また、出典にはっきりと書かれていることを、検索しても見つけられないからなどという個人的理由で否定しようとしないでください。そのようなことをおっしゃっている時点でいまだにWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないを全く理解できていません。ノート:離散フーリエ変換Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京、そしてこのノートページと、ご自分がかかわったすべての議論において、関わったほぼすべての利用者から三大方針(WP:V,WP:NPOV,WP:NOR)が理解できていないことを指摘されているのですから、いつまでも納得しないで方針を理解した「つもり」になって個人的方針誤読を他者に押し付けるのではなく、いい加減に方針への理解を深める努力をしてください。--Henares会話2014年8月12日 (火) 12:45 (UTC)
  • コメント すでに複数の利用者が集団的自衛権行使のためには宣戦布告が必要とした中谷長官国会答弁よりも、これを否定した記述がある『国際法【新版】』『国際法辞典』に信頼性があると指摘してきたにもかかわらず、IP:119.173.35.101会話 / 投稿記録さんによりこれらの意見を無視した加筆が強行されましたので除去しました[67]修正案を提示してから2週間近く経ちましたが、中立に関する論点に関してだけ言えば119.173.35.101さんを除き大きな異論はないように思います。さらに1週間程度上記修正案に対して119.173.35.101さん以外に異論がない場合には、119.173.35.101さんおひとりがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに抵触した形で議論に参加しているだけでコミュニティの合意は成立と判断して差し支えない考えています。--Henares会話2014年7月20日 (日) 05:29 (UTC)
すでにNPOVについては何度も説明しましたが、意見の対立がある場合は両論併記するというのがNPOVであり、それに反対ならHenaresさんはWikipediaの編集はやめてください。
また「加筆を強行」と言いますが、Henaresさんは「中立」についてのみ編集したいと明確に言っていますよね。Henaresさんは宣戦布告については、修正案に何も書いていません。そのような中で、宣戦布告について記載するのがなぜ「加筆を強行」などとなるのでしょうか。しかも、内容はこのトークページに出てきた議論をNPOVの観点からまとめて、書いたものです。
HenaresさんのNPOVに対する行為についてコメント依頼しておきました。[68]
また中立についての修正案も、集団的自衛権についてあまり関係ない事項に終始しており、日弁連の中立についての意見、中立義務(特に避止義務)と集団的自衛権の関係といった、重要なことを書かず、さらに自分の砂場で案を作り、他人の寄与を認めないような態度(砂場に記入して良いかという質問は回答せず無視している)は決して許されることではありません。
加えて、Henaresさんが固執しているのに、相手を「腕ずくで解決しようとしな」などと個人攻撃しています。態度を改めて下さい。--119.173.35.101 2014年7月20日 (日) 06:16 (UTC)
それではなぜ複数の利用者が修正案に賛同を示し、119.173.35.101さんがおっしゃる出典の信頼性や方針への理解に賛同する方が一人もいないのでしょうか?なぜ中立の論点について119.173.35.101さんに賛同する利用者が存在しないのでしょうか?ご自分だけが正しくて他の利用者すべてが誤っているとでもおっしゃるのでしょうか?どれだけ異論が集まっても他者の異論に対しご自分だけが延々と再反論し続ければご自分の言い分が通るとでもお考えなのでしょうか?すでに記事を半保護にするなどといった方法で119.173.35.101さんを記事の編集から強制的に排除すべきとのご意見もあります[69]。ご自分の言い分を押し通すことではなく他者意見に耳を傾けることをお考えください。なお、対案の文面を示したいのならばアカウントを作成してご自分用のサンドボックスを使用するか、Wikipedia:サンドボックスをご利用ください。--Henares会話2014年7月20日 (日) 06:37 (UTC)
  • コメント 6月9日にコメント依頼がなされて[70]、このコメント依頼は現状も有効であるのにもかかわらず、さきほど119.173.35.101さんにより再びコメント依頼がなされました[71]。が、一度目のコメント依頼以降この議論にご参加いただいた第三者の方々の中に119.173.35.101さんに賛同する方が一人もいなかったのにもかかわらず、同一の論点について再度コメント依頼を行うという行為は、明らかにWikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングに反しています。--Henares会話) 2014年7月20日 (日) 06:51 (UTC)修正--Henares会話2014年7月20日 (日) 06:52 (UTC)
会話ページでWikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングなどの問題点を指摘しどちらか一方のコメント依頼を除去するように求めたのですが[72]応じていただけないため、このままではこの記事以外の用途でコメント依頼を活用しようとお考えの無関係の方々にもご迷惑がかかりかねないと判断し119.173.35.101さんによって行われたこの#中立義務についてへの二度目のコメント依頼[73]Wikipedia:コメント依頼から除去しました[74]。フォーラム・ショッピング行為を始めたうえ指摘を受けても改めない、複数の利用者が異論を呈しているのとほぼ同趣旨の宣戦布告に関する記述を提案もなく加筆する[75][76]など、他者意見を無視するいつまでも納得しない対話姿勢はさらに悪化しているという印象を受けました。--Henares会話2014年7月21日 (月) 01:01 (UTC)

利用者に対するコメント依頼[編集]

IP:119.173.35.101会話 / 投稿記録さんについてですが、せっかくノートへのコメント依頼でお越しくださった方のご意見を一人で勝手に無効扱いしようとするなど[78]、他者意見に耳を傾ける意思・能力をお持ちなのかきわめて疑問を感じましたので、このままでは議論に支障をきたすと考えWikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京を提出させていただきました。--Henares会話2014年7月23日 (水) 11:20 (UTC)

日本の政治家や学者が主張している事柄との記述について[編集]

冒頭部に集団的自衛権について「日本国の一部の政治家が主張している事柄である[79]」、「日本国内の一部の法学者や多くの政治家らが主張している権利である[80][81]」といったことが繰り返し加筆されています。が、その情報源は何なのでしょうか?記事本文にも書かれているように集団的自衛権は国連憲章51条に定められ、国際司法裁判所も"First, with regard to the existence of this right, it notes that in the language of Article 51 of the United Nations Charter, the inherent right (or "droit naturel") which any State possesses in the event of an armed attack, covers both collective and individual self-defence. Thus, the Charter itself testifies to the existence of the right of collective self-defence in customary international law"(1986年ニカラグア事件国際司法裁本案判決, p.102-103, para.193より引用)と、集団的自衛権が国連憲章51条や慣習国際法上認められた権利であることを明言しています。この集団的自衛権が日本の一部の学者や政治家(あるいはその多く)が主張しているだけの事柄といえるでしょうか?日本の学者が集団的自衛権を国際法上の権利として認めていることは本文に明記されている日本人論者が著わした著書に書かれていることですが、日本人以外の学者の論文でも集団的自衛権が国連憲章51条に基づく権利と書かれていますし(例:こちらのp.933, 941、こちらのp.1)、ウィキペディアの方針上は学者だけで十分だとは思いますがもし仮に学者だけでは駄目だというのならば、上記ニカラグア事件でアメリカ政府は公式に集団的自衛権が国連憲章51条に基づくものと主張しています(こちらのp.133-134, para.438)。北大西洋条約機構の公式ホームページ[82]では集団的自衛権が北大西洋条約5条に定められているとしていて、実際に北大西洋条約5条には"collective self-defence"と明記されています(北大西洋条約条文の英語正文日本語訳)。以上のように「日本国内の一部の法学者や(多くの)政治家ら」以外にも多く論者・組織が認めている集団的自衛権を、「日本国内の一部の法学者や(多くの)政治家らが主張している権利」などと、あえて日本に限定した形で書くことは明らかに不適切だと思います。(わざわざノートで発議や論証をすべきなのか、すべきでないのか迷ったのですが、編集合戦はしたくありませんので・・・)--Henares会話2014年7月1日 (火) 13:56 (UTC)

Henaresさんの意見に全面的に賛同します。一定期間、ノートでの反論がなければ、この版に戻しましょう。--TempuraDON会話2014年7月1日 (火) 14:16 (UTC)
集団的自衛権が「日本国の一部の法学者や多くの政治家らが主張している」だけでなく、国際法的に認められた権利であるという記述に対し公平性・出典の信頼性共に十分であると考えます。 Henaresさんの意見に賛成です。--Hackwud会話2014年7月2日 (水) 02:41 (UTC)
この加筆を行った方ご自身が当該加筆を除去されましたので[83]、少し早いですが加筆を行った方からもご賛同が得られたと考え{{告知}}を除去させていただきました[84]。この除去作業では「とされる」という点だけ残されていましたが、これも除去して元の定義文に戻しています。皆さまのご協力に感謝します。--Henares会話2014年7月4日 (金) 12:11 (UTC)

集団的自衛権の行使と見なされる範囲について[編集]

宣戦布告、あるいは中立、といった概念と非常に密接に関わってくる事だと思い、発議致します。 どなたか、どの行為までが集団的自衛権の行使と見なされるか、文献をご存じの方に教えを請いたいと思います。 私も検索を掛けてみますが、例えばA攻撃主体、B被攻撃国、C・D第三国の場合に

  • ①A攻撃主体に対するB被攻撃国内でのC国による迎撃・防衛参加
  • ②A攻撃主体のミサイル基地に対するC国による爆撃・ミサイル攻撃
  • ③A攻撃主体の主要基地のC国による占領
  • ④B被攻撃国へのC国による物資・経済援助、技術供与
  • ⑤A攻撃主体へのC国による経済制裁
  • ⑥A攻撃主体でもB被攻撃国でもないD第三国内におけるC第三国による機雷掃海
  • ⑦B被攻撃国内のC国による治安維持活動
  • ⑧D集団的自衛権行使国へのC国による基地・物資・経済援助
などです。

別途、湾岸戦争、ベトナム戦争やアフガン侵攻などの事例を見れば分かりやすいと思うので、 時間があればそれらの実例を、集団的自衛権の行使であったのかどうか、も含めて 1項目書けると、理解に資するとは思います。が、時間的に難しいかもしれません。 --以上の署名のないコメントは、 Hackwud会話投稿記録)さんが 2014年7月15日 (火) 02:20 (UTC) に投稿したものです(ぽん吉会話)による付記)。

ぽん吉様、署名付記有り難うございました。--Hackwud会話2014年7月17日 (木) 03:17 (UTC)

関連資料として、こちら「憲法第 9 条と集団的自衛権―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―」などは参考になるでしょうか。提示させて頂きます。--joker会話2014年7月18日 (金) 17:32 (UTC)

湾岸戦争などとの関連を述べた資料は確認していませんが、杉原ら著『現代国際法講義』p459では「一国に対する武力攻撃に他国も共同して反撃すること」、「安全保障理事会の許可がなくとも共同反撃を行うことを確保するために、集団的自衛権が取り入れられたのである。」(下線はHenaresによる)としています。ぽん吉さんにご提示いただいた森田著「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」p137では「とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。」としています。ですので個別的か集団的かを問わず武力攻撃を伴った行為と考えてよいのではないでしょうか?杉原ら著『現代国際法講義』p437では「経済的な力の行使もまた「武力」(force)に含まれ当然に禁止されるとする主張も見られるが、これが実定国際法規にまで成熟したかは疑わしい。」とありますから、少なくとも経済制裁などの非軍事的行為は自衛権ではなく、違法性阻却事由 (国際法)#対抗措置に分類されるものだと思います(対抗措置そのものの説明については議題となっていないため一旦省略します)。また近藤著「テロ支援国家に対する自衛権行使の「帰属の要件」 : 9.11テロ事件に関する学説の整理」、p69、表2では、自衛権行使と「均衡のとれた対抗措置」とを区別しています。技術供与についてですが、すでに何度か申し上げましたニカラグア事件は、ニカラグアの反政府武装組織コントラへのアメリカの大規模な支援(経済的援助、兵站、組織化)をニカラグアは違法と主張し、アメリカが集団的自衛権の行使だと主張し、ICJがアメリカの主張を退けたという事例でした。このICJ判例に関して私が調べました資料のうちのいくらかをニカラグア事件#参考文献に記していますので、こちらもご参考になるかもしれません。--Henares会話2014年7月20日 (日) 04:42 (UTC)
Henares様、ありがとうございます。各種資料、拝読いたしました。加えて、こちら「国際法における集団的自衛権の法理をめ ぐる問題と最近の動向(井口 武夫著)」とこちら「経済制裁と国際的人権保障 (大澤 麻衣子著)」も読ませて頂きましたので、共有を兼ねて提示させて頂きます。--joker会話2014年7月23日 (水) 16:31 (UTC)
一定以上の資料はすでに出そろったように思いますので、具体的な記事の書き方について意見を申し上げます(もちろんさらに資料を調査することは有益なことですが)。まず書く場所についてですが、人によって様々な書き方がありいずれが正解といえるようなものではないとは思いますが、個人的には集団的自衛権#権利の性質節の一部として書くか、このなかに小見出しをつけて書くか、が好ましいようと思いました。「権利の性質」節ではニカラグア事件ICJ判決で示された権利行使の要件について記述されていますが、このICJ判例は、この要件を満たすものは集団的自衛権行使の範囲内、要件を満たさないものは集団的自衛権行使の範囲外であり単なる違法な武力行使、というもので(『判例国際法』、p600)、「集団的自衛権の行使と見なされる範囲」と関わりがあると思うからです。つまり、この節の冒頭でHackwudさんが挙げた①②③⑥については武力を伴った行為(⑦は具体的にどのような治安維持活動なのかによるかもしれません)と言えるかと思いますが、これらの行為が加害国による違法不正な武力攻撃を排除するのに必要不可欠な措置であって他に選びうる手段がなく(必要性の要件)、なおかつ加害国の違法不正な武力攻撃と均衡性がとれた措置で(均衡性の要件)、なおかつ違法不正な武力攻撃を受けた国が攻撃を受けた旨を宣言し(宣言の要件)、なおかつ集団的自衛権行使を実施する国に対して援助要請を行うこと(援助要請の要件)、これらすべての要件を満たせば集団的自衛権行使の範囲内であり、これらの要件のうちいずれか一つでも満たさなければ集団的自衛権行使の範囲外&違法な武力行使、という理屈かと思います(情報源については集団的自衛権#権利の性質の表「個別的および集団的自衛権行使の要件」をご覧ください)。ひとまずニカラグア事件ICJ判決の要件を解説した現状の記述に加筆・修正を加え、ICJ判決に対し信頼できる情報源で異論が呈されているのならばその情報源の信頼性に応じてを中立的に記述して、まずはこれを集団的自衛権行使の範囲に関する一般論とし、湾岸戦争・ベトナム戦争・アフガン侵攻といった具体的事例と集団的自衛権行使の範囲の関係を論じた信頼できる情報源があるのならば一般論に付随させて体系化した形で論じる、ということができればベストであるように思いました(ただしそれをできるほど私個人はまだ調査を進めることができてはいませんが)。なお、②については、学説や各国の見解が不一致・錯綜している先制的自衛権も絡んでくる問題かと思いますが(情報源は先制的自衛権#参考文献にいくらか示しました)、「集団的でありなおかつ先制的な自衛権」についてこの記事で論じるならば、信頼できる情報源の間でも書かれていることが180度違っていることも珍しくないと思いますので、Wikipedia:中立的な観点の上でかなり慎重に書く必要があるように感じました。--Henares会話2014年8月3日 (日) 05:58 (UTC)
Henares様の方針におおむね賛成です。上で提示させて頂きました「国際法における集団的自衛権の法理をめ ぐる問題と最近の動向(井口 武夫著)の第7項 7-11頁」や、「藤田久一『国際法講義Ⅱ 人権・平和』東京大学出版会、400-404頁。ISBN 4-13-032084-X 」、「憲法第 9 条と集団的自衛権―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る― 32-34頁」などでも、ニカラグア事件ICJ判決を基準としつつ、集団的自衛権の権利の性質や法的性質と関連させつつ、集団的自衛権の性質の解釈を2、ないしは3分類し、通説とされている解釈、判決が取ったと考がえられる解釈、等の内容が記述されております。権利の性質として、ICJ判決をまず示し、集団的自衛権の性質の解釈を、ある程度、分離する形で整理し記述するのはいかがでしょうか。その後のリビア空爆・ケニアの米大使館テロ・9.11テロなどは、安保理がある意味機能不全を起こしている状態で、連合憲章が目的とした集団安保体制との兼ね合いが難しくなるのでは、と懸念致しております。先制的自衛権についてまで触れてしまうと、Henares様のご指摘通り、より複雑かつ慎重な記述が求められるため、一旦、この部分については保留してもよいかと思います。なお、Hackwud様が挙げられた⑦については、PKOなども絡んでくるかと思いますので、これまた国際人道法や国際責任といった点や、集団安全保障の補完的な観点なども求められる記事にまで膨らみそうな気がしております。参考になればと思い私見を述べさせて頂きました。よろしくお願い致します。--joker会話2014年8月5日 (火) 19:51 (UTC)

固有の権利[編集]

user:Hackwudさんが指摘[85][86]された「固有の権利」に関しての私のコメントを以下に移します。もともと#中立義務についてに書いたものでした[87]。--Henares会話2014年7月20日 (日) 05:03 (UTC)

