ノース・アイランド本線

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ノース・アイランド本線
North Island Main Trunk
ノース・アイランド本線地図
概要
種別 普通鉄道
系統 ニュージーランド鉄道網
現況 営業中
所在地 ニュージーランド北島
起終点 ウェリントン駅英語版
オークランドブリトマート駅
路線 ノーザン・エクスプローラー英語版キャピタル・コネクション英語版
運営
開業 1908年8月14日(線路連結)
1908年11月6日(公式開通)
1909年2月14日(路線完成)
所有者 キウィレール英語版
運営者 キウィレール英語版(貨物)
ザ・グレート・ジャーニーズ・オブ・ニュージーランド英語版(長距離旅客)
トランスデブ・ウェリントン英語版(ウェリントン-ワイカナエ)
トランスデブ・オークランド英語版(プケコヘ-オークランド)
路線構造 本線
路線諸元
路線総延長 681 km
軌間 1,067ミリメートル
運行速度 最高110 km/h
最高地点 823 m
路線図

km
681.0
ブリトマート駅
キー・パーク分岐点
ザ・ストランド駅
オークランド港
ウェストフィールド分岐点
ウェストフィールド貨物ヤード
662.2
ミドルモア駅
646.9
パパクラ駅
ミッション・ブッシュ支線およびグレンブルック・ビンテージ鉄道
628.7
プケコヘ駅
オークランド近郊輸送終点
ハントリー駅
ワイカト川橋
ンガルアワヒア駅
ロトカウリ駅
テ・ラパ駅
542.3
ハミルトン駅
テ・アワムトゥ駅
494.4
オトロハンガ駅
475.7
テ・クイティ駅
ワイテティ高架橋
36m
397.8
タウマルヌイ駅
ワンガヌイ川橋
ラウリム
346.8
ナショナルパーク駅
マカトテ高架橋
79m
マンガヌイ高架橋
マンガトゥルトゥル高架橋
タオヌイ高架橋
ハプアフェヌア高架橋
51m
317.1
オハクネ駅
ファンガエフ川(タンギワイ鉄道事故現場)
ワイオウル駅
タイハペ駅
旧トンネル 10e & 10f
ノース・ランギティケイ高架橋
81m
旧トンネル 10b/10c/10d
カファタウ高架橋
73m
マンガウェカ高架橋
サウス・ランギティケイ高架橋
78m
旧トンネル 10a
マンガウェカ付け替え線
マコヒネ高架橋
73m
180.3
マートン駅
ランギティケイ川橋
153.0
フェイルディング駅
136.2
パーマストンノース駅
マナワツ川
シャノン駅
90.3
レビン駅
オタキ駅
ウェリントン近郊輸送終点
ワイカナエ駅
48.3
パラパラウム駅
17.7
ポリルア駅
ジョンソンビル経由の旧線
インターアイランダーフェリーターミナル
ウェリントン・ディスタント分岐点
ウェリントン貨物ターミナル
0.0
ウェリントン駅
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ノース・アイランド本線(ノース・アイランドほんせん、英語: North Island Main TrunkNIMT)は、ニュージーランド北島にある本線鉄道であり、首都のウェリントンと最大都市のオークランドを結んでいる。全長は682キロメートルあり、軌間ニュージーランドの鉄道で標準の1,067ミリメートル(3フィート6インチ)であり、パーマストンノースハミルトンといった大都市も通っている。

ノース・アイランド本線の大半の区間は単線で多くの列車交換設備を備えている。複線区間は以下の通り。

  • ウェリントン駅英語版 - ワイカナエ駅英語版間(ただし、プケルア・ベイからパエカカリキの区間にある、ウェリントン起点35.3キロメートルのノース・ジャンクションとウェリントン起点32キロメートルのサウス・ジャンクションの間の3.3キロメートルの単線トンネルあり[1]
  • ハミルトン - テ・カウファタ駅英語版間(ただし、ンガルアワヒアでワイカト川に架かる橋は単線)
  • メレメレ - オークランド・ブリトマート駅間

約460キロメートル(全長の約65パーセント)が3か所に分かれて電化されている。ウェリントン - ワイカナエ間は直流1,600 V電化、パーマストンノースからハミルトンのテ・ラパまで412キロメートルとパパクラからブリトマートまでの34キロメートルが交流25 kV電化である。

後にノース・アイランド本線となる鉄道の最初の区間はオークランドで1873年に開通した。ウェリントン側でも1885年に建設が開始された。路線は1908年に完成し、1909年から営業可能となった。経済的な生命線であると評価されており、また北島の中央部をヨーロッパからの入植や投資に開いたと評価されている[2]。初期には、ウェリントンからオークランドまでの旅客の所要時間は20時間以上かかっており、こんにちではノーザン・エクスプローラー英語版で約11時間である[3]

ノース・アイランド本線は、「技術の奇跡」であると言われてきた[4]蒸気機関車に適した縦断勾配である20パーミルに収めて大きな高低差を克服するために、数多くの高架橋トンネルループ線などが建設されたからである[5]

歴史[編集]

建設[編集]

ノース・アイランド本線の最初の区間が建設された時点で、ワイカト地方におけるルート選定には不確定のところが大きく、ケンブリッジ、キヒキヒ、テ・アワムツ、アレクサンドラといったところがワイカト地方における目的地として可能性があると考えられていた[6]。中央の区間は次第に伸ばされていき、1909年に両側からの線路が合流した。

オークランド - テ・アワムツ[編集]

オークランドの最初の鉄道は、ポイント・ブリトマート英語版からペンローズを通ってオネフンガ英語版までの13キロメートルで、1873年に開通した[7]。この鉄道はジョン・ブログデン・アンド・サンズ英語版によって建設され[8]、この後マーサー駅英語版までの66キロメートルを含めたオークランド・アンド・マーサー鉄道全体で16万6000ポンドで建設された[9]。ペンローズからオネフンガまでの区間は、今はオネフンガ支線英語版と呼ばれている。路線は後に、ペンローズから南へ分岐してワイカト地方へと伸びた。おそらくワイカト侵攻英語版を支援するために、マウンガタフィリからメレメレまで1864年に5.6キロメートルの軌道が建設されたが[10]、最後の主要戦闘の1年後となる1865年にオークランド・アンド・ドゥルーリー鉄道の起工式が行われた[11]。この路線はマーサーまで1875年5月20日に開通し、またンガルアワヒア英語版から29キロメートルの区間は義勇民兵の工兵によって建設され、1877年8月13日に開通した。さらにフランクトンまで1877年12月に伸び、テ・アワムツ英語版まで1880年に伸びた。不景気により以降の5年間は建設が停滞し、テ・アワムツが鉄道の終点であり続けた。また地域のマオリ族との交渉もあり、キング・カウンティ英語版は1883年までヨーロッパ人が入れなかった[12]

ウェリントン - マートン[編集]

ウェリントン - ロングバーン英語版(パーマストンノース近郊)間は1881年から1886年にかけてウェリントン・アンド・マナワツ鉄道英語版によって建設された。この会社は1908年にニュージーランド鉄道省英語版によって買収された。

ロングバーンからマートンまでの区間は、フォクストンやワンガヌイの港を結ぶ路線の一部として、1878年4月18日に開通した[13]

北島中央部[編集]

ラウリムスパイラルのパノラマ

1882年にウィタカー政権はノース・アイランド本線融資法を制定し、建設のために海外(おそらくはロンドン)から100万ポンドの借り入れを承認することで、テ・アワムツ以南のノース・アイランド本線の建設促進を図った[14]。テ・アワムツからは、タウポ英語版またはタウマルヌイ英語版経由の路線が提案され、後者が最終的なルートとなった。公共事業省が1884年に現在のルートを決定する前には4つの案が検討されていたが、このルートの建設がいかに難しいかが理解されると、1888年にさらなる調査で2案が検討された[15]

