イベンダー・ホリフィールド
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基本情報 | |
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本名 | イベンダー・ホリフィールド |
通称 |
The Real Deal(ザ・リアルディール、本物) The Warrior(戦士) |
階級 | クルーザー級 ヘビー級 |
身長 | 188cm |
リーチ | 197cm |
国籍 |
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誕生日 | 1962年10月19日(58歳) |
出身地 | アラバマ州アトモア |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 55 |
勝ち | 43 |
KO勝ち | 28 |
敗け | 10 |
引き分け | 2 |
獲得メダル | ||
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男子 ボクシング | ||
オリンピック | ||
銅 | 1984 ロサンゼルス | ライトヘビー級 |
パンアメリカン大会 | ||
銀 | 1983 カラカス | ライトヘビー級 |
イベンダー・ホリフィールド(Evander "The Real Deal" Holyfield、1962年10月19日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身のプロボクサー。元WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級王者。元WBA・WBC・IBF統一世界クルーザー級王者。ヘビー級およびクルーザー級で統一王者になった唯一のボクサーであり、ヘビー級王者に4度返り咲いた唯一のボクサー[1]。ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト。
来歴[編集]
アラバマ州アトモアに8人兄弟の末っ子として生まれる。その後、家族と共にアトランタへ引っ越して、8歳の時にボクシングを始めて各地の大会に出場した[1]。
アマチュア時代[編集]
1983年、パンアメリカン競技大会にライトヘビー級で出場して決勝でキューバの選手に敗れるも銀メダルを獲得した。
1984年、ロサンゼルスオリンピックにライトヘビー級で出場する。準決勝でニュージーランドのケビン・バリーと対戦し、左フックでダウンを奪った。バリーがようやく立ち上がると、レフリーが「ブレイクを命じたのに、ホリフィールドが打った」と不可解な発言をして、失格負けとなり、銅メダルに終わった。
プロ時代[編集]
ライトヘビー級[編集]
1984年11月15日、ライトヘビー級でプロデビュー。
クルーザー級[編集]
1985年7月20日、クルーザー級へ階級を上げて試合を行う。
1986年7月12日、ドワイト・ムハマド・カウィに判定勝ちし、WBA世界クルーザー級タイトルを獲得。
1987年5月15日、リッキー・バーキーに3ラウンドKO勝ちし、IBF世界クルーザー級タイトルを獲得し、2団体タイトルを統一。
1988年4月9日、カルロス・デ・レオンに8ラウンドTKO勝ちし、WBC世界クルーザー級タイトルを獲得し、3団体タイトルを統一。タイトルを返上し、ヘビー級に転向。
ヘビー級[編集]
1988年7月16日、ヘビー級に階級を上げて試合を行う。
1989年3月10日、元WBA世界ヘビー級王者のマイケル・ドークスを10ラウンドTKOで破り、WBC米大陸ヘビー級タイトルを獲得。3度防衛。
1990年10月25日、ジェームス・ダグラスを3ラウンドKOで破り、WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級タイトルを獲得。2階級制覇。3度防衛。
1991年11月、マイク・タイソンの対戦契約が完了するが、タイソンが刑務所へ長期間収監され中止になる。
1992年11月13日、リディック・ボウに判定負けし、王座から陥落した。
1993年11月6日、リディック・ボウに判定勝ちし、WBA・IBF世界ヘビー級タイトルを獲得。この試合で7回にパラシュートで男がリングへ落下してくる有名な事件が起きている。
1994年4月22日、マイケル・モーラーに判定負けし、WBA・IBF王座から陥落した。
心臓病と診断され引退を発表する。このときネバダ州アスレチック委員会の医学委員長はホリフィールドの心臓病は禁止薬物のhGH使用による副作用の可能性があると公表した。
宗教家ベニー・ヒンのテレビ宣教活動を見て感化されたホリフィールドは、ヒンと友人関係を築き心臓病の治療を受けるようになり、ヒンへ大金の寄付を行った。
再びアスレチック委員会の診断を受けると心臓病が完治していたことで引退を撤回して復帰。
1995年5月20日、復帰戦でレイ・マーサーと対戦し10回判定勝利。
1995年11月4日、リディック・ボウとノンタイトル戦で対戦し、8ラウンドTKO負け。
1996年11月9日、マイク・タイソンに11ラウンドTKO勝ちし、WBA世界ヘビー級タイトルを獲得[2](3度目の返り咲き)。
1997年6月28日、マイク・タイソンと再戦。タイソンに耳を噛み切られ、3ラウンド反則勝ち。WBAタイトルを防衛。
1997年11月8日、マイケル・モーラーに9ラウンドTKO勝ちし、IBF世界ヘビー級タイトルを獲得。WBAタイトルとの王座統一に成功した。
1999年3月13日、WBC王者レノックス・ルイスとの3団体統一戦に臨むが、引き分けとなった。
