ニュージーランドの鉄道

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ニュージーランド
NZR DX class coal.JPG
ミッドランド線で1600トン石炭列車を牽く重連のDXクラスディーゼル機関車
運営
施設保有機構 オントラック
主要事業者 トランツ・メトロ、トランツ・シーニック、ベオリア
統計
乗客数 1,290万人
貨物輸送量 (トンキロ) 38億5200万トンキロ
距離
総延長 3,807 km
複線距離 231 km
電化距離 506 km
軌間
主な軌間 1,067 mm
1,067 mm 3,807 km
電化方式
主電化方式 交流25kV50Hz
交流25kV50Hz 411 km
直流1500V 95 km
設備
トンネル数 1,787
橋梁数 150
路線図
noframe
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ニュージーランドの鉄道(ニュージーランドのてつどう)は、ニュージーランド北島南島の両方で、軌間1,067mm(3フィート6インチ)、全長3,898km鉄道網を形成している。鉄道の営業はもっぱら貨物に集中しており、特にばら積み貨物を中心としている。旅客の営業は一部の路線で限られたものとなっている。オークランドウェリントンの2都市のみ通勤鉄道が存在しており、どちらも近年改善と拡張が進められている。

設備[編集]

鉄道網の所有[編集]

鉄道網の所有権は、国有企業であるオントラック(ONTRACK、旧ニュージーランド鉄道 New Zealand Railways Corporation)に与えられている。実際の鉄道の営業は、民間企業によって行われている。最も大きな運営会社はオーストラリア資本のトール・レール(Toll Rail)とその子会社トランツ・メトロ(Tranz Metro)、トランツ・シーニック(Tranz Scenic)であり、他にオークランドの通勤鉄道を運営しているベオリア(Veolia)がある。

1993年から2004年までは、線路を含む鉄道網は、民間企業のトランツ・レール(Tranz Rail、正式名ニュージーランド鉄道 New Zealand Rail Limited)が所有していた。鉄道網はその後再国有化されている。

線路[編集]

ニュージーランドの鉄道網は全長およそ3,898kmあり、そのうち約500kmが電化されている。内陸の山がちな地形を通じて建設するコストを抑えるために、1,067mm狭軌が採用されている[1]。複雑な地形は、ラウリム・スパイラル(Raurimu Spiral)に代表される土木技術の粋を集めた数々の施設を生み出した。合計で1,787の橋梁と150のトンネルがある。鉄道網は、1952年に最大の5,700kmに達している。

鉄道網は、過去に何度も大規模な改良工事がなされてきている。代表的なものとしては、1937年6月19日に開通したタワ・フラット線(Tawa Flat deviation)、1955年11月3日に開通したワイララパ(Wairarapa)へのリムタカトンネル(Rimutaka Tunnel)、1978年9月12日に開通したベイ・オブ・プレンティ地方のカイマイ線(Kaimai Deviation)などがある。これらはどれも大規模なトンネル工事が行われており、後の2つはいずれも8kmに達している。重要なインフラストラクチャーの更新は北島のノース・アイランド本線(North Island Main Trunk Railway)に対しても1980年代中盤に行われており、このうち一部は電化工事を含むものであった。

現在は改良計画として、オークランドの郊外網の電化が進められており、またマースデン・ポイント(Marsden Point)の港湾への連絡鉄道の計画がある。

機関車[編集]

1950年代まで、ほとんどの機関車蒸気機関車であった。その当時は全部で3区間(ウェリントン郊外、クライストチャーチ - リトルトン、アーサーズ・パス(Arthur's Pass) - オティラ(Otira))の電化区間があり、1500V直流で電化されていたが、このうち現在も電化されているのはウェリントン区間のみである。ディーゼル化は1940年代後半から入換用の機関車から始められ、最初の本線用の機関車DFクラスは1954年から導入された。1967年までに実質的に北島から蒸気機関車が消滅し、南島でも1971年に消滅した。1983年から私有の蒸気機関車やディーゼル機関車が特別列車を運行することができるようになっている。1988年、パーマストン・ノース(Palmerston North) - ハミルトン間のノース・アイランド本線の25kV交流電化が完成している。