コメント 「固有の権利」について個人的な意見を申し上げます。確かに国連憲章の日本語公定訳は国連憲章51条の該当する記述を「固有の権利」と翻訳しており、憲章公定訳は外務省が翻訳したと聞いた記憶がありますが、実際に外務省が発表する資料([88]の一ノ二九頁)でも、国連広報センターHP[89]でも、この個所は「固有の権利」とされていますから、この日本語訳の信頼性そのものは申し分ないでしょうし、実際に英語正文の"inherent right"という文言を見れば語学的な誤りはないと考えられるでしょう。ところが、フランス語正文をみるとこの「固有の権利」に相当する個所は"droit naturel"となっていて(s:fr:Charte des Nations Unies)、このフランス語の文言は日本語では通常「固有の権利」ではなく「自然権」、英語では"inherent right"ではなく"natural right"と訳される用語です(仏語正文の英訳について[90]136頁に説明有)。英仏語と同じように正文とされている中国語では「自然權利」(s:zh:聯合國憲章)と「自然権」よりの文言となっています。ロシア語は"затрагивает неотъемлемого права"(s:ru:Устав Организации Объединённых Наций#Статья 51)という「固有の権利」よりの文言です。そしてスペイン語では、"el derecho inmanente"(s:es:Carta de las Naciones Unidas#Artículo 51)となっていて、語学的な意味ではこの"inmanente"という単語は「自然」でも「固有」でもなく「内在的な」という意味の形容詞なのですが(『現代スペイン語辞典』p742より)、「自然権」(仏:droit naturel)ならば"derecho natural"(西)、「固有の権利」(英:inherent right)ならば"derecho inherente"(西)となるはずのところが、スペイン語正文では"derecho inmanente"となっています。どちらかといえば「固有」寄りと読めなくもないかもしれませんが、個人的には条文だけをみると曖昧な文言だと思います。国連憲章は英仏西露中語の5カ国語の条文すべてを「ひとしく正文」としており(s:国際連合憲章#第111条)、いずれかの言語が優先されるという理由は私が知る限りでは見当たりません。国際司法裁判所の判決は通常英仏語2カ国語で行われますが、「#日本の政治家や学者が主張している事柄との記述について」で引用しましたニカラグア事件国際司法裁判決では、この複数の正文の間の意味の微妙な違いを踏まえているためなのか、英語判決文では"the inherent right (or "droit naturel") "と憲章仏語正文の文言を括弧書きし、仏語判決文では"le droit naturel (ou << droit inhérent >>)"と、"inherent right"という憲章英語正文に相当する仏語を括弧書きしています(ニカラグア事件判決, p.102-103, para.193より)。英仏の2カ国語の分析を説明した資料は見つけたのですが([91]p61,脚注210)、正文5カ国語すべてと日本語公定訳までを分析対象とした資料は私が探した範囲では残念ながら見つけることができませんでした。憲章51条のような正文の間で食い違いがない場合であっても法律条文は専門家の間ですら解釈が食い違うことがあります。ですのでなぜ憲章51条が正文の間で意味が微妙に食い違っているのかを説明した資料が見つかるまで、そしてぜいたくを言えば日本語訳で「固有」という翻訳となった理由を説明した資料が見つかるまで、「固有の権利」については、個人的には冒頭部に書かずに憲章51条日本語公定訳をそのまま引用する現状にとどめておいた方が無難であるような気がいたしました。ただし冒頭部に「固有の権利」に関して記述することに賛同する方が相当数おられるならば、「固有の権利」に言及した二次資料も提示されていますことから強く反対する理由はありません。--Henares会話2014年7月15日 (火) 14:21 (UTC)
国連憲章の英語正文とフランス語正文と日本語正文に齟齬があるなどと言う話を、専門家が言ったなどと言う話は聞いたことがありません。
「固有の権利」の使い方に齟齬があるとか誤訳とか、それこそHenaresさんの独自研究というか妄想ですね。「固有の権利」という単語を使って集団的自衛権を説明している2次資料はいくらでもあります。「固有の権利」という言葉を使って、何の問題もないと思います。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 16:32 (UTC)
英語正文とフランス語正文の意味の違いについて専門家が語った二次資料を上記にて示しています。文章を読みもせずコメントすることはご遠慮ください。--Henares会話2014年7月26日 (土) 06:58 (UTC)

日本政府の憲法解釈変更を中心とした記述について[編集]

最近日本の憲法解釈変更に関した加筆が多くの方々により精力的になされています。かつて9年間も自衛権へのリダイレクトとされたまま誰もこの記事を執筆しようとしなかったことを考えると人が増えることは大変喜ばしいことではあるのですが、さすがにWikipedia:日本中心にならないようにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんを考えると、日本に関する記述の、その中でも2014年の憲法解釈に関する記述をこの記事に書き過ぎることは好ましくないのではないでしょうか。Wikipedia:独立記事作成の目安を満たすかどうかまでは調査していませんが、「第二次安倍晋三内閣の憲法解釈変更」(仮題)などといった記事を作成して、この記事では関連項目として誘導するにとどめておいた方が無難であるように思います。むしろそうしたほうが、日本政府の憲法解釈変更について詳細に記述することができるのではないかと思います。--Henares会話2014年7月20日 (日) 05:42 (UTC)

そのような記事を独立させることにメリットがあるとは思えません。単に読者にとって必要な情報を得るのに手間がかかるだけの結果になると思います。提案に反対します。--119.173.35.101 2014年7月22日 (火) 16:35 (UTC)
日本に関する記述が多いというのが「Wikipedia:日本中心にならないように」に反するというのは大きな間違いですね。「日本の事情についての記述を必要以上に抑制すべきということではありません」とか「日本社会に属する執筆者が充実しているということの利点をあえて損なう必要はありません」とも書いてあるでしょう。それ以前に、国内で議論が行われている国があれば、日本に限らずその国について詳述する事は自然だと思いますけど。上記「「日本での状況」節の除去提案」で行われた除去行為は方針不理解による記事破壊行為としか言いようが無いですね。記事の分量が多くなったら分割してもいいとは思いますが。--uaa会話2014年7月25日 (金) 19:16 (UTC)
Wikipedia:日本中心にならないようにだけでなくWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんを合わせてお読みください。--Henares会話2014年7月26日 (土) 04:58 (UTC)
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんのどこをどう読めば、「当該事項を本記事内に記述するべきではない」となるんですかね?1の「現地で取材した生の情報を提供」や3の「著名人の日誌」ではないのは明らかですし、2は「単独の百科事典記事を作成する正当性」なので、これもこのケースには関係ありませんね。閣議決定までされているのだから、「速報」とも言えないでしょう。「ウィキペディアは新聞ではありません」にも「歴史的意義のある主題に関する百科事典の記事が多くありますが、こうした記事は最近の検証された情報によってアップデートできます」とありますね。関係ないルールを持ち出して議論を誤誘導しているようにも見えます。--uaa会話2014年7月26日 (土) 12:09 (UTC)
まずuaaさん、落ち着いてください。このノートでの最初のご発言で、いきなりノートでの合意に基づく編集除去を「記事破壊行為」とおっしゃっるなど、明らかに冷静さを欠いています。Wikipedia:井戸端/subj/日本法に限定されるべきでない項目記事で Template:国際化 を貼ったら差し戻されたで{{国際化}}を除去することに異様にこだわって複数の記事で編集合戦まがいのことまでなさるなど、日本に関する記述について何か特殊なこだわりでもおありなのでしょうか?またWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんの「2.報道」は「単独の百科事典記事を作成する正当性」についてだけ述べたものではありません。「どこをどう読めば」もなにも、どこを読むべきかは申し上げていますのでこの方針についてはもう少しきちんとお読みください。私も分割提案などをしようかどうしようかはかなり悩んでいるのですが(ですからWikipedia:分割提案にはまだリストしていません)、このまま書いておくのだとしても少なくとも時系列順に考えて2014年の解釈変更が「従来の政府解釈」より前にあるのは(分割してもしなくても)明らかに不自然でしょう。また、仮にこの記事に残しておくのだとしても、この「従来の政府解釈」に該当する部分をきちんと書かないと、どういった解釈からどういった解釈に変更されたのかついての説明になっていないように思います。さらに日本の事例について書くのならば、日本と集団的自衛権とのかかわりについて特筆すべきは最近の解釈変更だけではないはずです。執筆する方には最低でも八月革命説といわれる時期までさかのぼって自衛隊組織化や安保闘争など必要事項をきちんと調べて書いていただきたいですし、そういったことを調べていない方が正しく現代の憲法解釈変更について記述できるとも思えません(そうしたことについての出典を出せとおっしゃるならばいくらか出せないことはありませんが、できれば掲載を希望する方ご自身の手で調べていただきたいです)。ぜいたくを言えば大日本帝国憲法での集団的自衛権のあり方や米国など戦勝国が憲章51条を起草する際に敗戦国・日本をどのように考慮したのかorなにも考慮していなかったのかまでさかのぼって調べていただくとなお好ましいですが、そこまでは求めません。が、こういった事項を書くのならば最低でも現行憲法起草時まではさかのぼることが必須だと思います。いずれにせよ、少しネット検索しただけで安易に書けるような主題ではないはずですしネットニュースの類が出典の中心となっているなど、現状では専門記事としては出典の信頼性はきわめて低質です。分割や除去について反対意見が強いならば強くそうしたことを求めるつもりはありませんが、(書いておくのならば)もっと十分な調査をしていただきたいです。--Henares会話2014年7月26日 (土) 15:40 (UTC)
ここでは関係ない過去の議論での私念を持ち出して相手を攻撃する姿勢こそ「明らかに冷静さを欠いています」ではないでしょうかね?ちなみに、「日本に関する記述について何か特殊なこだわりでもおありなのでしょうか?」については、2014年7月25日 (金) 19:16 (UTC)の発言が答えになってるはずです。方針を誤解している輩によって貼られたタグは当然除去されるべきでしょう。
さて本題ですが、私はあなたが提示した「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんを合わせてお読みください」に対して、それの「どこ(の部分)をどう読めば~」と聞いてるんですが。「どこを読むべきかは申し上げていますので」では話が進みません。それに、2については「速報にも該当しない」とも指摘しているのですけど。確かに、この節には「従来の政府解釈」の記述が不充分だとか、構成が時系列的におかしいなどの問題があるという指摘は妥当なものだと思います。しかし、関係ないルールを無理矢理適用して除去を主張することは許されるべきものではありません。--uaa会話2014年7月26日 (土) 16:54 (UTC)
私が「冷静さを欠いている」と申し上げたのは、井戸端の議論に関してではなく私以外の利用者も賛同していた編集除去を「記事破壊行為」と発言したことに対してです。文章はきちんとお読みください。そしてこう言った発言は井戸端でも過去のコメント依頼でも指摘されていたのですから、いい加減にお改めください。
さて本題ですが」とはなんでしょうか?「反対意見が強いならば強くそうしたことを求めるつもりはありませんが」と私が申し上げた時点で、私が提案した(正確には提案しようか迷っていた)分割や除去に関する記事に直接関連する議論の「本題」は、分割などに賛同する方が新たに現れない限りすでに終了しているはずですが。もっとも後述する理由で議論再開の可能性はあります。
Wikipedia:井戸端/subj/日本法に限定されるべきでない項目記事で Template:国際化 を貼ったら差し戻されたは本件に大いに関係がある議論です。この井戸端の議論を発端のひとつとして提起されたプロジェクト‐ノート:法学#Template:Law を貼られた記事とその言語間リンク先記事では、別の論点で意見の不一致が見られるものの、法体系によって記事を分けることについては一切異論がありませんので、国際法について述べた前半部分と日本国憲法の解釈変更について述べた部分を分割すべきなどとするような合意がプロジェクトでなされる可能性はあるかと思います。もっとも「日本の自衛権」ならまだしも、2014年の憲法解釈変更のみに焦点を当てた記事がWikipedia:独立記事作成の目安を満たすかどうか…?と感じているということはすでに申し上げた通りです。プロジェクトでどのような合意がなるかはまだ分かりませんが、「プロジェクトでそのような合意が成立したから」というのは分割提案再開の理由としては十分でしょう。合意内容次第ですので可能性があるというだけで未知数ですが。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありません、2.「報道」がもしも「単独の百科事典記事を作成する正当性」のみに関するものならば、なぜタイトルが「報道」となっていて「単独の百科事典記事を作成する正当性」か、あるいはその類義語になっていないのでしょうか?「最近の展開に関する情報を記載することは、時には適切なことですが、速報をことさら強調したり他の情報と異なる扱いにすべきではありません。ウィキペディアに適さない時事に関する報道は、姉妹プロジェクトのウィキニュースに適しているかもしれません。」という最後の2文については単独記事立項に関する記述はありませんし、今のところ該当する記述のほとんどが報道を出典としたものであり、単独記事立項に関する記述はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありません、2.「報道」の第2文、第3文のみです。文章は全体をきちんとお読みください。「違法性阻却事由の世界的概念」などというとんでもない記事名をおっしゃり始めたときのように、現在のuaaさんは方針を理解できていない上に理解できていないことを自覚することすらできていない状態ですので、方針を熟読してください。またウィキペディアは子供の遊び場ではありませんので、本来はこうして方針のような平易な文章の「どこ(の部分)をどう読めば~」などということを解説してもらえる場所ではありません。次回から「○○○」をお読みください、で理解してください。よろしくお願いします。
該当する記述の出典となっているものはネット報道の類が主であり、またWikipedia:信頼できる情報源#法律についてに該当する専門家が著わした二次資料の引用は一切見当たりませんので、速報です。閣議決定などの一次資料はこの分野では専門家の間ですら意見が割れることがありますので、基本的には好ましいものではなくWikipedia:信頼できる情報源#法律についてに書かれている通り専門家による著作の引用が好ましいです。私は分割などすればまだ百科事典的にまとめることができなくはなさそうな気がしますが、それができないならば私の手では改善無理ですので、現状ではプロジェクトで関連する合意がならない限り基本的にはこの点に関与しない予定です(未来のことは分かりませんが)。uaaさんも現状維持を希望されるのならば、日本国憲法専門の法学者が書いた論文や書籍などを自主的に調べてご執筆ください。--Henares会話) 2014年7月26日 (土) 21:30 (UTC)修正--Henares会話2014年7月26日 (土) 21:33 (UTC)
それで、Henaresさんは、本提案を取り下げたのですか。
>もっとも後述する理由で議論再開の可能性はあります。
って、いつまとまるとも分からないプロジェクトの話をしている訳ですが、いったん取り下げて、プロジェクトとやらがまとまったら、再度提案するのが筋でしょう。--119.173.35.101 2014年7月29日 (火) 15:10 (UTC)
「反対意見が強いならば強くそうしたことを求めるつもりはありませんが」と私が申し上げた時点で、私が提案した(正確には提案しようか迷っていた)分割や除去に関する記事に直接関連する議論の「本題」は、分割などに賛同する方が新たに現れない限りすでに終了しているはず[92]」と、すでに申し上げた通りです。「本提案を取り下げたのですか。」とおっしゃいましても、この議論においては単純に分割や除去を提案したのみではなく(そうであったならば最初からWikipedia:分割提案にリストしていましたが、そうはしていません)、「日本における集団的自衛権」節の問題点を指摘し、それに対して数あるその解決策のうちの一つとして憲法解釈変更だけに焦点を当てた記事に分割することを例示した、というつもりでした。この記事に解釈変更について書いていくならば憲法起草や安保闘争にまで言及しなければなりませんから、そのように分割したが個人的にはこの説を執筆されている皆様が執筆しやすいのではないかと思ったのですが、賛同が得られないのならば仕方がありません。ただしWP:JPOVの点はプロジェクトの議論に関連していますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんの点はプロジェクトの議論とは何の関係もないことです。分割に反対を表明されたuaaさんも「日本における集団的自衛権」節に全く問題無しとはおっしゃってはおられませんので、今後も瑣末な日本の政局を逐次的に書く速報的な執筆が繰り返されるのならば、執筆具合を見て私が根本的な修正したり、この節に関して別の提案させていただくこともあるかもしれません。--Henares会話2014年8月1日 (金) 10:54 (UTC)

「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除について[編集]

 同節には、「礒崎陽輔国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官は、集団的自衛権の行使と宣戦布告に関し、twitterで「『宣戦布告』のことがお気に掛かるのでしたら、外務省に御照会してはいかがですか。議論する話ではありません。」[17]と発言し、2014年7月1日の閣議決定による解釈改憲直後であるにも関わらず、宣戦布告の必要性について十分調査されていないことを吐露している。」と記載されています。  ツイッターでの発言は事実ですが、記載には大きな論理の飛躍があり、私のこの発言をもって政府の検討状況を批判するのは、適切ではありません。また、当該発言の前々日(7月9日)に同じくツイッター上で、私は「国際法上戦争が違法化されている中で、「宣戦布告」という概念はありません。」と発言しており、質問者に対し、明確な回答をしています。  ちなみに、宣戦布告については、平成15年3月5日の参議院予算委員会において、当時の川口順子外務大臣が「以前の戦時国際法に基づいていわゆる宣戦布告をして戦争をやるというような、そういうタイプの武力行使といいますかいわゆる戦争、そういうことは禁止されている」という答弁をしており、これが政府の見解であり、私の発言と矛盾するものではありません。もちろん、このことは、武力の行使に当たって、政府が何らかの表明を行うことを禁止しているものではありませんが、それは従来の「宣戦布告」とは異なるものです。  以上のことから、当該記載の段落を削除していただきたいと考えます。--YOUSUKE 2014年8月7日 (木) 04:28 (UTC)

