ナイス (バンド)

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ナイス
The Nice
Nice 1970.JPG
晩年期のライブ (1970年)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル プログレッシブ・ロック
アート・ロック
ジャズ・ロック
活動期間 1966年 - 1970年
2002年
レーベル Immediate Records
カリスマ・レコード
メンバー キース・エマーソン (Key)
リー・ジャクソン (B)
ブライアン・デヴィソン (Ds)
旧メンバー デヴィッド・オリスト (G)
イアン・ヘイグ (Ds)

ナイス(ザ・ナイス、The Nice)は、イングランド出身のロックバンド

プログレッシブ・ロックにおける始祖的グループの一つで、キース・エマーソンが在籍していた事で知られる。晩年のキーボード・トリオスタイルは解散後、エマーソンが結成した「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」に引き継がれていった。


概要・略歴[編集]

バンド名[編集]

バンドの英名は「The Nice」だが、日本でのカナ表記はアルバムや資料によって「ザ・」が記載されている場合と記載されていない場合がある。[1]

結成[編集]

ELP時代のキース・エマーソン(Key)

1966年12月、女性シンガーのP.P.アーノルドのバック・バンドとして結成。当初のメンバーは、結成の中心となったキース・エマーソン (キーボード)の他、リー・ジャクソン (ベース)、デヴィッド・オリスト (ギター)、イアン・ヘイグ (ドラムス)の4人で、ライブのバックバンド演奏他にミック・ジャガープロデュースによるアーノルドのアルバム『ファースト・レディ・オブ・イミディエイト (The First Lady Of Immediate)』においても3曲初期ナイスの演奏が残されている。薬物常用で失調をきたしていたヘイグのドラム演奏に難があったため、同年8月ヘイグを解雇、ドラムスがエマーソンやジャクソンに昔なじみのブライアン・デヴィソンに交代した。

当初は「パット・アーノルド・アンド・ハー・ナイス」として活動を開始したが、ステージの半分はナイス単独のライブ演奏だった[2]。徐々にナイスとのリハーサルにアーノルド本人が現れなくなり、終いにはとうとうライブにも現れなくなり[3]1967年9月ナイスはバンドとして独立、マーキー・クラブなどに定期的に出演する様になる。

デビュー - 解散まで[編集]

同年11月、デビュー・シングル「The Thought of EMERLIST DAVJACK」を、翌1968年1月にはシングルと同名のアルバム(邦題は『ナイスの思想』)をリリースした。「EMERLIST DAVJACK」とはメンバー4人の名前から作られた造語である(EMERson + o'LIST + DAVison + JACKson)。同年7月にリリースしたシングル「アメリカ(ミュージカルウエスト・サイド・ストーリー」挿入歌のカバー)」が全米チャート29位まで上昇し[2]、ステージで星条旗を燃やすパフォーマンスとともに話題となりナイスは少しずつ軌道に乗っていく。

2ndアルバム『少年易老学難成』の録音中、薬物依存症で遅刻/欠席を繰り返すギターのデヴィッド・オリストを解雇。ナイスはキーボード・トリオとして再スタートする。アルバムは1968年4月に発売され、同年7月にはアメリカ公演を行った。この時のライブと新たなスタジオ録音を組み合わせ、同年8月にセルフタイトルの3rdアルバム『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』をリリース。

3rdアルバムのリリースの後、キース・エマーソンは、ニューヨーク・シンフォニーの指揮者で、かねてからポップ/ロック・グループとの共演を望んでいたジョセフ・イーガーとコンタクトし、公演を実現した。それらの何曲かが、4thアルバム『ファイヴ・ブリッジズ』に収録されている[4]。この頃からキース・エマーソンとリズム・セクションの2人との間で音楽的な意見の相違が表面化し始めた[5]

『ファイヴ・ブリッジズ』をリリースした後、バンドは「キング・クリムゾン」と合同で全米ツアーを行う。そこでキース・エマーソンがクリムゾン・メンバーのグレッグ・レイクと意気投合し、新バンド結成を構想し始める[6]。ただし契約問題もあり水面下で進められたが[2]1970年初頭の英国音楽紙では「ナイスにグレッグ・レイクが加入」という憶測記事が出回った。