運営[編集]

貨物[編集]

ノース・アイランド本線でコンテナ車を牽くトランツ・レールのマルハナバチ塗装("bumble-bee" lively)のEFクラス電気機関車
クライストチャーチ駅を出発するピクトン行きトランツコースタル
ベオリアの運営するADLクラスディーゼルカー、ブリトマート・トランスポート・センター(Britomart Transport Centre)にて
トランスメトロのEM/ETクラス電車、イープニ(Epuni)にて
JAクラス蒸気機関車の復活運転

貨物輸送はニュージーランドにおいて、鉄道事業収入の圧倒的な割合を占めており、その大半はばら積み輸送となっている。一般貨物はほとんどコンテナ化、あるいはパレット化されたものに限定されている。ばら積み貨物は、石炭石灰木材、木材製品、パルプ牛乳自動車肥料穀物などである[1]。貨物営業はトール社(Toll)によって行われている。

ほとんどの貨物輸送は輸出産業向けとなっており、輸送能力を重視している。例えば、ミッドランド線(Midland Line)での石炭輸送では、DXクラスディーゼル機関車の重連で牽引され、30両の石炭車からなる1600トン運転が行われている。

かつての鉄道事業者、トランツ・レールは、貨物を道路輸送に追いやったと非難されている。2002年に、トランツ・レールは固定編成のコンテナ車で大半の貨物をコンテナ化して輸送する、議論を呼んだコンテナ化計画を実行した。コンテナ積み降ろし設備は主な貨物ターミナルに設置された。結果として、2003年に鉄道網が再国有化されたことから、政府はトール社が最低限の貨物輸送量を維持しなければ独占的に線路を利用して貨物営業する権利を与えないことになった。

貨物輸送の水準は、現在ではかつて鉄道が事実上の独占をしていた1983年以前と同水準に達している。1980年には鉄道貨物輸送は1180万トンであったが、1994年には940万トンに減少し、1999年までに1290万トンまで回復して、これは1975年のピークよりもわずかに大きい[2]1982年規制緩和後、貨物輸送に対して大胆な合理化が実施され、小さな操車場は閉鎖され貨物列車のスピードアップ、輸送能力向上が行われるとともに、1987年には車掌車の連結廃止、さらに古い車両、特に二軸車の淘汰が進められた。

近年、貨物輸送はかなり成長しており、ばら積み以外の分野でも成長し始めている。オークランドとパーマストン・ノースの間では、2006年から2007年にかけて貨物輸送量の39%の伸びを記録した。667kmの路線に毎日運行される5本の貨物列車により、並行する道路を走るトラックは毎日120台分削減されている[3]

長距離旅客輸送[編集]

旅客鉄道輸送の最盛期であった1950年代から1960年代にかけては、多くの地方で旅客鉄道輸送が行われていた。1965年には2500万人の旅客が鉄道を利用していたが、1998年には1170万人に減少した[2]。現在ではわずかに4つのルートで長距離旅客輸送が残っているのみである。

  • オーバーランダー(Overlander) — オークランド - ウェリントン間(2006年9月に廃止予定であったが、減便されて存続している、2012年6月末からノーザンエクスプローラー(Northern Explorer)に改称)
  • キャピタル・コネクション(Capital Connection) — ウェリントン - パーマストン・ノース間(平日のみ運転)
  • トランツコースタル(TranzCoastal) — ピクトン - クライストチャーチ間(毎日1往復運転だが、クライストチャーチ地震による利用客の減少で冬季運休あり)
  • トランツアルパイン(TranzAlpine) — クライストチャーチ - グレーマス(Greymouth)間(毎日1往復運転)

長距離旅客輸送はトールの子会社であるトランツ・シーニックによって運営されている。ワイララパ・コネクション(Wairarapa Connection)も長距離旅客輸送に分類されることがあるが、これはウェリントンの通勤鉄道事業者であるトランツ・メトロによって運営されている。

