磯村隆文
磯村 隆文 いそむら たかふみ | |
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生年月日 | 1930年12月8日 |
出生地 | 大阪府大阪市 |
没年月日 | 2007年11月26日(77歳没) |
死没地 | 大阪府大阪市 |
出身校 | 大阪市立大学大学院経済学研究科 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 経済学博士 |
第16代 大阪市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年12月19日 - 2003年12月18日 |
磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年12月8日 - 2007年11月26日)は第16代大阪市長。大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。
経歴
- 1930年 大阪市に生まれる。
- 1954年 大阪市立大学経済学部卒業。
- 1956年 大阪市立大学で修士号を取得し、ジョンズ・ホプキンス大学大学院に留学。
- 1959年 大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程修了。研究助手となる。
- 1972年 経済学博士号を取得する(論文「価格変動の理論」によって)。
- 1975年 大阪市立大学教授に就任。
- 1982年 大阪市立大学経済学部長に就任。
- 1983年 大阪市立大学文化交流センター長に就任。
- 1990年 大阪市助役に就任。
- 1995年 第16代大阪市長に就任。
- 2003年 大阪市長を離任。
- 2004年 学校法人帝塚山学院理事長に就任。
- 2005年 帝塚山学院理事長を任期途中で辞任。
- 2007年 肝臓がんのため死去。享年78
大阪市長として
大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転進した。1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に出馬し初当選。 観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。公約に基づいて、任期中には多くの集客施設を開業させた(下記を参照)。スポーツ関連では、多数の世界規模の大会を誘致し(下記を参照)、オリンピック会場として舞洲整備を推進した。また、中小企業支援施設として大阪産業創造館を開設した。
- 任期中に整備された主な施設
- 大阪ドーム - ユニバーサルスタジオジャパン - フェスティバルゲート - なにわの海の時空館 - 大阪歴史博物館(旧大阪市立博物館の後継施設) - 舞洲スポーツアイランド - キッズプラザ大阪 - 大阪くらしの今昔館 - 大阪プール(扇町から移転) - 大阪市中央体育館(大手前から移転)
- 任期中に開催・誘致された主なスポーツイベント
しかし、2001年には政策の目玉であったオリンピック誘致に失敗。西尾前市長時代に整備された大阪ワールドトレードセンタービルディングやアジア太平洋トレードセンター、大阪シティエアターミナル、さらには任期中に整備した大阪ドーム等、第三セクターの業績悪化等により、任期終盤には財政悪化に苦しめられ、2002年に「財政非常事態」を宣言している。2003年の市長選には体調の悪化を理由に出馬しなかった。
市長辞任後
- 2004年から職員厚遇問題が発覚し、大阪市がマスコミ等の批判にさらされるなか、2005年9月に關淳一市長は、前市長の磯村に退職金の返還を求めたが、磯村は自身の責任を否定し、これを拒否した。なお翌月には、一連の問題の影響を受けて任期途中で学校法人帝塚山学院理事長を辞任している。
- 死去直前になって、母校であり職場でもあった大阪市立大学に3000万円を寄付した。
著書
- 『物価変動の理論』(東洋経済新報社、1967年)
- 『日本の物価構造』(日本評論社、1972年)
- 『物価の経済学』(講談社現代新書、1977年3月)
- 『日本型市場経済』(日本評論社、1982年)
- (編著)『大阪WAY――2008年海上オリンピックへの挑戦』(中央公論社、1997年)