コンテンツにスキップ

「ハーシェル・グリア・スタジアム」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 訂正
en:Herschel Greer Stadium (00:13, 17 May 2014 UTC) を翻訳
タグ: サイズの大幅な増減
1行目: 1行目:
{{改名提案|ハーシェル・グレア・スタジアム|新ページ名の代案|t=ノート:ハーシェル・グリエル・スタジアム|date=2014年4月}}
{{改名提案|ハーシェル・グレア・スタジアム|シェル・グリア・スタアム|t=ノート:ハーシェル・グリエル・スタジアム|date=2014年4月}}
{{野球場情報ボックス |
{{野球場情報ボックス |
スタジアム名称 = ハーシェル・グリエル・スタジアム |
スタジアム名称 = ハーシェル・グリ・スタジアム |
愛称 = Herschel Greer Stadium |
愛称 = Herschel Greer Stadium |
画像 = [[Image:GreerStadium1stBaseLine.jpg|300px|ハーシェル・グリエル・スタジアム]] |
画像 = [[Image:GreerStadium1stBaseLine.jpg|300px|ハーシェル・グリエル・スタジアム]] |
8行目: 8行目:
所有者 = Nashville Metro Government |
所有者 = Nashville Metro Government |
グラウンド = [[芝|天然芝]] |
グラウンド = [[芝|天然芝]] |
設計者 = 不明 |
設計者 = Stoll-Reed Architects Inc. |
使用チーム、大会 = [[ナッシュビル・サウンズ]](1978 - )<br/>
使用チーム、大会 = [[ナッシュビル・サウンズ]](1978 - )<br/>
[[ナッシュビル・エクスプレス]](1993 - 1994) |
[[ナッシュビル・エクスプレス]](1993 - 1994) |
収容能力 = 10,700人 |
収容能力 = 10,300(固定座席)/15,000人(立ち見含む) |
規模 = 左翼 - 327 ft (約99.7 m) <br /> 中堅 - 400 ft (約121.9 m) <br /> 右翼 - 327 ft (約99.7 m)|
規模 = 左翼 - 327 ft (約99.7 m) <br /> 中堅 - 400 ft (約121.9 m) <br /> 右翼 - 327 ft (約99.7 m)|
フェンスの高さ = 両翼 - 8 ft (約2.4 m)<br /> 中堅 - 16 ft (約4.9 m)}}
フェンスの高さ = 両翼 - 8 ft (約2.4 m)<br /> 中堅 - 16 ft (約4.9 m)<ref name=groundrules>[http://www.milb.com/team1/page.jsp?ymd=20100226&content_id=8169580&vkey=team1_t556&fext=.jsp&sid=t556 Ground Rules."] Nashville Sounds. February 26, 2012. Retrieved on April 9, 2012.</ref>}}


'''ハーシェル・グリエル・スタジアム'''(''Herschel Greer Stadium'')は、[[アメリカ合衆国]]の[[テネシー州]][[ナッシュビル]]にある[[野球場]]。[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]傘下AAA[[ナッシュビル・サウンズ]]の本拠地である。
'''ハーシェル・グリ・スタジアム'''('''''Herschel Greer Stadium''''' )は、[[アメリカ合衆国]]の[[テネシー州]][[ナッシュビル]]にある[[野球場]]。ダウンタウンから南へ約3kmの[[南北戦争]]の要塞であった[[フォート・ネグリー]]のグラウンドであった場所に建っている。ナッシュビルの著名な実業家で[[マイナーリーグ]]の[[ナッシュビル・ヴォルズ]]の初代会長の[[ハーシェル・リン・グリア]](1906年 - 1976年)の栄誉を称えて彼の名を球場名に冠し、1978年に開業した。[[パシフィック・コーストリーグ]](PCL)所属で、[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]傘下トリプルA[[ナッシュビル・サウンズ]]の本拠地である。収容人数は10,300人である<ref name=capacity>{{cite web |title=2010 Nashville Sounds Media Guide|url=http://www.milb.com/documents/2010/03/30/9015186/1/2010guide_part8.pdf|publisher=Nashville Sounds|date=March 30, 2010|accessdate=May 16, 2014|page=198}}</ref>


ナッシュビルは[[カントリー・ミュージック]]の中心地として知られている。そのため、左翼スタンドに[[ギター]]の形をしたスコアボードが設置されている。ギターのネックの部分にスコアが表示される。これまでオールスター・ゲーム3回、[[ノーヒットノーラン|ノーヒット]]8回、[[完全試合]]1回、PCL史上最長の24[[イニング]]1回の試合が行なわれた。1993年と1994年、ダブルA[[サザンリーグ]]の[[ナッシュビル・エクスプレス]]の本拠地であった。
ナッシュビルに球団を誘致した功労者ハーシェル・リン・グリエル・シニア(1906年 - 1976年)の栄誉を称え、彼の名を球場名に冠した。


2000年代初頭から、球場の老朽化により30年以上はもたないであろうということから、新しい球場の設立に関して市の同意を得ようとしていた。グリア・スタジアムはトリプルAの球場で最も古い球場の1つであり、[[プロ野球]]基準をはるかに下回っており、多数の機能向上および修復が必要となっていた。2015年のシーズンから、ナッシュビル・サウンズはグリア・スタジアムを離れて[[ファースト・テネシー・パーク]]を本拠地とする予定になっている<ref name=MCass3>{{cite news |title=Council Approves Ballpark Deal|first=Michael|last=Cass|url=https://www.tennessean.com/article/20131210/NEWS/312100120/Metro-Council-approves-Nashville-Sounds-ballpark-deal|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=December 10, 2013|accessdate=December 10, 2013}}</ref>。
ナッシュビルは[[カントリー・ミュージック]]の中心地として知られている。そのため、左翼スタンドに[[ギター]]の形をしたスコアボードが設置されている。

== 歴史 ==
1970年代後半、起業家のラリー・シュミトウはプロ野球チームをナッシュビルに誘致することを決心し、チームのために新しい野球場が必要であると考えた。彼はダウンタウンから南へ約3kmの南北戦争の要塞であったフォート・ネグリーのグラウンドにあるセント・クラウド・ヒルの麓への球場建設を市と交渉した<ref name=Nipper/>。市は彼に土地の賃貸を検討したが、彼は球場建設の責任を引き受け、資産税を支払うつもりであった<ref name=CSTV>{{cite web |title=Commodore History Corner: Q&A with Larry Schmittou|first=Bill|last=Traughber|url=http://www.cstv.com/sports/m-basebl/stories/040908aar.html|publisher=College Sports Television|date=April 8, 2008|accessdate=March 25, 2009}}</ref>。

建設予算は30万ドルから50万ドルだったが<ref name=CSTV/>、100万ドル以上見積もられた<ref name=CSTV/>。シュミトウは建設資材を寄付してくれる地元の納入業者を探し、銀行から3万ドルを借り、自宅を抵当に入れた<ref name=CSTV/>。[[カントリー・ミュージック|カントリー]]歌手の[[コンウェイ・トゥイッティ]]は仲間の[[ジェリー・リード]]、[[リチャード・スタバン]]、[[キャル・スミス]]などナッシュビルの住民達と共に[[株主]]となりシュミトウを助けた<ref name=CSTV/><ref>{{cite news |title=In Nashville, Dreams Die Hard|first=Jim|last=Naughton|url=http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00C15F8355F12728DDDAA0894D1405B8084F1D3|newspaper=[[The New York Times]]|date=September 3, 1980|accessdate=May 16, 2014|page=D19}}</ref><ref>{{cite web |title=Cal Smith Biography|url=http://www.cmt.com/artists/az/smith_cal/bio.jhtml|publisher=Country Music Television|accessdate=April 11, 2009}}</ref>。ナッシュビルの著名な実業家で[[マイナーリーグ]]の[[ナッシュビル・ヴォルズ]]の初代会長、また球場建設のために家族が2万5千ドルを寄付した[[ハーシェル・リン・グリア]]にちなんで球場名が名付けられた<ref name=Nipper>{{cite book |last1=Nipper|first1=Skip|title=Baseball in Nashville|location=Charleston, South Carolina|publisher=Arcadia Publishing|year=2007|page=103|isbn=978-0-7385-4391-8}}</ref>。

1978年4月25日の[[シンシナティ・レッズ]]傘下、ダブルAサザンリーグのナッシュビル・サウンズの試合で開業することが決まった。建設は進んでいたが、シュミトウは期日に間に合わないと考えた。チームはシーズン開幕戦を遠征試合にすることを提案し、球場建設に時間がかかることから[[チャタヌーガ・ルックアウツ]]と交替しなくてはならなかった<ref name=CSTV/>。工期延長したにも関わらず球場はなかなか完成しなかった。芝生が遅れて届き、総支配人がローカルラジオで「芝生パーティ」をやると語ったことから推定50名のファンが集まり、開幕前日に彼らの助けを得て芝生を貼った<ref name=CSTV/>。

4月25日に予定されたホーム開幕戦は雨で中止となり、翌26日に延期された<ref>Woody 87.</ref>。最初の10試合を他の球場で行ない<ref name=firstgame>{{cite web |title=Looking Back: Sounds' First Game|first=Bill|last=Traughber|url=http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1691|publisher=Nashville Sounds|date=July 17, 2005|accessdate=March 25, 2009|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081021100538/http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1691|archivedate=October 21, 2008}}</ref>、トラクターなど重機がまだ作業する中、1978年4月26日、ナッシュビル・サウンズはハーシェル・グリア・スタジアムで初のホーム・ゲームを行なった<ref>Woody 88.</ref>。完売の8,156名が見守る中、12対4で[[ミシシッピ・ブレーブス|サヴァンナ・ブレーヴス]]をやぶった<ref name=firstgame/>。サザンリーグ会長の[[ビリー・ヒッチコック]]も観戦し<ref name="first game">{{cite web |title=Sounds in 1978|url=http://tennessean.com/apps/pbcs.dll/gallery?Site=DN&Date=20070404&Category=SPORTS04&ArtNo=704040811&Ref=PH&Params=Itemnr=5|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 4, 2007|accessdate=April 20, 2008}}</ref>、コンウェイ・トゥイッティが始球式を行なった<ref name="first game"/>。

当初、グリアの収容人数は7,200名だったが<ref name=1978prog>"Greer Stadium." ''The Nashville Sounds 1978 Official Souvenir Program'' 1978: 2.</ref>、初シーズンが終わる頃には8,800名に拡大した<ref name=1979prog>"Greer Stadium." ''The Nashville Sounds 1979 Official Souvenir Program'' 1979: 10.</ref>。背もたれと肘掛のある劇場型の座席は3,000席あり、残りは外野席である<ref name=1978prog/>。報道関係者席には2つのラジオ中継ブースとオルガン・ブースがある。2チーム、25名分のロッカー室の他、[[審判員 (野球)|審判員]]のロッカー室もある<ref name=1978prog/>。グランドは左右に330フィート(100m)、左右中間375フィート(114m)、センター405フィート(123m)<ref name=1978prog/>。ナイターに備えた照明塔は100フィード(30m)、8本ある<ref name=1978prog/>。他に男性用、女性用トイレの他、売店も7店舗ある<ref name=1978prog/>。

1979年のシーズンでは5,000席追加され、収容人数は13,000名に増えた<ref name=1979prog/>。新しい上下水施設が導入され、グラウンドの標高は5フィート(1.5m)上昇した<ref name=1979prog/>。1981年のシーズンの前、グリアは1,200席以上のボックス席、1,000席以上の自由席追加するなど、多くの改修を行なった<ref name=1981prog>Schmittou, Larry. "Message from the President." ''The Nashville Sounds 1981 Official Souvenir Program''. 1981: 36.</ref>。2箇所の木製の自由席エリアは2,000席のより座りやすい椅子に置き換えられた<ref name=1981prog/>。鉄柱で支えられたバックネットはケーブルで強化して鉄柱の数を減らした。新たなダグアウト、3箇所の出入り口、音響設備、2倍の大きさになったスコアボード、券売所の拡大など、様々な箇所を改修した<ref name=1981prog/>。

