ガングート (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Gangut battleship.jpg
Гангут1915,6/27ヘルシンキで撮影,竣工直後
Oktyabrskaya Revolutsiya interwar.jpg
Октябрьская Революция,フィンランド湾で撮影,近代化改装後
艦歴
発注:
起工: 1909年6月3日
進水: 1911年9月24日
就役: 1914年10月21日
除籍: 1956年
解体: 1959年
性能諸元
排水量: 常備:23,300t
満載:26,692t
全長: 184.9m
全幅: 26.9m
吃水: 9.1m
機関: タービン(パーソンズ、直結)4基
42,000馬力改装後61,000馬力
最大速: 23kt
兵員: 1120名
兵装: 305mm砲3連装4基
120mm砲単装10基(竣工時16基)
76.2mm単装砲6基
37mm機関砲14基
12.7mm機関銃10基
7.62mm機関銃89基
魚雷発射管457mm4門
装甲: 水線229mm
甲板76mm
砲塔203mm
バーベット203mm
司令塔245mm

ガングートロシア語:Гангут英語:Gangut)はロシア帝国海軍戦艦。後にソヴィエト連邦海軍の戦艦オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤロシア語:Октябрьская революция英語:Oktyabrskaya Revolutsiya)となった。 大北方戦争時のガングートの海戦に由来する。オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤは十月革命という意味。

概要[編集]

日露戦争後の海軍再建を目指した1908年計画により、初めての弩級戦艦建造のため国内外から建造計画を募る。 今まではイタリア、アンサルド社クニベリティ造船官の案、後イタリア戦艦ダンテ・アリギエーリで採用具体化される、の影響が大きいとされたが ドイツのブロムウントフォス社の案の方が採用されたのではないかという説もある。 ブロムウントフォス社は1911年、 サンクトペテルブルクの露プティロフ造船所建設に携わり、技術提携もされている。 更にアメリカのニューヨーク造船所の案では、前後に背負い式に主砲塔を持つが3連装で中央砲身を一段高くするという設計案も出された、一方砕氷艦首などロシア独自の設計も取り入れられた。

いずれにしても3連装砲塔の採用で背負い式ではなかったが、全ての砲塔を中心線上に配備できたので、左右舷側方向に主砲30.5cm砲4基12門全てを指向でき、弩級戦艦としてはかなり有力な艦であった。 最初の弩級戦艦ドレッドノートは30.5cm砲2連装砲塔5基で全主砲10門だが左右舷側に1基ずつある砲塔は反対側に発砲出来なかったので左右舷側方向には4基8門に限られた。 しかし設計ミスと、艦型に比べ過大な兵装で、主砲12門全てを発砲斉射すると艦全体が砲煙に覆われるのと、船体に過大な負担が掛るため、普段は交互発射が採用された。

主砲自体も52口径と長砲身で、最大仰角25度、射程25,000m、発射速度毎分1.7発と、後にリガ湾に侵攻して来るドイツ帝国海軍の弩級戦艦群に搭載されたヘルゴラント級戦艦から標準装備となった30.5cm砲の、50口径、405kg砲弾、仰角13.5度/俯角8度、最大仰角で射程16,200mをアウトレンジすることが出来た。ドイツ側は仰角16度/俯角5.5度、最大仰角で射程20,400mに改修したがそれでも及ばなかった。

速力も同時期の弩級戦艦カイザー級戦艦の21ktよりも優速の23ktにした代りに、舷側装甲は水線229mmで、黒海で対抗するオスマン帝国戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(元ドイツの巡洋戦艦ゲーベン:22,616t、28kt)の270mmに比べやや薄かったが、日本海海戦の戦訓により全体的に装甲が施され、出来れば艦窓も廃止する予定だったが一層居住性の悪化につながりそうだったので採用されなかった。

何より諸外国は本級の竣工当時超弩級戦艦に移行し、其の後もポスト・ジュットランド型戦艦、条約型戦艦、高速戦艦と順調に発展していったが、革命による混乱に巻き込まれ他の諸外国海軍においてアメリカのアイオワ級戦艦を除く大部分の戦艦が除籍される1950年代までソ連海軍はガングート級戦艦を運用し続けたため、旧式化は否めなかった。

艦歴[編集]

1914年10月、ガングートはロシア海軍最初の弩級戦艦、ガングート級戦艦の1番艦ネームシップとして竣工した。1915年7月、リガ湾に姉妹艦ペトロパブロフスクとドイツ艦隊を迎撃に向かうが、実際には前弩級戦艦スラヴァ等が矢面に立ち砲戦を行ったバルト海の戦い (第一次世界大戦)。その後、ロシア革命による混乱でしばらく放置される。

1925年7月27日にはオクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤと改名され[1]、1926年3月23日に再就役する。1931~1934年には近代化改装が行われ、艦首のクリッパー化、前檣・艦橋構造・後檣・後部構造の改正・整備と第一煙突の屈曲・誘導化を行った。他にも対空兵装強化、重油専用ボイラー、タービン換装等が行われた。また、第3主砲塔上へカタパルトと航空機を搭載し、後檣に揚収用のクレーンが設置されるが、航空兵装関係は1941年に撤去されている。

1939年12月19日、ソビエト連邦とフィンランドの間に起こった冬戦争に参加しフィンランド湾海域にて封鎖、陸上砲撃任務に従事。1941年6月22日、独ソ戦開始後にはタリンからクロンシュタット軍港に後退するが、レニングラード包囲戦の進展に伴い独軍航空機の空襲を受ける。9月21~24日の間にはドイツ空軍の急降下爆撃機により中型爆弾6発の命中を受け、クロンシュタットからレニングラードに回送された。その後1942年4月4~5日にも空襲により爆弾4発の命中を受け中破している[2]。1943年1月12~16日にはイスクラ作戦に参加した[3]

1944年1月、レニングラードの包囲が完全に解けるまでМ.З.Москаленко、N. A. Petrischev、S. D. Soloukhin司令官の指揮下主砲による1140回の砲撃が行われ、レニングラード包囲の全面的解除作戦に参加する[4]。、継続戦争におけるヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢に参加しヴィボルグ湾に進出し上陸作戦を支援。7月22日、赤旗勲章を授与され、赤旗戦艦十月革命号の称号を与えられた。なおこの年にはイギリス製の285型火砲管制レーダーと279型対空監視レーダーが装備された。

1954年、練習艦として使用されるも1956年には除籍となり、1958~59年にかけて解体された。なお、現在クロンシュタット市の都市公園記念碑として76mm高射砲と錨、主砲塔後部の装甲板が置かれている。

画像[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 海人社、世界の艦船 ロシア/ソビエト戦艦史、平成4年12月15日
  • 海人社、世界の艦船 近代戦艦史、1987年3月15日No.377
  • Чернышев, А.А. (2015). Героические корабли Великой Отечественной. Гвардейские и Краснознаменные. Эксмо. p. 7-12. ISBN 978-5-699-79506-2. 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Gangut / Oktyabrskaya Revolutsia (Gangut Class)(英語、Web Archive)