ンガーティ・マニアポト英語版の大首長ワハヌイ英語版がテ・アワムツの郊外で1885年4月14日に起工式を行って、中央部最後の区間の建設が始まった[12]。中央部は測量も建設も難しかったため、両側からの線路がつながるのには23年を要した。深い峡谷がいくつもある北島火山高原英語版を横断するためには9か所の高架橋と世界的にも有名なラウリムスパイラルを必要とした。

自由党政権のリチャード・セドン英語版が1903年に、全線は1908年に開通すると公約した。1904年の時点では、線路の両端は依然として146キロメートル離れており、マカトテ、ハプアフェヌア、タオヌイという3つの巨大高架橋の建設契約は1905年まで承認されていなかった。政府は2,500名の作業員を投入し、1907年には公共事業大臣のウィリアム・ホール=ジョーンズ英語版が、灯油ランプの明かりの下での夜間作業も命じた[16]。1908年初頭には、エルアとオハクネの間で39キロメートルの未開通区間が残っており、連絡する馬車輸送が行われていた。オハクネから南へワイオウルまでの27キロメートルの区間では、まだ鉄道省に線路が引き渡されていなかったことから、公共事業省が列車を走らせていた。

開通[編集]

1908年8月7日に線路はつながって、11両編成の議会特別列車が、オークランドにアメリカのグレート・ホワイト・フリートを見に行くニュージーランドの首相ジョセフ・ワード英語版やそのほかの議員らを乗せて、最初の直通旅客列車として通過した[2]。しかし、タオヌイの北側の切り取り区間の中には法面が垂直であったり、ホロピトからマカトテまではバラストが撒かれていない線路であったりと、新線区間の多くは仮のものであった[17]。ワードは1908年11月6日に最後の犬釘を打ち込み、ポカカ駅英語版近くのマンガヌイ・オ・テ・アオにそのモニュメントがある。11月9日から、2日かけて走るノース・アイランド本線の列車の運行が始まり、途中オハクネで一晩停車していた。

1909年2月14日、最初の夜行急行列車がオークランドからウェリントンへ向けて出発し、寝台車、リクライニングシートを備えた座席車、郵便車、荷物車を連結し、所要時間は19時間15分であった。食堂車は、中央部の急勾配区間を避けるために、ウェリントンからオハクネまで北行の急行列車に連結されて走り、そこで南行の急行列車につなぎ変えられていた。

改良と付け替え[編集]

信号と線路[編集]

長年の間に線路と信号は改良されてきており、また多くの区間で線路の付け替えが行われた。1870年代の当初の線路は、1ヤードあたり40ポンド(1メートルあたり19.9キログラム)のレールを使っており、一部は鋼鉄ではない鉄を使っていた。後にレールは1ヤードあたり53ポンド(1メートルあたり26.3キログラム)に、そして1901年からは1ヤードあたり70ポンド(1メートルあたり34.8キログラム)へと更新された。1908年から重いニュージーランド国鉄Xクラス蒸気機関車英語版が投入された中央部山岳区間であるタウマルヌイ - タイハペ間などである。フランクトン - タウマルヌイ間では10本ほどの橋を補強する必要があり、1914年時点ではなお129キロメートルにわたって1ヤードあたり53ポンドのレールを使っていて更新の必要があった。1930年代に1ヤードあたり85ポンド(1メートルあたり42.2キログラム)のレールが採用され、そして1ヤードあたり91ポンド(1メートルあたり45.1キログラム)、1974年からは1ヤードあたり100ポンド(1メートルあたり50キログラム)となった[18]

全線の大半にあたる単線区間の信号には、タイヤー式通票閉塞装置英語版No.7が使われていた。94か所の閉塞区間にある各駅には、常時閉塞に対応できるようにするために、それぞれ1週間当たり56時間の勤務をする3人の信号扱い手が配置されており、このため各駅には駅長と3人の信号扱い手のために少なくとも4棟の官舎が必要であった。ピエールは、列車集中制御装置 (CTC) の導入により、駅舎やプラットホームでさえも撤去され、オハクネからナショナルパークまでの間には有人駅はもうなくなっているとした。1928年から1932年にかけて導入された列車運行システムは、オークランド、フランクトン、テ・クイチ、オハクネ、マートン、ウェリントンの4区間にわけてオペレーターが通票閉塞装置を補完することで、数区間にわたる閉塞区間での列車の運行を効率化した。混合列車において、機関車がしばしば待たされることがあり、運行が断続的になってしまうことから、1925年のフェイ・レイブン報告においてこの運行システムの導入が要請された。1938年から1966年にかけて、ノース・アイランド本線に列車集中制御装置が次第に導入されて通票閉塞装置を置き換えていった[19]。1957年に、当時残されていた354キロメートルの区間へのCTC導入が開始されたとき、タウマルヌイからオタキまでの330キロメートル区間にCTCを導入しオハクネ(1977年にタウマルヌイに移転)、タイハペ、パーマストンノースに指令センターを置けば、運行業務に就く74人を合理化できると見つもられた。CTCに転換された最後の区間はピリアカ - オファンゴ間であった[20]

1913年にノース・アイランド本線の最高制限速度は45マイル毎時(72 km/h)に上げられ、オークランド - ウェリントン間の所要時間は1時間25分短縮されて、17時間30分から45分の間になった[21]。1895年から1913年までニュージーランド鉄道省のゼネラルマネージャーを務めたトーマス・ロナインの指揮下で[22]、パーネルの南の区間は二重化され、オークランドとマーサーの間の最急勾配と急な曲線は改良された。ロナインの後継者のE.H.ヒリーの指揮下で、複線で勾配を緩和した第2パーネルトンネル英語版が1915年から1916年にかけて完成した[23]。ハルコームとマートンの間のカカリキの築堤区間において、勾配を53分の1から70分の1に緩和する付け替え線が1915年に完成した[24]。同じような改良は、グレートフォートの勾配区間にも実施され、1939年にランギティケイ川の対岸に付け替えが完成した[25]。1914年の法律により、ウェストフィールド付け替え線英語版、オークランドとウェリントンにおける新駅、ペンローズ-パパクラ間、オヒネワイ-ハントリー間、ホリティウ-フランクトン間、ニューマーケット-ニューリン間の複線化、ペンローズからテ・クイティへの区間の勾配緩和への予算支出が承認されたが[26]第一次世界大戦のためにこれらの改良工事の多くは10年以上遅れることになった。

1927年にオタフフからマーサーまでの区間に色灯式自動信号機が設置された[27]。1930年には自動信号がさらにフランクトンまで56.2キロメートル延長され、フランクトンからホロティウまでの10.8キロメートルが複線化された。ンガルアワヒアの北5.9キロメートル区間は1937年12月5日に複線化され[28]、さらにンガルアワヒアからハントリーまでの14.7キロメートルは1938年12月4日に[29]、ハントリーからオヒネワイとパパクラからパエラタまでは1939年12月に複線化された[30]。このころになると、戦時に伴う不足からさらなる複線化は遅れることになった[31]。ポケノからマーサーまでは1951年11月11日に、プケコヘからポケノは1954年11月21日に、マーサーからアモクラは1956年7月1日に、オヒネワイからテ・カウファタへは1958年12月14日に複線化された。アモクラとテ・カウファタの間の13キロメートルは、ンガルアワヒア橋と同じく単線で残った[32]。アモクラより南の複線化は、2021年7月よりビジネスケースにおいて調査が開始されている[33]

ウェストフィールド付け替え線[編集]

ノース・アイランド本線からウェストフィールド付け替え線を通じて東側郊外からオークランド中心業務地区にアプローチする

1930年にウェストフィールド付け替え線が開通し、オークランドからグレン・インズおよびホブソンズ・ベイを経由してウェストフィールドまで新しい東側のルートを形成し、新しいオークランド駅を使うようになったとともに、オークランド港へのアクセスが改善された[34]。オークランドからニューマーケット経由でウェストフィールドへ向かう当初の区間は、後にノース・アイランド本線の一部ではなくなった。後にオークランド - ニューマーケット間はニューマーケット線英語版となり、ニューマーケット - ウェストフィールド間はファンガレイ - ウェストフィールド間を結ぶノース・オークランド線英語版の一部となった[34]