ISOZAKI YOUSUKEさん。ウィキペディアへのご参加ありがとうございます。"ISOZAKI YOUSUKE"というユーザー名やこのツイートを「私のこの発言」と表現なさっていますことから、礒崎陽輔様ご本人でしょうか?もしそうでなかったのならば失礼をお許しください。もしご本人様であられるのならば、大変お手数をおかけして申し訳ないのですが、Twitterかご自身の公式ホームページなど礒崎様ご本人にしか発信しえない媒体で、ウィキペディアで"ISOZAKI YOUSUKE"を名乗る人物が礒崎陽輔様ご本人であることを表明していただき、「利用者:ISOZAKI YOUSUKE」のページにてそこへとリンクするURLを掲載していただくことはできませんでしょうか?大変に失礼なことを申し上げていることは承知しておりますが、同姓同名の別人の方である可能性や、礒崎様のお立場を考えますと基本的に匿名のネット上ではなりすましなども考慮しなければならないということです。どうかご了承ください。
さて問題のこのツイートを含めた「宣戦布告との関係」節についてですが、私個人といたしましてもこの段落が書かれた直後からさまざまな不適切な点を申し上げてきたのですが、この段落を執筆なさった方がかなり強く掲載をご希望で、説得に時間がかかってしまっている状況です。もっとも礒崎様のツイート以外の点にもこの段落には不適切な点が多々見られ、この段落を掲載したご本人様(IP:119.173.35.101会話 / 投稿記録さん)を除き、現状ではすべての利用者が除去すべきとする意見を発しています(#修正案)。ウィキペディアは共同作業で記事を作っていく場であり私一人で記事の文面を決定することはできないのですが、以上のことから近日中にでも現在の「宣戦布告との関係」節は除去されるのではないかと考えております。ただしウィキペディアにはWikipedia:日本中心にならないようにという文書がありまして、記事文面が日本政府の公式見解や日本の国益を代弁するような形とはならないこともあります。この点もご了承ください。--Henares会話) 2014年8月7日 (木) 15:01 (UTC)修正--Henares会話2014年8月7日 (木) 16:14 (UTC)

 Henaresさん。こういうことでよろしいのでしょうか。 https://twitter.com/isozaki_yousuke/status/497521003191226368 --YOUSUKE 2014年8月7日 (木) 23:30 (UTC)

user:ISOZAKI YOUSUKEさん=礒崎陽輔様ということを当初より疑っていたわけではありませんでしたが、上記のコメントとツイートの内容によりこの「集団的自衛権」の記事にかかわる利用者たちに対してそのことを証明することができたと考えます。ご面倒をおかけしました。--Henares会話2014年8月9日 (土) 02:47 (UTC)

ISOZAKI YOUSUKE様こと 礒崎陽輔国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官、wikipediaでのご発言、またtwitterでの言及も、誠に有難うございました。--Hackwud会話2014年8月8日 (金) 02:53 (UTC)

Wikipediaでは削除についてWikipedia:削除の方針があり、礒崎さんは政府の要職にある政治家で公人ですから、削除の要件にあてはまりません。
一方、記事に誤りがあるということであれば、記事を訂正することになりますが、どこが誤っているというのでしょうか。「国際法上戦争が違法化されている中で、「宣戦布告」という概念はありません。」とコメントされていますので、安倍政権として「宣戦布告という概念は世の中に存在しない」という結論に達しているから記事は誤りだということでしょうか。
しかし、そういう意味だとすると、いくつか問題が発生します。
1. 米議会調査局は[93]「自衛権行使のための宣戦布告は許される」というレポートを出しており、安倍政権の結論はこれと対立することになる。
2. 2003年のイラク戦争の際、アメリカは自衛権(先制的自衛権)の行使のため2003年3月17日に宣戦布告(条件付き戦争宣言月最後通牒)[94]を発し、3月19日より戦争を開始しています。(なお、宣戦布告は本来米連邦議会の権限ですが、2002年10月16日の上下両院合同決議でイラクに対する戦争権限を大統領に委任しています。)2003年(平成15年)3月5日の川口外相の国会答弁のわずか12日後ですが、安倍政権として川口外相の国会答弁を文字通り認めるのであれば、アメリカの2003年の対イラク宣戦布告およびイラク戦争は違法な武力行使であるというのが安倍政権の結論ということになります。一方、アメリカと同じく「自衛権行使のための宣戦布告は許される」という解釈を安倍政権として取り、川口外相国会答弁は自衛権については当てはまらないという解釈であれば、問題は生じません。
3. 日本近隣の諸国の憲法を見ると、全て宣戦布告の規定(アメリカ合衆国憲法1条8節11号、ロシア連邦憲法102条Б、中華人民共和国憲法80条、大韓民国憲法73条、フィリピン憲法6条23)が存在するのに、国際法上「宣戦布告という概念はありません」というのは現実離れしている。ある意味、危機管理能力がない。
4. 日本の外務省は、ホームページ上[95]で、有効な条約として「開戦に関する条約」をデータベースに乗せているが、宣戦布告を義務付ける「開戦に関する条約」と「宣戦布告という概念はありません」という見解は両立しえない。
それで、確認しますが、
礒崎陽輔国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官は、集団的自衛権と宣戦布告に関して、「国際法上戦争が違法化されている中で、「宣戦布告」という概念はありません。」とtwitter上で表明している。
と訂正すれば、礒崎さんとしてはよろしいのでしょうか。それとも、現状のまま残した方が良いでしょうか。--119.173.35.101 2014年8月8日 (金) 15:25 (UTC)
ノートページで119.173.35.101さんを除くすべての利用者が「宣戦布告との関係」節の存置に反対していますことから、この節をすべてWikipedia:削除の方針がいうところの「削除」ではなく「除去」しました[96]。--Henares会話2014年8月9日 (土) 02:47 (UTC)
Henaresさんが合意のないまま編集を強行したことの自白ですね。「除去」って何ですか。消さなければならない理由は何も示されていませんので、復活すべきでしょう。--119.173.35.101 2014年8月10日 (日) 15:39 (UTC)
119.173.35.101様、考え方が逆かと思われます。節の除去について{告知}も行い、その間に信用できる出典が提示されなかったわけです。{告知}から合理的な時間が経過した上て除去という編集を行っており、手順として問題ないと判断しております。この節の復活・記述が希望でしたら、「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」に則り、信用できる出典をご提示下さいませ。--joker会話2014年8月10日 (日) 16:03 (UTC)
でたらめですね。出典は最初から6個もついています。Refree/Jokerさんが粘着してたのは、そのうち日刊ゲンダイの記事1つだけです。WikipediaのルールWP:V#NRは、タブロイド紙も出典として許容していることは既に示しています。出典の信頼性は、媒体のみで決めるのではなく「内容」「著者」「媒体」を総合して判断するWikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかことになっています。ルールには「ウィキペディアにて「情報源(source)」という用語は3つの側面を持ちます。創作物自体(文章・記事・論文・書籍など)、創作物の製作者(著者など)、創作物の出版機関(東京大学出版会など)の意味に解釈されます。この3つ全てが情報源の信頼性に関わってきます。」Refree/Jokerさんが問題視している記事は「内容」的には一般紙の記事とそん色のない真面目な内容ですし、「著者」は元内閣法制局長官という申し分ないものですから、日刊ゲンダイに乗ったというだけで信頼性が揺らぐものではありません。--119.173.35.101 2014年8月10日 (日) 16:30 (UTC)
119.173.35.101様、まずWikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京#第三者コメントは読まれましたか?次に、出典についてですが、非中立的な取り上げ方をなさっている点や、記述についてWP:UNDUE#フェアであることと、好意的な立場Wikipedia:言葉を濁さないWikipedia:避けたい言葉Wikipedia:大言壮語をしないといった観点からも指摘させて頂いております。そもそも論になりますが、開戦条約に執拗にこだわる意味がわかりかねます。現代の、戦争違法化の中において、許される武力行使は限られております。奇しくも、礒崎陽輔氏と思われる方のコメントで紹介のあった平成15年3月5日の予算委員会における川口順子大臣の参議院予算委員会における答弁でも触れられております「平成15年3月5日第6回参議院予算委員会 発言者368」。失礼ですが、119.173.35.101様は「国際法」に関するいわゆる基本書などはお読みですか?戦争無差別観時代の宣戦布告を、国際連合憲章で初めて明文化された集団的自衛権に執拗に関連付けようとする主旨がわからないのです。この記事に必要な内容だとは判断できません。サンドボックスなどで記述を試み、査読依頼に出すなど行ってみてはいかがでしょう?なお、日刊ゲンダイの「著者」は阪田氏ではありませんよ。インタビュー記事を書いた方が「著者」です。--joker会話2014年8月10日 (日) 17:35 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京#第三者コメントは既に読みましたよ。編集歴がほとんどない人にまで、Henaresさんのルール解釈が間違っていることを指摘されています。誰がどう見ても明らかにルールにの解釈が違うのですから、彼も認めたらどうなんですかね。
既に書きましたが、NPOVの関係で両論併記をする場合、どちらが支配的(prevalent)かは示さなければならないため、現状の書き方で問題ないと思っていますが、「支配的」と「疑問残る」いう語が嫌なら、外せば問題ないですか。
そもそも論ですが、「集団的自衛権行使の際に宣戦布告が必要ない」と本気で思っているのでしょうか。アメリカはイラク戦争の際に宣戦布告していますし、「自衛権行使のための宣戦布告は許容される」としています。ベトナム戦争で「宣戦布告をしなかったこと」を批判するアメリカ人は多いですよ。アメリカ人で「宣戦布告は許されない」なんて思っている人は誰もいないと思いますよ。
国際法に関する「基本書」ですか。読んでいますが、戦時国際法に関しては、その手の本は数十ページしか記載がなく、特に中立や開戦に関しては、薄すぎて、何の役にも立ちません。
「開戦に関する条約」は、国際人道法の一部であり、攻撃を受ける側の為にあるものですから、国連憲章で武力行使が禁止されても、パリ不戦条約で戦争が禁止されても、影響を受けずに効力を保つでしょう。同時にできたハーグ陸戦条約は、「戦争が禁止されたから無効になった」などと言う人はいないのと同じです。実際、パリ不戦条約で戦争が禁止されたのに、開戦に関する条約は効力を保ち、第2次世界大戦の初めには、「宣戦布告をせずに攻撃した」とアメリカ、イギリスから糾弾されることになったのですから。--119.173.35.101 2014年8月11日 (月) 15:52 (UTC)
これほど多くの利用者が119.173.35.101さんによる執筆が不適切だと指摘しているにもかかわらず、さらに自己正当化し続けるならば、いつまでも納得しない対話姿勢で議論を妨害する利用者としてWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに通報すれば足りることかと思います。少なくとも「宣戦布告との関係[97]」節が不適切である理由は119.173.35.101さん個人が理解できないだけで再三にわたり複数の利用者が説明済みであり、この点に関しましてこれ以上議論すべきことはないと思います。119.173.35.101さんにおかれましては、記事が半保護となった原因がご自分が方針から逸脱した活動を繰り返したことだということを自覚していただきたいです。--Henares会話2014年8月11日 (月) 12:44 (UTC)

インデント戻させて頂きます。

119.173.35.101様、Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京#第三者コメントでは119.173.35.101様に対して「IP:119.173.35.101(ノート / 履歴)さんのいつまでも納得しない対話姿勢、三大方針への理解不足、出典の信頼性に対する判断能力については、Henaresさんのご指摘通りだと思います。」とのコメントを良くご確認下さい。

取り急ぎコメントに対する返信をさせて頂きます。

  • そもそも論ですが、「集団的自衛権行使の際に宣戦布告が必要ない」と本気で思っているのでしょうか。

このようにコメントされていますが、論理が飛躍していると思われます。 集団的自衛権行使の際に「宣戦布告が必要」と「宣戦布告が必要ない」との間には、大きなギャップがあります。 「宣戦布告が必要」・「宣戦布告は許容される」・「宣戦布告の有無は問わない」・・・・「宣戦布告は必要ない」 という見解の幅はご理解されていますでしょうか? 「必要」との出典について

1.時の政治家の答弁が出典となっているものは、当然、政府の立場を代弁するもので、原則として中立なものとは判断すべきでないと考えます。
2.阪田氏の証言については、いわゆる全国紙の社説等での記名記事を書いているならまだしも(朝日新聞ですら、「慰安婦」の記事の取り下げを行うぐらいですから)、タブロイド紙の、しかもインタビュー記事であることも恣意的な編集が憂慮されるため、信頼できる出典とは判断できないと考えます。

よって、学問的に検証されているものを出典として、新たな記述をサンドボックスなりで試みて頂ければ、と思います。 また、よろしければ、119.173.35.101様がご利用になった国際法の基本書をご紹介頂けませんでしょうか?今後の議論の、1つの共通部分となるかと思いまして、お願いさせて頂きます。

開戦条約が有効である点について異論はありません。これが、集団的自衛権の行使になぜ結びつける必要があるのか理解できない、と申し上げております。とりいそぎ。--joker会話2014年8月12日 (火) 12:27 (UTC)

そもそも論とかに粘着されても、「公開討論の場ではありません」ですからね。
出典は、中立である必要がないこことは既に示しましたよね。Wikipedia:検証可能性#中立性「出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。多くの信頼できる情報源は中立的ではないことが多いです。」
タブロイド紙を出典として良いことも、「信頼性に乏しい」と「信頼性がない」は意味が違うことも既に示しています。WP:V#NR
既にWikipediaの方針ガイドラインを示してReferee/Jokerさんの誤りを示しているのに、同じネタで何度も粘着されても、無駄なだけですよね。--119.173.35.101 2014年8月13日 (水) 15:53 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。Wikipedia:検証可能性#中立性では、「記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。ごく少数派の観点は、それを専ら記述するための記事を除いて、含める必要はありません。」と書かれていますよね。これが原則です。出典はかならずしも中立性を満たしている必要はない、という部分否定の表現を都合よく解釈されるのは問題かと思います。原則と例外について、正しくご理解できていないと思われます。タブロイド紙の信頼性についても同様です。以前にご指摘させて頂いた通りです(2014-08-07T01:20:43時点における版)。2週間の半保護期間が与えられているのですから、適切な出典を備えた記事例を作成してはどうでしょうか、と提案しておりますがいかがでしょうか?また、119.173.35.101様がお読みになった国際法の基本書について教えて下さいますよう重ねてお願い致します。粘着と捉えられるのは119.173.35.101様の自由ですが、Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京における第三者様のコメント、半保護の処置をしてくださった管理者様のコメント(Wikipedia:保護依頼#集団的自衛権(ノート / 履歴 / ログ / リンク元))なども、よくご確認下さいませ。--joker会話) 2014年8月14日 (木) 09:09 (UTC)--joker会話2014年8月15日 (金) 11:14 (UTC)
自らの三大方針への理解不足や資料の信頼性に関する判断能力不足が指摘されているコメント依頼について「Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京#第三者コメントは既に読みましたよ。」と言いながら、さらに全面的自己正当化を繰り返していることからみても、119.173.35.101さんには都合の悪いものは見えないのでしょう。上記のように誰に対しても全面的自己正当化という議論のスタンスが変わることはないようですし、このIP利用者のWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する対話姿勢が改められる見込みはないと思います。もう私はこれほど話が通じない方のお相手をして差し上げるのは疲れました。--Henares会話
Henares様、ご心労お察しします。半保護期間中に、サブページ等で119.173.35.101様から適切な出典を明記した案が出てこず、その後もスタンスが変わらないようでしたら、いつまでも納得しないと言わざるをえないと考えております。管理者コメントにもありましたが、まず半保護期間でのノートの議論は続けますが、その状況を踏まえ、ブロック依頼を出すことも視野に入れる必要があるように現段階では判断しております。--joker会話2014年8月14日 (木) 20:04 (UTC)
Referee/Jokerさん。もしかしたら、議論に熱が入りすぎて、ご自身が何を批判しているか忘れられたのでしょうか。

宣戦布告は、開戦に関する条約第一条により敵対行為(hostility)開始前に行っておく義務があるが、集団的自衛権を行使する際に宣戦布告が必要かについて、中谷元防衛庁長官(平成13年5月当時)の国会答弁[11]や阪田雅裕元内閣法制局長官の見解[12] に見られるように、「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」という解釈が日本では支配的である。:::::

11 “第151回国会 平成13年5月31日(木)参議院外交防衛委員会 中谷元 国務大臣防衛庁長官 国会答弁 発言番号153番” (2001年5月31日). 2014年6月12日閲覧。 “「そういう点において、国連憲章に書かれている集団的自衛権というのは、私は、国家が戦争の宣言をして堂々と戦うというための集団的自衛権であって、そういう私が今述べたような例とはちょっと意味合いが違ってくるんじゃないかなというふうに思います。」”:::::

12.^ “日刊ゲンダイ 阪田雅裕元内閣法制局長官「ルビコンを渡れば歯止めが利かない」” (2014年7月14日). 2014年7月14日閲覧。 “そもそも、集団的自衛権の行使とは、他国の防衛のために一緒に戦うことですからね。集団的自衛権を行使する際には政府が決断し、宣戦布告をするわけです。”