1984年2月から夏にかけて、改修および増築が行なわれた。フルサイズのレストランであるホール・オブ・スタジアム・クラブ、指定席である後ろから5列およびコンコースをカバーする屋根が建てられた<ref name=1984prog>Schmittou, Larry. "A Message from the President." ''The Nashville Sounds 1984 Official Souvenir Program''. 1984: 8.</ref>。新たな報道関係者席にはメディアのメンバーの施設の他、ホーム用と相手チーム用の別々のテレビ中継ブースが含まれた<ref name=1985prog>Schmittou, Larry. "Home Sweet Home." ''The Nashville Sounds 1985 Official Souvenir Program''. 1985: 7.</ref>。報道関係者席に隣接した10室の特別観覧席も設置され<ref name=1985prog/>、1989年までにこの特別観覧席は18室に増えた<ref>"Welcome to Greer Stadium." ''The Nashville Sounds 1989 Souvenir Program''. 1989: 26.</ref>。

1985年、改修は続き、特別観覧席を一部減らし、ライトのファウル・ポールを越えた場所にも1,200席のボックス席を追加した<ref name=1985prog/>。開業時からあった高さ10フィート(3m)のスコアボードはレフトのより遠い場所に設置され、[[アメリカンリーグ]]、[[ナショナルリーグ]]、アメリカン・アソシエーションのスコアも表示されるようになった<ref name=1985prog/>。

シュミトウはナッシュビルの球団を[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]にしたかった<ref>Woody 119.</ref>。これが実現すればより多くの座席が必要となり、より魅力的な球場にするため1987年のシーズン終了後大幅な改修が開始した。ボックス席の数は4割増し、クラブハウスと審判員用施設は改修され、ダグアウトは全改修された<ref name=1988prog>Schmittou, Larry. "Message from the President." ''The Nashville Sounds 1988 Official Souvenir Program''. 1988: 12.</ref>。新しいダグアウトはそれまでのものより部屋に近いものとなり、そのためグラウンドも左右は327フィート(100m)、左右中間は371フィート(113m)、中間400フィート(120m)となった<ref name=1988prog2/>。メイン・エントランスはフォート・ネグリーと隣接した[[石工]]を組み込む新しいデザインになった<ref name=1988prog/>。この拡大によりグリアの収容人数は18,000名となった<ref name=1988prog2>"Greer Stadium... Striving to be the best." ''The Nashville Sounds 1988 Official Souvenir Program''. 1988: 22.</ref>。

[[Image:GreerStadiumScoreboard.jpg|300px|thumb|left|ギター形のスコアボード]]
1993年のシーズン前、グリアの独特なギター型のスコアボードが左中間に設置された<ref name=Patton7Apr09>{{cite news |title=Greer Stadium Gets Facelift to Woo Sounds Fans Back|first=Maurice|last=Patton|url=http://www.oursportscentral.com/services/releases/?id=3801108|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 7, 2009|accessdate=April 20, 2009}}</ref>。同年より、二軍がグリアで試合するようになった。1993年から1994年まで同時期に、この球場はサウンズと[[ミネソタ・ツインズ]]傘下ダブルA、サザンリーグの[[ナッシュビル・エクスプレス]]双方の本拠地であった。1993年、[[ノースカロライナ州]][[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]はトリプルAのフランチャイズを拡大することを決め、ダブルAの[[シャーロット・ナイツ]]がシャーロットを離れることとなり本拠地を失った。サウンズ会長のラリー・シュミトウはグリアに彼らの臨時本拠地になることを打診し、シャーロット・ナイツはナッシュビル・エクスプレスとして活動することになった。グリアが2チームの本拠地となったため、エクスプレスはサウンズが遠征に行っている間に試合を行なった<ref name=Nipper/>。1球場が2チームの本拠地となるのは、1975年に[[ニューヨーク・メッツ]]と[[ニューヨーク・ヤンキース]]が[[シェイ・スタジアム]]を同時期に本拠地にしていた時以来のことである<ref name=Xpress>{{cite web |title=Looking Back: Nashville Hosts Two Teams In 1993 & 1994|first=Bill|last=Traughber|url=http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1802|publisher=Nashville Sounds|date=September 12, 2005|accessdate=April 14, 2008|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081021100545/http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1802|archivedate=October 21, 2008}}</ref>。『[[ベースボール・アメリカ]]』誌はこの2チームが1つの球場を本拠地としたことについて「マイナーリーグ10大事件」の第1位とした<ref name=100greatest>{{cite web |title=Historians Weiss, Wright Rank 100 Best Minor League Baseball Teams|first1=Bill|last1=Weiss|first2=Marshall|last2=Wright|url=http://web.minorleaguebaseball.com/milb/history/top100.jsp?idx=69|publisher=Minor League Baseball|year=2001|accessdate=March 31, 2009}}</ref>。1995年、エクスプレスはノースカロライナ州[[ウィルミントン (ノースカロライナ州)|ウィルミントン]]に移動し、[[ポートシティ・ルースターズ]]となった<ref name=100greatest/>。

1995年のシーズン前の秋と冬に20万ドル以上を改修に費やした<ref name=1995prog1>Schmittou, Larry. "Message from the President." ''Nashville Sounds 1995 Official Souvenir Program''. 1995: 12.</ref>。クラブハウスとウエイト・ルームはリフォームされ、ダグアウト後ろの通路は滑りやすさを減らすため舗装され、グラウンドは芝生を張り替えた<ref name=1995prog1/>。1978年に芝を張って以来初めての張替えおよび改善であった<ref name=1995prog2>"Dave Nasypany's Field of Dreams." ''Nashville Sounds 1995 Official Souvenir Program''. 1995: 24.</ref>。まず全ての芝をはがし、次に新しい排水設備を導入した。地面を掘り、グラウンドおよびセンターの壁の向こうから排水する2,500フィート(760m)の排水パイプを埋めた<ref name=1995prog2/>。パイプの上に砂利の層を敷き、その上に4~6インチ(10~15cm)の砂の層を敷いた<ref name=1995prog2/>。バミューダ芝ティフトン419を10万平方フィート(9,300平方メートル)のフィールドとダイヤモンド内側に敷き詰め、内野の標高が上がり、同じ高さになるように[[ウォーニングゾーン]]にレンガを敷いた<ref name=1995prog2/>。

2000年頃から約10年間で、設備の整った新しいマイナーリーグ球場が続々と登場し、グリアは球場の基準から外れていった。老朽化して30年以上はもたないとされながらも<ref name=2008opening/>、トリプルAの基準に合わせようと多くの改修を行なった。サウンズは元々2010年頃までに新たな球場を求めグリアを離れる予定であった<ref>{{cite news |title=First Tennessee to Put Name on Proposed Sounds Stadium|url=http://nashville.bizjournals.com/nashville/stories/2003/11/17/daily42.html|newspaper=[[::en:American City Business Journals|Nashville Business Journal]]|date=November 21, 2003|accessdate=March 26, 2008}}</ref>。新球場開幕予定日は何度も延期され、最終的に2008年終盤となった<ref>{{cite news |title=Purcell Firm On City, Sounds Stadium Agreement|url=http://www.wsmv.com/news/9823273/detail.html|work=[[::en:WSMV-TV|WSMV]]|location=Nashville|date=September 11, 2006|accessdate=March 26, 2008}}</ref>。サウンズの球場新設の訴え、これが叶わないなら市から離れるとの脅しから数年後の2006年2月7日、ナッシュビル・メトロ議会は球場新設に合意した。球場は[[ファースト・テネシー・フィールド]]と名付けられ、グリアから2マイル(3.2km)、ナッシュビルのダウンタウンの[[カンバーランド川]]西岸での建設が計画された。しかし、議会が決めた期日である2007年4月15日までに、サウンズと民間開発業者の''Struever Brothers, Eccles, & Rouse'' は費用とデザインに合意しなかった。この結果、ファースト・テネシー・フィールド建設計画は中止になった<ref>{{cite news |title=Downtown Nashville Property Up For Bids Again|first=Cindy|last=Carter|url=http://www.wsmv.com/news/13368869/detail.html|work=[[::en:WSMV-TV|WSMV]]|location=Nashville|date=May 22, 2007|accessdate=March 21, 2010}}</ref>。

2008年のシーズン前、100万ドル以上をかけた改善、修復が行なわれた<ref name=2008opening>{{cite news |title=Sounds Cover All the Bases to Ready Ballpark for Opener|first=Rachel|last=Stults|url=http://pqasb.pqarchiver.com/tennessean/doc/239880580.html?FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Apr+11%2C+2008&author=Stults%2C+Rachel&pub=The+Tennessean&edition=&startpage=&desc=Sounds+cover+all+the+bases+to+ready+ballpark+for+opener|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 11, 2008|accessdate=May 16, 2014|page=1A}}</ref>。新たなクラブハウス、照明の改善が行なわれ、その後3年から5年かけて機能向上のためにトイレ、通路、座席などが修復された<ref name=2008opening/>。

2009年初頭にサウンズを買収したMFPベースボールは老朽化したフィールド、トイレ、売店、スコアボード、音響設備、座席を修復、改善するため200万ドルを投資した<ref name=2009sale>{{cite web |title=Sounds Get New Ownership Group, GM|first=Danny|last=Wild|url=http://www.milb.com/news/article.jsp?ymd=20090226&content_id=515811&vkey=news_milb&fext=.jsp|publisher=Minor League Baseball|date=February 26, 2009|accessdate=February 26, 2009}}</ref>。内野は芝を張替え、水平にし、フィールドの周りに防護柵を設置し、バックネットを張り替えた<ref name=Patton7Apr09/>。全ての売店およびギター型のスコアボードの色を塗り替え、壊れた座席を入れ替え、スラッガーズ・スポーツ・バー&グリルをリフォームした<ref name=2009imp/>。コンサート・ステージと子供用エリアが出入り口近くに設置された<ref name=2009imp/>。

2013年終盤、サウンズとナッシュビル・メトロは、ナッシュビル初の球場[[サルファー・デル]]跡地に3,700万ドルをかけた新球場建設で合意に達した<ref name=MCass>{{cite news |title=New Sulphur Dell Ballpark Would Nod to History, Show Off Downtown|first=Michael|last=Cass|url=http://www.tennessean.com/article/20131024/NEWS0202/310240155/New-ballpark-would-nod-Sulphur-Dell-s-history-show-off-downtown?nclick_check=1|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=October 25, 2013|accessdate=October 25, 2013}}</ref>。新球場[[ファースト・テネシー・パーク]]の建設は暫定的に2015年のシーズン開幕に向けて予定された<ref name=MCass3/>。新球場開業後のグリアの使途はまだ決まっていない。

== 記念すべき試合 ==
=== オールスター・ゲーム ===
1979年と1983年の2回、サザンリーグ・オールスター・ゲームがグリア・スタジアムで行なわれた<ref name=SLallstargame>{{cite news |title=All-Star Game Survives Years of Dormancy, Format Changes|first=Jeff|last=Elliott|url=http://www.jacksonville.com/tu-online/stories/070503/spb_12956129.shtml|newspaper=[[::en:The Florida Times-Union|The Florida Times-Union]]|location=Jacksonville|date=July 5, 2003|accessdate=March 7, 2008}}</ref>。1979年の試合では、オールスター・チームとメジャーリーグの[[アトランタ・ブレーブス]]が対戦した。5対2でオールスター・チームが勝った<ref name=SLallstargame/>。1983年の試合では、オールスター・チーム対本拠地のナッシュビル・サウンズが対戦した。3対2でオールスター・チームが勝った<ref name=SLallstargame/>。