1930年代末に、オヒネワイ、タウピリ、ホプホプにおける踏切が橋に置き換えられた[35]

タワ・フラット付け替え線[編集]

1930年代に、ウェリントン側の終端はウェリントンからタワ・フラットまで、2本の長いトンネルを含むタワ・フラット付け替え線に付け替えられた。この写真の中央2本の線路が付け替え線で、ワイララパ線英語版のンガウランガ駅が背後に見え、脇にはニュージーランド国道1号線がある

複線のタワ・フラット付け替え線英語版は貨物輸送には1935年7月22日に、そして旅客輸送には1937年6月19日に開通し、ウェリントンとタワの間の当初の単線を改良した。ウェリントンの丘の下をくぐるトンネルの組み合わせにより、勾配と曲線が多く60分の1勾配の長い区間で補助機関車を要していた当初のルートに多くの貨物列車を走らせるという問題を緩和した。ウェリントンからジョンソンビルまでの当初の路線はジョンソンビル支線英語版として残されているが、ジョンソンビルからタワまでは廃止となった。

プリマートンからサウス・ジャンクション、プケルア・ベイの北からムリ、そしてノース・ジャンクションからパエカカリキまでの区間は1940年に複線化された。1940年7月24日に、ノース・アイランド本線のウェリントン - パエカカリキ間の直流1,500ボルト電化が完成した。タワ・フラット付け替え線には、煤煙の問題から蒸気機関車の運行に適さない長いタワ第2トンネルがある(しかし1935年から付け替え線では一時的に蒸機運行が行われていた)。CTCが1940年に導入され、信号扱所を新設する必要をなくすとともに、タブレットの取り扱いのためにタワとプケルア・ベイの間の5駅に常時人を配置する必要もなくなった。電化により、プリマートンからプケルア・ベイの峠までの57分の1勾配区間を東側に付け替えて緩和する必要がなくなり、またより多くの近郊旅客列車を運転できるようになった(そして1949年9月からはこの区間に電車列車が運行されるようになった)。

ウェリントン側電化区間のパエカカリキ付近でEWクラス英語版の1805号がニュージーランド国鉄DCクラスディーゼル機関車英語版の4611号を牽引しているところ、この区間は1940年に電化された

パエカカリキ断崖の下を通る、プケルア・ベイからパエカカリキまで、サウス・ジャンクションと・ノース・ジャンクションの間で5本のトンネルがある難所は、単線のままである。タワからポリルアまでは1957年12月15日に、ポリルアからパレマタまでは1960年11月7日に、パレマタからプリマートンまでは1961年10月16日に複線化された。ポリルアからプリマートンまでの区間は、ポリルア湾の東岸を埋め立てることで、複線化と合わせて直線化された[36]

1967年に、旧ウェリントン・アンド・マナワツ鉄道区間のパエカカリキからプケルア・ベイまでのトンネルの床が掘り下げられ、ニュージーランド国鉄DAクラスディーゼル機関車英語版がウェリントンまで運行できるようになった。

ミルソン付け替え線[編集]

1964年から1966年にかけて、パーマストンノースの市街地中心部を避けて市の外縁を周るミルソン付け替え線が建設された。

マンガウェカ付け替え線[編集]

1973年から1981年にかけて、中央部のマンガウェカとウティクの間で大規模なマンガウェカ付け替え線英語版が建設され、ランギティケイ川とカファタウ川を渡るどれも70メートルを超える高さの3つの高架橋が建設された[37]。旧線の高架橋は経済的寿命が尽きていた[38]。付け替えにより、不安定な地盤に建設されていた多くのトンネルを除去し[39]、多くの急勾配区間もなくなった[39]

ハプアフェヌア付け替え線[編集]

中央部のハミルトン近郊のテ・ラパからパーマストンノースまでの区間は、政府のシンク・ビッグ英語版エネルギー政策の一環として、1984年から1988年にかけて電化された。一部のトンネルは切り通しにされ、あるいは付け替えられたが、一方で一部のトンネルは拡大する工事を行い、曲線も緩和された。オハクネとホロピトの間の区間は付け替えられ、より重い荷重の高速列車に対応するために、3つの高架橋が置き換えられた。置き換えられた橋でもっとも有名なのは、鋼製で曲線を描いたハプアフェヌアの高架橋で、現代のコンクリート製の橋に変わったが、古い橋も修復されて観光名所となっている。

近年の改良[編集]

2009年から2010年にかけて、ウェリントン・ジャンクションとディスタント・ジャンクションの間の1.5キロメートルの区間が、ピーク時の混雑緩和のために複線から3線へと改良された。

2011年2月に、ウェリントン近郊鉄道網の改良と拡張の一環として、パエカカリキ - ワイカナエ間の複線化が完成した。

2012年から2013年にかけて、オークランド - ハミルトン間のランギリリ近くの4か所の橋が更新された。これらの橋は木製の橋脚と鋼製の桁を使った建設から100年以上経過したものであり、保守作業量の少ない現代のコンクリート製桁橋に更新された。第479、480、481、482号橋が更新対象で、長さはそれぞれ40メートル、40メートル、30メートル、18メートルであった[40]

ペカ・ペカからオタキまでのカピティ高速道路英語版の建設のために、オタキ駅のすぐ北の1.3キロメートルの区間で線路の位置が変更された。建設工事は2017年に始まり、新線には2019年のイースターの週末(4月19日から22日)に移行された[41][42]

オークランド南方のパパクラで、ニュージーランド鉄道DLクラスディーゼル機関車英語版が貨物列車を牽引している。ノース・アイランド本線の営業上貨物は重要な収入源である

オークランド地区では、ウィリとウェストフィールド(あるいはパパクラ)の間の3番目の線路が建設中である[43]これにより、停車中の旅客列車を貨物列車が追い抜くことができるようになる[44]

電化[編集]

ノース・アイランド本線の電化は1988年に完成した

ノース・アイランド本線のうち3か所に分かれて電化区間がある。オークランドの近郊鉄道網と、中央部のパーマストンノース - テ・ラパ(ハミルトンの北)は交流25 kVで電化されている。ウェリントン近郊鉄道網は、かつて他のニュージーランドの鉄道網の区間でも使われていたことのある、直流1,500 V電化である。ウェリントンでは、ニュージーランド鉄道FPクラス電車英語版(マタンギ)が導入されて以降、可能な出力を増大するために電圧が1,600 Vに昇圧された。

ノース・アイランド本線の電化は、電気技術者のエヴァン・パリー英語版によって1918年11月にニュージーランド・ジャーナル・オブ・サイエンス・アンド・テクノロジー誌第1巻に初めて提案された。第一次世界大戦を受けて全国的に石炭が欠乏すると、パリーは、鉄道網はかつてないほど増加した貨物輸送量により大きな負担がかかっており、一部は蒸気機関車の利用にその責任があるとした。またパリーは、北島中央部で安価に水力発電ができる大きな可能性があると示唆した。

ノース・アイランド本線の最初の区間の電化はウェリントン - パエカカリキ間のタワ・フラット付け替え線で、1940年7月24日に完成した。これは主に、全長4.3キロメートルの第2トンネルで煤煙の不快さを除くためのもので、またパエカカリキ - プケルア・ベイ間の駆動力を補う目的もあった。この区間の電化設備は現在はトランスデブ・ウェリントン英語版によるメットリンク近郊旅客列車のカピティ・ラインのみが使用しており、1983年5月7日にパラパラウムまで、そして2011年2月20日にワイカナエまで延長された。グレーター・ウェリントン地域評議会の資金拠出により、ワイカナエ延長と同時に新しいFPクラス電車が配置された[45]