「適切な出典」って、そのものですよね。
それとも、粘着されていた日刊ゲンダイではなく、「支配的(prevalent)」の部分の出典の話でしょうか。これもすでにWikipediaのルールを示した通り、。en:WP:UNDUE"Keep in mind that, in determining proper weight, we consider a viewpoint's prevalence in reliable sources, not its prevalence among Wikipedia editors or the general public."「適正な重みを付けるに当たって、信頼できる情報源におけるVP(View Point)の支配性を考慮するのであって、Wikipediaの編集者における支配性や一般における支配性を考慮するのではない、と言う点を肝に銘じてください。」wikipediaに提示された情報源の多い方が支配的になるのですから、宣戦布告必要が2で、不要がゼロですから、「必要」が支配的となる訳です。
「出典はかならずしも中立性を満たしている必要はない」という言葉の意味を変にとらえているようですが、「総理大臣は必ずしも男性である必要はない」と言った場合、「総理大臣は男性の方が望ましい」などという意味を含まないように、「出典はかならずしも中立性を満たしている必要はない」と言った場合「出典は中立性のあるものが望ましい」と言っているわけではありません。Wikipediaのルールではダメ押し的に「多くの信頼できる情報源は中立的ではないことが多いです。」とまで書いてある訳で、意味するところは明白です。もう「俺流解釈」で議論を混乱させるのをやめてもらえますか。--119.173.35.101 2014年8月15日 (金) 17:29 (UTC)
ルールの独自解釈はご自身のページなりブログなりでどうぞ。「必ずしもーない」は部分否定です。なぜ「必ずしも」が書かれているのか、きちんと理解して下さい。ルールの解釈に異論があるのでしたら、そのルールのページででも議論をなさったら良いかと思います。
en:WP:UNDUEからの引用がお好きなようですが、まず日本語ウィキペディアの方針とガイドラインをご理解下さいませ。ちなみに、en:WP:UNDUEでは、第1パラブラフで、 Generally, the views of tiny minorities should not be included at all, except perhaps in a "see also" to an article about those specific views. とされていますね。第3パラグラフでは、Wikipedia should not present a dispute as if a view held by a small minority deserves as much attention overall as the majority view. Views that are held by a tiny minority should not be represented except in articles devoted to those views (such as Flat Earth).とされています。119.173.35.101様が引用されている部分でも、we consider a viewpoint's prevalence in reliable sources となっているじゃありませんか?その引用された次の文を、是非しっかりお読み下さい。
If you can prove a theory that few or none currently believe, Wikipedia is not the place to present such a proof.--joker会話2014年8月16日 (土) 14:10 (UTC)
1つ忘れておりました。119.173.35.101様がお読みになった国際法の基本書は、お教え頂けないないのでしょうか?議論の共有部分ができるかと思ってご質問させて頂いたのですが。ちなみに私が良く利用しているものは、先に挙げさせて頂いた、藤田久一『国際法講義 Ⅱ人権・平和』東京大学出版会、1994年。ISBN 4-13-032084-X 、及び芹田健太郎『憲法と国際環境 【補訂版】』有信堂、1992年。ISBN 4-8420-1026-6 です。山本草二『国際法 【新版】』有斐閣、2003年。ISBN 4-641-04593-3 についても入手しております。--joker会話2014年8月16日 (土) 14:24 (UTC)
Referee/Jokerさんが引用された部分は「tiny minority」に関する記載であり、本件はtiny minorityではありませんので関係ありません。また、提示した出典は信頼できる「reliable」であることは繰り返しルールを示して言っていることであり、いつまでの「俺流解釈」をしているのはReferee/Jokerさんの方です。また、あなたが読んでいると称している「基本書」を、本当にあなたが読んでいるか知ることはできません。逆も同じでしょう。記事の内容に何の関係もない質問をすることは無駄なだけです。--119.173.35.101 2014年8月16日 (土) 14:59 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。”本件はtiny minorityではありません”とお考えなのは119.173.35.101様以外にいらっしゃるのでしょうか?この節の除去について、119.173.35.101様以外に、反対であった方はいらっしゃらなかったと思われます。第三者コメントでもコメントがあったように、宣戦布告の記事で、議論されてはいかがでしょう?
119.173.35.101様は、自衛権による武力行使と、国連憲章第7章による措置との違いをご理解されていますか?上記で、機雷の除去についてのコメントを拝見し、このような疑問を抱いてしまいましたので、失礼ながら確認させて頂きました。開戦条約についての有効性に異論は無いとお伝えしました。これは、不戦条約や国連憲章が有効であることに異論がないことと同じです。不戦条約や国連憲章では、戦争は「違法」です。許される武力行使の2形態と、宣戦布告と、よくお考え下さい。この記事に必要な節・内容だとは思えません。また、ご提示頂いている、中谷長官の国会答弁、日刊ゲンダイの阪田氏のインタビュー記事、これのみで独立した節なり記事なり作成はできないと考えます。国会答弁は、中谷氏以外に、同様の主旨のものはありますか?また、日刊ゲンダイが信頼できるソースとは言えない理由はすでに示しております。また、en:WP:UNDUE 第1文で、Neutrality requires that each article or other page in the mainspace fairly represents all significant viewpoints that have been published by reliable sources, in proportion to the prominence of each viewpoint in the published, reliable sourcesと 書かれていますよね。ご自身に都合のよい部分だけを抜き出すクセは、早く直されたほうがよいかと思います。119.173.35.101様のご利用になった基本書はお示しいただけないということですね。基本書に基づく議論は有意義たと思いましたが、ご賛同いただけないということですか。承知しました。この対応は、ノートでの合意形成へのネガティブな対応と判断される可能性がありますので、ご注意下さいませ。
119.173.35.101様に以前、コメントさせて頂いた、「宣戦布告が必要」と「宣戦布告が不要」との間の、様々なバリエーションについてはご理解いただけましたのでしょうか?Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはを再度お読み下さい。--joker会話) 2014年8月17日 (日) 11:26 (UTC)修正--joker会話2014年8月17日 (日) 12:28 (UTC)
パリ不戦条約では「自衛のための戦争」は禁止されていませんし、国連憲章第2条で禁止されているのは「領土の一体性および政治的独立に対する武力の行使若しくは武力による威嚇」であり、「自衛のための戦争」を禁止している項目はありません。「戦争は違法」などと言うのは、不正確であり、集団的自衛権を論じる際は不適当と言えます。また、「開戦に関する条約」では、「戦争開始前に宣戦布告をせよ」と規定している訳ではなく「敵対行為(hostility)開始前に宣戦布告せよ」と定めており、「これは戦争ではない」などと言っても「敵対行為(hostility)」を行う以上は宣戦布告が必要であるという規定になっています。このくらいはご存知ですよね。
あと、防衛大臣の国会答弁や、元内閣法制局局長の発言は「tiny minority」に当たらないでしょう。また、"reliable souece"に該当すると再三ルールを示して言っていますが、まだわかりませんか。しかし「出典はかならずしも中立性を満たしている必要はない」というルールをネタに、「出典は中立性を満たしている必要がある」と正反対に解釈して粘着し続けるというのは、どういうことでしょうか。--119.173.35.101 2014年8月17日 (日) 15:08 (UTC)
119.173.35.101様、コメントありがとうございます。不戦条約では、仰るとおり自衛のための戦争は除かれております。国連憲章2条4項では、「戦争」という用語は出てまいりませんが、『不戦条約の欠陥を克服したもの』とされています[山本草二『国際法 【新版】』有斐閣、2003年。ISBN 4-641-04593-3  P.706]。すなわち、『この規定では「戦争」という言葉を使わず、「武力による威嚇または武力行使」とすることにより、その禁止は包括的となった。いわゆる「事実上の戦争」も「戦争に至らない武力行使」も禁止に含まれることはいうまでもない』とされております[藤田久一『国際法講義 Ⅱ人権・平和』東京大学出版会、1994年。ISBN 4-13-032084-X  P399]。
防衛大臣の国会答弁は、一次資料です。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源には、一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。と書かれております。法制局長官の発言は、"reliable souece"にはあたりません。Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかでは、『ウィキペディアにて「情報源(source)」という用語は3つの側面を持ちます。創作物自体(文章・記事・論文・書籍など)、創作物の製作者(著者など)、創作物の出版機関(東京大学出版会など)の意味に解釈されます。この3つ全てが情報源の信頼性に関わってきます。ウィキペディアの記事は、正確性と事実確認について信憑のある、公表された信頼できる第三者の資料に基づかなければなりません。』とされています。創作物自体は、インタビュー記事です。創作者は不明です。出版社は日刊ゲンダイです。日刊ゲンダイは正確性と事実確認に信憑性がありますか?Wikipedia:信頼できる情報源#独立した二次資料とは?においても、
  • 編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている
  • 合作していない
  • 利用できる一次資料を彼ら自身で見ており、評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている
といった点をあげていますが、これらの基準をクリアしていると判断できません。--joker会話) 2014年8月17日 (日) 17:26 (UTC) (勝手ながらインデント付記いたしました。すみません。--ぽん吉会話2014年8月18日 (月) 03:18 (UTC))
ひとつ気になったのでコメント。米国議会調査局(CRS)の2007年3月8日のレポートにも "The last formal declaration of war was enacted on June 5, 1942, against Rumania during World War II" とありますとおり、アメリカが正式に宣戦布告を行ったのは1942年が最後で、IP119..さんが度々仰る「アメリカはイラク戦争の際に宣戦布告しています」は間違いです。ちなみに英国貴族院報告書Waging war: Parliament’s role and responsibility, p.7にも、1942年以降英国は宣戦布告を行ったことがない+ "the United Kingdom is not at war with Iraq because there has not been a declaration of war. (宣戦布告がなかったため英国はイラクとは戦争状態ではない)"と書かれてまして、さらには「Developments in international law since 1945, 」以下では宣戦布告は redundant(不必要に)なった旨も述べられております。以前取り上げた森田論文の「はじめに」にも『国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。』とあります。上でjokerさんが求める"2次資料"とはこういったものでは? どうもIP119..さんは、出典の内容と記述しようとする内容がかみ合ってないように見受けられますので、まずは適切な2次資料のご提示をお願いします。--ぽん吉会話2014年8月18日 (月) 03:47 (UTC)
上にも書きましたが、細かいことを言えば、イラク戦争は「宣戦布告」ではなく「条件付き戦争宣言付き最後通牒」で始まっています。しかし「開戦に関する条約」では「宣戦布告」と「条件付き戦争宣言付き最後通牒」は同等なものとなっています。記事に一々「宣戦布告もしくは条件付き戦争宣言付き最後通牒」と書いた場合、単に読みにくくなるだけだと思います。もし気になるようでしたら、最初だけ「宣戦布告(もしくは条件付き戦争宣言付き最後通牒)」と書いて、以降は「宣戦布告」と略記すれば良いと思います。
あと、国連憲章は「あらゆる」武力の行使または武力による威嚇を禁じたのではなく、「領土の一体性および政治的独立」に対する武力行使または武力による威嚇を禁じただけです。ですから、森田論文は正確ではありません。人質救出のための武力行使とか、大量虐殺を止めるための武力行使とか、難しい問題は結構あります。--119.173.35.101 2014年8月19日 (火) 15:00 (UTC)
コメント あの、、、『「宣戦布告または最後通牒」と書かれていたので「最後通牒」を「宣戦布告」に置き換えて「イラク戦争でアメリカは宣戦布告した」』ということですか?「同等なもの」は「同じもの」ではありません。「AまたはB」は「A=B」ではないです。例えばアルバイトの募集なんかに「「大学卒業以上または同程度の学力を有する方」と書いてあることもありますが、このとき大卒と同程度の学力を有する○○さんが採用されたとしても「○○さんは大卒である」とは言えません。平たく言えば "嘘" ですので。
あと森田論文ですが、「あらゆる」の後「(中略)(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。」とあります。IPさんの仰る人質救出のための武力行使は上記「自衛権」の行使、大量虐殺を止めるための武力行使は上記「国連による集団的措置」です。森田論文も「あらゆる」の後にこのように武力行使が行われるケースに言及しておりますので、「あらゆる」の一語だけをとりだして「正確ではない」とのご批判は当たりません。
本節冒頭で磯崎氏から、川口順子外務大臣の「以前の戦時国際法に基づいていわゆる宣戦布告をして戦争をやるというような、そういうタイプの武力行使といいますかいわゆる戦争、そういうことは禁止されている(平成15年3月5日の参議院予算委員会)」という答弁が政府の見解でありまた磯崎氏の見解とも矛盾しない旨ご本人コメントがありましたが、上記森田論文および英国貴族院報告書もそれを裏付ける内容です。アメリカをはじめとするいわゆる先進国が第2次大戦以降「宣戦布告」を行った例はないという事実(参考en:Declaration of war#Declared wars since 1945)と併せ、論拠を示せない「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」とのご主張は、お取下げ願います。--ぽん吉会話2014年8月20日 (水) 02:11 (UTC)
ちゃんと断って書いてますよ。ここでも[98]、ここでも[99]。まあ、「宣戦布告(条件付き戦争宣言月最後通牒)」の「月」は「付き」の変換間違えだけど。あまり重箱の隅をつつくような議論は感心しません。
しかも、ぽん吉さんの引用した川口外相の国会答弁だって、「宣戦布告」という語を、「最後通牒」も含めた広義の「宣戦布告」意味で使っていますよね。しかし、川口外相の国会答弁のわずか12日後に、アメリカはイラクに対し「条件付き戦争宣言付き最後通牒」を示して戦闘を開始し、イラク全土を軍事占領する訳ですが、そのアメリカの「武力行使」を川口外相は支持する訳で、どう考えても矛盾していますよね。「宣戦布告をして戦争をやるというような、そういうタイプの武力行使といいますかいわゆる戦争、そういうことは禁止されている」という発言と、アメリカによるイラク進攻を支持するというのは、どうすれば両立するのか、不思議です。まあ、アメリカのイラク進攻を支持した時点で、平成15年3月5日の国会答弁は無効になったということでしょう。
あと、勘違いしていると思いますが、厳密に言えば、出典を要求されているのは、「中谷元防衛庁長官と阪田雅裕元内閣法制局長官が『集団的自衛権の行使には宣戦布告が必要』という見解を示した」ということですからね。その2人がそういう見解を示したという十分な出典は付けてあります。--119.173.35.101 2014年8月21日 (木) 15:05 (UTC)
川口大臣答弁の「宣戦布告」が「狭義の宣戦布告 (Declaration of war)」であれば後のイラク戦争支持と矛盾しないですね。IPさんの「不思議です」という結論はすなわち、「狭義の宣戦布告として理解すべきところを誤って広義の宣戦布告として理解した」ためではないでしょうか。
中谷・阪田氏らの発言も直接『集団的自衛権の行使には宣戦布告が必要』と述べたものではありません。話がそれますので詳細は触れませんが、間にIPさんの推論がはさまっており、その推論には根拠がありません。
IPさんが記事に書こうとした内容は、「どのような理由で宣戦布告が必要ないと証言したかは不明であるが」「疑問が残る」など個人的感想が多く盛り込まれてました。磯崎氏本人からも「記載には大きな論理の飛躍があり」とクレームがはいってましたね。 ウィキペディアはあなたが思いついたものを掲載する場所ではありません。ご理解願います。--ぽん吉会話2014年8月22日 (金) 07:51 (UTC)
ぽん吉さん、まじめに言っています?今の国際法だと、「宣戦布告をしての戦争」はダメだけど、「24時間以内に無条件降伏しないなら全面攻撃を行う」という「最後通牒をしての戦争」なら良い、という法解釈を川口外相が日本政府を代表してした訳ですか。ぽん吉さんの言う通りなら、日本政府の国際法解釈も落ちたものです。
>IPさんの仰る人質救出のための武力行使は上記「自衛権」の行使、大量虐殺を止めるための武力行使は上記「国連による集団的措置」です。
これも相当なご見識ですな。とくに後者の「国連による集団的措置です」というのは、完全にねじれていて、国連憲章さえも何も理解してないことを晒してますよ。「国連による集団的措置」は安保理の決議がないとできないこと理解してますか。あと、常任理事国は拒否権持ってることも知らないんですかね。もし、ウイグルやチベットで大量虐殺が起きた場合、「大量虐殺を止めるための武力行使は国連による集団的措置です」なんてピントのボケたこと言ってるんですかね。常任理事国が拒否権を発動した場合、大量虐殺を止めるための「有志連合」は可能なのか。もし可能ならその根拠は何かという問題であり、そもそも、大量虐殺を止めるための武力行使を国連加盟国がしたとしても国連憲章2条4項に違反しない(文字通りに解釈すれば領土の一体性も政治的独立も害さないから違反しない)という「難しい問題」だという話をしているのですよ。--119.173.35.101 2014年8月22日 (金) 16:04 (UTC)
追記しますが、1999年のNato軍のコソボ空爆は「集団的自衛権」でも「個別的自衛権」でも「集団安全保障」でもないですよね。ロシアがコソボ空爆を国連憲章違反と安保理に提訴する訳ですが、アメリカは「集団的自衛権」も「個別的自衛権」も「集団安全保障」も主張せず、"NATO's actions were completely justified. They were necessary to stop the violence and to prevent a further deterioration of peace and stability in the region."「NATOの作戦は完全に正当化される。作戦は、当該地域で暴力を止め、平和と安定の更なる悪化を防ぐために必要である。」国連安保理プレスリリースと主張するだけで、結局ロシアの提案は反対多数で否決された訳です。このため、「集団的自衛権」でも「個別的自衛権」でも「集団安全保障」でもない武力行使が容認(黙認)されたという前例ができた訳です。--119.173.35.101 2014年8月25日 (月) 13:12 (UTC)
追記ばかりですいませんが、「どのような理由で宣戦布告が必要ないと証言したかは不明であるが」は検証可能な事実であり、ぽん吉さんの言うような「個人的感想」ではありません。また、「疑問が残る」も検証可能な事実であり、「客観的に証明がなされていない」ということであって、「個人的感想」ではありません。後者については既に妥協案は示してありますが[100]、「疑問が残る」を消すだけなら結構です。--119.173.35.101 2014年8月28日 (木) 14:47 (UTC)
どうも間が大きく空いてしまい、IPさんには追記ばかりさせてしまったようで、すみません。頂いた内容は私の発言していない内容に対して反論するといったもののようですので個別に解説することは控えます。概して、IPさんは国会答弁などの一次資料を独自に評価して個人的な感想を記事本文に書き込まれる傾向があり、指摘を受けてもそれを改めることをされてこなかったように見受けられ、残念です。--ぽん吉会話2014年9月12日 (金) 06:14 (UTC)
これ[101]Refree/jokerさんのコメント依頼ですよね。
>「出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。」における「かならずしも」とは、これも「原則は出典とする情報源自体の中立性を満たす必要があり、例外的に中立性不十分な情報源が出典と認められることもありうる」と解釈しているのですが、これは一般的な解釈であっていますでしょうか?
既に、Wikipedia:検証可能性#中立性「出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。多くの信頼できる情報源は中立的ではないことが多いです。」は示してありますが、ルールを本当にご存知ないようですね。--119.173.35.101 2014年9月12日 (金) 15:53 (UTC)
なんでいきなり「Refree/jokerさんのコメント依頼ですよね」なのでしょうか? IPさんはコメントの場所をお間違えではないでしょうか。転記なさってください。(転記の際は私のこのコメントは削除していただいて結構です)--ぽん吉会話2014年9月16日 (火) 08:32 (UTC)
場所の間違いではないですよ。このセクションにあるjoker(会話) 2014年8月17日 (日) 11:26 (UTC)修正--joker(会話) 2014年8月17日 (日) 12:28 (UTC)からのつながりです。--119.173.35.101 2014年9月16日 (火) 15:42 (UTC)