オークランドからタウランガまでのカイマイ・エクスプレス(Kaimai Express)、ロトルア(Rotorua)までのガイザーランド・エクスプレス(Geyserland Express)、ネーピアまでのベイ・エクスプレス(Bay Express)は2001年に、クライストチャーチとダニーデン、インバーカーギル(Invercargill)を結ぶサザーナー(Southerner)は2002年に、オークランドとウェリントンを結ぶ夜行列車のノーザナー(Northerner)は2004年に、それぞれ廃止された。

近郊旅客輸送[編集]

オークランドとウェリントンには近郊鉄道輸送がある。クライストチャーチとダニーデンにもかつては存在していたが、政府による支援が不足していたため廃止された。

トール社はトランツ・メトロを子会社として所有しており、この会社がウェリントン地区の近郊旅客輸送を行っている。5つの路線があり、アッパー・ハット(Upper Hutt)からマスタートン(Masterton)までのワイララパ・コネクション以外は全て電化されている。トランツ・メトロは電車を使用し、また非電化区間ではディーゼル機関車牽引の列車を使っている。1930年代に、ウェリントンはクライストチャーチに続いて2番目に電気鉄道による旅客輸送を開始したが、今日ではウェリントンのみが残っており、このためニュージーランドで最も優れた旅客鉄道システムとみなされている。

トランツ・メトロは長らくニュージーランド最大の都市であるオークランドでも近郊旅客輸送を営業していた。しかし2004年半ば、コネックス社(Connex)(現在のベオリア・ニュージーランド)が運営権を獲得し、トランツ・メトロはこのときには応札しなかった。オークランドには3つの路線、サザン線、イースタン線、ウェスタン線がある。全ての列車はディーゼル運転で、気動車またはディーゼル機関車の牽引するプッシュプル方式で運転されている。現在、新線の建設、廃止された路線の再開(オネハンガ支線(Onehunga Branch)、既存路線のヘレンズビル(Helensville)への延長)と既存路線の電化によるサービスレベルと運行頻度の向上が計画されている。ほとんどのオークランドの車両の所有と、運行への資金提供は、オークランド地域輸送公社(ARTA: Auckland Regional Transport Authority)によって行われている。

保存鉄道[編集]

保存鉄道としては、レールウェイ・エンスージアスト・ソサエティ(Railway Enthusiasts Society)、スティーム・インコーポレイテッド(Steam Incorporated)、メインライン・スティーム(Mainline Steam)、タイエリ・ゴージ鉄道(タイエリ峡谷鉄道、Taieri Gorge Railway)がそれぞれ独自の車両と本線で運行可能な蒸気機関車またはディーゼル機関車を所有している。これらの団体は、1978年以降ニュージーランド鉄道網での特別列車の運転を行ってきており、また1983年以降はこれらの列車を牽引するために独自に用意した適切な機関車を使用することが認可されている。他にも数グループが、保存鉄道として、あるいは公共旅客輸送用に本線運転できる機関車を整備している。

歴史[編集]

地域網の始まり[編集]

ニュージーランドの鉄道網は1863年から、当初は州政府(Province)の手によって建設が始められた。ニュージーランドの最初の公共鉄道はその年、カンタベリー州のフェリーミード(Ferrymead Railway)で開通した。カンタベリー地方鉄道は、5フィート3インチ(1,600mm)広軌で建設された。1867年2月5日サウスランド州は、インバーカーギルからブルーフまでのブルーフ支線(Bluff Branch)を標準軌4フィート8.5インチ(1,435mm)で開通させた。