1994年7月14日、トリプルAオールスター・ゲームがグリアで行なわれた。観客11,601名の他、テレビとラジオで生中継され、ナショナルリーグ・オールスター(NL)がアメリカンリーグ・オールスター(AL)に8対5で勝った<ref name=AAAall-star/>。 [[ブラッド・ウッドール]] (NL – [[リッチモンド・ブレーブス]])が勝利投手、[[ゲイリー・バックルズ]](NL – [[ルイビル・バッツ|ルイビル・レッドバーズ]])が [[セーブ]]投手、[[カート・オハラ]] (AL – [[コロンバス・クリッパーズ]])が敗戦投手となった。「''Stars of Stars'' 」(最優秀選手)は[[ルイス・ロペス (1964年生の内野手)|ルイス・ロペス]] ([[インターナショナルリーグ]] – リッチモンド)、[[ポール・フェアリーズ]] (PCL – [[フェニックス・ファイヤバーズ]])、[[レイ・ダーラム]] (アメリカンアソシエーション – ナッシュビル)であった<ref name=AAAall-star>{{cite web |title=Triple-A All-Star Game Results (1997–1993)|url=http://www.triple-abaseball.com/ASGSummaries2.jsp|publisher=Triple-A Baseball|accessdate=April 11, 2009}}</ref>。

=== メジャーリーグ・エキシビション ===
1981年4月16日、ニューヨーク・ヤンキースがサウンズと対戦するためグリアにやってきた。満席の17,318名が見守る中、10対1でヤンキースが勝利した<ref name=NYYexhib/>。ヤンキースからはオーナー[[ジョージ・スタインブレナー]]、コーチ[[ヨギ・ベラ]]の他、選手[[レジー・ジャクソン]]、[[バッキー・デント]]、[[ルー・ピネラ]]、[[ボビー・マーサー]]、[[リッチ・ゴセージ|グース・ゴセージ]]、[[トミー・ジョン]]、[[ジョニー・オーツ]]が参加した<ref name=NYYexhib>{{cite web |title=Looking Back: 1981 New York Yankees Visit Greer Stadium|first=Bill|last=Traughber|url=http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=2094|publisher=Nashville Sounds|date=August 7, 2006|accessdate=April 7, 2008|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081021100600/http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=2094|archivedate=October 21, 2008}}</ref>。1983年4月28日、ヤンキースは再度サウンズと対戦した<ref name=NYYexhib2>{{cite news |title=Nashville Sounds in 1983|first=Ricky|last=Rogers|url=http://tennessean.com/apps/pbcs.dll/gallery?Site=DN&Date=20080409&Category=SPORTS04&ArtNo=804090806&Ref=PH&Params=Itemnr=20|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 28, 1983|accessdate=April 11, 2008}}</ref>。元サウンズの[[ドン・マッティングリー]]、およびマネージャーの[[ビリー・マーチン]]、グース・ゴセージ投手が参加した<ref name=MLBExhib>{{cite web |title=Looking Back: Greer Hosts MLB Exhibition Games|first=Bill|last=Traughber|url=http://www.milb.com/news/article.jsp?ymd=20140428&content_id=73456984&fext=.jsp&vkey=news_t556&sid=t556|publisher=Nashville Sounds|date=April 28, 2014|accessdate=April 29, 2014}}</ref>。13,641名が見守る中、4対0でサウンズが負けていたが、9回裏で5点獲得して5対4でヤンキースに勝った<ref name=NYYexhib2/><ref name=MLBExhib/>。

1983年4月3日、[[セントルイス・カージナルス]]と[[トロント・ブルージェイズ]]が[[エキシビション]]の試合を行なった<ref name=STL-TOR>{{cite news |title=Nashville Sounds in 1983|first=Ricky|last=Rogers|url=http://tennessean.com/apps/pbcs.dll/gallery?Avis=DN&Dato=20080409&Kategori=SPORTS04&Lopenr=804090806&Ref=PH|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 3, 1983|accessdate=April 11, 2008}}</ref>。テネシー州知事の[[アンドリュー・ラマー・アレクサンダー|ラマー・アレクサンダー]]が観戦した。選手の[[オジー・スミス]]、[[ジョージ・ヘンドリック]]、[[ラファエル・サンタナ]]、[[キース・ヘルナンデス]]、[[アルフレッド・グリフィン]]、サウンズ元外野手[[ウィリー・マギー]]、およびマネージャーの[[ボビー・コックス]]が参加した<ref name=STL-TOR/>。13,742名が見守る中、7対6でブルージェイズが勝った。<ref name=MLBExhib/>。1987年4月4日と5日、シンシナティ・レッズ([[ピート・ローズ]]がマネージャー)と[[モントリオール・エクスポズ]]がエキシビション試合をグリアで2試合行なった<ref name=reds-expos1/><ref name=reds-expos2/>。第1試合は11回8対8で引き分けたが<ref name=reds-expos1>{{cite news |title=Grapefruit League Foster Says He Warned Met Officials About Drugs|newspaper=[[::en:The Miami Herald|The Miami Herald]]|date=April 5, 1987|page=8D}}</ref><ref name=MLBExhib/>、第2試合は5対3でレッズが勝った<ref name=reds-expos2>{{cite news |title=Umpires to Work Openers as Talks on New Deal Continue|url=http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=AT&p_theme=at&p_action=search&p_maxdocs=200&p_field_label-0=Author&p_field_label-1=title&p_bool_label-1=AND&s_dispstring=Umpires%20to%20Work%20Openers%20as%20Talks%20on%20New%20Deal%20Continue%20AND%20date(all)&p_field_advanced-0=&p_text_advanced-0=(Umpires%20to%20Work%20Openers%20as%20Talks%20on%20New%20Deal%20Continue)&p_perpage=10&p_sort=_rank_:D&xcal_ranksort=4&xcal_useweights=yes|newspaper=[[::en:The Atlanta Journal-Constitution|The Atlanta Journal-Constitution]]|date=April 6, 1987|accessdate=May 16, 2014|page=D6}}</ref>。

1988年のシーズン前、グリアでは3回のメジャーリーグ・エキシビションが予定された。4月1日、シンシナティ・レッズ対[[シカゴ・ホワイトソックス]]の試合が組まれたが、雨天中止となった<ref>{{cite news |title=White Sox Bits|first=Joe|last=Goddard|newspaper=[[Chicago Sun-Times]]|date=April 2, 1988|page=90}}</ref>。4月2日、ホワイトソックス対[[クリーブランド・インディアンズ]]の試合が行なわれ、8対6でホワイトソックスが[[クリーブランド・インディアンズ]] に負けた<ref>{{cite news |title=Nashville Tunes Out Barnstorming|newspaper=[[::en:Akron Beacon Journal|Akron Beacon Journal]]|date=April 3, 1988|page=E1}}</ref>。4月3日、3対2で[[ピッツバーグ・パイレーツ]]がインディアンズに勝った<ref>{{cite news |title=Pirates Lay An Egg in Spring Finale Against Indians|first=Paul|last=Meyer|url=http://news.google.com/newspapers?nid=1129&dat=19880404&id=Ea9RAAAAIBAJ&sjid=9W0DAAAAIBAJ&pg=1566,584627|newspaper=[[::en:Pittsburgh Post-Gazette|Pittsburgh Post-Gazette]]|date=April 4, 1988|accessdate=May 16, 2014|page=20}}</ref>。1990年4月23日、シンシナティ・レッズがサウンズと対戦するためナッシュビルに来訪した。14,012名が見守る中、3対0でレッズが勝った<ref name=MLBExhib/>。1991年4月6日、レッズが再びナッシュビルに来訪してインディアンズと対戦し、10回4対3でレッズが勝った<ref name=CIN-CLE1989>{{cite news |title=Spring Training Report: Baltimore Orioles|newspaper=[[::en:The Atlanta Journal-Constitution|The Atlanta Journal-Constitution]]|date=April 7, 1991|page=E15}}</ref>。

1996年3月、『ナッシュビル・ベースボール・クラシック』として、グリアは5試合、メジャー8チームを迎えた<ref name=MLBExhib/>。3月28日、シカゴ・ホワイトソックスと[[テキサス・レンジャーズ]]が対戦し、4対3でホワイトソックスが勝った<ref>{{cite news |title=Bonilla Designated DH by Johnson|url=http://news.google.com/newspapers?nid=861&dat=19960329&id=HbRjAAAAIBAJ&sjid=ToEMAAAAIBAJ&pg=3610,588038|newspaper=[[::en:Victoria Advocate|Victoria Advocate]]|date=March 29, 1996|accessdate=May 16, 2014|page=2B}}</ref>。同日の第2試合でクリーブランド・インディアンズとセントルイス・カージナルスが対戦し、9対3でインディアンズが勝った。3月29日、ホワイトソックスとモントリオール・エクスポズが対戦し、9対5でホワイトソックスが勝ち、[[デトロイト・タイガース]]とレッズが対戦し、7対4でタイガースが勝った<ref name=MLBExhib/>。3月31日、エクスポズと[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]が対戦し、3対1でエクスポズが勝った<ref name=MLBExhib/>。

=== ノーヒットおよび完全試合 ===
グリア・スタジアムでは完全試合1試合を含むノーヒット8試合が行なわれたことがある。1981年5月16日、[[ジャクソンビル・サンズ]]とサウンズが対戦した際、サンズの[[ジェフ・コーネル]]投手が4対0のノーヒットを獲得したのがグリア初のノーヒット試合となった<ref name=SLnohit>{{cite web |title=No-hit Games|url=http://www.milb.com/content/page.jsp?sid=l111&ymd=20080314&content_id=360336&vkey=stats|publisher=Southern League|date=March 14, 2008|accessdate=May 16, 2014}}</ref>。1984年5月4日、2人目のノーヒット勝利投手は[[ジム・デシェイーズ]]で、5対1で[[カロライナ・マドキャッツ|コロンバス・アストロズ]]に勝った<ref name=SLnohit/>。2回、デシェイーズはフォアボールにより3人の打者を出し、デッドボールによりアストロズが1点得点した<ref name=nohitters>{{cite web |title=Looking Back: Sounds No-Hitters|first=Bill|last=Traughber|url=http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1664|publisher=Nashville Sounds|date=June 30, 2005|accessdate=March 14, 2008|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081021100525/http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1664|archivedate=October 21, 2008}}</ref>。1985年7月17日、3人目のノーヒット勝利投手はナッシュビルの[[ブライアン・ケリー (野球)|ブライアン・ケリー]]で6対0で[[オクラホマシティ・レッドホークス|オクラホマシティ89ers]]に勝った<ref name=nohitters/>。

珍しい出来事であるが、1988年8月6日と7日、サウンズと[[インディアナポリス・インディアンズ]]は2夜続けてノーヒットだった。インディアナポリスの[[ランディ・ジョンソン]]と[[パット・パシロ]]はサウンズからノーヒットを獲得したが、1対0でナッシュビルが勝った<ref name=nohitters/>。[[レニー・ハリス]]がフォアボールで1塁に進み、盗塁で2塁、3塁と進み、本塁に入ったがアウトになりナッシュビルが勝った<ref name=nohitters/>。翌日ナッシュビルの[[ジャック・アームストロング]]がインディアンズに対してノーヒットを獲得し、4対0でナッシュビルが勝った<ref name=nohitters/>。これにより、アメリカン・アソシエーション史上初めての連続ノーヒットとなった<ref name=nohitters/>。

2003年4月7日、[[ジョン・ワズディン]]が[[アルバカーキ・アイソトープス]]に対しグリアで4対0の完全試合を行なった<ref name=Hopp>{{cite news |title=Wasdin Throws a Perfect Game|first=Jessica|last=Hopp|url=http://pqasb.pqarchiver.com/tennessean/doc/239551535.html?FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Apr+8%2C+2003&author=Hopp%2C+Jessica&pub=The+Tennessean&edition=&startpage=&desc=Wasdin+throws+a+perfect+game|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 8, 2003|accessdate=May 16, 2014|page=C1}}</ref>。パシフィック・コーストリーグの100年の歴史の中でも2回目の9回[[完投]]試合の1つとなった<ref>{{cite web |title=No-Hit Games|url=http://www.milb.com/content/page.jsp?sid=l112&ymd=20080317&content_id=361099&vkey=stats|publisher=Minor League Baseball|date=March 17, 2008|accessdate=May 16, 2014}}</ref>。ワズディンは100投し、15名三振となった<ref name=Hopp/>。同年8月2日、[[コロラドスプリングス・スカイソックス]]の投手の[[クリストファー・ギッセル]](7 [[投球回]] (IP))と[[ジーザス・サンチェス]] (2 IP)がナッシュビルに対しノーヒットを獲得し3対0でナッシュビルに勝った<ref>{{cite news |title=Colorado Springs vs. Nashville|url=http://www.usatoday.com/sports/scores103/103214/20030802PCL--NASHVILLE-0nr.htm|newspaper=[[USA Today]]|date=August 3, 2003|accessdate=March 14, 2008}}</ref>。2006年7月15日、ナッシュビルの投手[[カルロス・ビラヌエバ]] (6 IP)、[[マイク・マイヤーズ (右投手)|マイク・マイヤーズ]] (2 IP)、アレック・ ザンウォルト (1 IP)がノーヒットを獲得し[[メンフィス・レッドバーズ]]に2対0で勝った.<ref name=2006story>{{cite web |title=Nashville Trio Combines on No-Hitter|first=Marissa|last=Rega|url=http://www.milb.com/news/article.jsp?ymd=20060715&content_id=106055&vkey=news_milb&fext=.jsp|publisher=Minor League Baseball|date=July 15, 2006|accessdate=May 16, 2014}}</ref>。

