エボ・モラレス

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はモラレス第二姓(母方の)はアイマです。
フアン・エボ・モラレス・アイマ
Juan Evo Morales Aima
Evo Morales.jpg

任期 2006年1月22日2019年11月10日
副大統領 アルヴァロ・ガルシア・リネラ英語版

出生 (1959-10-26) 1959年10月26日(60歳)
オルロ県
オリノカ村 (Orinoca)
政党 社会主義運動 (MAS)
配偶者 なし[1]
署名 Evo Morales signature.svg

フアン・エボ・モラレス・アイマJuan Evo Morales Aima, 1959年10月26日 - )は、ボリビアの政治家であり、社会主義運動 (Movimiento al Socialismo : MAS) を率いる。同国大統領を4期務めたが事実上のクーデターで失脚し、メキシコ亡命した。

概要[編集]

2005年12月18日の選挙で大統領に当選。ボリビア史上初めての先住民出身の大統領であり、その先住民性(新しく創られた先住民性を含む)を政治利用することで、国民の過半数を占める地方の先住民票を巧みに取り入れた。

実質的には副大統領のアルバロが選挙対策や政策立案などを行った。社会的には、スペイン植民地以来、少数の白人系住民が実権を握ってきたこの国に大きな変化(アイマラ語やケチュア語表記を公共の場で行う、エル・アルトなど比較的貧困層が多い地域の積極的な開発や地方の先住民共同体への公共事業のあっせん(支持票の獲得が目的であった)、先住民共同体の伝統的組織名であるAylluの形式的な復活、先住民系であることへの自信を取り戻す、など)をもたらした。

だが、先住民性を強調しすぎた結果、白人系入植者やメスティーソ、また、都会の知識階級などによる反発も招き、結果的に国内を二分することになり、特にサンタ・クルス県など白人入植者の多い地域では反エボ・モラレス運動が盛んに行われた。反ワシントン・コンセンサス、反グローバル新自由主義の代表的政治家である。

モラレスの治世の成果として、国民所得を向上させて中間層を拡大したことがあげられる。国民に占める中間層の割合は、2005年の35%から2017年には58%へ上昇した。国際通貨基金のデータでも、モラレス在任中の国内総生産の平均成長率は4.8%に達しており、持続的な経済成長を見せていたことが裏付けられている[2]

2019年10月20日の大統領選挙でも当選したものの、開票結果が不正に操作されていたとの疑惑が提起され、米国をはじめとするモラレス政権と対立してきた国々から批判を受け、国家警察やボリビア国軍、一部の官僚や政治家からも辞任を要求される事態となった。11月10日に再選挙実施[3]と大統領辞任を表明[4]。11月11日、メキシコのマルセロ・エブラルド英語版外相はモラレスの亡命を受け入れると発表した[5]。これは、国軍や国家警察からの支持の離脱という事実上のクーデターとされる。

経歴[編集]

大統領就任前[編集]

オルロ県アイマラの農家に生まれた。17歳で兵役に就いた他、様々な職を転々とした後、コチャバンバ県チャパレに移住し、コカの栽培農家となる(ボリビアにおいてはコカの栽培は合法である)。以降、コカ栽培農家の農民運動の中心人物となり、1997年には下院議員に当選するが、2002年に暴動を扇動したとして下院議員を除名される(後に除名が「違憲」とされ復帰)。

それに対抗してモラレスは同年6月に行われた大統領選挙に出馬、最終的に当選は出来なかったが1回目投票で2位の得票を得て決選投票に進んだ。

大統領就任後[編集]

その後、ボリビアの反政府運動の中心人物として活動し、2005年の大統領選挙では1回目の投票で得票率5割を越えて当選を決めた。

モラレスの政治姿勢は強硬な反米主義で、また新自由主義経済、グローバリズムに対して徹底的な対決姿勢で知られている。ベネズエラチャベス政権、キューバラウル政権との連携を強めている。ボリビアガス紛争においても、多国籍企業に奪われている天然資源の権利を取り戻すべきだとしている。