反対意見も既に理由がなくなったようですので、Henaresさんにより勝手に消された[102]記載をそろそろ復活します。Henaresさんへ、Wikipediaのルールを正しく理解し、ルールを守って編集してください。--119.173.35.101 2014年9月23日 (火) 13:13 (UTC)

119.173.35.101さんのこの記述につきまして、問題点を指摘しておきます。
  • (中谷防衛庁長官関係)『「集団的自衛権を行使するには宣戦布告が必要」という解釈が日本では支配的である。』との記述に出典がない。(『支配的である』として専門家・研究者は誰?)
  • (ラスク国務長官関係)『開戦に関する条約の宣戦布告義務がなぜ適用されないかについては何も論じておらず疑問が残る』との記述に出典がない。(『疑問が残る』とした専門家・研究者は誰?)
  • (米国議会調査局関連)米国議会調査局の2007年3月8日のレポートp.27の「(現代の国際法において宣戦布告は時代錯誤的なものになってしまったかもしれない)Thus, declarations of war may have become anachronistic in contemporary international law. 」等の記述を無視し、『「自衛権行使のための宣戦布告」は認められているとの見解を示している』を『米国議会調査局の結論』とするなど、読者を誤った解釈に誘導するような文章があり、不適切。
  • ([礒崎陽輔氏関連)礒崎陽輔氏の発言を出典に『2014年7月1日の閣議決定による解釈改憲直後であるにも関わらず、宣戦布告の必要性について十分調査されていないことを吐露している。』と記述し、礒崎氏本人から「記載には大きな論理の飛躍があり、私のこの発言をもって政府の検討状況を批判するのは、適切ではありません。[103]」との指摘を受けており、不適切。
以上、他の皆さんからも何かありましたら追加ご指摘ねがいます。--ぽん吉会話2014年9月25日 (木) 03:51 (UTC)
ご指摘の通り直しました。Thus, declarations of war may have become anachronistic in contemporary international law.も脚注に入れてあります。--119.173.35.101 2014年9月25日 (木) 13:33 (UTC)
直ってないですよ。取り敢えず「独自研究」タグを貼っておきました。後で加筆したいと思います。--ぽん吉会話2014年9月26日 (金) 01:16 (UTC)
119.173.35.10さんは反対意見がこれだけ[104][105][106][107][108]あったのがわかりませんでしょうか?いずれも理由が書かれていることが読むことができないのでしょうか?119.173.35.101さんはいつまでも納得せずに延々とコメントを連発すれば他者意見を無効にできるとでもお考えなのでしょうか?ぽん吉さんが加筆するとおっしゃっているので今すぐに記事の編集をすることは控えますが、Wikipedia:独自研究は載せないに反するものでありノートでの他者意見も無視したものですので、{{独自研究}}の貼り付けではなく即時差し戻しをすべき編集であったと個人的に思います。訂正なさるのはぽん吉さんでも119.173.35.101さんでもかまいませんが、一定期間経過しても皆さまのご意見を容れた適切な訂正がなされないようであれば方針と他者意見を無視した編集強行として除去させていただきます。--Henares会話2014年9月26日 (金) 11:49 (UTC)
この節は、119.173.35.101様の独断で復活させているので、削除で構わないと思います。そもそも、この節は119.173.35.101様以外の多くの利用者から「独自研究である」との指摘があったにもかかわらず、一方的な強行編集が行われたため、私が保護依頼を行い、2週間の半保護とされたと記憶しております。ぽん吉様が加筆・修正なさるのでしたら、一旦、この節の編集はさし控えます。--joker会話2014年9月27日 (土) 19:21 (UTC)
異論のあったところは、全て修正に応じたはずですが。--119.173.35.101 2014年9月29日 (月) 15:12 (UTC)

(インデント戻す)編集が遅くなりまして申し訳ありません。ちょっと直してみました(こちら差分)。IPさんの記述をなるべく活かそうと思いましたが、ほとんど残らなくなってしまいすみません。「宣戦布告との関係」といいましても、本節冒頭での磯崎氏のコメント「国際法上戦争が違法化されている中で、「宣戦布告」という概念はありません。」とのツイッター発言がすべての様な気がしました。ただ朝日新聞や江崎議員の発言なども見つかり、今後も安倍政権に警鐘を鳴らす意味で「宣戦布告が必要」との発言がでるかもしれないと思いましたので「そういう言及のされ方もある」と紹介する意味で記述してみました。そもそも節立てて取り上げるトピックなのか疑問にお持ちの方もいらっしゃるかとは思いますが、上記をふまえコメントいただければ幸いです。--ぽん吉会話2014年9月30日 (火) 06:36 (UTC)

(追記)なお中谷防衛庁長官発言は、少し古いのと発言の趣旨が少しずれているため除外、阪田発言は日刊ゲンダイ、磯崎発言はツイッターでそもそも信頼できる情報源の点でやや不適切 < 朝日新聞・豊下・古関の本・決算委員会発言の方が適切と思い除外させていただきました。また、もとの記述の米国議会調査局・ラスク発言の出典の使い方も不適切で趣旨もずれている感がありましたので除去しております。--ぽん吉会話2014年9月30日 (火) 06:48 (UTC)
明記されているすべての資料に目を通したわけではありませんので確定的なことは申し上げられませんが、「出典」として提示されている資料と正反対のことが書かれていたり119.173.35.101さんの個人的な感想文が書かれていた以前の状況から比較するとかなり改善されたかと思います。このノートでの議論紛糾状態が落ち着いたら集団的自衛権#参考文献に書かれていることとこのたびの編集で提示された資料双方に沿う形で変更などする提案をさせていただくかもしれません(わざわざ提案する必要がないような微細な変更となるかもしれませんが、詳しくは未定です)。--Henares会話2014年10月5日 (日) 10:29 (UTC)
「宣戦布告をあえて行う必要性に疑問を呈した上で」って、米国議会の報告書のどこにそのようなことがかいてありました?--119.173.35.101 2014年10月6日 (月) 15:44 (UTC)
例えば、報告書冒頭の"Summary"の第3段落「In contrast to an authorization, 」以下を、IPさんはどのように理解されましたか?以下に要約してみてください。--ぽん吉会話2014年10月7日 (火) 01:09 (UTC)
やはり、ぽん吉さんの誤解でしたね。速やかにぽん吉さんの書いた部分を修正したいと思います。
In contrast to an authorization, a declaration of war in itself creates a state of war under international law and legitimates the killing of enemy combatants, the seizure of its property, and the apprehension of enemy aliens. At one time, a declaration was deemed a necessary legal prerequisite to a war and was also thought to terminate diplomatic and commercial relations and most treaties between the combatants. In modern era, the international legal consequences of declaration have become less determinate; in fact, declarations have rarely been issued since World War II. Perhaps most important, neither a declaration nor an authorization is necessary to trigger application of the laws of war, such as Hague and Geneva Conventions; for that, the fact of armed conflict is the controlling circumstance.
「(武力行使の)承認とは対照的に、宣戦布告は、それ自体、国際法上の戦争状態を作り出し、敵戦闘員の殺害、敵財産の差し押さえ、敵国人の拘束を適法化する。ある時においては、戦争に必要な前提条件と見做され、交戦国間の外交的、商業的関係および条約を終結させると思われていた。現代において、宣戦布告の国際法上の帰結はそれほど決定的ではない。実際、宣戦布告は第二次世界大戦後あまり発せられていない。もしかしたら最も重要(なことは)、ハーグ条約やジュネーブ条約などの戦時国際法の適用のトリガーとしては宣戦布告も(武力行使の)承認も必要ない。武力紛争の事実が、そのための決定状況である。」
勘違いされていると思いますが、「戦時国際法の適用のトリガーとしては宣戦布告は必要ない」(宣戦布告が無くても戦時国際法は適用され捕虜などは保護される)と言っているのであって、宣戦布告自体が必要ないとか、宣戦布告の必要性に疑問を呈している訳ではありません。むしろ、段落の初めの文は現在形で書かれており、「宣戦布告は、それ自体、国際法上の戦争状態を作り出し、敵戦闘員の殺害、敵財産の差し押さえ、敵国人の拘束を適法化する。」という重要な法的効力が現在でもあるという点が重要でしょう。--119.173.35.101 2014年10月7日 (火) 16:17 (UTC)
その解釈はちょっと苦しくないでしょうか? 「現在形で書かれてる」=「(宣戦布告に)法的効力が現在でもある」はいいんですけど、「現在形で書かれてる」=「"重要な"法的効力が現在でもある」とした部分に論理の飛躍があります。
なんで「現在形で書かれてる」=「重要」なんでしょうか? その文の次に「現代において、宣戦布告の国際法上の帰結はそれほど決定的ではない。実際、宣戦布告は第二次世界大戦後あまり発せられていない。」と書かれているのをスルーしてますし。やりたい放題ですね。--ぽん吉会話2014年10月8日 (水) 02:53 (UTC)
明らかに119.173.35.101さんの資料の誤読ですし、差し戻してしまっても問題ないのではないでしょうか?--Henares会話2014年10月9日 (木) 11:31 (UTC)
>なんで「現在形で書かれてる」=「重要」なんでしょうか?
宣戦布告には人を殺すことを適法化する効力が現在形である、しかもそれが「(武力行使の)承認とは対照的に」そのような法的効力があると言っている訳ですよ。重要ではないですか。「(武力行使の)承認とは対照的に」の部分を信じれば、宣戦布告したあと米兵が敵兵を殺害すれば、その行為は殺人罪に問われることはないが、宣戦布告をせずに米兵が敵兵を殺害すれば、その行為に対し対照的な法的結果をもたらすと言っているわけですよ。
それで、要出典をつけた「宣戦布告をあえて行う必要性に疑問を呈した上で」の出典は見つかりましたか。--119.173.35.101 2014年10月9日 (木) 16:17 (UTC)
すみませんがIPさんの編集は差し戻させていただきました。森田論文p137「とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し」とか、CRS報告書p24「宣戦布告は一般にもはや武力行使の法的要件とはみなされていない( a declaration generally is no longer regarded as a legal prerequisite to the use of force. )」でもつけようかと思いましたが、止めました。上のIPさんのコメントも意味が分かりません。「その行為に対し対照的な法的結果をもたらす」って、「宣戦布告をせずに米兵が敵兵を殺害すれば、その行為は殺人罪に問われる」ってことですか??--ぽん吉会話2014年10月10日 (金) 03:37 (UTC)
「要出典」を勝手に消すのは荒らしですよ。話になりません。
>「宣戦布告をせずに米兵が敵兵を殺害すれば、その行為は殺人罪に問われる」ってことですか??
米国議会調査局の報告書の当該箇所をご自身で読まれればどうですか。「(武力行使の)承認とは対照的に、宣戦布告は、それ自体、国際法上の戦争状態を作り出し、敵戦闘員の殺害、敵財産の差し押さえ、敵国人の拘束を適法化する。」それ以外の解釈があるなら、ぽん吉さんの解釈を聞かせてもらいたいものです。--119.173.35.101 2014年10月10日 (金) 15:01 (UTC)
細部に入れ込み全体が見えない、いつものIPさんのパターンですね。報告書本文に「宣戦布告はもう時代遅れでだれも使わなくなりました」と書いてあっても「宣戦布告には人を殺すことを適法化する効力がある、武力行使の承認とは対照的に!これは重要だ」と主張してしまう。。。「人を殺すことの適法化=戦争の合法化」は宣戦布告"だけ"の効力なんですか? 勘弁してくださいよ。--ぽん吉会話2014年10月16日 (木) 07:56 (UTC)
  • コメント 先日変更を提案するかもしれない旨申し上げましたちょうどその個所に{{要出典}}が付けられましたのでコメントします。「第1次大戦後の不戦条約や第2次世界大戦後の国連憲章(2条4項)などの国際法が整備され戦争が違法化されるに従い、宣戦布告の手続きがとられることはなくなっていった。」の個所が要出典となっていますが、「宣戦布告の手続きがとられることはなくなっていった。」の部分を「宣戦布告が法的に許されなくなった」とすれば、『国際法辞典』の「開戦宣言」(p43)の項目の記述内容と一致しますのでこれを出典とすることができるかと思います。ただしその記述の直前には国連憲章などによる戦争違法化以前の開戦宣言についての記述もありまして、『集団的自衛権と安全保障 』にどのように記述されているのか確認はしておりませんが、その「開戦宣言」の項目の部分と現在の記述は少し食い違っています。「1907年の開戦二関スル条約1条では、理由を附した開戦宣言又は条件付き開戦宣言を含む最後通牒が戦争を開始するために必要であるとしたが、実際にはこれらがなされないまま戦争が開始されることも多かった。近年では、戦争の違法化の下で、・・・(以下略)」となっており、同じく『国際法辞典』の「開戦ニ関スル条約」の項目をみるとこの条約を批准したのはわずかに43カ国でしたから([109]の243-244頁に全当事国のリストがあります)、戦争違法化の時代以前にも開戦ニ関スル条約第1条に規定された義務が条約当事国だけに特別に定められた義務でなく全世界的に適用された義務とするには別途その旨を示す出典が必要かと思われます。従いまして{{要出典}}とはなっていませんが、「・・・敵対行為(hostility)開始前に行っておく義務がある。」の部分も、これでは全世界的・普遍的義務と受け取りうる文章となっていますので修正する必要があるかもしれません。なお国際法辞典の「開戦宣言」の項目には「戦争宣言、宣戦布告ともいう。」と書かれていますので、国際法辞典が言うところの「開戦宣言」という用語は「宣戦布告」という用語と同じ意味と考えて差し支えないかと思います。--Henares会話2014年10月7日 (火) 11:55 (UTC)
「宣戦布告が法的に許されなくなった」って、その「国際法辞典」は何を根拠に書いているのですかね。既に述べましたが、1次資料に根拠がない資料は2次資料とはなりえませんので、はたして「国際法辞典」の当該記述が2次資料に該当するのか、「宣戦布告が許されなくなった」という一次資料が存在するのか(まさかソ連が作った「侵略の定義に関する条約」でしょうか)疑問です。また、記載内容が異なりますから、出典としては不可でしょう。
また、「第1次大戦後の不戦条約」の部分がさらに問題で、もし不戦条約で宣戦布告が禁止されたというのなら、なぜ第2次世界大戦であれだけ多くの宣戦布告が行われ、逆に宣戦布告を行わなかった日本が非難されたのか、説明が必要でしょう。
「条約を批准したのはわずかに43カ国」これも、当時は世界のほとんどが列強の植民地で、国の総数も少なかったのですから、わずか43国というのは当たりません。--119.173.35.101 2014年10月7日 (火) 16:17 (UTC)
上記のような個人的感想で『国際法辞典』に書かれていることを否定している時点でWikipedia:検証可能性を全く理解できていませんし、『国際法辞典』の「開戦宣言」の項目に国連憲章や国連総会決議という一次資料が示されていることをこれまでに申し上げている[110][111]のにもかかわらず『国際法辞典』を「1次資料に根拠がない資料」などとおっしゃっている時点でこれまでの議論の内容も全く理解できていません。何をどう説明しても119.173.35.101さんに他者の説明を理解する能力が備わっていないのでは物事を説明しようがありません。何かコメントをされる前にこれまで皆さまがなにをおっしゃってきたかをもう少しきちんとお読みください。--Henares会話2014年10月9日 (木) 11:31 (UTC)
(Henaresさんへ)「第1次大戦後の不戦条約や第2次世界大戦後の国連憲章(2条4項)などの国際法が整備され戦争が違法化されるに従い、宣戦布告の手続きがとられることはなくなっていった。」の個所につきまして、「第1次大戦後~(略)違法化されるに従い」までの箇所は、米国議会調査局の報告書のp.25 「The right of a state to initiate war, many contend, has been outlawed by such international agreements as the Kellogg-Briand Peace Pact and the Charter of the United Nations. 」および前後の文章を、「宣戦布告の手続きがとられることはなくなっていった。」の箇所は同報告のP.27 「Perhaps as a consequence of these developments, declarations of war have fallen into disuse and are virtually never issued in modern conflicts. 」を出典("these developments"が先のp25含め、pp.25-27に書かれている)になるかと思います。もともとはその後に続いて出典つけて書いた文章のまとめのつもりで書きました。(他の要出典タグが貼られた部分も出典をつけて書いた部分のまとめなんですけどね。)
節冒頭の文は、IPさんが書いたものを残そうとしてちょっとズレました。「1907年の開戦に関する条約第一条によれば、宣戦布告(declaration of war)は、敵対行為(hostility)開始前に行っておく義務がある。」の方がよかったでしょうか。--ぽん吉会話2014年10月8日 (水) 06:05 (UTC)
宣戦布告の手続きがとられることはなくなっていった。」の論拠については理解しました。『国際法辞典』を出典として追加し文章を変更するまでもなく、上記に示された資料を逐次的に示していただければ{{要出典範囲}}は除去しても問題ないと思います。単なる資料間の言い回しの違いの問題にしかすぎなかったのかもしれません。私もただ逐次的に書いていないだけで出典はあるのでは?とは思いましたが、やはり出典は可能な限り逐次的に示した方が好ましいと思います。冒頭部については、そもそも戦後初めて明文化された集団的自衛と1907年の開戦に関する条約に一体何の関係が?と個人的には思うものの、前記のように当該条約1条は戦前においてすらまともに順守されていなかったとの資料もありますので、その点が誤解のないように書かれるのではれば特に異論はありません。--Henares会話2014年10月9日 (木) 11:31 (UTC)
「Perhaps as a consequence of these developments」のperhapsは「もしかしたら」「ひょっとしたら」の意味ですよ。「ひょっとしたら」と付いている記述を出典にして、確定的にものを言うのはwikipediaでは許されないでしょう。--119.173.35.101 2014年10月9日 (木) 16:17 (UTC)
(Henaresさんへ)一応森田論文p137にも「とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条3項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、」とあり、CRS報告書p.24下の注の欄にも「 a declaration generally is no longer regarded as a legal prerequisite to the use of force. 」 などともありました。が、ご指摘のとおり逐次的に出典をつけるべきでした。(というより、やはりこの節いらなかったのかもしれません。。)--ぽん吉会話2014年10月10日 (金) 03:37 (UTC)

