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===ファッション===
===ファッション===
一言で表せれば「個性的」。だが、ブランドに頼らない彼独自のアレンジした着こなし方はファンのみならず、男性にも絶大な支持を得ている。[1]
一言で表せれば「個性的」。だが、ブランドに頼らない彼独自のアレンジした着こなし方はファンのみならず、男性にも絶大な支持を得ている。[[http://www.example.com 1]]
最近は帽子と眼鏡(もしくはサングラス)を合わせることが多い。また、腕に付けているビーズのブレスレットは愛娘からのプレゼント。
最近は帽子と眼鏡(もしくはサングラス)を合わせることが多い。また、腕に付けているビーズのブレスレットは愛娘からのプレゼント。



2007年11月6日 (火) 05:36時点における版

ジョニー・デップ
Johnny Depp
本名 John Christopher Depp Ⅱ
生年月日 (1963-06-09) 1963年6月9日(61歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優歌手プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1984年-
活動内容 1984年:映画デビュー
1997年:『ブレイブ』で初監督
2008年プロデューサーデビュー
配偶者 ロリ・アン・アリソン(1983 - 1985)
著名な家族 ヴァネッサ・パラディ(パートナー)
主な作品
21ジャンプ・ストリート
シザーハンズ
ギルバート・グレイプ
エド・ウッド
スリーピー・ホロウ
パイレーツ・オブ・カリビアン』三部作
ネバーランド
チャーリーとチョコレート工場
受賞
アメリカ映画俳優組合賞
主演男優賞
2003年『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち
MTVムービー・アワード
男優賞
2003年『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち
演技賞
2006年『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
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ジョニー・デップJohnny Depp1963年6月9日-)は、アメリカ合衆国俳優ミュージシャン。本名はジョン・クリストファー・デップ二世(John Christopher Depp Ⅱ)。身長175cm、体重70kg。血液型はO型。

俗にアウトローと評される出自と、コメディから社会派作品まで果敢に挑戦し幅広く演じ分ける実力、話題の絶えない私生活やファンサービスの良さから常に注目を浴びている、現存する役者の中で最も知名度と人気の高い人物の一人である。


来歴

生誕と破滅的な青年時代

ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木技師の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7つ違いの姉デビーと2つ違いの姉クリスティーがいる。

家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し幼少時だけでも20以上の土地を渡り歩き、7歳の時ようやくフロリダ州ミラマーに定住。しかし1978年に両親が離婚するとデップは多大なストレスと自信喪失から自傷行為を始め、その時の傷跡が現在でも7、8個残っている。さらにデップは14歳の頃からドラッグに手を染め、貧困も重なって、どん底とも言える青年時代を送った。

放浪生活・結婚

12歳の時に母からギターを買ってもらったデップは、どん底の青年時代の中でやがてミュージシャンを志すようになり16歳で高等学校中退。将来への不安から2週間で復学を試みるも、高等学校の校長が「夢を追いなさい」と激励したため再度ミュージシャンとして生きる決意をし放浪生活を送る。

この頃バンド「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った。近年では、オアシスの曲やローリング・ストーンズのアルバムにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。

音楽活動の中で知り合ったロリ・アン・アリソン1983年に結婚するも1985年に離婚。

キャリアの始まり ~ ジュニアアイドルへ

アリソンと婚姻関係にあった時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合う。その才能を見込んだケイジはデップに俳優への転進を勧めた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け1984年ホラー映画エルム街の悪夢』でデビュー。その後『プラトーン』などで経験を積んだ。当初は仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。

プロデューサーの説得によりフォックス放送テレビシリーズ21ジャンプ・ストリート』に主演。デップは元来テレビに出演することを好まなかったため、終始その演技に小細工を利かせていたが一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。

アウトロー俳優 ~ 映画初監督

1990年の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットする。自らの出自に由来するアウトローな作品選びや徹底した役作り、確かな実力、端麗な容姿などデップを認めるものは少なからず存在したものの、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。

アウトローな作品選びは私生活にも影響を及ぼし、滞在先のホテルで暴れ出し備品を破壊した末に逮捕されるなど、トラブル続きの日々を送った。しかし、ハリウッドサンセット大通りに経営していたロッククラブ「バイパールーム」で、親友でクラブの共同経営者でもあったリバー・フェニックスがドラッグの過剰摂取により急死したことを機にデップは自らを長らく蝕んでいたドラッグと縁を断ち、以後は『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。

俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族。父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年、共演にマーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。その後は興行収入こそ話題に上らないものの、質の高い映画に出演を重ね徐々に知名度を獲得していった。

子供の誕生 ~ トップスターへ

1999年、これまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。

映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディとの間に長女を儲けたことを機にデップの生活は公私共に急激に変化した(下部詳述)。2003年、子供の勧めにより出演したディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収めた上に、子供を儲けたことでアウトローなイメージからの脱却に成功し世界的な規模で爆発的な人気を獲得した[1]

2004年公開の『ネバーランド』と2年連続でアカデミー主演男優賞にノミネートされ実力派俳優としての地位を不動のものとした。

人物

私生活

先に挙げたアリソンの他、女優ジェニファー・グレイシェリリン・フェンウィノナ・ライダーや、スーパーモデルケイト・モスとも交際していた。ちなみにウィノナ・ライダーと交際中、腕に「ウィノナ・フォーエヴァー」と刺青を施したが、破局後「ワィノ・フォーエヴァー(アル中よ永遠に)」に修正。その後は恋人の名を刺青にしていない。

