李克強
李克強 李克强 Li Keqiang | |
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李克強 | |
生年月日 | 1955年7月1日(68歳) |
出生地 | 安徽省定遠県 |
出身校 | 北京大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
サイン | ファイル:Li Keqiang sign.jpg |
国務院常務副総理 | |
内閣 | 温家宝内閣 |
在任期間 | 2008年3月17日 - |
国家主席 | 胡錦濤 |
李克強 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 李克強 |
簡体字: | 李克强 |
拼音: | Lǐ Kèqíang |
和名表記: | り こくきょう |
発音転記: | リー・クーチアン |
英語名: | Li Keqiang |
李 克強(り こくきょう、リー・クーチアン、1955年7月1日 - )は、中華人民共和国の政治家。国務院常務副総理(第一副首相)。第17期中国共産党中央政治局常務委員。胡錦濤と同じく中国共産主義青年団出身。習近平とともに、中国共産党第5世代の指導者の一人と目されている[1]。
略歴
安徽省定遠生まれ。胡錦濤とは、戸籍上は同郷人である[2]。文化大革命が終息した1970年代末に全国普通高等学校招生入学考試が復活すると、北京大学法学部に入学する。1982年に大学を卒業し、その後は大学院に進学して法学と経済学の博士号を取得する。同年、北京大学団委員会書記、共産主義青年団中央常務委員、学校部部長兼全国学校連合会秘書長に就任した[3]。1974年にいったん就職しており、1976年に中国共産党に入党する。安徽省鳳陽権大廟生産大隊共産党支部書記、北京大学青年団書記、中国共青団中央書記処書記候補を経て、1988年5月の青年団第12回総会にて書記に選出される。1992年5月10日の青年団第13回総会にて中央第一書記に選出された。
1998年6月、河南省に転じ、中国共産党河南省委員会副書記、同年7月に河南省副省長、省長(知事)代理を経験したのち、1999年2月には正式に河南省省長に就任した。その後、2002年中国共産党河南省委員会書記、次いで2004年12月に中国共産党遼寧省委員会書記に転じた[3]。
2007年10月の第17期1中全会で中央委員から二段飛びの政治局常務委員に当選。同様に常務委員となった習近平とともに第18期以降を支える第5世代の核心と目されているが、胡錦濤が江沢民時代に就いていた中央書記処第一書記には習近平が任命され、李は国務院入りして温家宝総理の補佐をしているとの報道があったため、現時点で胡錦濤の後継者に一番近いのは習近平とされる。2008年3月17日の全国人民代表大会第11期第1回会議で国務院常務副総理に任命された。
人物像
部下を決して怒鳴りつけることはせず、公私で他人の悪口を言わず、周囲に常に笑顔を見せているという。共産主義青年団にいた頃は胡錦濤と行動をともにすることが多かった。胡錦濤は李克強の人柄を見込んで青年団書記候補に抜擢した。青年団時代の幹部によると、李克強は敵を作らない、という。学校部長であった頃にある部長との意見の相違で対立したことがあり、李克強が中央第一書記になると、その部長は報復を恐れていたが、ある日、李克強は彼を呼び寄せ、人事異動の際に彼の昇格を伝え、新しい官舎の鍵を渡したという[4]。
かつて世田谷区の小沢一郎邸宅に居候していた経緯があり、現在でも小沢の中国人脈として最も太いパイプを有している。
脚注
- ^ 張丹紅 (2007年10月22日). “十七大閉幕:陳規俗矩下的依稀曙光(中国語)”. 德国之声 2007年10月22日閲覧。
- ^ 中国共産党の公式発表では、胡錦濤の出身地は「安徽省績渓」であるが、本当は上海の生まれである。
- ^ a b 人民日報日本語版2004年12月14日より。
- ^ 『胡錦涛と現代中国』247ページ
外部リンク
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