半保護依頼 → 2週間の半保護[編集]

半保護をされた管理者の 利用者‐会話:アルトクールさんに趣旨を確認しました。[113]「この記事の半保護については編集合戦が行われているため便宜的に対応したものです。対話が正常に行われれば、すぐ修正ができるようにと考えての措置です。半保護になったのは当事者全員に責任があると考えてください。」ということでした。ルールに従って、前向きに合意を目指しましょう。--119.173.35.101 2014年8月16日 (土) 14:47 (UTC)

そうですか。確かに私にも編集合戦を悪化させる編集があったかもしれません。反省します。アルトクールさんは「適切な対話及び第三者の意見を取り入れる努力を行って下さい。」ともおっしゃっています。そしてWikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京には第三者意見はすでに書かれており、あとは「取り入れる努力」だけでしょう。「ルールに従って、前向きに合意を目指しましょう。」とおっしゃるならば、119.173.35.101さんの方針理解と「宣戦布告との関係[114]」節について相当数から誤りを指摘され賛同する意見が一切ないのにもかかわらず、延々と自己正当化と他者否定をし続けるWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する119.173.35.101さんのこれまでの活動が即時に改められることを期待しています。--Henares会話2014年8月17日 (日) 02:03 (UTC)

「中立との関係」について[編集]

「中立との関係」の説ですが、全面的に書き直すべきだと思います。

  • 疑問点1「かつての戦争の非当事国にまつわる権利義務」の「かつての」の意味

この「かつての」意味が不明です。「かつての」は「戦争」にかかるのでしょうか。中立法が既に過去のものだと言いたいのでしょうか。原文を丸写しすれば良いと言うものではありません。意味の通る説明がないのであれば、意味の通らない日本語として、抹消すべきでしょう。

  • 疑問点2「中立法の適用そのものは否定されないものの、その適用範囲を狭ばめていく傾向がみられた」

原文では「戦争が違法化されていくにしたがって中立法の継続的妥当性は疑問視され、その適用範囲を狭めようとする傾向が見られるようになった。」でニュアンスが相当違います。さらに、原文ではその段落の結論として、「しかし、こういった状況の下で、武力紛争への関与を望まない第三国は、自ら中立を選び、また交戦当事者による臨検・捜索等の交戦権の行使を受け入れることによって中立が依然として効力を維持していることを示してきた。」と正反対のことを書いており、むしろこの森田論文の力点は「中立が依然として効力を維持している」の方です。しかし、現状の記事では、著者が枕として使ったに過ぎない部分をあたかも事実のように変更して記載しています。

  • 疑問点3「伝統的に第三国に強制された中立の地位を離脱する事態が生じる」

中立の地位は「強制」されるものでしょうか。Henaresさんは山本草二著『国際法【新版】』の「一方的行為により中立国としての地位を取得する」という「強制された中立」とは相容れない説のはずですし、土屋説も「中立は強制されるものではない」としています。このように、対立する説が示されているのに、一方の説のみをあたかも事実のように記載するのは、NPOV違反でしょう。

  • 疑問点4「今日では自衛権が国家間における武力行使を法的に正当化する唯一の根拠となる」

集団安全保障は自衛権には含まれませんが、正当な武力行使です。上記記載はその事実に反します。原文では「(国連による集団的措置を除いて)」とカッコ書きがついているのに、それを省略した意味が分かりません。

  • 疑問点5「非交戦国」

非交戦国は集団的自衛権と無関係であり、なぜ集団的自衛権の記事に非交戦国についての記載があるのか不明。集団的自衛権を援用して武力行使を行うことは、非交戦国の問題(武器供与などの非戦闘支援)とは関係ないのに、誤解を招こうとしています。--以上の署名のないコメントは、[[利用者: 119.173.35.101| 119.173.35.101]]([[利用者‐会話: 119.173.35.101|会話]]・[[特別:Contributions/ 119.173.35.101|投稿記録]])さんが 2014年8月10日 (日) 18:38 (UTC) に投稿したものです(joker会話2014年8月10日 (日) 18:52 (UTC)会話)による付記)。

Referee/Jokerさんありがとうございます。--119.173.35.101 2014年8月11日 (月) 14:42 (UTC)

ご指摘ありがとうございます。論点ごとに回答します。
  • 疑問点1に対して
「かつての」という形容詞は「戦争の非当事国にまつわる権利義務」にかかります。なぜこのような初歩的な形容詞の用法を解説して差し上げなければならないのでしょうか?その文章に続いて「かつて」と「国際連盟規約や不戦条約が戦争を違法なものとして定めて以降」という時代を分けて記述していることが読めませんでしょうか?文章は一部分を抜き出して読むのではなく全体をきちんとお読みください。記事の文面をより分かりやすいものにすることは常に考えなければなりませんが、記事文面と出典の双方を読んでも意味を理解できないのならば、それは119.173.35.101さんの文章読解能力不足の問題です。
  • 疑問点2に対して
その点については、かつての中立法がかつてのままの形では妥当せずに変容しながらもなお効力を有し続ける、という論旨を簡単に説明できていいれば良いかと思います。中立法のあまりに詳細な沿革は現在リダイレクトとなっている「中立法」に書かれるべきことでしょうからこの記事にあまり詳細に書き過ぎることは好ましくないとは思いますが、よりよい文面があるのならばご提示ください。方針に沿ってよりよい文面と判断しうるものならば半保護中であっても私が代行して記事を修正してもかまいません。
  • 疑問点3に対して
これは森田(2005)、137頁を出典として明記していましたが、正しくは森田(2005)、139-141頁、「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」第2段落を出典としたもので、明記する頁番号を誤りました。下書き段階で他者が記事に反映させることを想定していなかったとはいえ軽率でした。申し訳ありませんでした。訂正しておきます。
  • 疑問点4に対して
確かにおっしゃる通りですので、「国連による集団的措置を除いて」の文言を書き足せばよいことかと思います。書き足しておきます。
  • 疑問点5に対して
この記事に「非交戦状態」に関して記述しているのは、森田(2005)、139-141頁、「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」の個所で、集団的自衛権と非交戦状態が関係づけられて論じられているからです。「非交戦国は集団的自衛権と無関係であり」だとか、「集団的自衛権を援用して武力行使を行うことは、非交戦国の問題(武器供与などの非戦闘支援)とは関係ない」とおっしゃる論拠は一体どこにあるのでしょうか?すでに何度も申し上げましたが、出典に書かれていることを個人的思想で否定しようとしないでください。
なお、記事が半保護中であってもウィキペディアにおけるマナーを守ったうえで議論されるのならば可能な限り応じるつもりですが、さらにいつまでも納得しない対話姿勢がこの議論や#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてでも継続されるのならば、119.173.35.10さんに記事の編集権があるかどうかだけでなく議論への参加権があるかどうかまでコミュニティに発議せざるを得なくなります。議論参加を継続なさるのならば、なぜ記事が半保護となり119.173.35.10さんが記事の編集から排除されたのかをよくお考えの上、慎重にお願いいたします。--Henares会話2014年8月11日 (月) 12:28 (UTC)
疑問点1について
そうだとすると、「かつての戦争の非当事国にまつわる権利義務の総体を中立法といい」というのは定義として、可笑しいですね。中立法は過去の権利義務のことになってしまいます。普通に「戦争の非当事国の権利義務に関する国際法を中立法といい」とすべきなんじゃないんですか。最低限意味の通る日本語にしましょう。
疑問点2について
それなら、戦争違法化に伴い中立法の内容は変わって行ったなんて、書く必要がないと思います。中立法の歴史なんて、今の集団的自衛権と関係ないですよね。今の中立法と集団的自衛権と関係を書けば良いでしょう。
疑問点3について
未だにNPOVについて分かりませんか。「中立が強制される」と「中立は強制されない」という説がある場合は、両論併記ですよ。
疑問点5について
原文を読んだらどうですか。
>(p139)第三国がこの侵略国に対する国際組織の制裁措置へ参加する場合、あるいは集団的自衛権を行使して被害国を支援する場合には、伝統的に強要された中立の地位を離脱する事態を生じる。但し、国連安保理が拘束力ある決定をもって侵略国に制裁を発動する場合には、国連加盟国たる第三国が中立を離れて被害国を助けるのは憲章上の義務と理解されているため、主として中立義務の逸脱が議論されるのは後者の集団的自衛権を発動する場合となる。(←ここまで集団的自衛権の話)
>(p140)交戦状況に入らない第三国が一方の交戦国を公然と支援し、中立義務を逸脱する実行は実際に第2次大戦中にも登場し、この頃から第三国が戦時中にとりうる中立以外の新たな地位として「非交戦国」というカテゴリーが議論され始めた。この論争は現在でも未だに解決を見ていないが、「非交戦国」概念が慣習法上確立したとする見解(10)が正しければ、武力紛争の第三国は中立を選ぶことも選ばないことも任意となり、選ばない場合には適法に中立義務を逸脱しうる。(←ここまで非交戦国の話)
>(p137)とりわけ国連憲章はあらゆる武力の行使及び威嚇(2条4項)を禁止したため、交戦国が宣戦布告を行う可能性は殆どと言っていいほど消滅し、(国連による集団的措置を除いて)国家間で今日戦われる武力紛争は自衛権以外に正当性を求めることは不可能となった。(←ここまで集団的自衛権の話)
>(p140)この論争は現在でも未だに解決を見ていないが、「非交戦国」概念が慣習法上確立したとする見解(10)が正しければ、武力紛争の第三国は中立を選ぶことも選ばないことも任意となり、選ばない場合には適法に中立義務を逸脱しうる。(←これは非交戦国の話)
原文では、集団的自衛権と非交戦国は、関係のない概念として区別して書いていますが、Henaresさんは、あたかも関係あるかのようにWikipediaに書いています。
記事が半保護になった責任は、主にHenaresさんにあると思います。一方的な合意を得ない編集の強行、Wikipediaの方針ガイドラインを示されても態度を改めないことなど、henaresさんに非があることは明白です。--119.173.35.101 2014年8月11日 (月) 15:27 (UTC)
記事が半保護になった理由がログインユーザーで記事の編集を禁じられていない私にあるとおっしゃるのですか。一体どういう理屈でそうなるのか。jokerさんが依頼し、管理者の方に受理された半保護の理由は「ノートでの議論にいつまでも納得しないIPユーザ様による差し戻し荒らし[115]」です。私はどう見てもIPユーザーではないですよね?ご自分がこの記事でなさった行為を「荒らし」とみなしている方までいらっしゃるということを理解してください。きちんと対話に応じて下さるのならば半保護解除を検討してもかまわないとも考えていましたが、Wikipedia:サンドボックスをご案内差し上げたにもかかわらず対案となる文面すら示さずひたすら文句をおっしゃっているだけの上記コメントをみる限り、ただ文句を言いたいというだけで記事を具体的にどうしたいのかも意味不明です。ただひたすらに自己正当化と他者否定を繰り返す非建設的対話姿勢が改められる様子は全くないようですので、記事の半保護解除は到底依頼できる状況でもなければ、まともに議論ができる状況でもなさそうですね。半保護解除後に出典に書かれていることと食い違う内容に書き改めたり、出典に書かれていない独自研究を書き込んだり、出典に基づく記述を除去したりといったことが行われるようであれば、私もjokerさんと同じように「ノートでの議論にいつまでも納得しないIPユーザ様」による「荒らし」として対応させていただきます。まず多くの利用者の意見を無視してご自分が記事の品質を貶める有害な行為を継続したために119.173.35.101さんは記事の編集権を奪われたのだということを理解してください。ひとまず「中立との関係」などという中立と集団的自衛権との関係について述べる独立した節を設けることについては119.173.35.101さんおひとりがいつまでも納得せずに延々と反対していたでけで、#中立義務についてにてすでに合意済みの事項です。この節そのものを除去したいなどというご意見をここでまた延々と繰り返すならば、いつまでも納得しない利用者として対応させていただこうと考えています。--Henares会話2014年8月12日 (火) 10:44 (UTC)
疑問点1について
再度森田論文と比較してみましたが、やはりHenaresさんの文は変ですね。
森田論文「中立法は、伝統的に戦争の合法的存在を背景に成立した、戦争の非当事国(中立国)をめぐる権利義務の総体である。」
Henares文「戦争の合法的な存在を背景とした、かつての戦争の非当事国にまつわる権利義務の総体を中立法といい」
やはり「かつての」は変ですね。あと、原文は中立法の成立時にたまたま「戦争の合法的存在」が認められていたというニュアンスなのに、Henaresさんの文章では、あたかも戦争の合法性が中立法の一部になっているように見えますね。
>ひとまず「中立との関係」などという中立と集団的自衛権との関係について述べる独立した節を設けることについては119.173.35.101さんおひとりがいつまでも納得せずに延々と反対していたでけで、#中立義務についてにてすでに合意済みの事項です。
反対した記憶はないですけどね。[116]
あと、サンドボックスをそのように使うことがwikipediaで推奨されるようになったとは聞いておりませんが、新しいガイドラインでもできたのでしょうか。--119.173.35.101 2014年8月13日 (水) 15:37 (UTC)
それで?記事文面を具体的にどうしたいのですか?上記のコメントでもただ文句をおっしゃっているだけです。ノートページは記事の改変について議論するための場所です(Wikipedia:ノートページのガイドライン)。文面を提示する場所はこのノートでも/変更案などというノートのサブページでもどこでもかまいません。Wikipedia:サンドボックスについては具体的文面を示しやすい場所としてご案内差し上げただけで、別にこのページを使用することがガイドラインで推奨されているなどとは一言も申し上げていません。他者が書いた文章を理解もせずにコメントするのはご遠慮ください。いずれにせよ119.173.35.101さんの自業自得で119.173.35.101さんは編集権を奪われたわけですし、上記のようにただ文句を言いたいだけで具体的な記事の改編に関するお話ではないのならば、私にはそんなものに応じて差し上げる義務も義理もありません。お一人で勝手にどうぞ。--Henares会話2014年8月14日 (木) 14:48 (UTC)
>お一人で勝手にどうぞ。
ありがとうございます。Henaresさんの同意をいただきましたので、そのようにさせて頂きます。--119.173.35.101 2014年8月14日 (木) 15:00 (UTC)
上記の私のコメントが「同意」にみえますか。よくそこまで都合よく文章を誤読できるものですね。先日も申し上げましたように、半保護解除後に不適切な編集が行われれば、いつ目でも納得しない荒らし利用者として粛々と対応します。--Henares会話2014年8月14日 (木) 15:12 (UTC)
あらためて提案しますと、
1.第1段落を消して、「戦争の非当事国と当事国の間の権利義務に関する国際法を中立法という。」の1文にする。
2.第2段落第1文「伝統的に第三国に強制された中立の地位を離脱する事態が生じる」を「中立の地位を離脱する事態が生じ、集団的自衛権を行使した国は交戦国の立場になってしまう」に変え、2014年7月1日日弁連会長声明を出典としてつける。
3.第2段落から非交戦国に関する部分、すなわち第2文と第4文を消去する。
となります。--119.173.35.101 2014年8月21日 (木) 15:42 (UTC)
論点ごとに。
1.論拠なし。
2.そのような記述をすることに反対する意見は#中立#修正案#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてで、複数の利用者から発せられていて、誰一人賛同する利用者がいません。そのようなことを議論なさりたいのならばここではなくそちらの議論で行ってください。またWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないWikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングはご案内差し上げたはずですが、#Marimoz9さんの2014年8月9日23:41の編集このコメント依頼のように議論で都合が悪くなると同じことを再度発議しようとするという行為があまりにも目に余ります。議論で都合が悪くなるたびにこうして別の場で同じことを発議して延々と自説を主張し続けるおつもりですか?いい加減にしてください。
3.論拠なし。--Henares会話2014年8月23日 (土) 10:53 (UTC)
1.すでに論拠は示してあります。「かつての」という語は可笑しいですよね。
2.「強制された中立」という記載と、「中立を取得するには一方的行為が必要」という山本説、「中立は強制されない」という土屋説は矛盾することは既に示してあります。対立する説があるのですから、NPOVの観点から両論併記をするか、それとも「中立が強制されるか否か」は省略するかでしょう。それとも、「強制された中立」という記載が山本説、土屋説と矛盾することが、そもそも理解できないのでしょうか。
また、日弁連会長声明にある「日本が集団的自衛権を行使すると、日本が他国間の戦争において中立国から交戦国になるとともに、国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。」から十分に「集団的自衛権を行使した国は交戦国の立場になってしまう」という記載は導き出せます。
3.非交戦国と集団的自衛権は、無関係だと言う点でまず不適当です。また、非交戦国という概念は、国際法上、必ずしも認められた概念ではなく、それはhenaresさんが出典とした森田論文自身が認めていることであり、サンレモマニュアルなども、否定する立場(交戦国と中立国という枠組みで規定しています)ですので、あたかも非交戦国と言う概念が認められているというような記載は不適当です。--119.173.35.101 2014年8月24日 (日) 14:34 (UTC)
1.そこまでおかしい文章であるのならばなぜこの記述に賛同者が現れ[117]、大幅な修正を加えていたにもかかわらずMarimoz9さんは「かつての」を変更なさらなかったのでしょうか?私を含めこの3名すべての日本語が間違っていて、ご自分だけが正しいとおっしゃるのでしょうか?「かつての」は119.173.35.101さんが日本語の形容詞の用法をご存じなかっただけのことです。ご自分の文章読解能力不足の問題を文章のせいにしないでください。
2.同じ論点に関する議論が現在進行であるにもかかわらず同じ議論をここでまた始めたことの理由の説明になっていません。また、なぜすべての利用者が119.173.35.101さんに反対していて賛同者が一人もあらわれなのでしょうか?このノートの議論に参加しているすべての利用者が間違っていてご自分だけが正しいとでもおっしゃるのでしょうか?「第三者の意見を取り入れる努力を行って下さい。[118]」とのご忠告は無視されるおつもりですか?第三者意見に耳を傾けるおつもりがほんの少しでもおありならば、#中立#修正案#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてにてなぜこれほど異論が噴出しているのか少しはお考えください。いずれにせよこの点は#中立#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてで119.173.35.101さんとの対話に応じてくださっている方々がいらっしゃるのですから、この節で議論すること自体が不適切です。
3.本文は「あたかも非交戦国と言う概念が認められているというような記載」にはなっていません。そもそも「中立との関係」節に何が書かれているのかきちんとお読みになられましたでしょうか?--Henares会話2014年8月25日 (月) 13:57 (UTC)
1.Marimoz9さんがなぜ「かつての」を消さなかったのかは知りませんが、彼の行動は「荒らし」と言っても良いようなものなので、あまり議論しても仕方がないと思います。そもそも森田論文に「かつての」に対応するものがないのですから、なぜ「かつての」を残すということになるか理解できません。
2.このセクションは「中立との関係」に記載されている文章について編集を論ずるセクションですから、ここで議論せずに、どこで議論するのでしょうか。加えて、同じ論点に関する議論は、ここ以外にどこでも行われていません。「宣戦布告」についての議論と「中立国、交戦国」の議論と、違いは分かりますよね。
3.それで、「非交戦国」と「集団的自衛権の行使」に何の関係があるのでしょうか。いつまでも逃げていないで、答えられたらいかがでしょうか。森田論文には関係あるなどとは書いてないですよね。--119.173.35.101 2014年8月28日 (木) 14:37 (UTC)
なぜすべての利用者が119.173.35.101さんに反対していて賛同者が一人もあらわれなのでしょうか?」という私の問いかけに対しても上記のようにひたすら自己正当化と他者否定を繰り返している有様ですので、このIP利用者に他者意見に耳を傾ける意思が備わっていないことは明白に証明されたかと思います。ご自分が当事者となった編集合戦による半保護解除のわずか3日後に他者編集を差し戻し別の論点に関しても編集合戦状態を引き起こしている状態ですし、このまま自己正当化や他者否定を繰り返すのならば、Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京でのご意見や「いつまでも納得しないに該当してしまう場合はWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへ連絡してください。[119]」というご意見に鑑み、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する行動を繰り返し執筆や議論を妨害し続ける利用者としてWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに通報させていただく予定です。--Henares会話) 2014年9月1日 (月) 02:38 (UTC)修正--Henares会話2014年9月1日 (月) 02:40 (UTC)
ほお。で、「なぜ」か証明できるのかな。問いかけているHenaresさん自身が答えられない問を書いて、何が言いたいのやら。
すにで何回も書いていますが、Henaresさんの記事は意味が通りませんし、原典にもないことを書いているのですから、これ以上見苦しいものをWikipediaに残さない為にも、早期に記載を修正すべきものと考えます。--119.173.35.101 2014年9月2日 (火) 13:49 (UTC)