1870年、ジュリウス・ボーゲル(Julius Vogel)首相率いる中央政府が、1000万ポンドに及ぶ外債を発行して鉄道建設を含むインフラ整備に充てることを提案した。また中央政府は、国内の軌間として3フィート6インチ(1,067mm)を採用した。最初の狭軌の路線として、1873年1月1日オタゴ州においてダニーデン・アンド・ポート・チャルマース鉄道会社の手によってポート・チャルマース支線(Port Chalmers Branch)が開通した。オークランドの最初の鉄道としては、オークランド - ワンハンガ間が1873年に開通している。ボーゲル首相はまた、イギリスのジョン・ブログデン・アンド・サンズ(John Brogden and Sons)と鉄道建設契約を結び、イギリスで募集された「ブログデンの工夫」を使って建設を進めようとした。

中央政府による支配[編集]

1876年に州制度が廃止され、鉄道網は中央政府によって管轄されるようになった。当初は公共事業省(Ministry of Public Works)が、1880年からは鉄道省(Railways Department)が管轄している。少数の路線が私鉄として建設され、そのうちウェリントン・アンド・マナワツ鉄道(Wellington and Manawatu Railway Company)のみが1908年に国有化され、いくらかの成功を収めている。

1950年代の鉄道網の最大の時期には、およそ100の路線が営業していた。1960年代から1970年代にかけて、大規模な支線の閉鎖が行われた。当初は鉄道は道路との競争から保護されていたが、20世紀を通じて規制は次第に緩和され、1983年には完全に廃止された。

北島と南島の鉄道網はお互いに独立していたが、1962年に鉄道省によってRO-RO船が導入されて接続された。現在はインターアイランダー(Interislander)のブランド名が付けられている。

株式会社化と民営化[編集]

ニュージーランドの鉄道網は、その歴史の大半を通じてニュージーランド鉄道省によって運営されており、鉄道大臣は内閣の一員であった。1982年、鉄道省は株式会社化され、利益を上げることを求められるニュージーランド鉄道会社(New Zealand Railways Corporation)となった。1990年、鉄道事業の中核は国有企業であるニュージーランド・レール・リミテッド(New Zealand Rail Limited)に移管され、ニュージーランド鉄道会社は非中核的な資産を保有することになった。ニュージーランド・レール・リミテッドは1993年に民営化され、新しい所有者は1995年にトランツ・レールの名前を導入した。

鉄道網の所有権が民間企業にあった時期には、トランツ・レールは貨物輸送をトラックへと追いやっていたと批判されている。また、いくつかの路線で保線の欠如により故意にスピードダウンしたともされている。主に西海岸からリトルトンへ石炭を輸送しているミッドランド線は、政府の安全検査機関LTSAから2003年に、安全ではあるもののひどい状態であると査定され、大規模な修理が必要であるとされた。こうしたことになった原因としてよく挙げられているのは、道路は公共財として提供されているが鉄道網は私有財産であるため、道路輸送を用いた方が鉄道輸送よりも安いということである。トランツ・レールはまた、保存鉄道を運営している事業者に対して鉄道網へのアクセスを制限したと非難されている。保存鉄道運営者は、安全審査の承認を得るために必要な設備の利用権を得づらくなり、また適切な保険契約を得ることができないという問題もあった。

再国有化[編集]

政府は2002年にオークランド都市鉄道網をトランツ・レールから8100万ドルで買収した。トランツ・レールは引き続きその鉄道網で貨物列車を運行する枠を保持し、オークランド地域評議会(ARC: Auckland Regional Council)は、その鉄道網における都市近郊旅客列車の運営権を入札に掛ける事を認められた。既に地方自治体の所有ではなくなっていたオークランド駅は、現在オークランド地域評議会の傘下にあるオークランド地域交通公社へ合併することになっている、オークランド地方政府の関連団体のオークランド地域交通網会社(ARTNL: Auckland Regional Transport Network Limited)へと移管された。

2002年に、トランツ・レールはその財務状態の悪さのために、ニュージーランド証券取引所における株価が記録的な安値に下落した。政府は、鉄道網のインフラストラクチャーを再国有化する代わりに同社を救済する様々な枠組みを検討した。その際に説明された理由は、貨物輸送を道路から鉄道へ戻して、鉄道輸送に関心のある事業者全てに線路の使用権を与えるためというものであった。オーストラリアのトール・ホールディングスがトランツ・レールの買収に成功し、政府との協定に基づいて鉄道網のインフラストラクチャーを政府に1ドルで売却した。政府はそれ以降、ニュージーランド鉄道会社、現在のオントラックを通じて、税金を元に2億ドルを遅れていた保線の促進と財務内容の改善に投じることを確約している。

