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イゴル・ブルザノビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イゴル・ブルザノヴィッチ
名前
愛称 ブルゾ
ラテン文字 Igor Burzanović
キリル文字 Игop Буpзaнoвић
基本情報
国籍 モンテネグロの旗 モンテネグロ
生年月日 (1985-08-25) 1985年8月25日(39歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 チトーグラード
身長 183cm
体重 80kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足 右足
ユース
セルビア・モンテネグロの旗 ブドゥチノスト・ポドゴリツァ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2006 セルビア・モンテネグロの旗 ブドゥチノスト・ポドゴリツァ 122 (62)
2007-2009 セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード 48 (11)
2009 モンテネグロの旗 ブドゥチノスト・ポドゴリツァ 15 (10)
2009-2011 日本の旗 名古屋グランパス 62 (10)
2012-2013 タイ王国の旗 ブリーラム・ユナイテッド 0 (0)
2013-2014 モンテネグロの旗 ブドゥチノスト・ポドゴリツァ 0 (0)
2014-2015 カザフスタンの旗 イルティシュ・パヴロダル 46 (4)
2015 中華人民共和国の旗 湖南湘涛 27 (3)
2016 モンテネグロの旗 ブドゥチノスト・ポドゴリツァ 5 (1)
2017-2018 モンテネグロの旗 ペトロヴァツ 13 (3)
2018-2019 モンテネグロの旗 イスクラ・ダニロヴグラード 16 (1)
通算 354 (105)
代表歴
2006  セルビア・モンテネグロU-21
2007-2009 モンテネグロの旗 モンテネグロ 8 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イゴル・ブルザノヴィッチセルビア語: Игop Буpзaнoвић, 英語: Igor Burzanović, 1985年8月25日 - )は、ユーゴスラビア(現・モンテネグロ)・チトーグラード出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダーおよびフォワード[1]

来歴

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ブドゥチノスト・ポドゴリツァ

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当時はユーゴスラビア社会主義連邦共和国であったモンテネグロのチトーグラード(現在のポドゴリツァ)に生まれた。6歳で初めてボールを蹴り、1995年からFKブドゥチノスト・ポドゴリツァのユースに所属した。トップチームに昇格後は同クラブの中心的選手として活躍し、キャプテンも任された。2004年にはモンテネグロ最優秀選手に選出され[2]セルビア・モンテネグロ分裂後の2006-07シーズンは、新たに発足したモンテネグロリーグにて冬の中断期間前までに11ゴールをあげる活躍を見せ、「ブルゾ・マラドーナ」のニックネームが付けられた[2]

レッドスター・ベオグラード

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2006年12月、セルビアレッドスター・ベオグラードと契約し、2007年1月8日に入団。同郷のデヤン・サビチェビッチも同クラブで付けた背番号10番を与えられた[3]。同年8月のUEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦FCレバディア・タリン戦では、UEFA主催大会での初得点を記録している。

3年目の2008-09シーズンには出場機会が減少し、冬の中断期間中の2009年1月に古巣のブドゥチノストへ6ヶ月間の期限付き移籍で放出された[4]

名古屋グランパス

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2009年7月24日に名古屋グランパスへの移籍が決定[5]。来日して正式契約を結び、29日に入団会見を行った[6]。2009シーズンはボールを持ちすぎる悪癖が顔を覗かせ、第27節鹿島アントラーズ戦での2得点など[7]時折活躍を見せるものの、シーズンを通しての評価は低調なものであった[8]

2年目の2010シーズンは日本のスピードサッカーに対応するため4kgの減量をして臨み、開幕直後はフリーキックやロングシュートで得点を重ねた[9]。シーズン当初の活躍は前シーズンのイメージを払拭するもので、週刊サッカーマガジン誌にも「ブルザノヴィッチの変貌に驚いた」との好意的な論評が掲載された[10]

しかし次第に周囲との連携不足やコミュニケーション不足から精彩を欠き始め[9]、度重なる遅刻などの素行の問題もあって先発出場の機会は減少していった[11]。9月18日の第23節横浜F・マリノスでは、前半低調な試合運びを見せたチームが、後半から中盤で運動量の上がらないブルザノヴィッチを交代させたことによって劇的に機能しはじめるということもあり[12]、この試合のプレー内容は、これまで辛抱強く起用し続けてきたドラガン・ストイコビッチ監督からも酷評された[13]