<center>
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
! rowspan="2"|No. !! rowspan="2"|Date !! rowspan="2"|Pitcher(s) !! colspan="2"|Teams !!rowspan="2"|Score
|-
! Visitor !! Home
|-
| 1 || 1981年5月16日 ||[[ジェフ・コーネル]] || bgcolor="BBFFBB"|[[ジャクソンビル・サンズ]]<sup>†</sup> || [[ナッシュビル・サウンズ]] || 4–0
|-
| 2 || 1984年5月4日 || [[ジム・デシェイーズ]] || [[カロライナ・マドキャッツ|コロンバス・アストロズ]] || bgcolor="BBFFBB"|ナッシュビル・サウンズ<sup>†</sup> || 1–5
|-
| 3 || July 17, 1985 || [[ブライアン・ケリー (野球)|ブライアン・ケリー]] || [[オクラホマシティ・レッドホークス|オクラホマシティ89ers]] || bgcolor="BBFFBB"|ナッシュビル・サウンズ<sup>†</sup> || 0–6
|-
| 4 || August 6, 1988 || [[ランディ・ジョンソン]]<br>[[パット・パシロ]] || bgcolor="FFBBBB"|[[インディアナポリス・インディアンズ]]<sup>‡</sup> || ナッシュビル・サウンズ || 0–1
|-
| 5 || August 7, 1988 || [[ジャック・アームストロング]] || インディアナポリス・インディアンズ || bgcolor="BBFFBB"|ナッシュビル・サウンズ<sup>†</sup> || 0–4
|-
| 6 || April 7, 2003 || [[ジョン・ワズディン]] || [[アルバカーキ・アイソトープス]] || bgcolor="BBFFBB"|ナッシュビル・サウンズ<sup>†</sup> || 0–4
|-
| 7 || August 2, 2003 ||[[クリストファー・ギッセル]]<br>[[ジーザス・サンチェス]] || bgcolor="BBFFBB"|[[コロラドスプリングス・スカイソックス]]<sup>†</sup> || Nashville Sounds || 3–0
|-
| 8 || July 15, 2006 || [[カルロス・ビラヌエバ]]<br>[[マイク・マイヤーズ (右投手)|マイク・マイヤーズ]] <br /> アレック・ザンウォルト || [[メンフィス・レッドバーズ]] || bgcolor="BBFFBB"|ナッシュビル・サウンズ<sup>†</sup> || 0–2
|-
! colspan="6"|<small>{{color box|#BBFFBB}} (†) ノーヒットで勝利 • {{color box|#FFBBBB}} (‡) ノーヒットで敗北</small>
|}</center>

=== その他の出来事 ===
2006年5月5日、6日、グリアはパシフィックコーストリーグ史上最も長い試合を記録した。サウンズと[[ニューオリンズ・ゼファーズ]]は2日間に亘り、8時間7分かけて24イニングの試合を行なった<ref name=24inMILB>{{cite web |title=Zephyrs Win PCL Marathon in 24th|first=Marissa|last=Rega|url=http://www.milb.com/gen/articles/printer_friendly/milb/y2006/m05/d06/c68067.jsp|publisher=Minor League Baseball|date=May 6, 2006|accessdate=May 16, 2014}}</ref><ref>{{cite web |title=Scoreboard|url=http://ww2.minorleaguebaseball.com/milb/stats/stats.jsp?sid=milb&t=g_box&gid=2006_05_05_nozaaa_nasaaa_1|publisher=Minor League Baseball|date=May 6, 2006|accessdate=May 16, 2014}}</ref>。5対4でニューオリンズが勝った<ref name=24inMILB/>。元々の最長記録は1909年6月8日の[[サンフランシスコ・シールズ]]対[[オークランド・オークス (PCL)|オークランド・オークス]]が持っており、1911年9月10日の[[サクラメント・サロンズ]]対[[ポートランド・ビーバーズ]]とタイであった<ref name=24inMILB/>。パシフィックコースト・リーグの7試合の記録が破られ、3試合がタイとなった<ref>{{cite news |title=Minor Leaguers Roundup: Stetter Pitches Part of 24-Inning Loss|first=Dennis|last=Clark|url=http://tribstar.com/local_interest/x681774042/Minor-leaguers-roundup-Stetter-pitches-part-of-24-inning-loss|newspaper=[[::en:Tribune-Star|Tribune-Star]]|location=Terre Haute|date=May 21, 2006|accessdate=August 17, 2009}}</ref>。

== その他の出来事 ==
1980年代初頭、グリア・スタジアムはファーザー・ライアン高等学校のフットボール・チームの本拠地として使用されていた<ref name=CityPaperRyan>{{cite news |title=Ryan Ready for Football at Greer Baseball Stadium|url=http://nashvillecitypaper.com/content/city-news/ryan-ready-football-greer-baseball-stadium|newspaper=[[::en:The City Paper|The City Paper]]|location=Nashville|year=2006|accessdate=March 17, 2009}}</ref>。その後2009年の新たな施設完成までの2006年から2008年まで、再度ファーザー・ライアンはグリアを本拠地として使用した<ref>{{cite news |title=Father Ryan Breaks Ground for New Athletic Complex|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=February 25, 2009}}</ref>。サウンズのスケジュールにより、ファーザー・ライアンのホーム・ゲームは相手チームの本拠地または地元の使用されていない他の高等学校のグラウンドで行なわなければならなかった。フットボールの配置は一塁ベース・ラインに沿って行なわれた<ref name=CityPaperRyan/>。

2011年の[[E・S・ローズ・パーク]]の開幕まで、ベルモント大学野球部はそのシーズンのほとんどをグリアで行なった<ref>{{cite web |title=Facilities – Greer Stadium|url=http://belmontbruins.cstv.com/facilities/belm-facilities-greer-stadium.html|publisher=Belmont University Athletic Department|accessdate=March 17, 2009|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090416065616/http://belmontbruins.cstv.com/facilities/belm-facilities-greer-stadium.html|archivedate=April 16, 2009}}</ref><ref name=BelmontNewVenue>{{cite web|title=E.S. Rose Park|url=http://belmont.prestosports.com/information/facilities/rosepark|publisher=Belmont University Athletic Department|accessdate=March 11, 2012|archiveurl=http://www.webcitation.org/665biDSE0|archivedate=March 11, 212}}</ref>。サウンズのスケジュールによりグリアが使用できない場合、ベルモント大学の試合はナッシュビル市内の[[シェルビー・パーク]]で行なわれた<ref>{{cite web |title=Facilities – Shelby Park|url=http://belmontbruins.cstv.com/facilities/belm-facilities-shelby-park.html|publisher=Belmont University Athletic Department|accessdate=March 17, 2009|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100510074812/http://belmontbruins.cstv.com/facilities/belm-facilities-shelby-park.html|archivedate=May 10, 2010}}</ref>。

1991年よりシティ・オブ・ホープ医療センター主催のチャリティ・セレブリティ・ソフトボールがグリアで開催されている<ref>{{cite web |title=Titans Team Up With Local Celebrities For CMA Softball Challenge|first=Tresa|last=Halbrooks|url=http://www.titansonline.com/community/article-1/Titans-Team-Up-With-Local-Celebrities-For-CMA-Softball-Challenge/a0a8fc2f-46a2-4423-85b1-1de3d790d07c|publisher=Tennessee Titans|date=June 12, 2009|accessdate=March 7, 2010}}</ref>。カントリー界のスター達が2チームに分かれて試合を行ない、この収益金はガンなど命に関わる病気の研究、治療に役立てられる。これまでの出演者には[[ヴィンス・ギル]]、[[キャリー・アンダーウッド]]、[[ブラッド・ペイズリー]]、[[ビリー・レイ・サイラス]]、[[サラ・エヴァンズ]]、[[モンゴメリー・ジェントリー]]、[[フィル・ヴァッサー]]などがいる<ref>{{cite web |title=Country Stars Bat Around for Good Cause|first=Michael|last=Gray|url=http://www.cmt.com/news/country-music/1444523/country-stars-bat-around-for-good-cause.jhtml|publisher=Country Music Television|date=June 15, 2001|accessdate=March 30, 2009}}</ref><ref>{{cite web |title=Carrie, Vince and Others Go to Bat for Charity|url=http://www.countryweekly.com/city_of_hope_softball/scoop/2341|work=Country Weekly|date=April 30, 2007|accessdate=March 30, 2009}}</ref>。2008年のこのイベントでは150万ドル以上を集めた<ref>{{cite web |title=Celebrity Softball|url=http://www.cityofhope.org/giving/fundraising-support-groups/music/softball/Pages/default.aspx|publisher=City of Hope|year=2009|accessdate=March 30, 2009}}</ref>。

2001年から2011年までグリアでジェフ・フィッシャー&フレンズ・チャリティ・ソフトボール・ゲームが開催されていた<ref>{{cite news |title=Jeff Fisher & Friends Charity Softball Game|url=http://www.wkrn.com/story/14858921/jeff-fisher-friends-charity-softball-game|work=[[::en:WKRN-TV|WKRN]]|location=Nashville|date=June 7, 2011|accessdate=August 29, 2011}}</ref>。[[テネシー・タイタンズ]] [[ヘッドコーチ]]の[[ジェフ・フィッシャー]]とタイタンズの新旧選手達が地元のチャリティのために試合を行なった。タイタンズの参加者は[[ヴィンス・ヤング]]、[[スティーブ・マクネア]]、[[エディ・ジョージ]]、[[フランク・ワィチェック]]、[[ロブ・ビロナス]]、[[キース・ブラック]]など<ref>{{cite web |title=Jeff Fisher & Friends Charity Softball Game To Be Held June 28 At Greer Stadium|url=http://www.nashvillesounds.com/news/news.asp?newsId=2602|publisher=Nashville Sounds|date=March 18, 2008|accessdate=April 6, 2008|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080506153412/http://nashvillesounds.com/news/news.asp?newsId=2602|archivedate=May 6, 2008}}</ref>。[[ナショナルホッケーリーグ]]の[[ナッシュビル・プレデターズ]]の[[トーマス・ヴォコン]]、ヘッドコーチの[[バリー・トロツ]]も参加した<ref>{{cite web |title=2006 Jeff Fisher & Friends Charity Softball Game To Be Held This Friday At Greer Stadium|url=http://www.nashvillesounds.com/news/newsarchive.asp?newsId=1887|publisher=Nashville Sounds|date=April 5, 2006|accessdate=March 17, 2009}}</ref>。

2002年、映画『[[オールド・ルーキー]]』の使用曲である[[スティーヴ・アール]]の『''Some Dreams'' 』のミュージックビデオがグリアで撮影された<ref>{{cite web |title=Steve Earle|url=http://sports.espn.go.com/espn/print?id=1359951&type=page2Story|work=[[ESPN]]|date=March 28, 2002|accessdate=March 29, 2009}}</ref>。このミュージックビデオでは空のグリア・スタジアムでアールと彼のバンドが演奏中に映画『オールド・ルーキー』のシーンがインターカットされる。