2006年5月1日には、かねてからの公約、炭化水素(天然ガス・石油)の国有化を宣言。外国資本の企業に対しては、180日以内に新たな契約を結び直すか、あるいはボリビアから撤退するかを選択するように迫り、主要な天然ガス田にボリビア軍を派遣して接収を行った。こうしたことは、外資系企業とその国との軋轢を引き起こした。

コカ栽培農家の出身ということもあり、コカ栽培の促進も主張しているため、彼の反対者はしばしばモラレスはコカイン業者とつながりがあると主張するが、モラレスはあくまでも先住民の伝統的な生活必需品としてのコカの栽培促進を主張しているのであって、コカインの精製・密輸は許さない、としている。このような事態にアメリカのブッシュ大統領はモラレスを麻薬密売人として批判したが、モラレスは「私の知る唯一のテロリストはブッシュだ」と反論して一歩も引かない。またアラブの衛星テレビ局アルジャジーラのインタビューでもブッシュ批判をしていた[要出典]

2002年の大統領選挙当時と比べるとその主張はやや穏健化しているとの評もあり、ボリビア・ガス紛争でも反政府派の中では比較的穏健なグループに属していたとされる。当選後は米国の駐ボリビア大使との会談にも応じている。その一方で、当選後はキューバとベネズエラを訪問し、カストロ議長、チャベス大統領と会談して友好関係を再確認している。

2003年京都で開催された世界水フォーラムへの出席のため来日したことがある。大統領として2007年3月5日に来日し、明仁天皇安倍晋三総理大臣麻生太郎外務大臣と会談した。安倍首相との会談では、「改正後の憲法に戦争放棄を盛り込みたい」と語った[要出典]

2007年にFIFAが高地での試合を禁止した際にはチャカルタヤサハマでサッカーをプレーして抗議[6]を行ったり、2008年3月には、ボリビアのプロサッカー2部リーグに所属する国家警察チーム「リトラル」のリザーブ選手として正式な契約を行った[7]事が報じられるなど、サッカー好きでも知られる。

2008年12月27日から始まっているイスラエルによるガザ戦争に抗議して、イスラエルと断交した。

2010年12月7日に来日し、菅直人総理大臣と会談を行った。

2013年2月20日、国際連合の国際キヌア年の発足に際し国連総会に出席。記念演説の中で多国籍企業などに対する批判を行った[8]

2013年7月2日、モラレスを乗せたモスクワ発の飛行機が、エドワード・スノーデン[9]を同乗させている容疑でオーストリアへの着陸を余儀なくされた[10]。9日、米州機構は欧州4カ国[11]を非難し、ボリビアに連帯を表明する決議を全会一致で採択した[12]

2014年の大統領選挙で再選し、3期目に入った。2017年7月にエクアドルレニン・モレノ大統領はエクアドルにある南米諸国連合事務局の建物を教育施設として再利用すると述べたことに対して議長のモラレスは反発してボリビアで落成した南米議会の本部で南米諸国連合の基本的な運営を行うとした[13][14]

天然資源を生かした好調な経済成長と貧困層への手厚い再分配政策が支持される一方、長期政権による独裁化が進むとの前政権派やアメリカ合衆国からの批判も受け、2019年の大統領選挙では対立候補のカルロス・メサ・ヒスベルト元大統領との決選投票となる可能性があったものの、一時中断となった開票作業の再開後にモラレスの得票が伸び、2位との得票差が決選投票を必要としない10%を超えた事から、アメリカ合衆国やメサ陣営側から開票作業に不審な点が認められる[15]という抗議が寄せられた。結局、モラレスは得票率47.08%で4期目(任期5年)当選を宣言[16]したが、開票作業で不正が行われたとして結果に反発したカルロス・メサの支持者が抗議デモを起こし、一部が暴徒化して投票所に放火する事態を招いた。

その後も開票結果の不正操作を訴える反政府側を中心とした国民の抗議活動が続き、米州機構も報告書で「統計学上、モラレスの『4選』はあり得ない」などとして再選挙の実施を勧告したため、11月10日に再選挙の実施と選挙管理当局のメンバー刷新を発表した[3]ものの、国軍国家警察などから辞職勧告を突き付けられた[17]ことから辞任を表明。これは事実上のクーデターとされ、メキシコキューバベネズエラアルゼンチンウルグアイニカラグアといった反米左派政権が実権を握る国々は米国主導による右翼クーデターであると主張している[4]