第二次世界大戦により、鉄道は熟練労働力と石炭の不足に苦しむことになった。熟練労働者は他の分野の雇用を求めていってしまった。1948年から1951年まで、鉄道省のゼネラルマネージャーのフランシス・ウィリアム・エイキンは、技術スタッフからの反対にもかかわらず、全線の電化を主張した。エイキンはそれ以前は鉄道省の職員総監督および主任法務顧問であり、ノース・アイランド本線の列車にディーゼル機関車を用いることは高価すぎると判断していた。彼は、石炭の問題を緩和し、輸入石油への高額な支出を回避できるとして、電化に関心を向けた。

彼は電化の検討を開始させ、その結果ウェリントンで使われている直流1,500 Vの電化方式より、低周波交流方式の方が安価であると結論した。エイキンは4人の高官からなる技術派遣団を1949年3月に海外に送り、彼自身もイギリスの建設会社と暫定契約の交渉をするために海外渡航した。主任技術者と主任会計士が電化方式の仕様と費用を定め、エイキンはノース・アイランド本線の電化を結論とする本格的な報告書を完成させ、政府へ提出した。

ニュージーランド財務省英語版および建設省英語版の高官と、スウェーデンからの2人の専門家がこの提案に意見を寄せ、1950年12月に政府はこの提案をおおむね承認し、テランダーをコンサルタントとして指名することも同意した。エイキンは後に政府と反目し、1951年7月にゼネラルマネージャーを引退した。体制の変更に伴い、電化提案は消滅した。

エイキンの報告書における重要な仮定は、1948年から1961年までの間にノース・アイランド本線の輸送量は50パーセント増加するというものであった。電気式ディーゼル機関車は走行する発電所というべきものであるから、電化によるディーゼル化に対する費用の節約分は、本質的にニュージーランドの資源から発電した電気エネルギーを購入する費用と、輸入した軽油を使って小さな発電所で発電する費用の差であるとみなすことができる。

エイキンの退職後に設立された王立鉄道委員会は、エイキンの報告書を却下した。エイキンの後継者であるH.C.ラスティは、イングリッシュ・エレクトリックと結んでいた仮契約を見直し、DFクラスディーゼル機関車英語版を指定した。この機関車は後に信頼性がないとわかり、10両のみが納入された。その代わりに、支線に対してDGクラスディーゼル機関車英語版が42両導入された。ノース・アイランド本線を含む幹線には、ゼネラルモーターズのG12型の輸出型が発注され、DAクラスディーゼル機関車英語版となった。

パーマストンノースとハミルトンの間の411キロメートル区間は、ロバート・マルドゥーン国民党政権の「シンク・ビッグ」エネルギー開発プロジェクトの一環として、交流25 kV 50 Hzで電化され、1988年6月24日に開業した[46]。総費用は1億ドルを超えると見込まれており、そのうち40パーセントほどが機関車購入費用とされていたが、最終的な費用は約2億5000万ドルとなった。1980年代の石油価格の下落と、費用便益分析を実施した時点ではニュージーランド国鉄が長距離輸送において確保していた独占が陸上輸送の規制緩和により失われたことから、このプロジェクトの経済性は大きく損なわれることになった。

EFクラス英語版の30163号が交流25 kV電化区間においてオーバーランダー英語版を牽引する、2003年

この区間の電化は、1974年6月に設置された検討グループが増加する鉄道輸送量に対応する手段に関する報告を出したことに起源があり、1980年に承認を受けた。これにより、日本の鉄道技術研究所の支援を受けて技術的な検討が実施された。報告書では、電化することにより列車をより高速化し、また1本の列車でより多くの貨物を運べるようになることから、輸送量を増大できると述べていた。たとえば、ディーゼル機関車ではラウリムスパイラルで720トンの列車を27 km/hで牽引するのに対し、電気機関車であれば1,100トンから1,200トンの列車を45 km/hで牽引できるとし、輸送時間を3 - 5時間程度削減できるとした。燃料の消費は削減でき、また電気機関車で回生ブレーキを採用すれば、さらに燃料消費を削減できるとした。

電化の有利性はこの報告書の経済評価に反映され、投資利益率を18パーセントとしていた。感度分析によれば、この高い投資利益率があるため、予想したよりも輸送量が少なかった場合(たとえ輸送量が減少に転じたとしても利益率はプラスのままであるとした)、建設費が大きく増加した場合、そしてディーゼル燃料が予想したほど高騰しなかった場合でも、プロジェクトの安定性は確保できるとした。

このプロジェクトの一環として、銅線を使った通信システムはウェリントン - オークランド間で新しい光ファイバー通信ケーブルに置き換えられた。これは交流電化が直流の通信システムに干渉を起こすためである。1994年にニュージーランド鉄道はこのケーブルを電話用にクリア・コミュニケーションズ英語版に売却し、一部の容量をリースバックして信号用に用いた[47]

オークランド近郊鉄道網の電化構想は、1960年代にさかのぼり[48]、主にノース・アイランド本線の全線電化構想と同時に発案されていた。2005年には、政府がこの構想を実行することを決定し[49]、都市鉄道をノース・アイランド本線の中央部と同じ交流25 kVで電化するとした[50]。この構想には、ノース・アイランド本線のブリトマート - パパクラの南までの35.7キロメートルの電化を含む。オークランド鉄道網の電化作業は2010年に開始された。ニュージーランド鉄道AMクラス電車英語版を使った最初の電気運転の営業列車はオネフンガ線英語版のブリトマート - オネフンガ間で2014年4月28日のことであった[51]。オークランド鉄道網の電化プロジェクトは、2015年7月に完成し、すべての近郊列車が電気運転となった。プケコヘ - パパクラの非電化区間にはディーゼルのシャトル列車が運行されている[52]

将来[編集]

オークランド電化完成により、ノース・アイランド本線の中央部、ハミルトンの北のテ・ラパまで87.1キロメートルの非電化区間が残された。オークランド近郊鉄道網の発展により、電化区間は南に伸ばされる可能性があるが、これはさらなる政府の資金拠出に依存している。2008年2月にかつてのオークランド地域評議会の議長マイク・リーは、電化はまずプケコヘまで延長されるかもしれないと示唆し、そうなるとテ・ラパまで60キロメートルの非電化区間が残ることになる[53]。2012年に公開提案に応えて、オークランド・トランスポート英語版の取締役会は、プケコヘまでの電化調査を10か年計画に含めることを決定した[54]。オークランドの2018年 - 2028年計画では、プケコヘ電化、ウェストフィールドからウィリまでの3線化、そしてさらなる新型電車を提案している[55]。2020年に政府はパパクラからプケコヘまでの電化に資金を拠出すると発表した[56]

2008年に当時の鉄道インフラストラクチャー所有者のONTRACKに対して書かれた文書では、残りのパパクラ - テ・ラパの非電化区間の電化およびイースト・コースト本線英語版のタウランガまでの電化の可能性を調査している[57]。この報告書では、電化費用の総額を8億6000万ドルとし、そのうちパパクラ - テ・ラパ間は4億3300万ドルであるとした[57]。報告書では、資金は勾配と曲線の緩和、速度制限の除去と待避線の有効長増大に投入した方が有効であろうと結論している[57]

ウェリントンでは、ワイカナエからノース・アイランド本線の中央部パーマストンノースまで80.8キロメートルの非電化区間がある。ワイカナエまでの2012年2月の電化延長以来、オタキまで15キロメートルの電化延長を求める声がある[58]。もし実現すれば、非電化区間は66キロメートルとなる。両端の電化方式が異なることから、直通の電気運転には両対応の機関車または電車が必要となる。ウェリントン、ワイララパ、パーマストンノースの車両更新、およびワイカナエの北からレビンまでおよびその先の電化延長に関してビジネスケースとして2021年7月から調査が行われている[33]1982年情報公開法英語版に基づく2021年の請求により、キウィレールはウェリントンの電化方式を直流1,500 Vから交流25 kVに変更する計画はないと明言し、将来の非電化区間をつなぐ電化はいかなる形であれ両対応機関車を必要とするだろうとした[59]