== スコアボード ==
グリアの独特なギター型のスコアボードは1993年のシーズン前、フェアトロン・コーポレーションで製造され、ジョスリン・サイン・カンパニーにより設置された<ref name=MGScoreboard>{{cite web |title=2008 Nashville Sounds Media Guide|url=http://www.nashvillesounds.com/pdf/2008guide_part6.pdf|publisher=Nashville Sounds|year=2008|accessdate=April 9, 2008|page=180}}</ref>。黒、赤、黄で塗装され、白で縁取りされている。左中間の外野の壁の後ろに設置されている。

スコアはギターのネック部に表示され、ボール/ストライク/アウトの数、打者の背番号、ヒット/エラーの表示はギターのヘッド部に表示される。6つの小さな広告がチューニング・キーに表示される。ギターのボディ部には[[発光ダイオード|LED]]ディスプレイ・ボードと低解像度のカラー・マトリックス・ボードが表示されている。2つのボードの間にはアナログ時計が設置され、現在の気温も表示される。この周りには4つの大きな広告が表示されており、上部の2つは固定で、下部の2つは3つの広告が回転して表示される。ホームランから保護するために高圧ネットが電子部を覆っている。ボードの上には丸い広告がある。ここには元々チームの、ギターをスウィングする人のロゴマー クがあり、以降ロゴマークが変わるたびに変更されてきた。当初、ホームランが出ると、このギター・スウィンガー・ロゴがライト・アップされ、スコアボードの周りのライトが点滅し、サウンズのホームランの場合は花火が上がった。近年、スコアボードの劣化が起きていた。2008年終盤、MFPベースボールがチームを買収し、スコアボードを改修して完全に復活した<ref>{{cite news |title=New Group Purchases Nashville Sounds|url=http://www.wkrn.com/Global/story.asp?S=9913346&nav=menu5_4|work=[[::en:WKRN-TV|WKRN]]|location=Nashville|date=February 26, 2009|accessdate=March 9, 2009}}</ref>。元々チームカラーの赤、白、青で計画されていたが、黒、赤、黄、白で塗り替えられ、モノクロ・マトリックス・ボードはLEDと置き換えられた<ref name=2009imp>{{cite news |title=Sounds’ New Ownership Hopes Renovations Will Spark Interest|first=Jeannie|last=Naujeck|url=http://nashville.bizjournals.com/nashville/stories/2009/03/23/story2.html?b=1237780800^1797987&page=1|newspaper=[[::en:American City Business Journals|Nashville Business Journal]]|date=March 20, 2009|accessdate=March 25, 2009|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110805054018/http://www.bizjournals.com/nashville/stories/2009/03/23/story2.html?b=1237780800%5e1797987&page=1|archivedate=August 5, 2011}}</ref>。


スコアボードの寸法は幅115.6フィート(35.2m)、高さ53フィート(16m)、奥行き2フィート(0.61m)<ref name=MGScoreboard/>。各部位の寸法はボディ部60フィート(18m)、ネック部36フット(11m)、チューニング・キー部19.6フット(6.0m)<ref name=MGScoreboard/>。地面より高さ80フィート(24m)の部分に設置されている<ref name=MGScoreboard/>。64,169フィート(19,559 m)におよぶ電線に繋がれた照明器具8,179個に243,155ワットが必要となる。<ref name=MGScoreboard/>。総重量は35,825パウンド(16,250kg)である<ref name=MGScoreboard/>。

新球場ファースト・テネシー・パークではこのギター型のスコアボードが使われる予定は今のところない<ref name=scoreboardstaying>{{cite news |title=First Tennessee's Name Will Go on New Sounds Ballpark|first=Nick|last=Cole|url=http://www.tennessean.com/story/money/2014/04/22/first-tennessees-name-will-go-new-sounds-ballpark/8004149/?sf25306465=1|newspaper=[[::en:The Tennessean|The Tennessean]]|location=Nashville|date=April 22, 2014|accessdate=May 5, 2014}}</ref>。2014年4月22日、ファースト・テネシーの命名権が合意に達し、サウンズのオーナーのフランク・ワードは地元紙『テネシアン』に「グリアのギター・スコアボードはグリアに残していく。新しいスコアボードはこれと似たようなものになるかもしれないが、言及するにはまだ早い。公表できるように努力している」と語った<ref name=scoreboardstaying/>。

オリジナルのスコアボードは黒く目立たない、長方形の2列のスコアボードであった。1985年、このスコアボードは左翼に移動され、元の場所には高さ10フィート(3m)の長方形の4列のスコアボードが設置された<ref name=1985prog/> 。オリジナルのスコアボードはその後他の球場の他のチームの試合結果が表示されるようになった。1993年、ギター型のスコアボードが設置され、オリジナルのスコアボードは取り外され、その場所には2つめのスコアボードが設置されて他の球場の結果が表示されるようになった。2008年、他の球場の結果は表示されなくなったがまだそのまま残っている。

== 施設 ==
球場の椅子には、スタジアム・シート、一般観客席のベンチ、曲線型の椅子の他、3階には特別観覧席がある<ref name=seatingchart>{{cite web |title=Seating Chart|url=http://www.milb.com/content/page.jsp?sid=t556&ymd=20100201&content_id=8006298&vkey=team1|publisher=Nashville Sounds|date=February 1, 2010|accessdate=May 16, 2014}}</ref>。2014年現在、収容人数は10,300名である<ref name=capacity/>。本塁裏、三塁線裏、三塁側スタンド、ライト・フェンス裏の4箇所のピクニック・エリアから観戦することができる<ref name=picnics>{{cite web |title=Picnics|url=http://www.milb.com/content/page.jsp?ymd=20100201&content_id=8006206&sid=t556&vkey=team1|publisher=Nashville Sounds|date=February 1, 2010|accessdate=May 13, 2011}}</ref>。ライトの奥のコーナーにはデッキ席もある<ref name=picnics/>。メイン・エントランスを入ったところにあるザ・プラザにはコンサート・ステージや子供の遊具などがある<ref name=Patton7Apr09/>。

売店や屋台が中央ホールにある。スラッガーズ・スポーツ・バー&グリルというレストランが4階にある<ref>{{cite web |title=Sluggers Sports Bar|url=http://www.milb.com/content/page.jsp?sid=t556&ymd=20100201&content_id=8006332&vkey=team1|publisher=Nashville Sounds|date=February 1, 2010|accessdate=May 16, 2014}}</ref>。サウンズのホームゲームがある日はレストランから窓越しに観戦することができる。

== グラウンドルール ==
{{節スタブ}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{commonscat|Greer Stadium}}
{{commonscat|Greer Stadium}}
* [http://www.nashvillesounds.com/stadium ナッシュビル・サウンズ公式HP(英語)による紹介]
* [http://web.minorleaguebaseball.com/team1/page.jsp?ymd=20100201&content_id=8006298&vkey=team1_t556&fext=.jsp&sid=t556 ナッシュビル・サウンズ公式HP(英語)による紹介]
* [http://nashvillesounds.shutterfly.com/ 2009年の改修の写真]
[[Image:GreerStadiumScoreboard.jpg|300px|thumb|left|ギター形のスコアボード]]


{{DEFAULTSORT:はあしえるくりえるすたしあむ}}
{{DEFAULTSORT:はあしえるくりえるすたしあむ}}
[[Category:テネシー州の競技場]]
[[Category:テネシー州の競技場]]
[[Category:アメリカ合衆国の野球場]]
[[Category:アメリカ合衆国の野球場]]

{{baseball-stub}}
{{Link FA|en}}

2014年6月2日 (月) 00:40時点における版

ハーシェル・グリア・スタジアム
Herschel Greer Stadium
ハーシェル・グリエル・スタジアム
施設データ
所在地 534 Chestnut Street
Nashville, TN 37203
開場 1978年4月
所有者 Nashville Metro Government
グラウンド 天然芝
設計者 Stoll-Reed Architects Inc.
使用チーム • 開催試合

ナッシュビル・サウンズ(1978 - )

ナッシュビル・エクスプレス(1993 - 1994)
収容人員
10,300人(固定座席)/15,000人(立ち見含む)
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 327 ft (約99.7 m)
中堅 - 400 ft (約121.9 m)
右翼 - 327 ft (約99.7 m)
フェンス 両翼 - 8 ft (約2.4 m)
中堅 - 16 ft (約4.9 m)[1]

ハーシェル・グリア・スタジアムHerschel Greer Stadium )は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルにある野球場。ダウンタウンから南へ約3kmの南北戦争の要塞であったフォート・ネグリーのグラウンドであった場所に建っている。ナッシュビルの著名な実業家でマイナーリーグナッシュビル・ヴォルズの初代会長のハーシェル・リン・グリア(1906年 - 1976年)の栄誉を称えて彼の名を球場名に冠し、1978年に開業した。パシフィック・コーストリーグ(PCL)所属で、ミルウォーキー・ブルワーズ傘下トリプルAナッシュビル・サウンズの本拠地である。収容人数は10,300人である[2]

ナッシュビルはカントリー・ミュージックの中心地として知られている。そのため、左翼スタンドにギターの形をしたスコアボードが設置されている。ギターのネックの部分にスコアが表示される。これまでオールスター・ゲーム3回、ノーヒット8回、完全試合1回、PCL史上最長の24イニング1回の試合が行なわれた。1993年と1994年、ダブルAサザンリーグナッシュビル・エクスプレスの本拠地であった。

2000年代初頭から、球場の老朽化により30年以上はもたないであろうということから、新しい球場の設立に関して市の同意を得ようとしていた。グリア・スタジアムはトリプルAの球場で最も古い球場の1つであり、プロ野球基準をはるかに下回っており、多数の機能向上および修復が必要となっていた。2015年のシーズンから、ナッシュビル・サウンズはグリア・スタジアムを離れてファースト・テネシー・パークを本拠地とする予定になっている[3]

歴史

1970年代後半、起業家のラリー・シュミトウはプロ野球チームをナッシュビルに誘致することを決心し、チームのために新しい野球場が必要であると考えた。彼はダウンタウンから南へ約3kmの南北戦争の要塞であったフォート・ネグリーのグラウンドにあるセント・クラウド・ヒルの麓への球場建設を市と交渉した[4]。市は彼に土地の賃貸を検討したが、彼は球場建設の責任を引き受け、資産税を支払うつもりであった[5]

建設予算は30万ドルから50万ドルだったが[5]、100万ドル以上見積もられた[5]。シュミトウは建設資材を寄付してくれる地元の納入業者を探し、銀行から3万ドルを借り、自宅を抵当に入れた[5]カントリー歌手のコンウェイ・トゥイッティは仲間のジェリー・リードリチャード・スタバンキャル・スミスなどナッシュビルの住民達と共に株主となりシュミトウを助けた[5][6][7]。ナッシュビルの著名な実業家でマイナーリーグナッシュビル・ヴォルズの初代会長、また球場建設のために家族が2万5千ドルを寄付したハーシェル・リン・グリアにちなんで球場名が名付けられた[4]

1978年4月25日のシンシナティ・レッズ傘下、ダブルAサザンリーグのナッシュビル・サウンズの試合で開業することが決まった。建設は進んでいたが、シュミトウは期日に間に合わないと考えた。チームはシーズン開幕戦を遠征試合にすることを提案し、球場建設に時間がかかることからチャタヌーガ・ルックアウツと交替しなくてはならなかった[5]。工期延長したにも関わらず球場はなかなか完成しなかった。芝生が遅れて届き、総支配人がローカルラジオで「芝生パーティ」をやると語ったことから推定50名のファンが集まり、開幕前日に彼らの助けを得て芝生を貼った[5]

4月25日に予定されたホーム開幕戦は雨で中止となり、翌26日に延期された[8]。最初の10試合を他の球場で行ない[9]、トラクターなど重機がまだ作業する中、1978年4月26日、ナッシュビル・サウンズはハーシェル・グリア・スタジアムで初のホーム・ゲームを行なった[10]。完売の8,156名が見守る中、12対4でサヴァンナ・ブレーヴスをやぶった[9]。サザンリーグ会長のビリー・ヒッチコックも観戦し[11]、コンウェイ・トゥイッティが始球式を行なった[11]

