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森本哲生

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日本の旗衆議院議員 森本 哲生
生年月日 (1949-09-29) 1949年9月29日(74歳)
出身地 三重県飯南郡飯南町(現・松阪市
出身校 三重短期大学
前職 三重県議会議員
選出選挙区 三重県第4区
当選回数 2回
所属党派 民主党川端グループ
党役職 民主党三重第4区総支部長
民主党三重県連副代表
民主党国対副委員長
会館部屋番号 衆議院第2議員会館401号室
ウェブサイト 森本哲生
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森本 哲生もりもと てつお1949年昭和24年)9月29日 ‐ )は、日本政治家三重県第4区選出の民主党衆議院議員(2期)。

三重県議会議員(2期)出身。(野田内閣)農林水産政務官。民主党国対副委員長を歴任。


経歴

人物像

  • 国会の質問回数は上位であると週刊誌で報じられている。選挙区である三重4区(特に松阪市)の地域問題である農林問題を専門に取り組んでいる。
  • 2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で初当選した数少ない民主党新人議員の13人の中で特別に、皇室ゆかりの三重県松阪市出身である事と極少ない少数の保守系議員として、天皇皇后から園遊会に招待されたことがある。皇族からは松阪牛の話題に関心があったとして、皇室を尊敬している。ブログには、天皇・皇后両陛下にお会いした事は、森本家の栄誉でありとても緊張しました。亡くなった天国両親国会議員となった息子が拝謁できる事をさぞ喜んでいると思うの趣旨の内容があり、2009年(平成21年)11月のブログの引用だが、「妻の千鶴子は皇后様を神様のように思っています。私が国会議員としてご挨拶できる事を、最高の喜びとしてくれていると思います。ありがとうございました。」と申しあげると、「ありがとう、うれしくおもいます。よろしくお伝えくださいね。」とお言葉をいただきました。感動的な夢のようなひとときで家に帰って妻とご先祖様にご報告いたします」と記した。
  • 愛称は「てっちゃん」と呼ばれていて、普段は「おおきんな」と飯南弁丸出しである。
  • 家族は、1978年(昭和53年)に結婚した妻。結婚して息子が誕生した長男結婚して息子出産した長女。結婚した次男・三男の子供4人と孫6人の合計で家族12人の子宝に恵まれて、それとペットの飼いがいて、森本家は大家族である。3男1女の子供数4人で戦後生まれの国会議員の中でも子福者である。好きな言葉は「積小為大」である。
  • 山中光茂松阪市長は元秘書で、中川正春⇒森本哲生⇒山中光茂の順で、森本哲生の後継者として民主党系の新政みえ所属の三重県議会議員となっていたが、民主党と森本は自民党民主党相乗り候補の下村猛を支援していたので、山中が松阪市長選挙に出馬する事に反対していた。だが、山中光茂が強硬的に立候補して民主党候補を破り当選したので確執(山中市長が民主党からみんなの党を支援するようになり、松阪市から民主党への陳情に訪れた山中を森本が国会議員としての面会を拒否するなど)が生まれた。大切にしているのは、地元住民との地域付き合い(地縁)とブログで紹介する孫たちとの家族生活(血縁)である。
  • 野田内閣の農林水産政務官に2011年(平成23年)9月4日に内定した。「第一次産業の状況など非常に大事な課題は多いが、人間的にも 尊敬できる鹿野農水大臣の下、しっかり頑張りたい」と抱負を話した。

備考 

外部リンク

公職
先代
吉田公一
日本の旗 農林水産大臣政務官
2011年 -
次代
現職