2016年12月21日にキウィレールは、中央部の電化区間で使われている唯一の電気車両であるEFクラス電気機関車を、2年間かけて運用終了させ、更新しないという計画を発表した[60]。この決定の理由としては、EFクラスは車齢約30年に達して寿命に近づいており、頻繁に故障していること(平均故障間隔は30,000キロメートルであり、これは期待される50,000キロメートルをかなり下回っている)、そして電化区間の両端でディーゼル機関車と電気機関車を交換することは労力と時間を要し、費用も掛かるとした。キウィレールは、この区間を非電化にすることは考えておらず、設備は維持しておき、将来電気車両を再導入できるようにするとした。

2018年10月30日、政府は長期的な排出物目標の達成を助け、経済を活性化するために、EFクラス電気機関車を保持しておくと発表した。残されている15両のEFクラス電気機関車はキウィレールにより更新され、ハミルトン - パーマストンノース間で運行を続けるとした[61]

電化状態
区間 延長 電化方式 全体に占める割合
ウェリントン - ワイカナエ 57 km 直流1,500 V 8.4%
ワイカナエ - パーマストンノース 81 km 非電化 11.9%
パーマストンノース - ハミルトン(テ・ラパ) 404 km 交流25 kV 59.2%
ハミルトン(テ・ラパ) - プケコヘ 79 km 非電化 11.6%
プケコヘ - パパクラ 26 km 電化確定(交流25 kV) 3.8%
パパクラ - ブリトマート 35 km 交流25 kV 5.1%
電化距離合計
電化済み 496 km 73%
将来電化確定 26 km 4%
非電化 160 km 23%

百周年[編集]

2008年8月6日9時、ウェリントンから1908年8月7日のジョセフ・ワード英語版を乗せた議会特別列車を再現した列車がオークランドへ向けて出発した[62]。メインライン・スチーム・トラストが復元した車齢100年のAA1013号客車も連結されていた。タイハペとタウマルヌイで一晩停車してオークランドへと向かった。乗車は招待客のみであった。

百周年記念として一連の切手が発行された。

  • 50セント - マンガヌイ・オ・テ・アオにおける連結式 - 実際の写真を使っている[63]
  • 1ドル - KA947号蒸気機関車が列車を牽引して旧駅に進入する光景、タウマルヌイ、1958年
  • 1.5ドル - マカトテ高架橋、1963年
  • 2ドル - ラウリムスパイラル、1964年
  • 2.5ドル = ハプアフェヌア高架橋を走るオーバーランダー英語版、2003年

インフラストラクチャー[編集]

ノース・アイランド本線は、特にランギティケイ川英語版沿いと北島火山高原英語版の上に工学の粋を集めた構造物を多く有し、「技術の奇跡」と表現されている。ワンガヌイ川の峡谷から北島火山高原へ登る急勾配に列車を通せるようにするための、有名なラウリムスパイラルの建設もその一例である。

ノース・アイランド本線には、352の橋と14のトンネルがある[3]。大きな高架橋としては、1981年に開通したマンガウェカ付け替え線英語版にある3つ(ノース・ランギティケイ、サウス・ランギティケイ、カファタウ)がある。5つの高架橋は高さが70メートルを超えている。これより規模の小さな高架橋もオハクネの北のタオヌイ[64]と、マンガヌイ・オ・テ・アオおよびマンガトゥルトゥルにある[65]。 主な高架橋の高さと長さは以下の通り[66]

名前 高さ 長さ 開通年 備考
ノース・ランギティケイ 81メートル 160メートル 1981年 マンガウェカ付け替え線
マカトテ 79メートル 262メートル 1908年
サウス・ランギティケイ 78メートル 315メートル 1981年 マンガウェカ付け替え線
カファタウ 73メートル 160メートル 1981年 マンガウェカ付け替え線
マコヒネ 73メートル 229メートル 1902年
トイ・トイ 58メートル 66メートル 1904年
ハプアフェヌア 45メートル 284メートル 1908年 1987年に架け替えられた[67]
ハプアフェヌア 51メートル 414メートル 1987年
ワイテチ 36メートル 127メートル 1889年 ワイタテとも、長さ130メートルとする資料もある[68]
マンガウェカ 48メートル 288メートル 1903年 マンガウェカ付け替え線によって1981年廃止[64]

鉄道車両[編集]

ニュージーランドの鉄道でも特に輸送量が多く、しかも中央部に急勾配があることから、ノース・アイランド本線ではニュージーランドで最強の機関車が使われてきた。

1909年にノース・アイランド本線が全通した時点で、北島中央部の山岳地帯で大きな輸送量をこなすために、車軸配置4-8-2の強力なニュージーランド国鉄Xクラス蒸気機関車英語版が導入された。1928年には、ガーラット式機関車Gクラス英語版が導入されたが、期待されたほど有効ではなかった。1932年に車軸配置4-8-4のKクラス英語版が導入され、後に1939年に改良されてKAクラス英語版となった。

1954年からのDFクラス英語版の導入は、蒸気機関車の時代の終わりの始まりとなり、1955年にはDAクラス英語版の導入によって蒸気機関車が大々的に廃止されていくようになった。1972年からは、DXクラス英語版シルバーファーン英語版気動車が導入され、シルバーファーンは1991年までオークランドとウェリントンを結ぶ列車に使われていた。

1980年代末の電化とEFクラス英語版の導入により、DXクラスは南島ミッドランド線英語版での石炭輸送など、他の路線に多くが転用されることになった。これ以降、テ・ラパとパーマストンノースの間では列車は電気機関車で牽引されることになったが、他路線から発着して直通する列車や、カリオイからの紙パルプ貨物列車などは、依然としてディーゼル機関車牽引である。

2020年5月時点で、ノース・アイランド本線で定期運用がある車両は以下のとおりである。

形式 写真 種類 1編成の両数 総数 事業者 運行区間 製造年
FP/FT英語版
マタンギ
電車 2 83 トランスデブ・ウェリントン英語版 ウェリントン - ワイカナエ間のウェリントン近郊輸送 2010年-2012年、2015年-2016年
AM英語版 電車 3 57 トランスデブ・オークランド英語版 イースタン線、サザン線におけるオークランド近郊輸送 2012年-2015年
ADL/ADC英語版 気動車 2 10 トランスデブ・オークランド英語版 パパクラ - プケコヘ間のオークランド近郊旅客輸送 1982年-1985年
S英語版 客車 8 8 キウィレール英語版 ウェリントンとパーマストンノースを結ぶキャピタル・コネクション英語版 1971年 - 1975年
AK英語版 客車 6 6 ザ・グレート・ジャーニーズ・オブ・ニュージーランド英語版 ウェリントンとオークランドのザ・ストランド駅英語版を結ぶノーザン・エクスプローラー英語版 2011年-2012年

接続路線[編集]

