ナタリア・ロマニウタ
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| 生誕 |
1982年5月26日(43歳) ヘヴェシュ県 | ||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 173 cm | ||||||||||||||||||||||||
| 獲得メダル | |||||||||||||||||||||||||
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ナタリア・ロマニウタ(ロシア語: Наталья Романюта、ラテン翻字:Natalia Romaniuta、1982年5月26日 - )は、ハンガリーヘヴェシュ県生まれのロシアの女性フィギュアスケートアイスダンス選手。2000年、2001年世界ジュニア選手権優勝。1999-2000年シーズンJGPファイナル優勝。パートナーはダニイル・バランツェフなど。
経歴
[編集]ソビエト連邦の軍人だった父のもと、赴任先のハンガリーヘヴェシュ県に生まれ、5歳ころにスケートを始めた。その後、家族とともにエカテリンブルクに戻り、当初はエフゲニー・ザゴワルコとカップルを結成したが、1996年からダニイル・バランツェフと新たにカップルを結成した。
1997-1998年シーズンよりISUジュニアグランプリ(当時の名称はISUジュニアシリーズ)が創設され、国際大会へデビューを飾る。翌1998-1999年シーズンには全ての大会で表彰台に上った。1999-2000年シーズン、ISUジュニアグランプリのJGPサルコウ杯およびJGPハーグ、JGPファイナルの3大会連続優勝を果たし、世界ジュニア選手権でも優勝。ジュニアクラスの大会を完全制覇を達成する。2000-2001年シーズンからはシニアクラスのISUグランプリシリーズにも参戦し、世界ジュニア選手権では2連覇を達成した。
ソルトレークシティオリンピックを控えた2001-2002年シーズンは、GPスパルカッセン杯でシニア初表彰台の3位となったが、オリンピックロシア代表の2枠を賭けたロシア選手権では3位となり、代表に選出されなかった。直後の2002年欧州選手権ではパートナーのダニイル・バランツェフの体調が思わしくなく途中棄権。のちにカップルの解散を発表した。
その後、アメリカでアルセニー・マルコフとのカップルを模索したが、結成にまでは至らなかった。現在は結婚し母となり、コーチとして活動しているという。
主な戦績
[編集]- 戦績は全てダニイル・バランツェフとのカップル時。
| 大会/年 | 1997-98 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 |
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| 世界選手権 | 16 | ||||
| 欧州選手権 | 棄権 | ||||
| ロシア選手権 | 3 | 3 | |||
| GPロシア杯 | 5 | ||||
| GPスパルカッセン杯 | 6 | 3 | |||
| GPNHK杯 | 9 | ||||
| フィンランディア杯 | 2 | ||||
| 世界Jr.選手権 | 7 | 3 | 1 | 1 | |
| JGPファイナル | 5 | 3 | 1 | ||
| JGPサルコウ杯 | 1 | ||||
| JGPハーグ | 1 | ||||
| JGPSNPバンスカー | 1 | ||||
| JGPソフィア杯 | 2 | ||||
| JGPウクライナ記念 | 2 | ||||
| JGPサン・ジェルヴェ | 4 |