1999年11月13日、レノックス・ルイスとの再戦で判定負けし、WBA・IBF王座から陥落した。
2000年8月12日、空位のWBA世界ヘビー級タイトルをジョン・ルイスと争い、判定勝ちで獲得(4度目の返り咲き)。
2001年3月3日、ジョン・ルイスに判定負けし、WBA王座から陥落した。
2001年12月15日、ジョン・ルイスの持つWBA世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、引き分けとなり王座獲得ならず。
2002年12月14日、クリス・バードと空位のIBF世界ヘビー級タイトルを争うが、判定負け。
2004年11月13日、ラリー・ドナルドとマイナータイトル(NABCヘビー級王座)をかけて対戦するも判定負け。
2006年8月18日、現役復帰戦を行い、2ラウンドTKO勝ち[3]。
2006年11月10日、過去に2度の世界王座挑戦経験があるフェリス・オケンドと対戦し、1ラウンドにダウンを奪うなどして12ラウンド判定勝ち[4]。空位のUSBAヘビー級タイトルを獲得。
2007年10月13日、モスクワでスルタン・イブラギモフの持つWBO世界ヘビー級王座へ挑戦するが、0-3の判定負け[5]。この試合は、イブラギモフと対戦予定だったWBA世界ヘビー級王者、ルスラン・チャガエフの体調不良による出場辞退のためにホリフィールドにチャンスが回ってきたものだったが、44歳での世界王座復帰は成らなかった。
2008年5月ニューヨーク州のアスレチック・コミッションから衰えを理由に引退勧告を受けた。
2008年12月20日、スイスのチューリッヒで行われたWBA世界ヘビー級タイトルマッチで、王者のニコライ・ワルーエフに挑戦するも、0-2の判定負け。両者の体重差が45kg近くもあった上に、46歳での世界王座挑戦は「無謀な挑戦」とも囁かれたが、予想に反しての大善戦であった。ホリフィールドのファイトマネーは60万ドルでこれまで経験した世界戦で最も安いファイトマネーだった。
2010年4月10日、WBF世界ヘビー級タイトルマッチでフランソワ"ザ・ホワイト・バッファロー"ボタと対戦し、8回TKO勝ちを収め王座を獲得した[6]。
2012年10月、ビタリ、ウラジミールのクリチコ兄弟との対戦が不可能になったことと年齢上の問題を理由に引退をほのめかす発言を行ったが、公式引退声明は出していない。
2014年6月、正式に引退を表明、2011年5月のブライアン・ニールセン戦が最後の試合。
2019年10月1日、東京都内で会見し、ホリフィールド自身が発起人となった日本法人「株式会社HOLYFIELD JAPAN(ホリフィールド・ジャパン)」の設立と、翌年3月に、UFCで活躍した選手らを招へいして総合格闘技中心の自主興行を首都圏で開催する計画で、自身もその興行でボクシングのエキシビションで復帰予定であることを発表した[7][8]。
ドーピング[編集]
ホリフィールドはステロイドあるいはヒト成長ホルモン(hGH)によるドーピングを行っていたことが確実視されている。
2007年2月28日、ホリフィールドが偽名を使ってヒト成長ホルモン(hGH)などの違法ステロイドを扱うアラバマ州の薬局を利用していた事が発覚する。
公開された文書には“エヴァン・フィールド”の偽名で記載されており、生年月日がホリフィールドと全く同じで住所もほぼ一致し、テストステロンやヒト成長ホルモン(hGH)、サイゼン、注射器など違法ステロイドの購入履歴が残っていた。また、記者がエヴァン・フィールドの連絡先へ電話をかけたところホリフィールド本人が電話口に出て応答した[9]。
しかしホリフィールドは父親の薬を購入していたとして、ヒト成長ホルモン等の使用を否定した。
2007年9月、今度はフロリダ州で違法ステロイドを販売していた薬局が摘発され、ここでもホリフィールドが同薬局を利用していた事が発覚した[10]。
タイソンとの和解[編集]
1997年の耳噛み事件で対立したタイソンとは、2009年に揃ってテレビ出演したときに和解している。タイソンは当時の行為をわびた上で「ホリフィールドは素晴らしい人間」と評した[11]。2013年2月には一緒にプロモーション活動を行い[12]、ホリフィールドは「ふたりのファイターがすべてを許しあい、和解したメッセージを世界の人に送りたい」と発言した。[13]
ペイ・パー・ビュー売上げ[編集]
日付 | イベント | 売上げ |
---|---|---|
1990年10月25日 | イベンダー・ホリフィールド vs. ジェームス・ダグラス | 100万件[14] |
1991年4月19日 | イベンダー・ホリフィールド vs. ジョージ・フォアマン | 140万件[14] |
1992年6月19日 | イベンダー・ホリフィールド vs. ラリー・ホームズ | 73万件[14] |
1992年11月13日 | イベンダー・ホリフィールド vs. リディック・ボウ 1 | 90万件[14] |
1993年11月6日 | イベンダー・ホリフィールド vs. リディック・ボウ 2 | 95万件[14] |
1995年11月4日 | イベンダー・ホリフィールド vs. リディック・ボウ 3 | 65万件[14] |
1996年11月9日 | イベンダー・ホリフィールド vs. マイク・タイソン 1 | 159万件[14] |
1997年6月28日 | イベンダー・ホリフィールド vs. マイク・タイソン 2 | 199万件[14] |
1997年11月8日 | イベンダー・ホリフィールド vs. マイケル・モーラー 2 | 55万件[14] |
1999年3月13日 | イベンダー・ホリフィールド vs. レノックス・ルイス 1 | 120万件[14] |
1999年11月13日 | イベンダー・ホリフィールド vs. レノックス・ルイス 2 | 85万件[14] |