路線名 開通年月日 廃止年月日 分岐点 終点 延長 備考
ニューマーケット線英語版 1873年12月24日 営業中 キー・パーク分岐点 ニューマーケット駅英語版 2.5 km 1873年から1877年までオークランド - オネフンガ線、1877年から1908年までオークランド - ワイカト線、1908年から1974年までノース・アイランド本線
ノース・オークランド線英語版 1875年5月20日 営業中 ウェストフィールド分岐点英語版 オティリア分岐点 280 km かつてはニューマーケット線と共にノース・アイランド本線の一部を形成していた
マヌカウ支線英語版 2012年4月15日 営業中 ウィリ分岐点 マヌカウ 2.5 km
ミッション・ブッシュ支線英語版 1917年12月10日 営業中 パエラタ分岐点 ミッション・ブッシュ 17 km かつてはワイウク支線であった。保存鉄道のグレンブルック・ビンテージ鉄道英語版がグレンブルック- ワイウク間8 kmを使用している
キミヒア支線 2015年10月21日[69] ハントリー・ノース キミヒア鉱山 2.75 km
ロトワロ支線英語版 1915年12月20日 営業中 ハントリー ロトワロ 8.5 km かつては全長14 kmのグレン・アフトン支線であった、保存鉄道のブッシュ・トラムウェイ・クラブ英語版がプケミロからグレン・アフトンまでの2 kmを使用している
ワイパ鉄道炭鉱英語版 1914年3月1日 1958年5月19日 ンガルアワヒア ウィルトン炭鉱 10.5 km 専用線、1935年8月12日から廃止まではニュージーランド国鉄運営
イースト・コースト本線英語版 1879年10月20日 営業中 フランクトン分岐点 カウェラウ 180 km 1879年から1928年までテムズ支線、1978年のカイマイ付け替え線により路線長が短縮、元の長さは230 km
ストラトフォード-オカフクラ線英語版 1933年9月4日 2009年休止 オカフクラ分岐点 ストラトフォード 144 km フォーゴトン・ワールド・アドベンチャーズに貸し出し
ラエティヒ支線英語版 1917年12月18日 1968年1月1日 オハクネ分岐点 ラエティヒ 13 km
マートン-ニュープリマス線英語版 1878年2月4日 営業中 マートン分岐点 ブレイクウォーター(ニュープリマス) 212 km
タオヌイ支線 1879年11月17日 1895年8月14日 タオヌイ コリートン 3.5 km
パーマストンノース-ギズボーン線英語版 1891年3月9日 営業中 ロスリン分岐点 ギズボーン 391 km ネイピア-ギズボーン間は2012年休止、ギズボーン・シティ鉄道がギズボーンムリワイ間16 kmを使用している
フォクストン支線英語版 1873年4月 1959年7月18日 ロングバーン分岐点 フォクストン 31 km 1908年までフォクストン - ニュープリマス線の一部であった
ワイララパ線英語版 1874年4月14日 営業中 ディスタント分岐点(ウェリントン) ウッドビル 170 km リムタカインクライン英語版の1955年の廃止により182 kmから短縮
ジョンソンビル支線英語版 1885年9月24日 営業中 ウェリントン分岐点 ジョンソンビル 10 km ウェリントン・アンド・マナワツ鉄道英語版によって建設、ジョンソンビル-タワ間の6 kmは1937年6月19日に廃止
テ・アロ支線英語版 1893年3月27日 1917年4月23日 ウェリントン(ラムトン) テ・アロ 1.77 km

主な軌道・その他の接続線[編集]

分岐駅 開通年月日 廃止年月日 所有者 備考
ドルーリー 1862年 不明 ドルーリー石炭 馬車軌道
ケリービル 公共事業省 ポケノ -アエロア線の建設用、マンガタフィリ以遠は完成せず
ンガルアワヒア 1914年3月1日 1958年5月19日 ワイパ鉄道炭鉱 10 kmの専用線
オトロホンガ 1921年 ランギトト炭鉱 6 kmの馬車軌道
マンガペヒ 1944年 エリス・アンド・バーナンド 蒸気機関車による森林鉄道
ワイオネ側線 1950年 マートン・サッシ・アンド・ドア 蒸気機関車による森林鉄道
オンガルエ 1956年 エリス・アンド・バーナンド 蒸気機関車による大規模な森林鉄道
タリンガモトゥ 1910年 1960年代 タリンガモトゥ軌道 蒸気機関車による森林鉄道
マヌヌイ 1944年 エリス・アンド・バーナンド 蒸気機関車による大規模な森林鉄道
オイオ 1935年 キング・スペアズ 蒸気機関車による森林鉄道
マンソンズ側線 マンソン・アンド・クラーク 蒸気機関車による森林鉄道
ラウリム 1935年 キング・スペアズ 蒸気機関車による森林鉄道
ラウリム 1935年 1957年 ラウリム・ソーミリング 蒸気機関車による森林鉄道
ポカカ 1930年 1957年 ポカカ木材 蒸気機関車による森林鉄道
ホロピト ホロピト・ソーミルズ ニュージーランド鉄道の最高点、標高923.5メートル
ロングバーン 1886年10月27日 1908年12月7日 ウェリントン・アンド・マナワツ鉄道英語版 専用線、ニュージーランド鉄道省が買収してノース・アイランド本線に編入

旅客列車[編集]

長距離[編集]

開通以来、ウェリントンとオークランドを結ぶ定期旅客列車が運行されている。毎日急行列車が夕方早い時間帯に出発し、それに続いて停車駅の少ない特急が出発する。

1963年から1968年まで、昼行列車はシーニック・デイライト英語版と呼ばれていた。1968年にドルーリー製のRMクラス英語版連接式車両英語版が改良され独特の青と白の塗装となり、ブルー・ストリークと愛称で呼ばれるようになった。この車両は当初ハミルトンとオークランドを結ぶ列車に1968年初めに投入されたがうまくいかず、1968年9月23日からオークランド - ウェリントン間に運用されるようになった。なお、ニュージーランドでは自走する旅客用気動車はすべてRMクラスに分類される。

DCクラス英語版は当初、当時オーバーランダー英語版と呼ばれていたオークランド-ウェリントン間の長距離旅客列車の牽引をしていた

1971年にニュージーランド国鉄は豪華寝台列車のシルバースターを導入した。この列車は経済的には成り立たず、1979年に運行を終了した。これよりは成功したのが昼行の気動車であるシルバーファーン英語版で、1972年にブルー・ストリークを置き換えた。この列車は1991年に運行終了し、オーバーランダー英語版に置き換えられた。

客車によるオーバーランダーの運行開始と関連して、シルバーファーンの気動車は新しく設定されたタウランガとオークランドを結ぶカイマイ・エクスプレス英語版、オークランドとロトルアを結ぶガイザーランド・エクスプレス英語版に1991年に転用された。2000年には、これらタウランガとロトルアへの列車と関連して、ワイカト・コネクション英語版というハミルトンとオークランドを結ぶ新しい通勤列車が導入されたが、3本とも2001年に運行中止となった。

2006年7月25日に、当時ニュージーランドの鉄道網を運営していたトールNZは2006年9月末でオーバーランダーの運行を終了すると発表したが、2006年9月28日に限定的な運行でこの列車を継続すると発表した[70]。夏期は毎日運行し、残りの期間は週3回の運行となった。

2012年に、キウィレールは現代的なニュージーランド製AKクラス客車英語版を投入してオーバーランダーをノーザン・エクスプローラー英語版に置き換え、停車駅を少なくして所要時間を短縮した、豪華な旅客列車とすると発表した。2012年6月25日月曜日から運行を開始し、オークランド発ウェリントン行きの列車は月曜日、木曜日、土曜日発、ウェリントン発オークランド行きの列車は水曜日、金曜日、日曜日発となった。オーバーランダーより停車駅が少なく、パパクラ、ハミルトン、オトロハンガ、ナショナルパーク、オハクネ、パーマストンノース、パラパラウムに止まる。南島を走るコースタル・パシフィック英語版トランツアルパイン英語版の両観光客向け列車およびクック海峡を渡るインターアイランダー鉄道連絡船とともに、ノーザン・エクスプローラーはキウィレールの一部門、ザ・グレート・ジャーニーズ・オブ・ニュージーランド英語版が運行している。

2021年にはテ・フイア英語版という名前のハミルトン - オークランド間の新しい通勤列車が運行を開始した。

キャピタル・コネクション英語版はパーマストンノースとウェリントンの間を運行している。

キウィレールと、一般の鉄道ファンの事業者(鉄道ファン協会、メインライン・スチーム、スチーム・インコーポレイテッドなど)は、貸切列車の運行を行っている。

オークランド近郊輸送[編集]

ノース・アイランド本線の北側のターミナル、ブリトマート駅

ノース・アイランド本線上を近郊列車が以下のように定期的に運行している。

イースタン線英語版: マヌカウからブリトマートまでグレン・インズ経由、プヒヌイからブリトマートの間でノース・アイランド本線を通る。

サザン線英語版: パパクラからブリトマートまでオタフフおよびニューマーケット経由、ウェストフィールド分岐点からパパクラまでノース・アイランド本線を通る。ニューマーケットまではノース・オークランド線を、キー・パーク付近までニューマーケット線を走り、そこでノース・アイランド本線に再合流するが、ブリトマートまで約500メートルほどの短区間を走るだけである。気動車がノース・アイランド本線のプケコヘ - パパクラ間をシャトル運行している。