事故[編集]

ニュージーランドにおけるもっとも被害の大きかった鉄道事故は、1953年のクリスマスイブ、エリザベス2世の訪問中に起きたもので、ラハール(火山泥流)がタンギワイ(Tangiwai)にある鉄橋を破壊したために起きた。ウェリントン - オークランド間の夜行急行列車が鉄橋を通過している時に鉄橋が崩壊し、285人中151人が死亡した。Tangiwai disasterを参照。

鉄道工場[編集]

ニュージーランド鉄道省は、鉄道工場をアディントン(Addington)(クライストチャーチ)、イーストタウン(East Town)(ワンガヌイ)、ヒルサイド(Hillside)(ダニーデン)、ハット(Hutt)(ウェリントン近郊のロウワー・ハット)、ニューマーケット(Newmarket)(後にオタフフに移行)、オタフフ(Otahuhu)(オークランド)に運営していた。このうちハットとヒルサイドのみ現在でも運営されている。

保存鉄道・博物館[編集]

およそ60の団体が保存鉄道、および博物館を運営している。ほぼ全てがニュージーランド鉄道団体連盟(the Federation of Rail Organisations of New Zealand)の会員であり、路面電車森林鉄道に関する活動も行っている。鉄道の保存活動は、1960年代に多くの蒸気機関車が運用から外れ、支線が廃止されていった時に活発化した。

ニュージーランドにおける鉄道博物館は、鉄道車両の保存と展示を中心に行い、1km程度の短い路線を所有して列車の運行を行っている。ニュージーランドにおける鉄道保存団体の多くはこの範疇である。かつて鉄道網の一部を構成していた、廃止された支線を使って保存鉄道を運行している場所もいくらかある。こうした路線は博物館のものより長く、通常は5km以上あり、こうした団体では保存と展示よりも列車の運行に中心がおかれている。

現在、保存鉄道の活動としては、グレンブルック・ビンテージ鉄道(Glenbrook Vintage Railway)、森林鉄道クラブ(Bush Tramway Club)、ワイタラ鉄道保存協会(Waitara Railway Preservation Society)、ウェカ・パス鉄道(Weka Pass Railway)、タイエリ・ゴージ鉄道などがある。タイエリ・ゴージ鉄道は、ダニーデン市評議会によって設立された公営企業体(Local Authority Trading Enterprise)であり、60kmに及ぶ路線を運営してこの種の鉄道でもっとも大規模である。それ以外の路線は全てボランティア団体によって運営されている。ウェカ・パス鉄道は13kmの路線を運営し、ボランティア団体によるものとしてはもっとも長い。ウェカ・パス鉄道には一時期、2001年頃、日本人がボランティアとして同鉄道の活動に参加していた。ベイ・オブ・アイランズ・ビンテージ鉄道(The Bay of Islands Vintage Railway)は全長11kmであるが、状態が悪く、2000年に運行が廃止されて以降では最初の列車を2007年7月3日から2週間、カワカワ(Kawakawa)から運行したが、現在同協会ではカワカワとオプア(Opua)の間の線路の修繕に取り組んでいる。 ニュージーランドの保存鉄道はお互いの連携が強く、お互いの車両がお互いの線路上を運行する事もしばしばある。

脚注[編集]

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  1. ^ a b Churchman, Geoffrey B., and Hurst, Tony (1991 reprint). The Railways of New Zealand: A Journey Through History. HarperCollins Publishers (New Zealand). 
  2. ^ a b Statistics New Zealand - Long term data series - Transport”. 2008年3月25日閲覧。
  3. ^ Rail freight figures up - The New Zealand Herald, Friday 17 August 2007

外部リンク[編集]