2001年3月3日 | イベンダー・ホリフィールド vs. ジョン・ルイス 2 | 18万件[14] |
2003年10月4日 | イベンダー・ホリフィールド vs. ジェームズ・トニー | 15万件[14] |
出演[編集]
- リベンジ・マッチ(2013年)
脚注[編集]
- ^ a b イベンダー ホリフィールドとは 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」 コトバンク
- ^ “マイク・タイソンがリング復帰?波乱万丈のボクシング人生”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月2日). 2020年11月16日閲覧。
- ^ 43歳ホリフィールド再起戦 格下に楽勝 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年8月19日[リンク切れ]
- ^ 44歳ホリー、再起2戦目飾る-オケンドに3-0判定勝ち ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年11月12日[リンク切れ]
- ^ ホリフィールド「5度目」失敗 WBOヘビー級戦イブラギモフV1 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年10月15日
- ^ 47歳ホリフィールド、ボタを倒す ボクシングニュース「Box-on!」 2010年4月13日
- ^ “ホリフィールド氏、来年3月日本で“リング復帰” エキシビションマッチで「諦めない姿勢見てもらいたい」”. スポニチ (2019年10月1日). 2019年11月12日閲覧。
- ^ “ホリフィールド氏3月に日本でエキシビションマッチ”. 日刊スポーツ (2019年10月1日). 2019年11月12日閲覧。
- ^ “Report: Athletes received illegal 'roids via online ring”. ESPN.com (2007年3月1日). 2015年2月23日閲覧。
- ^ “'Roid raids”. Yahoo.Sports (2007年9月24日). 2015年2月23日閲覧。
- ^ タイソン氏とホリフィールド氏が和解 日刊スポーツ 2009年10月18日
- ^ タイソン氏&ホリフィールド氏 スーパーマーケットで再会 スポーツニッポン 2013年2月18日
- ^ 【ボクシング】マイク・タイソンが因縁のライバルと仲直り? web Sportiva 2013年3月12日
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Post-Mayweather-Pacquiao, interest in boxing has sagged in 2015”. Bad Left Hook (2015年10月23日). 2015年10月27日閲覧。
関連項目[編集]
- 男子ボクサー一覧
- オリンピックのボクシング競技・メダリスト一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 統一世界王者
外部リンク[編集]
- Evander Holyfield
- イベンダー・ホリフィールド (@holyfield) - Twitter
- イベンダー・ホリフィールドの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 ドワイト・ムハマド・カウィ |
WBA世界クルーザー級王者 1986年7月12日 - 1989年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 タオヒク・バルボーリ |
前王者 リッキー・パーキー |
IBF世界クルーザー級王者 1987年5月15日 - 1989年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 グレン・マクローリー |
前王者 カルロス・デ・レオン |
WBC世界クルーザー級王者 1988年4月9日 - 1989年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 カルロス・デ・レオン |
前王者 ジェームス・ダグラス |
WBA世界ヘビー級王者 1990年10月25日 - 1992年11月13日 |
次王者 リディック・ボウ |
前王者 ジェームス・ダグラス |
WBC世界ヘビー級王者 1990年10月25日 - 1992年11月13日 |
次王者 リディック・ボウ |
前王者 ジェームス・ダグラス |
IBF世界ヘビー級王者 1990年10月25日 - 1992年11月13日 |
次王者 リディック・ボウ |
前王者 リディック・ボウ |
WBA世界ヘビー級王者 1993年11月6日 - 1994年4月22日 |
次王者 マイケル・モーラー |
前王者 リディック・ボウ |
IBF世界ヘビー級王者 1993年11月6日 - 1994年4月22日 |
次王者 マイケル・モーラー |
前王者 マイク・タイソン |
WBA世界ヘビー級王者 1996年11月9日 - 1999年11月13日 |
次王者 レノックス・ルイス |
前王者 マイケル・モーラー |
IBF世界ヘビー級王者 1997年11月8日 - 1999年11月13日 |
次王者 レノックス・ルイス |
空位 前タイトル保持者 レノックス・ルイス |
WBA世界ヘビー級王者 2000年8月12日 - 2001年3月2日 |
次王者 ジョン・ルイス |