現在、パートナー(入籍はしていないが事実婚)であるヴァネッサ・パラディと、2人の子供リリー=ローズ・メロディ・デップ(1999年5月27日生)とジャック・ジョン・クリストファー・デップ・3世(2002年4月9日生)とともにフランスに住み、アメリカと南フランスの両方で生活をしている。

母親の名と、二人の子供の名、数字の3、またアルファベットの刺青を施している。なおアルファベットについては、単純に好きな文字だからと話している。

論争

1993年に違法薬物の販売で起訴され、逮捕されたことがある。

1999年にはヴァネッサ・パラディとロンドンで食事をしている時に、レストランまで追いかけてきたパパラッチと喧嘩をして再び逮捕された。

ファッション

一言で表せれば「個性的」。だが、ブランドに頼らない彼独自のアレンジした着こなし方はファンのみならず、男性にも絶大な支持を得ている。[1] 最近は帽子と眼鏡(もしくはサングラス)を合わせることが多い。また、腕に付けているビーズのブレスレットは愛娘からのプレゼント。

主な出演作品

邦題
原題
公開年
日本公開年月
役名 備考
エルム街の悪夢
A Nightmare On Elm Street
1984年
1986年
Glen Lantz
マイアミ・ホットリゾート
Private Resort
1985年 ジャック 日本未公開
プラトーン
Platoon
1986年
1987年
ラーナー
殺しに熱きテキーラを
Slow Burn
1986年 Donnie Fleischer TV映画
21ジャンプ・ストリート
21 Jump Street
1987年 - 1990年 トム・ハンソン TVシリーズ
シザーハンズ
Edward Scissorhands
1990年
1991年
エドワード・シザーハンズ ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
クライ・ベイビー
Cry-Baby
1990年
1991年
ウェイド・ウォーカー
アリゾナ・ドリーム
Arizona Dream
1992年
1994年
アクセル
ギルバート・グレイプ
What's Eating Gilbert Grape
1993年
1994年
ギルバート・グレイプ
妹の恋人
Benny & Joon
1993年
1994年
サム ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
エド・ウッド
Ed Wood
1994年
1995年
エド・ウッド ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
ザ・カンヌ・プレイヤー
Cannes Man
1995年 日本未公開
ニック・オブ・タイム
Nick Of Time
1995年
1996年
ジーン・ワトソン
デッドマン
Dead Man
1995年
同年
ウィリアム・ブレイク
ドンファン
Don Juan Demarco
1995年
同年
ドンファン
ブレイブ
The Brave
1997年
1998年
ラファエル 初監督作品
フェイク
Donnie Brasco
1997年
同年
ジョー・ピストーネ(ドニー・ブラスコ)
ラスベガスをやっつけろ
Fear And Loathing In Las Vegas
1998年
1999年
ラウル・デューク
GO!GO!L.A.
L.A. Without A Map
1998年
1999年
William Blake クレジットなし
ビートニク
The Source
1999年
2001年
ナインスゲート
The Ninth Gate
1999年
2000年
ディーン・コルソ
スリーピー・ホロウ
Sleepy Hollow
1999年
2000年
イカボッド・クレーン
ノイズ
The Astronaut's Wife
1999年
2000年
スペンサー
耳に残るは君の歌声
The Man Who Cried
2000年
2001年
チェーザー
夜になるまえに
Before Night Falls
2000年
2001年
Cesar
ショコラ
Chocolate
2000年
2001年
ルー
ロスト・イン・ラ・マンチャ
Lost In La Mancha
2001年
2003年
ブロウ
Blow
2001年
同年
ジョージ・ユング
フロム・ヘル
From Hell
2001年
2002年
フレッド・アバーライン
レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード
Once Upon A Time In Mexico
2003年
2004年
サンズ
パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち
Pirates Of The Caribbean: The Curse Of The Black Pearl
2003年
同年
ジャック・スパロウ アカデミー賞主演男優賞、ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
リバティーン
The Libertine
2004年
2006年
ロチェスター
フレンチなしあわせのみつけ方
Ils Se Marierent Et Eurent Beaucoup D'enfants
2004年
2005年
L'inconnu
ネバーランド
Finding Neverland
2004年
2005年
ジェームス・マシュー・バリ アカデミー主演男優賞、ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)ノミネート
シークレット ウインドウ
Secret Window
2004年
同年
モート・レイニー
チャーリーとチョコレート工場
Charlie And The Chocolate Factory
2005年
同年
ウィリー・ウォンカ ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
ティム・バートンのコープスブライド
Corpse Bride
2005年
同年
ビクター 声の出演
パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
Pirates Of The Caribbean: Dead Man's Chest
2006年
同年
ジャック・スパロウ ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド
Pirates Of The Caribbean: At World's End
2007年
同年
ジャック・スパロウ
スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street
2007年
2008年
スウィーニー・トッド

脚注

  1. ^ 日経エンタテインメント!」(日経BP社)の連載「負け組ハリウッドの肖像」より

外部リンク

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