当初、グリアの収容人数は7,200名だったが[12]、初シーズンが終わる頃には8,800名に拡大した[13]。背もたれと肘掛のある劇場型の座席は3,000席あり、残りは外野席である[12]。報道関係者席には2つのラジオ中継ブースとオルガン・ブースがある。2チーム、25名分のロッカー室の他、審判員のロッカー室もある[12]。グランドは左右に330フィート(100m)、左右中間375フィート(114m)、センター405フィート(123m)[12]。ナイターに備えた照明塔は100フィード(30m)、8本ある[12]。他に男性用、女性用トイレの他、売店も7店舗ある[12]

1979年のシーズンでは5,000席追加され、収容人数は13,000名に増えた[13]。新しい上下水施設が導入され、グラウンドの標高は5フィート(1.5m)上昇した[13]。1981年のシーズンの前、グリアは1,200席以上のボックス席、1,000席以上の自由席追加するなど、多くの改修を行なった[14]。2箇所の木製の自由席エリアは2,000席のより座りやすい椅子に置き換えられた[14]。鉄柱で支えられたバックネットはケーブルで強化して鉄柱の数を減らした。新たなダグアウト、3箇所の出入り口、音響設備、2倍の大きさになったスコアボード、券売所の拡大など、様々な箇所を改修した[14]

1984年2月から夏にかけて、改修および増築が行なわれた。フルサイズのレストランであるホール・オブ・スタジアム・クラブ、指定席である後ろから5列およびコンコースをカバーする屋根が建てられた[15]。新たな報道関係者席にはメディアのメンバーの施設の他、ホーム用と相手チーム用の別々のテレビ中継ブースが含まれた[16]。報道関係者席に隣接した10室の特別観覧席も設置され[16]、1989年までにこの特別観覧席は18室に増えた[17]

1985年、改修は続き、特別観覧席を一部減らし、ライトのファウル・ポールを越えた場所にも1,200席のボックス席を追加した[16]。開業時からあった高さ10フィート(3m)のスコアボードはレフトのより遠い場所に設置され、アメリカンリーグナショナルリーグ、アメリカン・アソシエーションのスコアも表示されるようになった[16]

シュミトウはナッシュビルの球団をメジャーリーグにしたかった[18]。これが実現すればより多くの座席が必要となり、より魅力的な球場にするため1987年のシーズン終了後大幅な改修が開始した。ボックス席の数は4割増し、クラブハウスと審判員用施設は改修され、ダグアウトは全改修された[19]。新しいダグアウトはそれまでのものより部屋に近いものとなり、そのためグラウンドも左右は327フィート(100m)、左右中間は371フィート(113m)、中間400フィート(120m)となった[20]。メイン・エントランスはフォート・ネグリーと隣接した石工を組み込む新しいデザインになった[19]。この拡大によりグリアの収容人数は18,000名となった[20]

ギター形のスコアボード

1993年のシーズン前、グリアの独特なギター型のスコアボードが左中間に設置された[21]。同年より、二軍がグリアで試合するようになった。1993年から1994年まで同時期に、この球場はサウンズとミネソタ・ツインズ傘下ダブルA、サザンリーグのナッシュビル・エクスプレス双方の本拠地であった。1993年、ノースカロライナ州シャーロットはトリプルAのフランチャイズを拡大することを決め、ダブルAのシャーロット・ナイツがシャーロットを離れることとなり本拠地を失った。サウンズ会長のラリー・シュミトウはグリアに彼らの臨時本拠地になることを打診し、シャーロット・ナイツはナッシュビル・エクスプレスとして活動することになった。グリアが2チームの本拠地となったため、エクスプレスはサウンズが遠征に行っている間に試合を行なった[4]。1球場が2チームの本拠地となるのは、1975年にニューヨーク・メッツニューヨーク・ヤンキースシェイ・スタジアムを同時期に本拠地にしていた時以来のことである[22]。『ベースボール・アメリカ』誌はこの2チームが1つの球場を本拠地としたことについて「マイナーリーグ10大事件」の第1位とした[23]。1995年、エクスプレスはノースカロライナ州ウィルミントンに移動し、ポートシティ・ルースターズとなった[23]

1995年のシーズン前の秋と冬に20万ドル以上を改修に費やした[24]。クラブハウスとウエイト・ルームはリフォームされ、ダグアウト後ろの通路は滑りやすさを減らすため舗装され、グラウンドは芝生を張り替えた[24]。1978年に芝を張って以来初めての張替えおよび改善であった[25]。まず全ての芝をはがし、次に新しい排水設備を導入した。地面を掘り、グラウンドおよびセンターの壁の向こうから排水する2,500フィート(760m)の排水パイプを埋めた[25]。パイプの上に砂利の層を敷き、その上に4~6インチ(10~15cm)の砂の層を敷いた[25]。バミューダ芝ティフトン419を10万平方フィート(9,300平方メートル)のフィールドとダイヤモンド内側に敷き詰め、内野の標高が上がり、同じ高さになるようにウォーニングゾーンにレンガを敷いた[25]

2000年頃から約10年間で、設備の整った新しいマイナーリーグ球場が続々と登場し、グリアは球場の基準から外れていった。老朽化して30年以上はもたないとされながらも[26]、トリプルAの基準に合わせようと多くの改修を行なった。サウンズは元々2010年頃までに新たな球場を求めグリアを離れる予定であった[27]。新球場開幕予定日は何度も延期され、最終的に2008年終盤となった[28]。サウンズの球場新設の訴え、これが叶わないなら市から離れるとの脅しから数年後の2006年2月7日、ナッシュビル・メトロ議会は球場新設に合意した。球場はファースト・テネシー・フィールドと名付けられ、グリアから2マイル(3.2km)、ナッシュビルのダウンタウンのカンバーランド川西岸での建設が計画された。しかし、議会が決めた期日である2007年4月15日までに、サウンズと民間開発業者のStruever Brothers, Eccles, & Rouse は費用とデザインに合意しなかった。この結果、ファースト・テネシー・フィールド建設計画は中止になった[29]

2008年のシーズン前、100万ドル以上をかけた改善、修復が行なわれた[26]。新たなクラブハウス、照明の改善が行なわれ、その後3年から5年かけて機能向上のためにトイレ、通路、座席などが修復された[26]

2009年初頭にサウンズを買収したMFPベースボールは老朽化したフィールド、トイレ、売店、スコアボード、音響設備、座席を修復、改善するため200万ドルを投資した[30]。内野は芝を張替え、水平にし、フィールドの周りに防護柵を設置し、バックネットを張り替えた[21]。全ての売店およびギター型のスコアボードの色を塗り替え、壊れた座席を入れ替え、スラッガーズ・スポーツ・バー&グリルをリフォームした[31]。コンサート・ステージと子供用エリアが出入り口近くに設置された[31]

2013年終盤、サウンズとナッシュビル・メトロは、ナッシュビル初の球場サルファー・デル跡地に3,700万ドルをかけた新球場建設で合意に達した[32]。新球場ファースト・テネシー・パークの建設は暫定的に2015年のシーズン開幕に向けて予定された[3]。新球場開業後のグリアの使途はまだ決まっていない。

記念すべき試合

オールスター・ゲーム

1979年と1983年の2回、サザンリーグ・オールスター・ゲームがグリア・スタジアムで行なわれた[33]。1979年の試合では、オールスター・チームとメジャーリーグのアトランタ・ブレーブスが対戦した。5対2でオールスター・チームが勝った[33]。1983年の試合では、オールスター・チーム対本拠地のナッシュビル・サウンズが対戦した。3対2でオールスター・チームが勝った[33]

1994年7月14日、トリプルAオールスター・ゲームがグリアで行なわれた。観客11,601名の他、テレビとラジオで生中継され、ナショナルリーグ・オールスター(NL)がアメリカンリーグ・オールスター(AL)に8対5で勝った[34]ブラッド・ウッドール (NL – リッチモンド・ブレーブス)が勝利投手、ゲイリー・バックルズ(NL – ルイビル・レッドバーズ)が セーブ投手、カート・オハラ (AL – コロンバス・クリッパーズ)が敗戦投手となった。「Stars of Stars 」(最優秀選手)はルイス・ロペス (インターナショナルリーグ – リッチモンド)、ポール・フェアリーズ (PCL – フェニックス・ファイヤバーズ)、レイ・ダーラム (アメリカンアソシエーション – ナッシュビル)であった[34]

メジャーリーグ・エキシビション

1981年4月16日、ニューヨーク・ヤンキースがサウンズと対戦するためグリアにやってきた。満席の17,318名が見守る中、10対1でヤンキースが勝利した[35]。ヤンキースからはオーナージョージ・スタインブレナー、コーチヨギ・ベラの他、選手レジー・ジャクソンバッキー・デントルー・ピネラボビー・マーサーグース・ゴセージトミー・ジョンジョニー・オーツが参加した[35]。1983年4月28日、ヤンキースは再度サウンズと対戦した[36]。元サウンズのドン・マッティングリー、およびマネージャーのビリー・マーチン、グース・ゴセージ投手が参加した[37]。13,641名が見守る中、4対0でサウンズが負けていたが、9回裏で5点獲得して5対4でヤンキースに勝った[36][37]

1983年4月3日、セントルイス・カージナルストロント・ブルージェイズエキシビションの試合を行なった[38]。テネシー州知事のラマー・アレクサンダーが観戦した。選手のオジー・スミスジョージ・ヘンドリックラファエル・サンタナキース・ヘルナンデスアルフレッド・グリフィン、サウンズ元外野手ウィリー・マギー、およびマネージャーのボビー・コックスが参加した[38]。13,742名が見守る中、7対6でブルージェイズが勝った。[37]。1987年4月4日と5日、シンシナティ・レッズ(ピート・ローズがマネージャー)とモントリオール・エクスポズがエキシビション試合をグリアで2試合行なった[39][40]。第1試合は11回8対8で引き分けたが[39][37]、第2試合は5対3でレッズが勝った[40]

1988年のシーズン前、グリアでは3回のメジャーリーグ・エキシビションが予定された。4月1日、シンシナティ・レッズ対シカゴ・ホワイトソックスの試合が組まれたが、雨天中止となった[41]。4月2日、ホワイトソックス対クリーブランド・インディアンズの試合が行なわれ、8対6でホワイトソックスがクリーブランド・インディアンズ に負けた[42]。4月3日、3対2でピッツバーグ・パイレーツがインディアンズに勝った[43]。1990年4月23日、シンシナティ・レッズがサウンズと対戦するためナッシュビルに来訪した。14,012名が見守る中、3対0でレッズが勝った[37]。1991年4月6日、レッズが再びナッシュビルに来訪してインディアンズと対戦し、10回4対3でレッズが勝った[44]

1996年3月、『ナッシュビル・ベースボール・クラシック』として、グリアは5試合、メジャー8チームを迎えた[37]。3月28日、シカゴ・ホワイトソックスとテキサス・レンジャーズが対戦し、4対3でホワイトソックスが勝った[45]。同日の第2試合でクリーブランド・インディアンズとセントルイス・カージナルスが対戦し、9対3でインディアンズが勝った。3月29日、ホワイトソックスとモントリオール・エクスポズが対戦し、9対5でホワイトソックスが勝ち、デトロイト・タイガースとレッズが対戦し、7対4でタイガースが勝った[37]。3月31日、エクスポズとカンザスシティ・ロイヤルズが対戦し、3対1でエクスポズが勝った[37]

ノーヒットおよび完全試合

グリア・スタジアムでは完全試合1試合を含むノーヒット8試合が行なわれたことがある。1981年5月16日、ジャクソンビル・サンズとサウンズが対戦した際、サンズのジェフ・コーネル投手が4対0のノーヒットを獲得したのがグリア初のノーヒット試合となった[46]。1984年5月4日、2人目のノーヒット勝利投手はジム・デシェイーズで、5対1でコロンバス・アストロズに勝った[46]。2回、デシェイーズはフォアボールにより3人の打者を出し、デッドボールによりアストロズが1点得点した[47]。1985年7月17日、3人目のノーヒット勝利投手はナッシュビルのブライアン・ケリーで6対0でオクラホマシティ89ersに勝った[47]