なお、モラレスは自身に対する逮捕令状が出されたと主張したほか[18]、デモ隊が自宅を襲撃するなどして身の危険を感じた[19]としてメキシコへの政治亡命を申請した。11月11日、メキシコのマルセロ・エブラルド英語版外相はモラレスの亡命を受け入れると発表した[5]。亡命受け入れの発表を受けてモラレスはメキシコ空軍の軍用機で出国し、12日にメキシコ入りした。

その後、反モラレス派で白人系のヘアニネ・アニェス英語版上院副議長が暫定大統領への就任宣誓を行い、憲法裁判所も承認したが、そもそもボリビアでは大統領の辞任に議会の承認を要するものの、モラレス派が議会をボイコットしたため辞任の承認は得られておらず、アニェスの暫定大統領就任の承認も得られてはいない[20]。一方、アメリカ合衆国ブラジルコロンビアエクアドルはアニェスを暫定大統領として承認した。

対外政策[編集]

チリとの関係改善[編集]

就任前後から、南米太平洋戦争以来対立関係が続き、正規の外交関係をもたないチリとの関係改善に向けた動きを開始した。2006年1月の大統領就任式には任期切れを間近にしたリカルド・ラゴスチリ大統領が出席したがこれは両国の歴史上初めてのできごとであった。

その返礼として、モラレス大統領も3月にチリのミシェル・バチェレ新大統領の就任式にモラレス大統領が出席し、両国関係の改善に向けて大きく動き始めた。同時にバチェレ新大統領就任式参列でチリを訪問中のライス米国国務長官と会談した際も、同長官にコカの葉をあしらったチャランゴを贈り[21][22][23]、コカ生産意欲を婉曲に表明している[1]

チェ・ゲバラを再評価[編集]

チェ・ゲバラがボリビアで戦死した後、親米政権は「ゲバラはテロリスト」だとして評価しなかった。しかし、彼は初めてゲバラを公式に再評価した大統領となった[要出典]

人物[編集]

アルパカセーター

最終学歴は中学卒であり、本人は「人生という大学で学んだ」としている[要出典]。出自がアイマラであることと、コチャバンバにはケチュアが多いことより、彼はアイマラ語及びケチュア語も話す。ただし普段はスペイン語のみを使っている。

ノーネクタイの服装を貫くことを公言しており、実際に自身の大統領就任式(冒頭の写真参照)や外国訪問の際にも、トレードマークとなったアルパカのセーター(左上の写真参照)や革ジャンパーなどの服装が多く、ネクタイは着用しない。

その強硬な反米ナショナリズム姿勢から、反対派からは独裁者であると主張されており、日本テレビが制作した「緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!」では独裁者として紹介されたことがある[24]。実際、急激な社会主義化を推し進め、自らを批判するジャーナリストを呼びつけ、強い圧力をかけている場面をテレビで放映させるといった行為が日常茶飯事となっていた。また、外資を含めた民間企業の強制的な国による接収など、独裁傾向が非常に強かった。さらには2016年の国民投票では僅差で4選がかかっていた2019年の大統領選挙への出馬が禁じられた[25]にも関わらず、憲法解釈をゆがめてまで出馬し、その大統領選挙では開票結果の不正操作疑惑を指摘されるなど、長期政権の弊害やおごりも見られた。

一方、亡命後も先住民や貧困層、労働者層から絶大な支持を受けており、引き続き先住民を中心とした大規模なモラレス失脚に対する抗議デモが続いている。

脚注[編集]

