箕内拓郎

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箕内 拓郎
生年月日 (1975-12-11) 1975年12月11日(48歳)
出身地 日本の旗 福岡県北九州市
身長 1.87 m (6 ft 1+12 in)
体重 106 kg (16 st 10 lb)
愛称 ミウ
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ナンバーエイト、フランカー
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
八幡高校
関東学院大学
オックスフォード大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
NEC
NTTドコモ
()
更新日:  2015年7月
代表
チーム 出場 (得点)
 日本 48
コーチ歴
チーム
2015年 NTTドコモ
更新日:  2015年7月

箕内 拓郎(みうち たくろう、1975年12月11日 - )は、日本の元ラグビー選手。

プロフィール

主な経歴

6歳でラグビーを始める。八幡高では1年時のFBSOを経て2年からNo8に転向した。

関東学院大学では2年時からレギュラーに定着。4年時に主将を務め、大学選手権で初優勝を果たす。

卒業後にオックスフォード大学へ留学。98年12月にケンブリッジ大学との定期戦「バーシティ・マッチ」に出場し、「ブルー」の称号を得た。(日本人では林敏之以来2人目)

1999年、NECに入社。2000年4月から3ヶ月間、イタリア・セリエA2のラグビーパエゼでプレーした。2002年度日本選手権優勝。トップリーグが開幕すると、第1回マイクロソフトカップ優勝に導きMVPを獲得。

2002年のロシア戦で日本代表キャップ獲得と同時に主将に就任。2003年ワールドカップを含め2005年まで務める。2006年12月3日に英国レスターで行われた南アフリカ代表海外遠征100周年記念試合に世界選抜の一員として選ばれ出場した。[1]

2006年以降、代表の主将を大畑大介に譲ったが、2007年ワールドカップ直前で大畑が故障により離脱したため、2大会連続で主将を務めた。

2010年春にトップリーグの下部(トップウエスト)に所属するNTTドコモレッドハリケーンズに移籍。[2]10年度の入替戦に勝利しチームのトップリーグ昇格に貢献した。

2014年のリーグ開幕前の練習試合で両目を痛めて水晶体亜脱臼を発症し、両目の水晶体を摘出して人工レンズを入れる手術を受け、ドクターストップを受けたことにより現役を引退。その後はNTTドコモのFWコーチを務めることが発表された[3]

2015年のラグビーワールドカップでは、J SPORTSの試合中継の解説者を務めている。

脚注

関連項目

外部リンク