トーン・クラスター
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音楽におけるトーン・クラスター(英: tone cluster)は、ある音高から別の音高まで音階内の全ての音を同時に発する和音である。密集音塊(みっしゅうおんかい)あるいは密集音群(みっしゅうおんぐん)と訳すこともある[1](p2)。ピアノなどの鍵盤楽器の隣接する3つ以上の鍵を同時に押さえることで、2度(全音あるいは半音)の音程が集積した和音を出すのが典型的な演奏法である。オーケストラや合唱では、これと同様の2度和音のほか、半音をさらに分割した微分音を使って一定の音域を埋めつくす場合もある。
日本の雅楽などの場合には、全音かそれより狭い音程を密集させた響きを持つ曲が、通常の演奏レパートリーにふくまれる[2]。ヨーロッパで三和音を基本とする和声法を発達させてきたクラシック音楽においても、特殊な効果をねらってこのような密集した音響を使う手法は古くからある。20世紀前半のアメリカ合衆国の作曲家ヘンリー・カウエルがこうした音響を tone-cluster と命名した。第二次世界大戦以降、現代音楽の作曲家が使う代表的な音楽語法に発展している。
トーン・クラスターは複数の音からなるが、聞き手がそれらの個別の音それぞれを聞き分けることは通常できず、全体としてひとつの音の塊(クラスター)として感じられる[3](p230)。その響きがどのような特徴を持つかは、クラスター内部の構成音の音高と音程、楽器、奏法などの組み合わせによって異なる。
黎明期
バロック音楽時代後期のフランスの作曲家ジャン=フェリ・ルベルのバレエ音楽「四大元素」(仏: Les Élémens、1737年)は、教会旋法の全ての音を同時に鳴らすトーン・クラスターに極めて近い音響を冒頭で用いる[注釈 1]。少し後のやはりフランスの作曲家ミシェル・コレットのクラヴサンと朗読のためのディヴェルティメント「海戦の勝利」(1779年)にも、クラヴサンの一定範囲の鍵をまとめて押さえる指示がある[5]。19世紀中頃には、フランスの作曲家シャルル=ヴァランタン・アルカンがピアノ曲「打ち上げ花火 ——序奏と即興」(1859年)終結部において低音域でオクターヴにわたるトーン・クラスター(G・A・B♭・C♯・D・E・F・G)を用いている。これらは現代音楽的なトーン・クラスターと同様の音響を生じるが、情景の描写や特異な雰囲気を表現するなどの目的で使用する効果音の範囲を超えておらず、また広く使われていた作曲技法というわけでもない。
19世紀末以降、作曲家たちは三和音を中心とした古典的和声法からの離脱を模索する。そうした潮流に乗った、五和音など多数のピッチクラスをふくむ和音を多用する曲や、異なる調を同時に進行させる複調の曲には、2度音程からなる不協和和音がしばしば出現する。たとえば、クロード・ドビュッシーやイーゴリ・ストラヴィンスキーの作品にそのような例がみられる。同時期にアメリカ合衆国で流行したラグタイムもまた、同様の不協和和音をしばしば使っていた。
第二次世界大戦以前

Play20世紀におけるトーン・クラスター技法の発展は、アメリカ合衆国のふたりの作曲家、チャールズ・アイヴズとヘンリー・カウエルによってはじまる。
アイヴズは、ピアノソナタ第2番の第2楽章「ホーソーン」(Hawthorne、1911年作) において、2度音程の密集した不協和和音を多数用いた。同作品には、約37センチメートルの長さの板を用意して鍵盤の広い範囲を押さえる指示もある[6](p338)。『ホリデイ・シンフォニー』の第3楽章「独立記念日」(The Fourth of July、1913年作) では、2度音程の密集した不協和和音やそのグリッサンドにより、オーケストラからトーン・クラスター的音響を引き出している[7](p414)。
一方、カウエルは、ピアノの隣接する多数の鍵を肘や掌や腕で一度に叩く実験的な手法を、多くの作品で使っている。このような手法で得られる2度の和音の集合を、カウエルはトーン・クラスターと名付け[注釈 2]、その記譜法(図参照)を開発した[8](pp127-132)。カウエルがこうした奏法を明確に楽譜に書き記した最初の作品は、1913年に16歳で作曲した「和声の冒険」(Adventures in Harmony) とされる[1](p4)[注釈 3]。
カウエルはさらにトーン・クラスターに関する理論を構築し、本を書いてその普及につとめた[8]。ソヴィエト連邦で1930年に出版されたカウエルのピアノ曲「虎」(Tiger) の楽譜には、ロシア語と英語のほかドイツ語でトーン・クラスター奏法に関する注釈があり[1](p14)、国際展開の意図がうかがえる。バルトーク・ベーラとアルバン・ベルクは1923年にヨーロッパを旅行したカウエルと会っており、カウエルにトーン・クラスターの使用許可を求めた[1](p15)。
第二次世界大戦以後
トーン・クラスターを使用した作曲技法は、第二次世界大戦以後さらに発展し、現代音楽の潮流のなかで重要な地位を占めるに至る。
ピアノやオルガン等の鍵盤楽器で演奏効果をあげる方法が模索される一方、電子音楽の影響を受けて[10](p30)、微分音やグリッサンドが使える弦楽器等の合奏のために、多数の奏者に半音より狭い範囲で近接する音を個別に弾かせて特定の音の範囲を塗りつぶす奏法が開発された。これはトーン・クラスター概念を拡張し、音響作曲法の方向に進化させたものといえる。ヤニス・クセナキス[11]、クシシュトフ・ペンデレツキ[12]、ヘンリク・グレツキ、リゲティ・ジェルジュ[13] らがこの方向のトーン・クラスター作曲法をそれぞれ独自に発展させた。この技法が前衛作曲家たちの間に普及した1960年代は、「〈トーン・クラスター〉の時代」ともいわれる[14]。
合唱曲でトーン・クラスターを積極的に使った最初の例は、リゲティの「パーパイ夫人」(1953年)である。当時リゲティはアメリカでのアイヴズらの試みを知らず、バルトークが弦楽四重奏で用いていた半音トーン・クラスターを応用して、全音階を積み重ねた音響をアマチュア合唱団向けに作っている。黛敏郎の「涅槃交響曲」(1958年)の合唱部にも、半音を積み重ねたトーン・クラスター的音響がみられる[4]。それ以降の合唱作品でトーン・クラスターを使ったものとしては、ペンデレツキの「時と静寂の次元」(独: Dimensionen der Zeit und Stille、1959-1961年)[15]、「ルカ受難曲」(1965年)[16](p35) やリゲティの「レクイエム」(1963-1965年)がある。その後、青島広志の「マザーグースの歌」や廣瀬量平の「海の詩」(1975年)などで、日本のアマチュア合唱団体にも図形譜などを用いたトーン・クラスター唱法が普及した。
注釈
- ^ 旋法に基づくこのようなクラスターは現代の楽曲でもしばしば見られ、アルヴォ・ペルトやペトリス・ヴァスクス、クヌート・ニーステッド[4] などバルト三国や北欧の作曲家、日本の吉松隆、北爪道夫などが多用している。
- ^ カウエルの定義によれば、「トーン・クラスター」(tone-cluster) とは「長短2度からなる和声」(chords built from major and minor seconds) である[8](p117)。
- ^ トーン・クラスターはカウエルが1912年に15歳で作曲した「マヌナーンの潮流」ではじめて使用したとする説が長く信じられてきた[9](p88)。しかし今日では、この作品はある宗教団体のために作曲した舞台作品の一部として1917年に書かれたものであったことがわかっている[1](pp3,7)。
出典
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