1970年2月、5thアルバム『エレジー』をリリース。同年4月、バンドは正式に解散を発表した。

解散後の動向[編集]

キース・エマーソンはかねての計画通り、グレッグ・レイク そして「アトミック・ルースター」のカール・パーマーと共に、「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」の結成に向かう。

一方、リー・ジャクソンは「ジャクソン・ハイツ」、ブライアン・デヴィソンは「エヴリ・ウィッチ・ウェイ」をそれぞれ結成したが、商業的な成功には至っていない。

1973年、リー・ジャクソンとブライアン・デヴィソンはスイスのキーボード・プレイヤーであるパトリック・モラーツを引き入れ「第2のナイス」を企図した[7]レフュジー」を結成[8]1974年にはバンドと同名のアルバムでデビューしたが、その直後、パトリック・モラーツがリック・ウェイクマンの後任としてイエスに引き抜かれ、活動停止を余儀なくされた。

2002年、「キース・エマーソン&ザ・ナイス」の名義で32年ぶりに再結成ライブを行ない、ライブ・アルバム『ヴィヴァシタス - ライヴ・アット・グラスゴー 2002』をリリースした。

2008年4月15日、ブライアン・デヴィソン死去。

2016年3月10日、キース・エマーソン死去[9]

メンバー[編集]

最終ラインナップ[編集]

旧メンバー[編集]

  • デヴィッド・オリスト (David "Davy" O'List) – ギター、ボーカル (1967年–1968年)
  • イアン・ヘイグ (Ian Hague) – ドラムス (1967年)

ラインナップの変遷[編集]

P.P. Arnold & Her Nice第1期 1966年
  • P.P.アーノルド (P.P. Arnold) - ボーカル
  • キース・エマーソン (Keith Emerson) - キーボード
  • デヴィッド・オリスト (David O'List) - ギター
  • リー・ジャクソン (Lee Jackson) - ベース
  • イアン・ヘイグ (Ian Hague) - ドラムス
P.P. Arnold & Her Nice第2期 1966年 - 1967年
  • P.P.アーノルド (P.P. Arnold) - ボーカル
  • キース・エマーソン (Keith Emerson) - キーボード
  • デヴィッド・オリスト (David O'List) - ギター
  • リー・ジャクソン (Lee Jackson) - ベース
  • ブライアン・デヴィソン (Brian Davison) - ドラムス
第1期 1967年 - 1968年
  • キース・エマーソン (Keith Emerson) - キーボード、ボーカル
  • デヴィッド・オリスト (David O'List) - ギター、トランペット、フルート、ボーカル
  • リー・ジャクソン (Lee Jackson) - ベース、ボーカル
  • ブライアン・デヴィソン (Brian Davison) - ドラムス


『ナイスの思想』録音。

第2期 1968年 - 1970年
  • キース・エマーソン (Keith Emerson) - キーボード
  • リー・ジャクソン (Lee Jackson) - ベース、ボーカル
  • ブライアン・デヴィソン (Brian Davison) - ドラムス


『少年易老学難成』『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』『ファイヴ・ブリッジズ』『エレジー』録音。

キース・エマーソン&ザ・ナイス 2002年 - 2003年
  • キース・エマーソン (Keith Emerson) - キーボード
  • リー・ジャクソン (Lee Jackson) - ベース、ボーカル
  • ブライアン・デヴィソン (Brian Davison) - ドラムス

+

  • デヴィッド・キルミンスター (David Kilminster) - ギター
  • フィル・ウィリアムス (Phil Williams) - ベース
  • ピート・ライリー (Pete Riley) - ドラムス


