紀元前385年

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紀元前385年(きげんぜん385ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「カピトリヌス、コルネリウス、カピトリヌス、パピリウス、カピトリヌス、フィデナスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元369年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前385年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ギリシア[編集]

中国[編集]

  • で庶長が献公を河西から迎えて擁立し、出公とその母を殺して深淵に沈めた。
  • を攻撃した。
  • を攻撃して陽城を奪い、を攻撃して悼公を捕らえた。宋の国人は子の休公を立てた。
  • 斉の太公が死去し、子の田剡が即位した。

教育[編集]

天文学[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]