オネフンガ線英語版ウェスタン線英語版の列車は、キー・パーク付近からブリトマートまでの500メートルほどの短区間のみノース・アイランド本線を走る。

ウェリントン近郊輸送[編集]

ノース・アイランド本線の南側ターミナル、ウェリントン駅英語版、ウェリントン近郊鉄道網で最大の乗降客数がある

トランスデブ・ウェリントン英語版が運行するウェリントンのメットリンク近郊鉄道網には、ノース・アイランド本線のウェリントン - ワイカナエ間とカピティ・ラインがある。

駅一覧[編集]

[71][72]

ウェリントン起点キロ程 標高 開業年 廃止年 備考
ウェリントン駅英語版 0 km 2.4 m 1937年 営業中 ニュージーランド国鉄のラムトン駅、ウェリントン・アンド・マナワツ鉄道のソーンドン駅を置き換えた、これらの駅は、ウェリントン駅開業時に廃止
ラムトン駅英語版 0 km 2.4 m 1884年 1937年 現在のウェリントン駅の幾分北にあった
ピピテア・ポイント駅英語版 0.75 km 2.4 m 1874年 1884年 ピピテア埠頭にあった当初のウェリントン駅
ソーンドン駅英語版 0.75 km 2.4 m 1886年 1937年 ピピテア駅付近にあったウェリントン・アンド・マナワツ鉄道の駅
カイファラファラ駅英語版 2.44 km 2.4 m 1874年 2013年 1951年まではカイワラ駅
タカプ・ロード駅英語版 11.78 km 41 m 1937年 営業中
レッドウッド駅英語版 13.16 km 26.5 m 1963年 営業中
タワ駅英語版 13.58 km 25.6 m 1937年 営業中 1937年廃止のタワ・フラット駅は、レッドウッド駅の隣の丘の上、標高が12メートル高い位置にあった
リンデン駅英語版 14.85 km 17.7 m 1940年 営業中
ケネプル駅英語版 16.16 km 15 m 1940年 営業中
ポリルア駅英語版 17.8 km 3.6 m 1885年 営業中
パレマタ駅英語版 21.7 km 2.7 m 1885年 営業中
マナ駅英語版 23.04 km 3 m 1949年 営業中 1960年までドーリー・バーデン駅
プリマートン駅英語版 24.4 km 5.8 m 1885年 営業中
プケルア・ベイ駅英語版 30.1 km 80 m 1885年 営業中
ムリ駅英語版 31.15 km 77 m 1952年 2011年
パエカカリキ駅英語版 38.84 km 7 m 1886年 営業中
ワイヌイ駅英語版 40.85 km 9 m 1886年 1900年
パラパラウム駅英語版 48.28 km 13.7 m 1886年 営業中
オタイハンガ駅英語版 51.5 km 21 m 1886年 1902年
ワイカナエ駅英語版 55.31 km 31 m 1886年 営業中
ハドフィールド駅英語版 60 km 39 m 1886年 1906年
テ・ホロ駅英語版 64.77 km 19.2 m 1886年 1965年
ハウテレ駅英語版 67.6 km 15.2 m 1886年 1900年
オタキ駅英語版 70.28 km 14.6 m 1886年 営業中
マナカウ駅英語版 79.3 km 30.5 m 1886年 1982年 1905年まではマヌカウ駅だった
オハウ駅英語版 84.95 km 30.7 m 1886年 1982年
レビン駅英語版 90.3 km 36.5 m 1886年 営業中 1886年から1894年まではウェラロア駅だった
クイーン・ストリート(レビン)駅英語版 91.37 km 36.5 m 1956年 1977年
レビン駅 91.5 km 36.5 m 1886年 1894年
コプタロア駅英語版 99.23 km 8.5 m 1886年 1986年 1906年まではケルル駅
シャノン駅英語版 106.57 km 12.2 m 1886年 営業中
マケルア駅英語版 111.84 km 7.62 m 1886年 1966年
トコマル駅英語版 118.35 km 17.7 m 1885年 1982年 列車交換設備は存置
リントン駅英語版 124.19 km 18.3 m 1885年 1972年
ロングバーン駅英語版 129.69 km 19.8 m 1873年 1986年
アワプニ駅英語版 132 km 24.7 m 1876年 1965年
パーマストンノース中央駅英語版 135.76 km 30 m 1873年 1965年
パーマストンノース駅英語版 136.03 km 28 m 1963年 営業中
テラス・エンド駅英語版 138.51 km 38.1 m 1876年 1964年
バニーソープ駅英語版 144.47 km 55.2 m 1876年 1985年
タオヌイ駅英語版 148.62 km 61.9 m 1876年 1963年
アオランギ駅英語版 150.66 km 70.7 m 1876年 1965年
フェイルディング駅英語版 152.98 km 72.2 m 1876年 2012年
マキノ・ロード駅英語版 156.26 km 103 m 1878年 1960年
マエワ駅英語版 158.34 km 107 m 1878年 1962年
ハルコーム駅英語版 165.76 km 118 m 1878年 1983年
カカリキ駅英語版 171.12 km 70 m 1879年 1982年
グレートフォード駅英語版 175.67 km 104.5 m 1875年 1983年
マートン駅英語版 180.25 km 140.8 m 1878年 2012年
クリフ・ロード駅英語版 183.58 km 159.7 m 1888年 1966年
オーバートン駅英語版 188.85 km 155 m 1888年 1958年
ポレワ駅英語版 190.53 km 165 m 1888年 1982年 保守側線は存置
ラタ駅英語版 195.46 km 194 m 1888年 1975年
シルバーホープ駅英語版 199.31 km 224 m 1888年 1966年
ハンタービル駅英語版 205.33 km 267 m 1888年 1986年
カイカランギ駅英語版 210.18 km 284 m 1888年 1964年
マンガオノホ駅英語版 216.04 km 257 m 1893年 1966年
オヒンガイティ駅英語版 222.14 km 279 m 1902年 1975年
マンガウェカ駅英語版 231.04 km 326.7 m 1902年 1982年
ウティク駅英語版 243.69 km 371 m 1904年 1986年
オホツ駅英語版 247.08 km 395.6 m 1904年 1959年
ウィニアタ駅英語版 249.02 km 415 m 1905年 1972年 待避線であった
タイハペ駅英語版 251.85 km 442 m 1904年 2012年
マタロア駅英語版 260.88 km 530 m 1907年 1986年 開業日の写真
ンガウルケフ駅英語版 270.25 km 640 m 1908年 1993年以前
トゥランガレレ駅英語版 274.5 km 702 m 1912年 1972年
ヒヒタヒ駅英語版 278.2 km 741 m 1908年 1982年 1912年までトゥランガレレ駅
ワイオウル駅英語版 290.3 km 813.8 m 1908年 2005年 標高814メートル、ニュージーランド鉄道最高点
タンギワイ駅英語版 299.49 km 699.5 m 1909年 1986年 1953年12月24日のタンギワイ鉄道事故最寄り
カリオイ駅英語版 306.94 km 630.3 m 1909年 1984年
ランガタウア駅英語版 312.79 km 670 m 1909年 1986年 1910年代の写真
オハクネ駅英語版 317.09 km 618.4 m 1908年 営業中 1917年から1968年まで作業時刻表ではオハクネ分岐点
ホロピト駅英語版 326.91 km 752 m 1909年 1978年 1981年の映画「スマッシュ・パレス-孤独な暴走-」の撮影地
ポカカ駅英語版 332.57 km 811 m 1909年 1986年 1924年の写真
エルア駅英語版 340.13 km 742.5 m 1908年 1986年 1920年代の写真
ナショナルパーク駅英語版 346.83 km 806.8 m 1908年 営業中 1949年までワイマリノ駅
ラウリム駅英語版 358.31 km 589 m 1906年 1978年 1906年から1908年はプケリム駅
