男鹿半島

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男鹿半島のランドサット衛星写真。右は八郎潟。スペースシャトル標高データ使用。
男鹿半島の位置(日本内)
男鹿半島
男鹿半島
位置
3つの池が目潟火山のマール。楕円形の戸賀湾は目潟火山より古いタフリング
八望台から見た二ノ目潟と戸賀港

男鹿半島(おがはんとう)は、秋田県北西部にある日本海に突き出た半島。半島部の大半が男鹿市に属する。

地理

西部に男鹿三山、中央部に寒風山がそびえる。また、半島の南東部の海岸を中心に海食崖が続いている。半島の付け根には八郎潟がある。かつて寒風山は火山島であった。山体の成長とともに北側から米代川、南側から雄物川による土砂堆積によって2本の砂州が伸びて複式の陸繋島となり、中心部が取り残されて汽水湖である八郎潟となった。

交通面では、国道101号が南北に横断しているが、五里合地区などで狭路が多い。秋田市方面からはJR男鹿線が通じている。

半島と火山

寒風山火山は約3万〜1万年前の活動で形成された。先端部にある一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟は、マールであり、これを目潟火山と呼ぶ(男鹿目潟火山群一ノ目潟参照)。約3万~2万年前の火山活動である。また、戸賀湾(四ノ目潟とも)は目潟火山より古い時代のタフリングであり、それが海とつながったものである。

文化

小鹿島とも書き、古くからなまはげが有名な所として知られて、なまはげ館が所在する。半島内には3つの郷土太鼓のグループがあり、男鹿温泉郷を中心に活動する「なまはげ郷神楽」は、勇壮な演奏と華麗なパフォーマンスにより、アジア各国、フランスまでその活動の幅を広げている。

真山、本山、毛無山は男鹿三山と呼ばれ、古くから山岳信仰の霊場とされている。

戦国時代以降は、戦国大名安東氏の日本海経由の交易拠点として栄えた。

男鹿半島では1970年代まで、天然秋田杉を材料とした丸木舟が漁労の場で実用されていた。丸木舟は接合部が無く耐久性があるため、半島の岩礁地帯で重宝されていたものである[1]

観光

男鹿温泉郷をはじめ、金崎、戸賀など海岸沿いを中心に温泉がある。北西端にある入道崎は海食崖の岬で、入道埼灯台がある。このほか、八望台といった景勝地もあり、男鹿国定公園に指定されるとともに、日本百景に選定されている。

1952年(昭和27年)6月20日に「男鹿半島」は秋田魁新報社主催の第一回秋田県観光三十景(有効投票約百九十五万票)で第1位(二十五万千六百四十二票)に選出された。 1977年(昭和52年)6月15日の新観光秋田三十景(二百十七万票)では「入道崎・桜島・大獲橋ライン」が第1位に選出された。

海をいかした観光名所としては秋田県立男鹿水族館(男鹿水族館GAO)も知られる。船川港や水族館前などを発着する遊覧船が運航されることもある[2]

脚注・出典

  1. ^ 男鹿半島の漁民の足 姿を消すか丸木舟 民芸ブーム身売り続出『朝日新聞』1970年(昭和45年)6月15日朝刊 12版 23面
  2. ^ 「男鹿半島西海岸に新遊覧船」日経産業新聞』2019年6月6日(食品・日用品・サービス面) 2019年6月7日閲覧。

関連項目

  • 汽水湖 - 八郎潟は代表的な汽水湖であった。
  • 寒風山
  • 牡鹿半島宮城県) - 漢字表記や読み方が似ていて、男鹿を「おしか」と読み間違える例が多々ある。

外部リンク

座標: 北緯40度00分24秒 東経139度42分03秒 / 北緯40.00667度 東経139.70083度 / 40.00667; 139.70083