この試合後は怪我もあり欠場が続く[14]。痛みは以前からあったものとされ、精彩を欠くプレーはこの怪我の影響との報道もあった[14]。本人は後に「風邪と足の怪我のために3週間練習ができなかった」とコメントしている[15]。10月17日、第26節アルビレックス新潟戦にて約1か月ぶりに途中交代で出場したブルザノヴィッチには、週刊サッカーダイジェスト誌よりチーム内最低の採点と「存在感がまるでなかった」とコメントされた[16]

11月14日、第30節大宮アルディージャ戦にてリーグ戦では約半年ぶりとなる得点を決めるが、左膝を痛め前半33分に退場[17]。翌15日、左膝前十字靭帯断裂で全治6カ月との診断結果がクラブから発表された[18]。優勝を決めた11月20日の第31節湘南ベルマーレ戦には松葉杖を持って姿を見せたが、当日夜に行われたシャンパンファイトには参加しなかった。12月1日には治療のためモンテネグロへ帰国し、その後手術のためバルセロナへ渡った[19]。クラブは優勝してシーズンを終えたものの、ブルザノビッチ自身の評価は前年に引き続き低調なものであった[20]

3年目となる2011シーズン。5月29日、第13節アビスパ福岡戦にて怪我から復帰。後半32分から藤本淳吾と交代し、復帰後初得点を決める。同年10月31日、クラブと合意の上で名古屋との契約を解除した[21]

その後

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2012年から2013年にかけタイ・プレミアリーグブリーラム・ユナイテッドFCに在籍したのち、2013年9月に古巣ブドゥチノストへ復帰した。

代表

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モンテネグロの独立以前はU-21セルビア・モンテネグロ代表に選出されており、2006年のUEFA U-21欧州選手権では3位に輝いている。

2007年に開催されたハンガリー代表との試合でモンテネグロ代表としてデビュー[3]。決勝点となる2点目を決め、2-1でのモンテネグロの勝利に貢献した。2007年6月のキリンカップなどではモンテネグロ代表の主将を務め[22]2010 FIFAワールドカップ欧州予選にも出場したが、当時監督のゾラン・フィリポヴィッチとの対立から代表を追放された[23]

特徴・評価

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高い得点能力を有しており、攻撃的なポジションでのプレーを得意とする[5]ストイコビッチも「技術の高い選手」と評価する[5]テクニシャンで、母国では“サビチェビッチ2世”との評価もある[22]

2010年3月21日、Jリーグ第3節のジュビロ磐田戦の前半開始20秒にセンターライン後ろから超ロングシュートを決める芸当を魅せた。この日は強風で本人は「とにかく良い方向に飛ばすことだけを考えた」とコメントしている[24]。続く4月3日の第5節のヴィッセル神戸戦では、その日の全得点となる二本のフリーキックを連続でゴールした[25]。本人も「フリーキックには自信を持っている」と発言している[26]

個人成績

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2010年1月3日現在
クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
ユーゴスラビア/セルビア・モンテネグロ リーグカップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2002-03 ブドゥチノスト 2部 26 17 - - 26 17
2003-04 28 17 - - 28 17
2004-05 1部 26 8 - - 26 8
2005-06 27 9 - 1 0 28 9
モンテネグロ リーグカップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2006-07 ブドゥチノスト 1部 15 11 - - 15 10
セルビア リーグセルビア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2006-07 レッドスター 1部 13 3 - - - 13 3
2007-08 23 8 - 5 1 28 9
2008-09 11 0 - 2 1 13 1
モンテネグロ リーグカップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2008-09 ブドゥチノスト 1部 15 10 - - - 15 10
日本 リーグ天皇杯 リーグ杯 アジア 通算
2009 名古屋 J1 13 3 5 2 0 0 4 0 22 5
2010 27 4 1 1 5 0 - 33 5
2011 22 3 1 2 2 0 0 0 25 5
通算 セルビア/セルビア・モンテネグロ 100 28 - 8 2 108 30
モンテネグロ 30 21 - - 30 21
日本 62 10 7 5 7 0 4 0 80 15