珍しい出来事であるが、1988年8月6日と7日、サウンズとインディアナポリス・インディアンズは2夜続けてノーヒットだった。インディアナポリスのランディ・ジョンソンパット・パシロはサウンズからノーヒットを獲得したが、1対0でナッシュビルが勝った[47]レニー・ハリスがフォアボールで1塁に進み、盗塁で2塁、3塁と進み、本塁に入ったがアウトになりナッシュビルが勝った[47]。翌日ナッシュビルのジャック・アームストロングがインディアンズに対してノーヒットを獲得し、4対0でナッシュビルが勝った[47]。これにより、アメリカン・アソシエーション史上初めての連続ノーヒットとなった[47]

2003年4月7日、ジョン・ワズディンアルバカーキ・アイソトープスに対しグリアで4対0の完全試合を行なった[48]。パシフィック・コーストリーグの100年の歴史の中でも2回目の9回完投試合の1つとなった[49]。ワズディンは100投し、15名三振となった[48]。同年8月2日、コロラドスプリングス・スカイソックスの投手のクリストファー・ギッセル(7 投球回 (IP))とジーザス・サンチェス (2 IP)がナッシュビルに対しノーヒットを獲得し3対0でナッシュビルに勝った[50]。2006年7月15日、ナッシュビルの投手カルロス・ビラヌエバ (6 IP)、マイク・マイヤーズ (2 IP)、アレック・ ザンウォルト (1 IP)がノーヒットを獲得しメンフィス・レッドバーズに2対0で勝った.[51]

No. Date Pitcher(s) Teams Score
Visitor Home
1 1981年5月16日 ジェフ・コーネル ジャクソンビル・サンズ ナッシュビル・サウンズ 4–0
2 1984年5月4日 ジム・デシェイーズ コロンバス・アストロズ ナッシュビル・サウンズ 1–5
3 July 17, 1985 ブライアン・ケリー オクラホマシティ89ers ナッシュビル・サウンズ 0–6
4 August 6, 1988 ランディ・ジョンソン
パット・パシロ
インディアナポリス・インディアンズ ナッシュビル・サウンズ 0–1
5 August 7, 1988 ジャック・アームストロング インディアナポリス・インディアンズ ナッシュビル・サウンズ 0–4
6 April 7, 2003 ジョン・ワズディン アルバカーキ・アイソトープス ナッシュビル・サウンズ 0–4
7 August 2, 2003 クリストファー・ギッセル
ジーザス・サンチェス
コロラドスプリングス・スカイソックス Nashville Sounds 3–0
8 July 15, 2006 カルロス・ビラヌエバ
マイク・マイヤーズ
アレック・ザンウォルト
メンフィス・レッドバーズ ナッシュビル・サウンズ 0–2
  (†) ノーヒットで勝利 •   (‡) ノーヒットで敗北

その他の出来事

2006年5月5日、6日、グリアはパシフィックコーストリーグ史上最も長い試合を記録した。サウンズとニューオリンズ・ゼファーズは2日間に亘り、8時間7分かけて24イニングの試合を行なった[52][53]。5対4でニューオリンズが勝った[52]。元々の最長記録は1909年6月8日のサンフランシスコ・シールズオークランド・オークスが持っており、1911年9月10日のサクラメント・サロンズポートランド・ビーバーズとタイであった[52]。パシフィックコースト・リーグの7試合の記録が破られ、3試合がタイとなった[54]

その他の出来事

1980年代初頭、グリア・スタジアムはファーザー・ライアン高等学校のフットボール・チームの本拠地として使用されていた[55]。その後2009年の新たな施設完成までの2006年から2008年まで、再度ファーザー・ライアンはグリアを本拠地として使用した[56]。サウンズのスケジュールにより、ファーザー・ライアンのホーム・ゲームは相手チームの本拠地または地元の使用されていない他の高等学校のグラウンドで行なわなければならなかった。フットボールの配置は一塁ベース・ラインに沿って行なわれた[55]

2011年のE・S・ローズ・パークの開幕まで、ベルモント大学野球部はそのシーズンのほとんどをグリアで行なった[57][58]。サウンズのスケジュールによりグリアが使用できない場合、ベルモント大学の試合はナッシュビル市内のシェルビー・パークで行なわれた[59]

1991年よりシティ・オブ・ホープ医療センター主催のチャリティ・セレブリティ・ソフトボールがグリアで開催されている[60]。カントリー界のスター達が2チームに分かれて試合を行ない、この収益金はガンなど命に関わる病気の研究、治療に役立てられる。これまでの出演者にはヴィンス・ギルキャリー・アンダーウッドブラッド・ペイズリービリー・レイ・サイラスサラ・エヴァンズモンゴメリー・ジェントリーフィル・ヴァッサーなどがいる[61][62]。2008年のこのイベントでは150万ドル以上を集めた[63]

2001年から2011年までグリアでジェフ・フィッシャー&フレンズ・チャリティ・ソフトボール・ゲームが開催されていた[64]テネシー・タイタンズ ヘッドコーチジェフ・フィッシャーとタイタンズの新旧選手達が地元のチャリティのために試合を行なった。タイタンズの参加者はヴィンス・ヤングスティーブ・マクネアエディ・ジョージフランク・ワィチェックロブ・ビロナスキース・ブラックなど[65]ナショナルホッケーリーグナッシュビル・プレデターズトーマス・ヴォコン、ヘッドコーチのバリー・トロツも参加した[66]

2002年、映画『オールド・ルーキー』の使用曲であるスティーヴ・アールの『Some Dreams 』のミュージックビデオがグリアで撮影された[67]。このミュージックビデオでは空のグリア・スタジアムでアールと彼のバンドが演奏中に映画『オールド・ルーキー』のシーンがインターカットされる。

スコアボード

グリアの独特なギター型のスコアボードは1993年のシーズン前、フェアトロン・コーポレーションで製造され、ジョスリン・サイン・カンパニーにより設置された[68]。黒、赤、黄で塗装され、白で縁取りされている。左中間の外野の壁の後ろに設置されている。

スコアはギターのネック部に表示され、ボール/ストライク/アウトの数、打者の背番号、ヒット/エラーの表示はギターのヘッド部に表示される。6つの小さな広告がチューニング・キーに表示される。ギターのボディ部にはLEDディスプレイ・ボードと低解像度のカラー・マトリックス・ボードが表示されている。2つのボードの間にはアナログ時計が設置され、現在の気温も表示される。この周りには4つの大きな広告が表示されており、上部の2つは固定で、下部の2つは3つの広告が回転して表示される。ホームランから保護するために高圧ネットが電子部を覆っている。ボードの上には丸い広告がある。ここには元々チームの、ギターをスウィングする人のロゴマー クがあり、以降ロゴマークが変わるたびに変更されてきた。当初、ホームランが出ると、このギター・スウィンガー・ロゴがライト・アップされ、スコアボードの周りのライトが点滅し、サウンズのホームランの場合は花火が上がった。近年、スコアボードの劣化が起きていた。2008年終盤、MFPベースボールがチームを買収し、スコアボードを改修して完全に復活した[69]。元々チームカラーの赤、白、青で計画されていたが、黒、赤、黄、白で塗り替えられ、モノクロ・マトリックス・ボードはLEDと置き換えられた[31]


スコアボードの寸法は幅115.6フィート(35.2m)、高さ53フィート(16m)、奥行き2フィート(0.61m)[68]。各部位の寸法はボディ部60フィート(18m)、ネック部36フット(11m)、チューニング・キー部19.6フット(6.0m)[68]。地面より高さ80フィート(24m)の部分に設置されている[68]。64,169フィート(19,559 m)におよぶ電線に繋がれた照明器具8,179個に243,155ワットが必要となる。[68]。総重量は35,825パウンド(16,250kg)である[68]

新球場ファースト・テネシー・パークではこのギター型のスコアボードが使われる予定は今のところない[70]。2014年4月22日、ファースト・テネシーの命名権が合意に達し、サウンズのオーナーのフランク・ワードは地元紙『テネシアン』に「グリアのギター・スコアボードはグリアに残していく。新しいスコアボードはこれと似たようなものになるかもしれないが、言及するにはまだ早い。公表できるように努力している」と語った[70]

オリジナルのスコアボードは黒く目立たない、長方形の2列のスコアボードであった。1985年、このスコアボードは左翼に移動され、元の場所には高さ10フィート(3m)の長方形の4列のスコアボードが設置された[16] 。オリジナルのスコアボードはその後他の球場の他のチームの試合結果が表示されるようになった。1993年、ギター型のスコアボードが設置され、オリジナルのスコアボードは取り外され、その場所には2つめのスコアボードが設置されて他の球場の結果が表示されるようになった。2008年、他の球場の結果は表示されなくなったがまだそのまま残っている。

施設

球場の椅子には、スタジアム・シート、一般観客席のベンチ、曲線型の椅子の他、3階には特別観覧席がある[71]。2014年現在、収容人数は10,300名である[2]。本塁裏、三塁線裏、三塁側スタンド、ライト・フェンス裏の4箇所のピクニック・エリアから観戦することができる[72]。ライトの奥のコーナーにはデッキ席もある[72]。メイン・エントランスを入ったところにあるザ・プラザにはコンサート・ステージや子供の遊具などがある[21]

売店や屋台が中央ホールにある。スラッガーズ・スポーツ・バー&グリルというレストランが4階にある[73]。サウンズのホームゲームがある日はレストランから窓越しに観戦することができる。