このセクションを作った8月10日以来、ずいぶん時間が経ちましたが、Henaresさんより「理由を示した説明」はついに出されませんでした。このため、集団的自衛権と無関係な記載および原典にない記載は削除しました。--119.173.35.101 2014年9月8日 (月) 15:03 (UTC)

  • インデントもどします。合意を経ていない119.173.35.101様による削除を差し戻しました。記事において{{告知}}も行われており、合意形成を行う過程にあるにもかかわらず、一方的な削除は看過しがたいものだと判断します。--joker会話2014年9月8日 (月) 21:32 (UTC)
その集団的自衛権を行使した国は中立国から交戦国の立場に変わる[120]」などという#中立義務についてなどこれまでの議論にて全利用者が反対していた内容の加筆が強行されましたので、いつまでも納得しない利用者として管理者伝言板に通報しました[121]。管理者の方々の裁量によるものですので対処されるかどうかは分かりませんが、他者意見に耳を傾けることができない方であることはこれまでのやりとりから明らかであり、このIP利用者が関わっている限り共同作業による正常な執筆や議論はもはや不可能だと思っています。--Henares会話2014年9月9日 (火) 13:20 (UTC)

さらに1週間以上が経ちましたが、henaresさんからは何ら「理由を示して」の回答がないようです。何度も書きましたが「かつての」は原典になく「独自研究」に当たりますし、そもそも日本語として醜い表現です。また、非交戦国については、集団的自衛権との関係を何も示していません。さらに日弁連会長声明の中立と集団的自衛権に関する部分をwikipediaの記事にすることを阻む理由もありません。Referee/jokerさんは「合意を経ない編集」とコメントしましたが、1か月以上待っても理由を示せないというのは、合意以前の問題ですし、そもそもWikipediaのルールに反する記載を記事に残して置くべきではありません。--119.173.35.101 2014年9月18日 (木) 14:51 (UTC)

その集団的自衛権を行使した国は中立国から交戦国の立場に変わる[122]」という記述がなぜ不適切なのかについては#中立義務についてなどにおいて相当数の方々が「理由を示して」説明済みであり、不適切だと合意済み。119.173.35.101さんがいつまでも納得しないだけであり他者の説明を理解する能力がないだけ。形容詞の用法については説明済み。と言いますかそんなことくらいは辞書を引いて自分で調べてください。ウィキペディアは子供の遊び場ではありませんので一度説明したことや形容詞の用法などといった初歩的なことを何から何まで説明してもらえる場所ではありません。特に「その集団的自衛権を行使した国は中立国から交戦国の立場に変わる」についてはこれだけ異論が噴出しているうえに誰一人賛同者がいないのですから、何から何まで他人に説明してもらおうとするのではなく少しは自分の頭で物事を考えてください。--Henares会話2014年9月20日 (土) 16:51 (UTC)
どこにもそのような合意はありません。また独自研究である「かつての」を残す合意などと言うものがたとえあったとしても、それはWikipediaの方針に反する物であり無効です。「その集団的自衛権を行使した国は中立国から交戦国の立場に変わる」というのは日弁連会長声明から取ったものであり、それを載せないということは、むしろNPOVの観点からありえないことです。以上、Henaresさんは何も理由を示さず、反対のための反対を行っているだけであり、またWikipediaの方針の反する行為をしていにすぎません。記事をWikipediaの方針に従ったものに変更いたします。
なお、Henaresさんがいう「合意」とやらを具体的に示さないかぎり、変更を理由なく戻さぬよう願います。--119.173.35.101 2014年9月23日 (火) 12:56 (UTC)
まず「自分は方針を理解できている」という、このノートにもWikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京誰一人として賛同者がいない独りよがりな勘違いを改めてください。誰一人として賛同者がおらず全利用者が誤りを指摘している119.173.35.101さんの方針誤読を他人に押し付けないでください。これほど異論が噴出するほど方針への理解に乏しい119.173.35.101さんに「Wikipediaの方針に反する物」かどうかなど判断する能力は備わっていません。方針を理解していると一人で勝手に勘違いしているだけなのですから。119.173.35.101さんがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する悪質な議論妨害行為を繰り返しているだけで、すでに「中立との関係」には賛同者が存在し119.173.35.101さん以外に反対する利用者は存在しません。「Wikipediaの方針に反する物」というのならば119.173.35.101さんの反対意見こそがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないという「Wikipediaの方針に反する物であり無効」です。「中立との関係」節には賛同者が存在することはすでに申し上げましたが、この編集に賛同する利用者が一体どこに存在しますか?誰一人として賛同していない119.173.35.101さんの編集はよくて、複数の利用者が賛同している「中立との関係」節が不適切とは一体どういうことでしょうか?私は「中立との関係」節に賛同する利用者が存在することをすでに示しました。この編集が適切とする「「合意」とやらを具体的に」示してください。そしていい加減に子供じみた我ままをやめてください。--Henares会話2014年9月26日 (金) 11:14 (UTC)
元の「中立との関係」節にはすでに申し上げましたようにこの個所を書いた私以外にも複数の賛同者が存在したうえ、119.173.35.101さんによる編集に対しては誰一人として賛同者が存在せず、唯一として賛同している119.173.35.101さんのご意見も殆どすべてWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないという「Wikipediaの方針に反する物であり無効」ですので、119.173.35.101さんの編集に賛同する有効な意見は一切存在しません。119.173.35.101さん以外にこの編集に賛同する方が一定期間待ってもあらわれないならば、元に戻させていただきます。私はすでに元の文章に賛同する私以外の利用者の意見を「具体的に」提示済みです。119.173.35.101さんにおかれましては、この編集が適切とする他者からの「「合意」とやらを具体的に」示してください。--Henares会話2014年9月29日 (月) 12:37 (UTC)
Henaresさんはwikipediaの方針に反したことをすることを宣言されているのでしょうか。既に記載してありますが、(1)「かつての」は原典に記載がなく独自研究にあたり、(2)日弁連会長声明にある「その集団的自衛権を行使した国は中立国から交戦国の立場に変わる」の記載を拒否することはNPOV違反に当たります。wikipediaの方針に反することを一部の編集者が合意しても、無効な合意であり、その無効な合意に基づいて、wikipediaの方針に反する編集を行うことはできません。
またHenaresさんは「合意」を示しませんでした。このページを読めば、そのような合意がないことは誰でもわかることですが、なぜそのような見え透いた嘘をついて自分の編集を通そうとするのか理解できません。さらに「逆切れ」までして、「そしていい加減に子供じみた我ままをやめてください」などと言っています。「合意があったと嘘をついてごめんなさい」とか謝罪したらどうですか。--119.173.35.101 2014年9月29日 (月) 15:10 (UTC)
119.173.35.101さん以外にこの編集に賛同する意見は一切提示されておらず、その119.173.35.101さんの意見もWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないという方針に反する無効なものです。そもそも何か行動を起こすたびに次から次へと誤りを指摘されるほど方針への理解に乏しい119.173.35.101さんに「wikipediaの方針に反することを一部の編集者が合意しても、無効な合意」などと判断する能力は備わっていません。方針に何が書かれているのか全く理解できていないのですから。たしかに「かつての」を含め改善の余地があることは事実ですが、119.173.35.101さんによる編集は「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」140ページの「解決をみていない」という記述を完全に無視して日弁連会長声明のみを一方的に取り上げていますから、Wikipedia:中立的な観点に反します。「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」に書かれていることを全く理解できていません。以前にも出典の誤読を指摘しましたしつい最近にも出典に書かれていることと食い違っていることが指摘されていますが[123]、きちんと資料に書かれていることを理解せずに記事を編集しないでください。上記のようにWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する意見無効な意見しか存在しませんので、「合意があった」か、または合意がないとすればWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する悪質な議論妨害行為により合意以前にまともな議論が不能な状態というだけです。いずれにせよこの編集が複数利用者の意見を無視した合意のない編集強行であることははっきりしたかと思います。--Henares会話2014年10月5日 (日) 10:15 (UTC)
「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」140ページに何と書いてあるか見てみましょう。
「交戦状態に入らない第三国が一方の交戦国を公然と支援し、中立義務を逸脱する実行は実際に第2次大戦中にも登場し、この頃から第三国が戦時中に取りうる新たな地位として「非交戦国」というカテゴリーが議論され始めた。この議論は現在でも未だに解決を見ていないが、」
「解決を見ていない」というのは「交戦状態に入らない第三国」について「中立国」とは異なる「非交戦国」という地位が存在するかという問題であり、集団的自衛権の行使とは何の関係もない話です。集団的自衛権を行使すれば、7月1日の閣議決定にあるように、それは武力行使であり、国連憲章第51条により武力行使を安保理に報告する義務が発生するので、「交戦状態に入らない第三国」とは言えないものです。これは既に「非交戦国」のセクションで説明しましたよね。集団的自衛権と何の関係もない記載を指して、日弁連会長声明に反するなどと反論するのは滑稽です。--119.173.35.101 2014年10月6日 (月) 15:02 (UTC)
どうやら「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」140ページの「解決をみていない」の前後の極めて短い部分しか文章を読むことができなかったようですね。記事本文に書かれていた出典は140ページだけでなく「森田(2005)、139-141頁。」であり[124]、119.173.35.101さんが理解できないだけで139-141頁(「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」節)には集団的自衛権との関係もきちんと書かれています。私はこの個所を執筆するにあたって「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」全文を複数回通読しましたが、119.173.35.101さんは一度でもきちんとこの論文全文をお読みになられましたか?資料をきちんとお読みくださいと申し上げた矢先からこの有様で非常に残念です。--Henares会話2014年10月7日 (火) 10:55 (UTC)
Henaresさんにはあきれるばかりです。どこにもそんなこと書いてありませんよ。もし書いてあるというのならその部分を引用してください。
まさか「集団的自衛権を行使して被害国を支援する場合には、伝統的に強要された中立の地位を離脱する事態を生じる」を言っているのではないですよね。この部分は、「集団的自衛権の行使→確定的に中立を離脱」という話であって、次の段落の「交戦状態に入らない第三国が一方の交戦国を公然と支援し、中立義務を逸脱する実行は実際に第2次大戦中にも登場し、この頃から第三国が戦時中に取りうる新たな地位として「非交戦国」というカテゴリーが議論され始めた。この議論は現在でも未だに解決を見ていないが、「非交戦国」概念が慣習法上確立したとする見解が正しければ、武装紛争の第三国は中立を選ぶことも選ばないことも任意となり、選ばない場合は適法に中立義務を逸脱しうる。」と言う部分と対比される部分であり、「交戦状態に入らない第三国→(非交戦国が認められるなら)中立を選ぶことも選ばないことも任意」という話です。要するに非交戦国は集団的自衛権と無関係ということであって、「集団的自衛権を行使しても非交戦国になりうる」などとはどこにも書いてないし、もしそうだとすると、集団的自衛権を行使すれば確定的に中立を離脱するのに、中立を選ぶことも選ばないことも任意という支離滅裂な話になります。これは既に何度も指摘していることですが、理解できないのでしょうか。--119.173.35.101 2014年10月7日 (火) 15:25 (UTC)
今度は「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」、139-141頁「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」の第一段落しか読むことができなかったようですね。第一段落の集団的自衛権に関する記述と「解決をみていない」の部分が無関係ならばなぜ同じ「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」節に書かれているのでしょうか?集団的自衛権と「非交戦状態」が無関係ならばなぜ「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」と、「非交戦状態」というフレーズがタイトルとなっている節に「集団的自衛権」という用語が出てくるのでしょうか?国語の授業のように段落と段落がどのように関係しているのかなどということまで解説して差し上げなければならないのでしょうか?以前には冒頭部に"For the use of this term in Wikipedia's policies, see Wikipedia:No original research."と書かれているen:Secondary_sourceを根拠にウィキペディアの資料に関する方針を語り始めたことがありました[125]。あるいは、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」とはっきり書かれているWikipedia:信頼できる情報源#情報源を根拠として、「「大臣の国会答弁よりも一介の学者の説のほうが信頼性という点で優先されます」が誤りであることは理解できたでしょうか。」などと、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源に書かれている文章とは全く逆のことをおっしゃり始めたこともありました。そして今も#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてでは資料の誤読が私以外の方からも指摘されています。文章の一部分だけを読んで全体の意味を誤読するという事があまりにも多すぎます。読解能力があまりにも低質です。「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」に関して申し上げれば、第一段落と第二段落の関係性すら理解できないほどこの論文に何が書かれているのか全く理解できていませんので、「集団的自衛権」という用語や「解決をみていない」が出てくる前後だけでなく論文の全文を一度きちんとお読みください。直接の情報源が139-141頁というだけのことで、この論文は一部分を読んだだけで理解できるような簡単な内容ではありません。実際に少し文章が長くなっただけで意味がわからなくなるなどとおっしゃっていたこともあります[126]。私のこの発言[127]を「同意[128]」などと誤読していたこともありました。「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」やウィキペディアの方針、他者意見と、理解すべき文章を全く理解できていません。資料について議論しようにも119.173.35.101さんに資料に書かれていることや他者の説明を理解できるだけの文章読解能力が備わっていないのではお話になりませんので、このノートページに何か意見を書く前に資料、方針、他者意見をもう少しきちんと読んでください。また、次から次へと誤りを指摘される119.173.35.101さんの方針誤読を根拠に、複数利用者の意見を無視した編集強行[129]をこのまま既成事実化させるおつもりなのでしょうか?複数の賛成意見を示した私に同意があることを示せとおっしゃっておきながらご自分は誰一人として賛同者がいない文章をこのように無理やり記事に書いてしまうのでしょうか?Wikipedia:コメント依頼/アットネットホーム東京だけでなく管理者伝言板にも119.173.35.101さんの活動を問題視するご意見がありましたし[130]#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてでは今もなお自己正当化と他者否定に終始する非建設的対話姿勢が継続されています。119.173.35.101さんの参加姿勢が今すぐに根本的に改めれらないのならばWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないを理解しようとしないWikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者に該当すると判断しWikipedia:投稿ブロック依頼の審議(Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックとは別物)を開始させていただく予定です。--Henares会話2014年10月9日 (木) 10:41 (UTC)
バカバカしい限りです。集団的自衛権と非交戦国の関係を示せという問いに対し、その節のタイトルが「「非交戦状態」による中立の逸脱」という点しか示せないのですか。「「非交戦状態」による中立の逸脱」という節に「集団的自衛権」や「国際組織の制裁措置への参加」が記載されている理由は、「「非交戦状態」による中立の離脱」と対比して論じているためであり、そのようなことは読めば誰でも分かることです。その対比というのは、既に書きましたが、「集団的自衛権を行使して被害国を支援する場合には、伝統的に強要された中立の地位を離脱する事態を生じる。」という部分と、「交戦状態に入らない第三国が(中略)中立を選ぶことも選ばないことも任意となり」という部分で、片方(集団的自衛権を行使した場合)は確定的に中立を離脱するのに対し、もう一方(集団的自衛権を行使しない場合)は中立を選ぶことも選ばないことも任意という、異なる結果を生むという話です。それを、どう読めば集団的自衛権を行使しても、中立を選択することもしないことも任意と読めるのでしょうかね。
あと、「ある文献が2次資料か否か」という問題と「その資料が信頼できる資料か」というのは別次元の問題ですからね。wikipediaの方針を良く読んでください。--119.173.35.101 2014年10月9日 (木) 15:54 (UTC)
上記IP利用者はWikipedia:投稿ブロック依頼/アットネットホーム東京 (119.173.35.101)の審議の結果投稿ブロックとなりました。上記のコメントも「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」、p139-141の「(2)「非交戦状態」による中立の逸脱」節の同じ節に記述されているにもかかわらずその関係性を無視して第2段落と第3段落を無理矢理切り離している、またはどちらか一方の段落しか読もうとしていないだけで、「集団的自衛権と非交戦国の関係を示せという問い」に対しては最初からp139-141と示しています。日弁連会長声明は集団的自衛権を行使すると(自動的に)交戦国となるとの記述になっていますが、「武力紛争の第三国に対する武力行使の正当性」では交戦国以外に非交戦国概念が慣習法上確立しているとの見解を示す情報源も書かれており(Schindler,"Transformations in the law of neutrality since 1945", Humanitarian law of armed conflict, 1991, p.373, OCLC 555455732)、『国際法【新版】』にも非交戦状態に関する記述が有ることもすでに申し上げた通りです(なお『国際法【新版】』にはその根拠のひとつとしてジュネーヴ第三条約4条B(2)が示されています)。以上のことから資料間で非交戦状態という概念が確立しているか否かについて記述に食い違いがあるにもかかわらず確立していないとする側の資料のみを一方的に取り上げたこの編集Wikipedia:中立的な観点に反すると判断し差し戻します。またこの編集と上記のコメントも記事改善が目的ではなく当初の出典皆無のこの編集を正当化すること自体が目的の編集、主張であることは明らかだとも思っています。--Henares会話2014年11月16日 (日) 02:48 (UTC)