  1. ^ ボリビアと結婚したと自称[要出典]
  2. ^ ボリビア大統領、経済政策の成功が「転落」の引き金に”. ロイター (2019年11月12日). 2019年11月13日閲覧。
  3. ^ a b ボリビア、大統領選をやり直しへ - 共同通信、2019年11月10日配信。
  4. ^ a b “ボリビア モラレス大統領が辞任表明 大統領選挙やり直しも発表”. NHE NEWSWEB. NHK. (2019年11月11日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191111/k10012172331000.html 2019年11月11日閲覧。 
  5. ^ a b “メキシコ、モラレス前ボリビア大統領の亡命認める”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年11月12日). https://www.afpbb.com/articles/-/3254263 2019年11月12日閲覧。 
  6. ^ Reuters
  7. ^ SI.com
  8. ^ “「世界キヌア年」、ボリビア大統領が多国籍企業批判”. AFPBB News (フランス通信社). (2013年2月21日). http://www.afpbb.com/article/economy/2929921/10321810 2013年2月21日閲覧。 
  9. ^ 国家安全保障局による個人情報収集活動を暴露したとして米当局に訴追されていた。
  10. ^ WallStreetJournal ボリビア大統領乗せた飛行機が緊急着陸―スノーデン氏搭乗のうわさも 2013年7月3日 11:08 JST
  11. ^ フランス、ポルトガル、イタリア、スペイン
  12. ^ しんぶん赤旗 米州機構 欧州4カ国を非難 2013年7月11日(木)
  13. ^ “En plena crisis, Unasur estrena sede parlamentaria en Bolivia”. france24. (2018年9月13日). https://www.france24.com/es/20180913-unasur-sede-parlamentaria-bolivia-crisis 2018年9月25日閲覧。 
  14. ^ “Morales aboga en la ONU por Cristina, Lula y Correa”. Correo del Sur. (2018年9月25日). http://correodelsur.com/politica/20180925_morales-aboga-en-la-onu--por-cristina-lula-y-correa.html 2018年9月25日閲覧。 
  15. ^ ボリビア、大統領選で非常事態宣言 介入疑惑受け - 日本経済新聞、2019年10月24日配信。
  16. ^ ボリビア大統領に現職4選 選管発表、不正と対抗馬 - 日本経済新聞、2019年10月26日配信。
  17. ^ “ボリビアのモラレス大統領、辞意表明 軍と警察の要求受け”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年11月11日). https://www.afpbb.com/articles/-/3254068?act=all 2019年11月12日閲覧。 
  18. ^ “辞任のボリビア大統領、自らに「逮捕状」とツイッターに投稿 警察長官は否定”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年11月11日). https://www.afpbb.com/articles/-/3254114?act=all 2019年11月17日閲覧。 
  19. ^ “亡命モラレス氏、メキシコ到着=副議長が暫定大統領―ボリビア”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年11月13日). https://www.afpbb.com/articles/-/3254489?act=all 2019年11月17日閲覧。 
  20. ^ “ボリビア上院副議長が暫定大統領宣誓 モラレス氏は亡命”. 朝日新聞. (2019年11月13日). https://www.asahi.com/articles/ASMCD4KFXMCDUHBI01G.html 2019年11月14日閲覧。 
  21. ^ BBC NEWS
  22. ^ BBCBrasil.com
  23. ^ CharangoBolivia.ORG
  24. ^ ただし、放送当時はあくまで民主的な選挙のもとで選出された大統領であり、チリアウグスト・ピノチェト元大統領のような露骨な独裁化を行ってはおらず、独裁者と決め付けるのは的外れとされていた。
  25. ^ “「独裁者いらない」南米ボリビアで大規模デモ 現場から”. 日本経済新聞. (2019年3月2日). https://r.nikkei.com/article/DGXMZO41956640S9A300C1000000 2019年11月17日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 公式サイト(スペイン語)(イタリア語)(英語)(オランダ語)(ギリシア語)(中国語)(ドイツ語)(マレー語)(ロシア語) - Evo Morales and (Spanish)
  • Evo Morales Aima(公式サイト)(スペイン語)(イタリア語)(英語)(オランダ語)(ギリシア語)(中国語)(ドイツ語)(マレー語)(ロシア語) - EvoMorales.net or EvoMorales.org
公職
先代:
エドゥアルド・ロドリゲス
ボリビアの旗 ボリビア多民族国大統領
第80代:2006 - 2019
次代:
ヘアニネ・アニェス英語版
大統領代行(上院副議長)