オイオ駅英語版 366.25 km 520 m 1908年 1972年 第二次世界大戦中のアメリカの軍人には"Zero-10"という名で知られていた。ニュージーランドの鉄道で、アヴァ駅英語版トゥイ駅英語版に並びアルファベットの綴りが最短の駅の1つ
オファンゴ駅英語版 371.89 km 456.6 m 1908年 1985年 1983年にいったん廃止、その後一時再開業していた
カカヒ駅英語版 382 km 266 m 1908年 1978年
ピリアカ駅英語版 387.15 km 230 m 1908年 1987年
マヌヌイ駅英語版 391.9 km 190.5 m 1908年 1986年
マタプナ駅英語版 394.8 km 180 m 1908年 1987年
タウマルヌイ駅英語版 397.75 km 171 m 1903年 2012年
タリンガモトゥ駅英語版 402 km 172.5 m 1903年 1971年
オカフクラ駅英語版 408.54 178.3 m 1903年 1978年 1933年から2010年までの作業用時刻表ではオカフクラ分岐点となっている
テ・コウラ駅英語版 412.75 km 182 m 1909年 1975年
オンガルエ駅英語版 420.68 km 192.6 m 1903年 1986年
ワイオネ・サイディング駅英語版 426.86 km 208 m 1921年 1950年
ワイミハ駅英語版 434.39 km 232 m 1903年 1983年
ポロ・オ・タラオ駅英語版 444.05 km 339.2 m 1901年 1979年
マンガペヒ駅英語版 449.47 km 285.3 m 1901年 1984年 1901年から1920年までマンガペエヒ駅
コパキ駅英語版 454.35 km 265 m 1901年 1982年 1920年までパラティカナ駅
プケトゥトゥ駅英語版 461.83 km 206 m 1889年 1977年 1889年に簡易的に開業、1912年までモカウ駅
ワイテティ駅英語版 470.07 km 135 m 1889年 廃止
テ・クイティ駅英語版 475.66 km 54 m 1887年 2012年
テ・クミ駅英語版 478.56 km 49.6 m 1887年 1968年
ハンガティキ駅英語版 485.2 km 39.9 m 1887年 1982年
オトロハンガ駅英語版 494.41 km 37 m 1887年 営業中 廃止されたが2012年夏に再開業、利用には事前の予約が必要[73]
キオキオ駅英語版 498.45 km 35.4 m 1887年 1973年
テ・カワ駅英語版 506.88 km 47.8 m 1887年 1982年
テ・マファイ駅英語版 513 km 35.6 m 1887年 1958年 1900年までテ・プヒ駅
テ・アワムトゥ駅英語版 517.02 km 50 m 1880年 2005年
ンガロト駅英語版 519.92 km 56 m 1880年 1954年
レイク・ロード駅英語版 522.26 km 54 m 1880年 1940年
オハウポ駅英語版 527.16 km 52 m 1880年 1982年
ルクヒア駅英語版 533.59 km 55 m 1880年 1970年
ハミルトン駅英語版 542.52 km 37.5 m 1877年 営業中 以前はハミルトン分岐点およびフランクトン分岐点
テ・ラパ競馬場駅 547.50 km 33.2m 1920年 1980年
ロトカウリ駅英語版 549.25 km 33 m 1877年、2021年再開業 1970年、営業中 ウェリントン起点547 kmのテ・ラパ操車場とは異なる、2021年にテ・フイア英語版のための駅として再開業した
ホロティウ駅英語版 553.65 km 23.7 m 1877年 1975年頃 1907年6月23日までプケテ駅[74]、オークランドから124 km地点から122 km地点へと1880年に移転した[75]
ンガルアワヒア駅英語版 559.16 km 20.7 m 1877年 1968年頃 1978年まではニューカッスル駅[76]
タウピリ駅英語版 566.56 km 13.7 m 1877年 1968年頃
ハントリー駅英語版 573.87 km 14 m 1877年、2021年再開業 1998年、営業中 2021年にテ・フイア英語版のための駅として再開業した
キミヒア駅英語版 578.45 km 14 m 1877年 1939年
オヒネワイ駅英語版 582.04 km 10 m 1877年 1968年頃
ランギリリ駅英語版 588.11 km 9 m 1877年 1957年
テ・カウファタ駅英語版 591.62 km 12.2 m 1877年 1984年
ファンガマリノ駅英語版 598.34 km 6.7 m 1877年 1978年
アモクラ駅英語版 604.53 km 7 m 1877年 1980年
マーサー駅英語版 609.16 km 6.4 m 1877年 1986年
ポケノ駅英語版 613.96 km 24 m 1877年 1968年頃
ファンガラタ駅英語版 617.90 km 59.7 m 1877年 1968年頃 フラッグステーション[77]
トゥアカウ駅英語版 621.41 km 37 m 1875年 1986年 1910年再建[78]
バックランド駅英語版 625.6 km 58 m 1875年 1969年
プケコヘ駅英語版 628.86 km 60.65 m 1875年 営業中
パエラタ駅英語版 633.29 km 45.1 m 1875年 1980年 1917年からパエラタ分岐点
ランシマン駅英語版 638.37 km 8 m 1875年 1918年
ドゥルーリー駅英語版 640 km 9 m 1875年 1980年
オパヘケ駅英語版 642.9 km 14.5 m 1875年 1955年 1877年から1939年までフヌア駅
パパクラ駅英語版 647.02 km 19.2 m 1875年 営業中
ティロヌイ駅英語版 648.95 km 15.5 m 1904年 1980年
タカニニ駅英語版 650.64 km 15.2m 1875年 営業中
テ・マヒア駅英語版 652.24 km 14.9 m 1904年 営業中
マヌレワ駅英語版 653.1 km 17 m 1875年 営業中
ホマイ駅英語版 655.7 km 30.78 m 1904年 営業中
ウィリ駅英語版 657.6 km 22.25 m 1913年 2005年
プヒヌイ駅英語版 658.92 km 19.8 m 1904年 営業中
パパトイトイ駅英語版 659.63 km 18.9 m 1875年 1904年
パパトエトエ駅英語版 660.42 km 18 m 1904年 営業中
ミドルモア駅英語版 662.28 km 8.8m 1904年 営業中
マンゲレ駅英語版 663.02 km 10.66 m 1904年 2011年
オタフフ駅英語版 664.15 km 9.44 m 1875年 営業中
ウェストフィールド駅英語版 665.5 km 7.6 m 1904年 2017年
シルビア・パーク駅英語版 667.09 km 7.6 m 1931年 営業中 2007年に1 km北へ移転
パンムレ駅英語版 669.93 km 17.7 m 1931 営業中 2007年に200 m北へ移転
タマキ駅英語版 671.28 km 23.5 m 1930年 1980年
グレン・インズ駅英語版 672.64 km 22 m 1930年 営業中
プレワ駅英語版 675.4 km 18 m 1930年 1955年
メドウバンク駅英語版 676.26 km 12 m 1954年 営業中
オラケイ駅英語版 677.44 km 4.5 m 1930年 営業中
ザ・ストランド駅英語版 680.76 km 2.7 m 1930年 営業中 1930年から2003年までのオークランド駅の7番乗り場であった、長距離列車のノーザン・エクスプローラーや蒸気機関車の列車、その他の観光列車などの終点
ブリトマート駅 682 km マイナス4 m 2003年 営業中 オークランド近郊輸送列車の終点、電気運転の列車のみ

記録[編集]

オークランドからウェリントンまでの所要時間記録は、1960年のムーハン・ロケット(ディーゼル機関車牽引の特別列車)で11時間34分であったが、1967年にはスタンダード英語版気動車で9時間26分(うち走行時間は8時間42分)となった[79]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

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外部リンク[編集]