ノラ・ミャオ

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ノラ・ミャオ
中国語 苗可秀
漢語拼音 Miáo Kěxiù
粤拼 Miu4 Ho2-Sau3
出生名 陳詠嫻
生誕 (1952-01-31) 1952年1月31日(72歳)
イギリス領香港
国籍 カナダの旗 カナダ
英語名 Nora Miao
職業 女優司会者
活動期間 1970年 -
祖籍 広東省南海区
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ノラ・ミャオ苗可秀Nora Miao 1952年1月31日 - )は、香港出身の女優司会者。本名は陳詠嫻。芸名の由来は、金庸が「苗が成長し、秀でる ⇒ 苗可秀」と名付けたことから。は所属していたゴールデン・ハーベストの「ハーベスト」を、中国語に訳した「芽」から肖っている。

千葉真一ブルース・リーが主演した映画のヒロイン役や、ジャッキー・チェン主演の映画、その他の香港映画台湾映画テレビドラマで活躍した。血液型O型。

来歴[編集]

父親が航空機整備士の家庭で、4男1女の第3子で生まれた。九龍聖德肋撒英文學校(w:St. Teresa's School Kowloon)卒業後、商社勤務を経て、1970年ゴールデン・ハーベストの新人オーディションに合格。1971年の『アンジェラ・マオ 8人のドラゴン/天龍八将』でデビューし、2作目の『ノラ・ミャオ レディ・ブレイドw:The Blade Spares None)』で主役に抜擢され、同年の『鬼流星(w:The Comet Strikes)』でも主演した。

複数のブルース・リー主演作品でヒロインを演じた後、1972年日本韓国香港タイ王国の4か国共同で制作された『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』に出演。日本では1973年に公開され、ミャオの日本初お披露目となった。ミャオは千葉真一のヒロインに扮し、香港で公開されたバージョンでは千葉とキスシーンを演じている[1]。千葉はミャオを「とても大人しくて、可愛くていい女」と評している[2]1974年にゴールデンハーベストから独立し、フリーランスの女優として香港・台湾の双方の映画・テレビドラマに出演し、1970年代後半には司会業にも進出した。ジャッキー・チェンとも、彼の無名時代(ロー・ウェイ・プロダクション時代)に3本の競演作があり、姉弟みたいな仲だったとジャッキー自身が語っている。

1980年に結婚したがその後も日本で人気は下がらず、『ロードショー』『SCREEN』の人気投票では、1974年から1980年代前半までランクインしていた。1990年代カナダ移民し、トロントで暮し始めた。CMFTチャンネル(en:CFMT-DT)のテレビ番組や、CCBCラジオ上でラジオ番組「Coffee Talk」を担当するなど、拠点はトロントに置いているが、数は少ないものの、香港の映画やテレビドラマにも出演した。

2001年には、日本で行われたブルース・リーのイベントのゲストとして来日した。

2017年、香港のテレビ局TVBが製作する連続テレビドラマ『溏心風暴3』に主役級の1人として香港のテレビドラマとしては29年ぶりに出演した。

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

  • 『情人箭(zh:情人箭)』(1978年)
  • 『沈勝衣(zh:沈勝衣)』(1979年)
  • 『奇女子』(1979年)
  • 『天蚕变(zh:天蚕变)』(1979年)
  • 『俠盜風流(zh:俠盜風流)』(1979年)
  • 『天龍訣(zh:天龍訣)』(1979年)
  • 『柔情點三八』(1986年)
  • 『文學電視之寒夜』(1987年)
  • 『文學電視之雷雨』(1987年)
  • 『啼笑因緣(zh:啼笑因緣)』(1987年)
  • 『滿清十三皇朝之皇太極』(1987年)
  • 『滿清十三皇朝之順治』(1987年)
  • 『滿清十三皇朝之康熙』(1987年)
  • 『張保仔』(1988年)
  • 『歷代奇女子之呂后』(1988年)

エピソード[編集]

ドラゴン危機一発』のカキ氷屋の少女の役は、ヒットを確信したゴールデン・ハーベスト社長のレイモンド・チョウが、ミャオを売り出すために台本に書き加えさせたものである。『ドラゴン怒りの鉄拳』でブルース・リーの恋人役を演じたが、リーとのキスシーンは、リーが映画で演じた唯一のラブシーンである。リーの映画に出演して有名になった女優のマリア・イー中国語版英語版(『ドラゴン危機一発』)やアンジェラ・マオ中国語版英語版(『燃えよドラゴン』)が早々と結婚する中、ミャオは20歳代後半まで独身を通した。このため、香港の芸能誌紙がミャオの私生活について憶測記事を掲載し、その中に「リーの恋人だった」との記事もあったが、ミャオは「リーを尊敬している」と明言しつつ、恋人説は強く否定している。後にリーのドキュメンタリー映画などでインタビューに応じ、「ブルースは完璧主義者。酒も煙草も吸わず、若い男性らしい楽しみより、いかに映画を面白くするかだけを考えていた」と語った[4]

脚注[編集]

  1. ^ 1973年昭和48年)の『ロードショー』には、映画のスチル写真として紹介されている。
  2. ^ ギンディ小林市川力夫「『仁義なき戦い』悪人大名鑑」『映画秘宝』第19巻第4号、洋泉社、2013年3月21日、49頁。 
  3. ^ 香港公開は1972年、日本公開は1973年である。
  4. ^ 『ブルース・リー神話』より

外部リンク[編集]