高 (姓)
高(こう)は、漢姓のひとつ。中国・日本・朝鮮・ベトナムなどに分布する。
日本では天智天皇の子孫である高階氏(高階真人、高階朝臣など)や高国造に関連する氏族、又は後述する帰化人を起源として存在している。
中国の姓
高 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 高 |
簡体字: | 高 |
拼音: | Gāo |
注音符号: | ㄍㄠ |
ラテン字: | Kao |
広東語発音: | Gou1 |
上海語発音: | Kau1 |
台湾語白話字: | Ko |
高(こう)は、中国の姓の一つ。『百家姓』では153番目に記載されている。人口約1600万人で、中国大陸においては2007年時点で18位、台湾の同年では29位を占めている。
起源
- 高夷族
- 『呂氏春秋』勿躬篇によれば「高元作室」とあり、高元なる人物が黄帝のために家屋を発明し、人類史上で穴居時代を終了させた貢献者であると伝えられている。『竹書紀年』によれば黄帝は「居有熊」とあり有熊は今の河南省新鄭市である。
- 姜姓
- 姜姓より出、西周が天下を平定した際に斉王となった姜尚(太公望)の六世孫文公(姜赤)の息子が高(今の河南省禹州市の西南)に封ぜられ「公子高」と名乗ったのが高姓の始まりだという。公子高の孫である高渓は大臣として桓公が覇を称えるのを補佐した。
- 改姓によるもの
- 『北斉書』の曰く「北斉文宣帝姓高名洋。当時有元景安、元文遥本鮮卑族人,改漢姓元,因有功于北斉,高洋賜姓高,其後遂為高姓。」
- 『魏書』の曰く「後燕皇帝慕容之,本鮮卑族,自称高陽氏後裔,遂改姓高,名高雲。」
- 北魏の孝文帝が洛陽に遷都した後、鮮卑族の複姓の是楼氏を高氏に改めている[2]。
- 北斉時の重臣高隆之は元の姓を徐氏といったが、高氏に育てられ、高氏との交歓が厚かったので高姓へ改称し、その後望族となった[2]。
中国の少数民族
中華人民共和国の少数民族中十数民族で高姓が見られ、白族と土家族では最大となっている。
日本の姓氏
- 皇別・神別によるもの
- 帰化人によるもの
- 倭漢氏族の高氏 - 『坂上系図』には「阿智使主に從ひ、歸化せし七姓漢人の一にして檜村主祖也」とある。
- 高麗(高句麗)帰化族の高氏
- 高連(こうのむらじ) - 宝亀七年正月紀「高連鷹主」という人が見える。
- 高史(こうのふひと) - 天平14年の古市郷計帳に「高史加太賣」という人が見える。また、『姓氏録』の左京諸蕃に「高史、出自高麗國元羅那杵王九世孫延拏之後也」とある。
- 大宝元年八月紀に「勑僧惠耀、信成、東樓、並令還俗復本姓、代度各一人、惠耀姓解、名兄麻呂、信成姓高、名金藏」と見え、『姓氏録』左右諸蕃には「高、高麗国從五位下高全藏(法名信成)之後也」とみえる。
- 神亀元年五月紀に「正八位上高正勝(賜姓)三笠連、從八位上高益信、男球連、正七位下高昌武、殖槻連、勲十二等高祿德、清原連」とあり、また、『姓氏禄』左京諸蕃に「高、高麗國人高助斤後也」とある。
- 日本へ帰化した前・後部高氏。
- 百済帰化族の高氏 - 天平宝字五年三月紀に百濟人高牛養等八人(賜姓)淨野造」とある。
- その他、日本以外の高姓の者が日本に帰化した際に名乗ったもの。
朝鮮の姓
高 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 고 |
漢字: | 高 |
発音: | コ |
詳細は「高 (朝鮮人の姓)」を参照
高(こう、コ)は、朝鮮の姓の一つ。
高句麗の王姓であった。また高句麗五部の中に前部高氏と後部高氏があった。
ベトナムの姓
カオ | |
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各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Cao |
北部発音: | カオ |
中国語表記: | 高 |
高(こう、カオ)は、ベトナムの姓の一つ。
著名な人物
- 高春育(カオ・スアン・ズック) - 阮朝の歴史家。
- 高伯适 - 阮朝の詩人・民族運動家。
- カオ・バン・ビエン - 南ベトナムの軍人
- カオ・ゴック・フォン・トリン - 柔道家
- ジョゼフ・カオ - アメリカ合衆国の政治家
脚注
参考文献
- 太田 亮 著、丹羽 基二 編『新編姓氏家系辞書』秋田書店、1991年。ISBN 978-4253002639。