ライブ『ヴィヴァシタス - ライヴ・アット・グラスゴー 2002』録音(2004年発表)。ディスク1はエマーソン、ジャクソン、デヴィソン、ディスク2はエマーソン、キルミンスター、ウィリアムス、ライリーによる演奏。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『ナイスの思想』 - The Thoughts of Emerlist Davjack (1967年)
  • 『少年易老学難成』 - Ars Longa Vita Brevis (1968年)
  • 『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』 - Nice / Everything As Nice As Mother Makes It (1969年)
  • 『ファイヴ・ブリッジズ』 - Five Bridges (1970年) ※旧邦題『フェアウェル・ザ・ナイス - 組曲「五つの橋」』

ライブ・アルバム[編集]

  • 『エレジー』 - Elegy (1971年) ※旧邦題『エレジー ザ・ナイス・ラスト・アルバム』[10]
  • America – The BBC Sessions (1996年)
  • The Swedish Radio Sessions (2001年) ※1967年後半のライブ
  • 『BBCセッションズ』 - BBC Sessions (2002年)
  • 『ヴィヴァシタス - ライヴ・アット・グラスゴー 2002』 - Vivacitas (2003年) ※キース・エマーソン&ザ・ナイス名義
  • 『フィルモア・イースト 1969』 - Live at the Fillmore East December 1969 (2009年)

コンピレーション・アルバム[編集]

  • 『ナイセスト!』 - The Nicest Of The Nice (1970年)
  • 『オータム'67 – スプリング'68』 - Autumn '67 – Spring '68 (1972年) ※『Autumn to Spring』として1973年に再発
  • 『キース・エマーソン・ウィズ・ザ・ナイス』 - Keith Emerson with The Nice (1972年) ※『ファイヴ・ブリッジズ』『エレジー』から編集
  • Nice Hits Nice Bits (1999年)

シングル[編集]

  • "The Thoughts of Emerlist Davjack" / "Azrial (Angel of Death)" (Immediate IM 059、1967年11月)
  • 「アメリカ」 - "America" / "The Diamond Hard Blue Apples of the Moon" (Immediate IM 068、1968年6月21日)
  • "Brandenburger" / "Happy Freuds" (Immediate IM 072、1968年11月8日)
  • 「夢を追って」 - "Hang on to a Dream" / "Diary of an Empty Day" (Immediate、1969年)
  • 「カントリー・パイ」 - "Country Pie" / "One of Those People" (Charisma、1969年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2007年現在のアルバム発売元であるビクター・エンタテインメントのウェブサイトは、1960年代後半に活動した時期のアルバムを「ナイス」というグループ名で分類している(ただし、同バンドは2002年に再結成してライブ・アルバムをリリースしているが、このライブ・アルバムは「キース・エマーソン&ザ・ナイス」というグループ名で分類している)。また、リットー・ミュージック刊「キース・エマーソンズ・インタビュー」では当該バンドを「ナイス」と表記している。以上の点から、主に1960年代後半における活動を解説している本項では「ナイス」というバンド名を踏襲している。
  2. ^ a b c シンコーミュージック刊「エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝」より。
  3. ^ キース・エマーソン自伝より
  4. ^ キース・エマーソンのザ・ナイス カリスマ在籍期アルバム3作が新規DSDマスタリング音源で紙ジャケ再発、プラチナSHM/SHM-CD /SHM〜SACDがあり”. amass (2015年5月15日). 2018年2月6日閲覧。
  5. ^ 「エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝」によると、キース・エマーソンがクラシックオーケストラの導入を望んだが、他の二人はその方法論に否定的だった
  6. ^ グレッグ・レイクとの交渉が遅々として進展しない時期にエマーソンは、イエスのクリス・スクワイヤにも新バンド加入を打診したが断られている
  7. ^ 音楽の友社刊「イエス」(黒田史朗著)より。
  8. ^ キース・エマーソン自伝によるとモラーツから頼まれエマーソンが元ナイスの2名を紹介している
  9. ^ グレッグ・レイク、キース・エマーソンを追悼 - BARKS、キース・エマーソン、自殺の理由について恋人が語る - NME-JAPAN
  10. ^ ジャケットの「砂漠に列をなして並ぶ赤い球体」はヒプノシスのデザインによるもの。

外部リンク[編集]