グラウンドルール

脚注

  1. ^ Ground Rules." Nashville Sounds. February 26, 2012. Retrieved on April 9, 2012.
  2. ^ a b 2010 Nashville Sounds Media Guide”. Nashville Sounds. p. 198 (2010年3月30日). 2014年5月16日閲覧。
  3. ^ a b Cass, Michael (2013年12月10日). “Council Approves Ballpark Deal”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). https://www.tennessean.com/article/20131210/NEWS/312100120/Metro-Council-approves-Nashville-Sounds-ballpark-deal 2013年12月10日閲覧。 
  4. ^ a b c Nipper, Skip (2007). Baseball in Nashville. Charleston, South Carolina: Arcadia Publishing. p. 103. ISBN 978-0-7385-4391-8 
  5. ^ a b c d e f g Traughber, Bill (2008年4月8日). “Commodore History Corner: Q&A with Larry Schmittou”. College Sports Television. 2009年3月25日閲覧。
  6. ^ Naughton, Jim (1980年9月3日). “In Nashville, Dreams Die Hard”. The New York Times: p. D19. http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00C15F8355F12728DDDAA0894D1405B8084F1D3 2014年5月16日閲覧。 
  7. ^ Cal Smith Biography”. Country Music Television. 2009年4月11日閲覧。
  8. ^ Woody 87.
  9. ^ a b Traughber, Bill (2005年7月17日). “Looking Back: Sounds' First Game”. Nashville Sounds. 2008年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月25日閲覧。
  10. ^ Woody 88.
  11. ^ a b Sounds in 1978” (2007年4月4日). 2008年4月20日閲覧。
  12. ^ a b c d e f "Greer Stadium." The Nashville Sounds 1978 Official Souvenir Program 1978: 2.
  13. ^ a b c "Greer Stadium." The Nashville Sounds 1979 Official Souvenir Program 1979: 10.
  14. ^ a b c Schmittou, Larry. "Message from the President." The Nashville Sounds 1981 Official Souvenir Program. 1981: 36.
  15. ^ Schmittou, Larry. "A Message from the President." The Nashville Sounds 1984 Official Souvenir Program. 1984: 8.
  16. ^ a b c d e Schmittou, Larry. "Home Sweet Home." The Nashville Sounds 1985 Official Souvenir Program. 1985: 7.
  17. ^ "Welcome to Greer Stadium." The Nashville Sounds 1989 Souvenir Program. 1989: 26.
  18. ^ Woody 119.
  19. ^ a b Schmittou, Larry. "Message from the President." The Nashville Sounds 1988 Official Souvenir Program. 1988: 12.
  20. ^ a b "Greer Stadium... Striving to be the best." The Nashville Sounds 1988 Official Souvenir Program. 1988: 22.
  21. ^ a b c Patton, Maurice (2009年4月7日). “Greer Stadium Gets Facelift to Woo Sounds Fans Back”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). http://www.oursportscentral.com/services/releases/?id=3801108 2009年4月20日閲覧。 
  22. ^ Traughber, Bill (2005年9月12日). “Looking Back: Nashville Hosts Two Teams In 1993 & 1994”. Nashville Sounds. 2008年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月14日閲覧。
  23. ^ a b Historians Weiss, Wright Rank 100 Best Minor League Baseball Teams”. Minor League Baseball (2001年). 2009年3月31日閲覧。
  24. ^ a b Schmittou, Larry. "Message from the President." Nashville Sounds 1995 Official Souvenir Program. 1995: 12.
  25. ^ a b c d "Dave Nasypany's Field of Dreams." Nashville Sounds 1995 Official Souvenir Program. 1995: 24.
  26. ^ a b c Stults, Rachel (2008年4月11日). “Sounds Cover All the Bases to Ready Ballpark for Opener”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville): p. 1A. http://pqasb.pqarchiver.com/tennessean/doc/239880580.html?FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Apr+11%2C+2008&author=Stults%2C+Rachel&pub=The+Tennessean&edition=&startpage=&desc=Sounds+cover+all+the+bases+to+ready+ballpark+for+opener 2014年5月16日閲覧。 
  27. ^ “First Tennessee to Put Name on Proposed Sounds Stadium”. [[::en:American City Business Journals|Nashville Business Journal]]. (2003年11月21日). http://nashville.bizjournals.com/nashville/stories/2003/11/17/daily42.html 2008年3月26日閲覧。 
  28. ^ “Purcell Firm On City, Sounds Stadium Agreement”. [[::en:WSMV-TV|WSMV]] (Nashville). (2006年9月11日). http://www.wsmv.com/news/9823273/detail.html 2008年3月26日閲覧。 
  29. ^ Carter, Cindy (2007年5月22日). “Downtown Nashville Property Up For Bids Again”. [[::en:WSMV-TV|WSMV]] (Nashville). http://www.wsmv.com/news/13368869/detail.html 2010年3月21日閲覧。 
  30. ^ Wild, Danny (2009年2月26日). “Sounds Get New Ownership Group, GM”. Minor League Baseball. 2009年2月26日閲覧。
  31. ^ a b c Naujeck, Jeannie (2009年3月20日). “Sounds’ New Ownership Hopes Renovations Will Spark Interest”. [[::en:American City Business Journals|Nashville Business Journal]]. オリジナルの2011年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110805054018/http://www.bizjournals.com/nashville/stories/2009/03/23/story2.html?b=1237780800%5e1797987&page=1 2009年3月25日閲覧。 
  32. ^ Cass, Michael (2013年10月25日). “New Sulphur Dell Ballpark Would Nod to History, Show Off Downtown”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). http://www.tennessean.com/article/20131024/NEWS0202/310240155/New-ballpark-would-nod-Sulphur-Dell-s-history-show-off-downtown?nclick_check=1 2013年10月25日閲覧。 
  33. ^ a b c Elliott, Jeff (2003年7月5日). “All-Star Game Survives Years of Dormancy, Format Changes”. [[::en:The Florida Times-Union|The Florida Times-Union]] (Jacksonville). http://www.jacksonville.com/tu-online/stories/070503/spb_12956129.shtml 2008年3月7日閲覧。 
  34. ^ a b Triple-A All-Star Game Results (1997–1993)”. Triple-A Baseball. 2009年4月11日閲覧。
  35. ^ a b Traughber, Bill (2006年8月7日). “Looking Back: 1981 New York Yankees Visit Greer Stadium”. Nashville Sounds. 2008年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月7日閲覧。
  36. ^ a b Rogers, Ricky (1983年4月28日). “Nashville Sounds in 1983”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). http://tennessean.com/apps/pbcs.dll/gallery?Site=DN&Date=20080409&Category=SPORTS04&ArtNo=804090806&Ref=PH&Params=Itemnr=20 2008年4月11日閲覧。 
  37. ^ a b c d e f g h Traughber, Bill (2014年4月28日). “Looking Back: Greer Hosts MLB Exhibition Games”. Nashville Sounds. 2014年4月29日閲覧。
  38. ^ a b Rogers, Ricky (1983年4月3日). “Nashville Sounds in 1983”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). http://tennessean.com/apps/pbcs.dll/gallery?Avis=DN&Dato=20080409&Kategori=SPORTS04&Lopenr=804090806&Ref=PH 2008年4月11日閲覧。 
  39. ^ a b “Grapefruit League Foster Says He Warned Met Officials About Drugs”. [[::en:The Miami Herald|The Miami Herald]]: p. 8D. (1987年4月5日) 
  40. ^ a b “Umpires to Work Openers as Talks on New Deal Continue”. [[::en:The Atlanta Journal-Constitution|The Atlanta Journal-Constitution]]: p. D6. (1987年4月6日). http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=AT&p_theme=at&p_action=search&p_maxdocs=200&p_field_label-0=Author&p_field_label-1=title&p_bool_label-1=AND&s_dispstring=Umpires%20to%20Work%20Openers%20as%20Talks%20on%20New%20Deal%20Continue%20AND%20date(all)&p_field_advanced-0=&p_text_advanced-0=(Umpires%20to%20Work%20Openers%20as%20Talks%20on%20New%20Deal%20Continue)&p_perpage=10&p_sort=_rank_:D&xcal_ranksort=4&xcal_useweights=yes 2014年5月16日閲覧。 
  41. ^ Goddard, Joe (1988年4月2日). “White Sox Bits”. Chicago Sun-Times: p. 90 
  42. ^ “Nashville Tunes Out Barnstorming”. [[::en:Akron Beacon Journal|Akron Beacon Journal]]: p. E1. (1988年4月3日) 
  43. ^ Meyer, Paul (1988年4月4日). “Pirates Lay An Egg in Spring Finale Against Indians”. [[::en:Pittsburgh Post-Gazette|Pittsburgh Post-Gazette]]: p. 20. http://news.google.com/newspapers?nid=1129&dat=19880404&id=Ea9RAAAAIBAJ&sjid=9W0DAAAAIBAJ&pg=1566,584627 2014年5月16日閲覧。 
  44. ^ “Spring Training Report: Baltimore Orioles”. [[::en:The Atlanta Journal-Constitution|The Atlanta Journal-Constitution]]: p. E15. (1991年4月7日) 
  45. ^ “Bonilla Designated DH by Johnson”. [[::en:Victoria Advocate|Victoria Advocate]]: p. 2B. (1996年3月29日). http://news.google.com/newspapers?nid=861&dat=19960329&id=HbRjAAAAIBAJ&sjid=ToEMAAAAIBAJ&pg=3610,588038 2014年5月16日閲覧。 
  46. ^ a b No-hit Games”. Southern League (2008年3月14日). 2014年5月16日閲覧。
  47. ^ a b c d e f Traughber, Bill (2005年6月30日). “Looking Back: Sounds No-Hitters”. Nashville Sounds. 2008年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月14日閲覧。
  48. ^ a b Hopp, Jessica (2003年4月8日). “Wasdin Throws a Perfect Game”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville): p. C1. http://pqasb.pqarchiver.com/tennessean/doc/239551535.html?FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Apr+8%2C+2003&author=Hopp%2C+Jessica&pub=The+Tennessean&edition=&startpage=&desc=Wasdin+throws+a+perfect+game 2014年5月16日閲覧。 
  49. ^ No-Hit Games”. Minor League Baseball (2008年3月17日). 2014年5月16日閲覧。
  50. ^ “Colorado Springs vs. Nashville”. USA Today. (2003年8月3日). http://www.usatoday.com/sports/scores103/103214/20030802PCL--NASHVILLE-0nr.htm 2008年3月14日閲覧。 
  51. ^ Rega, Marissa (2006年7月15日). “Nashville Trio Combines on No-Hitter”. Minor League Baseball. 2014年5月16日閲覧。
  52. ^ a b c Rega, Marissa (2006年5月6日). “Zephyrs Win PCL Marathon in 24th”. Minor League Baseball. 2014年5月16日閲覧。
  53. ^ Scoreboard”. Minor League Baseball (2006年5月6日). 2014年5月16日閲覧。
  54. ^ Clark, Dennis (2006年5月21日). “Minor Leaguers Roundup: Stetter Pitches Part of 24-Inning Loss”. [[::en:Tribune-Star|Tribune-Star]] (Terre Haute). http://tribstar.com/local_interest/x681774042/Minor-leaguers-roundup-Stetter-pitches-part-of-24-inning-loss 2009年8月17日閲覧。 
  55. ^ a b “Ryan Ready for Football at Greer Baseball Stadium”. [[::en:The City Paper|The City Paper]] (Nashville). (2006年). http://nashvillecitypaper.com/content/city-news/ryan-ready-football-greer-baseball-stadium 2009年3月17日閲覧。 
  56. ^ “Father Ryan Breaks Ground for New Athletic Complex”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). (2009年2月25日) 
  57. ^ Facilities – Greer Stadium”. Belmont University Athletic Department. 2009年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月17日閲覧。
  58. ^ E.S. Rose Park”. Belmont University Athletic Department. March 11, 212時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月11日閲覧。
  59. ^ Facilities – Shelby Park”. Belmont University Athletic Department. 2010年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月17日閲覧。
  60. ^ Halbrooks, Tresa (2009年6月12日). “Titans Team Up With Local Celebrities For CMA Softball Challenge”. Tennessee Titans. 2010年3月7日閲覧。
  61. ^ Gray, Michael (2001年6月15日). “Country Stars Bat Around for Good Cause”. Country Music Television. 2009年3月30日閲覧。
  62. ^ Carrie, Vince and Others Go to Bat for Charity”. Country Weekly (2007年4月30日). 2009年3月30日閲覧。
  63. ^ Celebrity Softball”. City of Hope (2009年). 2009年3月30日閲覧。
  64. ^ “Jeff Fisher & Friends Charity Softball Game”. [[::en:WKRN-TV|WKRN]] (Nashville). (2011年6月7日). http://www.wkrn.com/story/14858921/jeff-fisher-friends-charity-softball-game 2011年8月29日閲覧。 
  65. ^ Jeff Fisher & Friends Charity Softball Game To Be Held June 28 At Greer Stadium”. Nashville Sounds (2008年3月18日). 2008年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月6日閲覧。
  66. ^ 2006 Jeff Fisher & Friends Charity Softball Game To Be Held This Friday At Greer Stadium”. Nashville Sounds (2006年4月5日). 2009年3月17日閲覧。
  67. ^ Steve Earle”. ESPN (2002年3月28日). 2009年3月29日閲覧。
  68. ^ a b c d e f 2008 Nashville Sounds Media Guide”. Nashville Sounds. p. 180 (2008年). 2008年4月9日閲覧。
  69. ^ “New Group Purchases Nashville Sounds”. [[::en:WKRN-TV|WKRN]] (Nashville). (2009年2月26日). http://www.wkrn.com/Global/story.asp?S=9913346&nav=menu5_4 2009年3月9日閲覧。 
  70. ^ a b Cole, Nick (2014年4月22日). “First Tennessee's Name Will Go on New Sounds Ballpark”. [[::en:The Tennessean|The Tennessean]] (Nashville). http://www.tennessean.com/story/money/2014/04/22/first-tennessees-name-will-go-new-sounds-ballpark/8004149/?sf25306465=1 2014年5月5日閲覧。 
  71. ^ Seating Chart”. Nashville Sounds (2010年2月1日). 2014年5月16日閲覧。
  72. ^ a b Picnics”. Nashville Sounds (2010年2月1日). 2011年5月13日閲覧。
  73. ^ Sluggers Sports Bar”. Nashville Sounds (2010年2月1日). 2014年5月16日閲覧。

外部リンク