脚注

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  1. ^ ヤマザキナビスコカップ:準々決勝 名古屋 vs FC東京
  2. ^ a b crvena zvezda. “Burzanović Profile ( Biografija)”. 2010年7月31日閲覧。
  3. ^ a b crvena zvezda (2007年12月28日). “Burzanović - We’re moving on”. http://www.crvenazvezdafk.com/en/burzanovic-we-re-moving-on-244-s1-c1-content.htm 
  4. ^ crvena zvezda (2009年2月12日). “Burzanović loaned to Budućnost”. http://www.crvenazvezdafk.com/en/burzanovic-loaned-to-buducnost-1523-c1-content.htm 
  5. ^ a b c 中日スポーツ (2009年7月25日). “新外国人ブルザノビッチ獲得へ”. 2009年7月25日閲覧。
  6. ^ 名古屋グランパス (2009年7月29日). “ブルザノビッチ選手加入記者会見の模様”. 2009年7月30日閲覧。
  7. ^ 【J1:第27節 鹿島 vs 名古屋】レポート”. J's Goal (2009年9月27日). 2010年9月20日閲覧。
  8. ^ Jリーグチーム・選手情報 ブルザノビッチ”. Number Web. 2010年9月20日閲覧。
  9. ^ a b グラ前半戦分析<8> MFブルザノビッチ”. 中日スポーツ (2010年6月19日). 2010年9月20日閲覧。
  10. ^ 週刊サッカーマガジンNo.1289 2010年5月4日号、p.31。
  11. ^ ブルゾ大遅刻 紅白戦ゴメンナサイ弾”. 中日スポーツ (2010年8月4日). 2010年9月20日閲覧。
  12. ^ 【J1:第23節 名古屋 vs 横浜FM】レポート”. J's Goal (2010年9月19日). 2010年9月20日閲覧。
  13. ^ 2010年10月20日、中日スポーツ9面。
  14. ^ a b 名古屋ブルザノビッチがケガで清水戦欠場”. 日刊スポーツl (2010年9月24日). 2010年10月27日閲覧。
  15. ^ ブルゾ、ゴール決める”. 中日スポーツ (2010年11月5日). 2010年11月6日閲覧。
  16. ^ 週刊サッカーダイジェスト 2010年11月2日号、p.85。
  17. ^ ブルザノビッチ、前半に無念の退場”. 中日スポーツ (2010年11月15日). 2010年11月16日閲覧。
  18. ^ ブルザノビッチ選手のけがについて”. 名古屋グランパス (2010年11月15日). 2010年11月16日閲覧。
  19. ^ 名古屋グランパス (2010年11月27日). “ブルザノビッチ選手の治療について”. 2010年12月4日閲覧。
  20. ^ 週刊サッカーマガジン、ダイジェストの2誌ともに所属クラブ内の1000分以上出場した選手中で最低の平均採点。週刊サッカーマガジンNo.1321、2010年12月14日号、週刊サッカーダイジェスト、2010年12月14日号より。
  21. ^ 【ブルザノビッチ選手 契約解除について”. 名古屋グランパス (2011年11月1日). 2011年11月1日閲覧。
  22. ^ a b スポニチアネックス (2009年7月22日). “名古屋“サビチェビッチ2世”獲得に動く”. 2009年7月25日閲覧。
  23. ^ ウラジミール・ノバク「モンテネグロの快進撃は続くのか」『ワールドサッカーダジェスト』No.332、日本スポーツ企画出版社、2011年、p.96。
  24. ^ J's GOAL (2010年3月22日). “【J1:第3節 名古屋 vs 磐田】レポート”. http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00098492.html 
  25. ^ J's GOAL (2010年4月4日). “【J1:第5節 名古屋 vs 神戸】レポート”. http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00099172.html 
  26. ^ 名古屋グランパス (2009年7月29日). “ブルザノビッチ選手加入記者会見の模様”. http://nagoya-grampus.jp/information/interview/2009/0729post-76.php 

関連項目

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外部リンク

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