Marimoz9さんの2014年8月9日23:41の編集[編集]

利用者‐会話:Marimoz9さんの2014年8月9日23:41の編集[131]ですが、Henaresさんのサンドボックスの記載を勝手にコピーしただけかと思っていましたが、他の点も相当派手に変更していますね。ノートで議論になっていることを知りつつ、このような編集を強行されたようです。marimoz9さんの編集履歴をみると[132]

  • 相当大きな編集でもm(細部の編集)を付ける
  • 要約欄には何も書かない
  • ノートページには書き込まない

という特徴があるようですね。
なぜ、このような編集をしたのか、説明してもらい、もし説明がないようならMarimoz9さんの編集は元にもどすということで、いかがでしょうか。--119.173.35.101 2014年8月14日 (木) 14:57 (UTC)

説明は必要でしょう。--119.173.35.101 2014年8月15日 (金) 16:49 (UTC)
コメント 説明が欲しいなら、利用者‐会話:Marimoz9様のノートにコメントされたのですから、返信を待たれたらいかがですか?このノートは編集に納得がいくかどうかではなく、集団的自衛権の記事内容について議論する場だと思ってますが。--joker会話2014年8月16日 (土) 14:15 (UTC)
返信を待っていますよ。常識的な時間の範囲内で。--119.173.35.101 2014年8月16日 (土) 14:39 (UTC)

そろそろ常識的な時間が過ぎたという所でしょうか。今回のMarimoz9さんの編集で、十分な出典のある記載が多数消されており、しかも、そのことに説明もありませんでした。このため、半保護が解除されたら、「Marimoz9さんに消された部分」で「出典があり」「このノートページで特に異論の出ていない」記載は復活いたします。Henaresさんは「反対」と言っていますが、筋の通らない理由であり、説明もなく消された記載を消されたままにしておくべき理由はありません。復活した後に問題があれば、理由を示して編集していただければ良いと思います。(もちろん編集合戦にならない範囲で。)--119.173.35.101 2014年8月22日 (金) 16:13 (UTC)

そもそもこの発議自体がWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないWikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングに反した無効なものですし、「常識的な時間が過ぎた」というのならば、「宣戦布告との関係[134]」節に書かれているような論旨はコメント依頼を行ってから誰一人賛同者が現れず相当数の利用者が反対した状態が「常識的な時間」をはるかに超えています。といいますか、「常識的な時間」内に私が 反対 と申し上げたことを読むことができないのでしょうか?いずれにせよ半保護解除後に119.173.35.101さんが「宣戦布告との関係」節に対する複数利用者の反対意見を無視して差し戻すようなことがあれば、IP利用者による編集合戦行為の再発として粛々と対応します。--Henares会話2014年8月23日 (土) 10:41 (UTC)
Henaresさんの「いつまでも納得しない」の理解が間違っているだけです。「このノートページで特に異論の出ていない」記載について復活すると言っているだけですから、「いつまでも納得しない」にある「記載方針ではこうであると明示され」「根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示され」のいずれにも、該当しません。
>「宣戦布告との関係」節に対する複数利用者の反対意見を無視して差し戻すようなことがあればby Henares
これも、人の意見を読まずに反対しているだけですね。「このノートページで特に異論の出ていない」記載が復活の対象ですから。--119.173.35.101 2014年8月24日 (日) 14:11 (UTC)
はい。ですから、私は「不適切な点があるのならばその都度修正すればよいだけのことで・・・」と申し上げました。「もし説明がないようならMarimoz9さんの編集は元にもどすということで、いかがでしょうか。」とおっしゃっていましたのでこの編集の単純な差し戻し、つまり119.173.35.101さんを除きすべての利用者が反対している「宣戦布告との関係[135]」節の復元、およびMarimoz9さん以外にも賛同者が存在する[136]「中立との関係」節の除去を含む編集かと思っていましたが、そうではないのですか?そうならば最初におっしゃっていた「Marimoz9さんの編集は元にもどす」とは一体どういうことでしょう?編集合戦の継続となるような「Marimoz9さんの編集は元にもどす」ではなく、異論が出ていない記述の復元ならば、わざわざノートで発議する必要もないと思います。「異論が出ていない」という恣意的解釈ではなく、真に異論が出ていないのならばの話ですが。--Henares会話2014年8月25日 (月) 13:30 (UTC)
変更しました。--119.173.35.101 2014年8月27日 (水) 16:22 (UTC)

合意形成への論点整理(2014.8.17)[編集]

お疲れ様です。ログが膨大になってしまっており、第三者がコメントしづらい環境にあるのではないか、と憂慮しております。 現在、ノートで主に議論されているのは、

  • 中立ないし中立法についての記述
  • 「非交戦国」の記述の可否
  • 「宣戦布告」に関する節の復活ないしは記述の可否
  • 日本における集団的自衛権 の出典の追加や表現の整理(先日、{{要出典}}が貼付されましたので)

といった点ではないかと思います(もちろん、細かい表現などについては別途議論があろうかと思いますが、大枠については間違っていないと思うですが、モレがありましたら、ご指摘下さいませ)。 可能であるならば、出来る範囲でノートをログ化し、第三者の方がコメントしやすい、あるいは、わかりやすい状況にしたいと思いますが、いかがでしょうか?もし賛同頂ける方が多ければ、正式に {{提案}} とさせて頂こうかと思案中です。--joker会話2014年8月17日 (日) 17:35 (UTC)

各所で対話が続いているため、過去ログ化には反対です。
新しい節を作り、そこに誘導する方が良いと思います。--119.173.35.101 2014年8月18日 (月) 14:24 (UTC)
同じ論点に関する議論(主に119.173.35.101さんの主張の是非に関する議論)があちこちに散らばってしまっていますので、それを一か所にまとめたほうが良いと思います。現状では#中立user:Hackwudさんが、#「3 宣戦布告との関係」の節の私の発言を引用した段落の削除についてにてuser:ISOZAKI YOUSUKEさんとjokerさんとuser:ぽん吉さんが、#「中立との関係」についてにて私user:Henaresが話し合ってますが、重複する論点がかなり多く含まれていて議論としては非効率的だと思います。各議論の末尾に「議論の続きは○○○にて」などと誘導をしておけば現在進行中の議論をそのまま継続させることも可能だと思います。また新たな議論の場には冒頭に{{see also}}などでも用いて過去の議論へ誘導することも可能かと思います。(とはいえ、コメント依頼[137]の後に2カ月近くたっても119.173.35.101さんに反対する意見しか出ていませんから、第三者意見は出尽くしておりもう終わらせてしまってもかまわないような気もいたしますが。といいますか、一体いつまでこんなことを続ければよいのでしょう?)。--Henares会話2014年8月23日 (土) 11:28 (UTC)

日本における集団的自衛権[編集]

利用者‐会話:Pepe ronn12さんの[138]この編集ですが、「主観、閣議決定に記載されていない独自研究を含む文章の除去」としていますが、なぜ「主観」「独自研究」となるか不明です。
*閣議決定、「我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。」
*Wiki記事、「合憲性については、まず「国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある」と前置きした上で、同一の「武力の行使」を、「国際法上は、集団的自衛権」であっても、憲法上は、あくまで「我が国を防衛するため」と個別的自衛権ととらえ、従来の憲法解釈と齟齬をきたすことなく、内外で個別的自衛権、集団的自衛権を使い分けることによりクリアーしている。」
どこにも「独自研究」の要素はないと思います。どの部分が「主観」「独自研究」か指摘してもらえますか。--119.173.35.101 2014年8月28日 (木) 15:01 (UTC)

「我が国を防衛するため」の一文が入ったことをもって「国際法上は、集団的自衛権」であっても日本政府が個別的自衛権と捉えていると断定しておられますが、日本政府が『「国際法上は、集団的自衛権」であっても、憲法上は個別的自衛権ととらえ』ていることに明言しているソースの追記をお願いいたします。それ以前に、その部分を載せたいのであれば閣議決定のその部分をそのまま記載すればよい話であって日本政府がどう捉えていて、どうしたら「クリアー」しているなどとあなたが決める必要はありません。主観につきましては「集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対する意見も多く」についてです。あなたの視点から見ての多いか少ないかは百貨辞典の記載としてふさわしくありませんので。利用者‐会話:119.173.35.101さんはそこら中で言い争いをなさっているようですがもう少し落ち着いた編集をなさることをお勧めいたします。--Pepe ronn12会話2014年8月28日 (木) 18:47 (UTC)
[001/002] 34 - 衆 - 予算委員会 - 9号 昭和35年02月13日 発言174 法制局長官 林 修三「自国を自国が守るということは、まさに個別的自衛権なのであります。自国を自国が守ることを集団的に守る、つまり他国と共同して守るということは、個別的自衛権であることは、学者の説も、どこからごらんになりましても明らかなことでございます。」
これで文句ないでしょう。しかし、「我が国の防衛」が個別的自衛権じゃないという主張をするというのは、どうなんでしょうかね。--119.173.35.101 2014年9月2日 (火) 14:04 (UTC)
平成26年7月1日の閣議決定で、従来の政府見解を「集団的自衛権の行使容認」へと変更がなされた点を記述している部分で、昭和35年の国会答弁を出されても、政府見解が変更になった今、ソースとして適切だとは思われません。--joker会話2014年9月8日 (月) 22:03 (UTC)
反論になってませんよ。H26年7月1日の閣議決定に、個別的自衛権の定義を変えるようなことは一切記載されていませんよ。--119.173.35.101 2014年9月12日 (金) 15:37 (UTC)
119.173.35.101様、反論も何も、この節は日本の「集団的」自衛権についてですが?--joker会話2014年9月12日 (金) 18:36 (UTC)

過去ログ化提案[編集]

この私のコメント以前に書かれたノートページの記述すべてを過去ログ化(Help:過去ログ)することを提案します。#固有の権利#集団的自衛権の行使と見なされる範囲についてのようにさらに話し合いを進めることで記事が改善する可能性のある議論も残されていますが、現状このノートページに書かれていることは大半が記事のための議論というよりもIP:119.173.35.10会話 / 投稿記録さんに物事を解説する場になってしまっていますので、一度仕切りなおして議論を継続すべき論点があるとお考えの方がいらっしゃるのならば提案などを再度していただいた方が良いのではないかと思います。今月中に過去ログ化への異論がなければこの2014年11月16日 (日) 02:48の版とこの過去ログ化提案節をすべてノート:集団的自衛権/過去ログ2へ移そうと考えています(ブロック破りによる異論は除く)。この私のコメント以後に投稿された話題などは過去ログ化の対象外とさせていただきます。--Henares会話2014年11月16日 (日) 03:03 (UTC)

賛成 よろしくお願いします。--ぽん吉会話2014年11月18日 (火) 01:29 (UTC)
賛成 以前、論点整理のための過去ログ化を提起させて頂きました。Henares様がご尽力下さるのは大変ありがたいと思っております。よろしくお願い致します。--joker会話2014年11月19日 (水) 14:13 (UTC)