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矢野隆司

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日本の旗前衆議院議員 矢野 隆司
生年月日 (1960-08-29) 1960年8月29日(63歳)
出身地 日本の旗大阪府大阪市
出身校 関西学院大学法学部卒業
学位・資格 学士
前職 神戸新聞記者
会社役員
世襲
選出選挙区 比例近畿ブロック
当選回数 1回
所属党派 自由民主党二階グループ
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矢野 隆司(やの たかし、1960年8月29日 - )は、日本の政治家自由民主党衆議院議員

大阪府大阪市生まれ。本籍は福井県国際安全保障学会、日本近代文学会各会員。座右の銘は「一管の筆も懦夫を立たしめ、三寸の舌も人の魂を刺すことは可能だ」。

略歴

関西学院大学法学部在学中に自主映画サークル「いちせ会」に参加。『ウルトラQ 29 闇が来る』などに出演した。1983年卒業、神戸新聞社に入社。約5年の記者活動を経て同社を退社し、民間企業に就職。その後、大阪府知事選挙で私設秘書等を経験のかたわら、「いちせ会」代表だった一瀬隆重が社長を務めるオズ取締役(映画『リング』、『らせん』、『呪怨』などの制作会社)。また月刊雑誌『Water&Life』の副編集長も兼務(その後、編集主幹に就任)。1995年大成機工代表取締役専務、2003年同社取締役を退任し、副会長、吹田市総合計画審議会委員に就任。

2005年8月下旬、自民党本部から衆議院議員選挙比例区での立候補を打診され、比例近畿ブロックの名簿43位で出馬。比例名簿は小選挙区との重複候補より下位で、今までこの順位で当選した候補はいなかったが、自民党の歴史的大勝により当選を果たす。政策秘書には国際安全保障学会理事の松村昌廣・桃山学院大学法学部教授があたった。また国政報告誌に『コギト・エルゴ・スム』(不定期刊)があり、集英社インターナショナル社長・島地勝彦との対談を連載、最終号では歌手やしきたかじんとの鼎談を掲載した。議員退職後は『中外日報』紙に評論連載など文筆活動を復活させ、2010年からは大阪キワニスクラブ事務局長も兼任。

作家今東光の研究者としても知られ、岩手県浄法寺町が計画した「今東光・瀬戸内寂聴両師記念館」(仮称)世話人のほか、八尾市教育委員会主宰の「やお市民大学講座」や関西学院主催の「関西学院学院史月例研究会」などで講演。発表論文に「今東光 その生涯と関西学院」(『関西学院史紀要』第11号、2005年)、「今東光研究補遺」(『日本近代文学』、2006年)、「今東光 見えざるものへの畏敬」(『国文学 解釈と鑑賞』、2009年)などがあり、今東光夫人の逝去では『週刊新潮』にコメントを寄せた。またブルゴーニュ・ワインの騎士団(シュヴァリエ・ド・タストヴァン)、ボルドー葡萄酒大評議会(コマンドリー・ド・ボルドー)、シャンパーニュ騎士団、およびジュラード騎士団、ボンタン騎士団(いずれもボルドー)の各称号を持つ。