堀之内軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀之内軌道運輸
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
静岡県小笠郡堀之内町[1]
設立 1921年(大正10年)10月15日[1]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、自動車事業[1]
代表者 社長 山下伊太郎[1]
資本金 450,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)4月1日現在[1]
テンプレートを表示
堀之内軌道
路線総延長14.8 km
軌間762 mm
leer
東海道本線
BHFq
堀ノ内駅
exKBHFa
0.0 堀之内駅前駅 1926-
exBHF
0.1 堀之内駅 -1926
exBHF
0.7 五丁目駅
exBHF
1.1 万田橋駅
exBHF
2.0 三軒家駅
exBHF
2.7 円通寺駅
exBHF
3.4 西横地駅
exBHF
土橋駅 *
exBHF
4.4 奈良野駅
exBHF
4.9 上平川駅
exBHF
6.1 城山下駅
exBHF
6.8 平田駅
exBHF
7.1 橋本駅
exBHF
8.2 赤土駅
exBHF
虚空蔵新道駅 *
exBHF
9.4 南山駅 (I)
exBHF
南山駅 (II) 1923?-
exBHF
9.8 南山学校前駅
exBHF
9.9 川原駅
exTUNNEL1
佐栗谷隧道
exBHF
11.6 新野駅
exBHF
12.3 木ヶ谷駅
exBHF
13.5 大橋駅
exBHF
14.0 苗代田駅
exKBHFe
14.8 池新田駅

*: 廃止時期不明

堀之内軌道(ほりのうちきどう)は、静岡県にかつて存在した軽便鉄道である。

概要[編集]

路線は、堀之内町(敷設当時は西方村、現菊川市)の東海道本線堀之内駅(現菊川駅)前から池新田村(現御前崎市)までの区間を通っており、内陸の東海道本線と、海岸部に近い地域を結んでいた。本社と車庫は堀之内町(現在の菊川市堀之内)にあった。

馬車鉄道として開業。蒸気鉄道への転換を図ったが、第一次世界大戦に伴って石炭価格が高騰していたことと、市街地を走る軌道に黒煙を吐く蒸気鉄道はふさわしくないとして断念、電気鉄道への転換も投資額多額から断念、姉妹会社の関係にあった地元の機械製造業である松下工場がドイツのモトーレンファブリーク・ドイツ社製発動機の販売代理店であったことから、「オット機関車」と呼ばれる、同社製の小型ディーゼル機関車を導入して運用した。これは初期の日本のディーゼル機関車実用例である[2]

地元の茶業、軍需産業等の発展に寄与したが、昭和初期に自動車輸送におされ廃止された。

併用軌道区間が多くもともと駅・軌道設備が簡素であったことと、その後の区画整理のため、途中の佐栗谷隧道を除き、現在ではほとんどその名残を見ることができない。

現在はしずてつジャストラインのバス路線(菊川浜岡線)がこの軌道線とほぼ同じ区間を走っている。

路線データ[編集]

1935年12月廃止時点のもの

使用車両[編集]

機関車[編集]

  • 1号機関車:Motorenfabrik Deutz AG製 ML128形
    • 横置単気筒ディーゼルエンジン、出力14馬力
    • 出力不足のため客車を牽引できず営業運転には用いられなかった。
  • 2 - 5号機関車:Motorenfabrik Deutz AG製 ML132形
    • 横置単気筒オットーサイクルディーゼルエンジン、出力22馬力
  • 6号機関車:Motorenfabrik Deutz AG製 形式不明
    • 横置単気筒オットーサイクルディーゼルエンジン、出力28馬力

客車[編集]

  • 1・2号客車:ボギー客車
    • 定員34(座24、立12)
  • 3・4号客車:ボギー荷物合造客車
    • 定員24(座16、立8)
  • 5・6号客車:4輪客車(松下工場製)
    • 定員10

歴史[編集]

ヤマサ醤油第一工場に展示されている「オットー機関車」
  • 1897年(明治30年)6月1日 - 堀之内 - 南山間の軌道敷設が特許[3]
  • 1898年(明治31年)9月21日 - 城東(きとう)馬車鉄道設立
  • 1899年(明治32年)8月19日 - 堀之内 - 南山間が開業(馬車鉄道、軌間606mm)[4]
  • 1917年(大正6年)1月28日 - 御前崎軌道に社名を変更
  • 1919年(大正8年)4月 - 電気事業開始[5]。電灯供給からさらに自社路線の電化も目論んだが費用多額のため断念
  • 1921年(大正10年)11月28日[6] - 堀之内軌道運輸に軌道事業を譲渡
  • 1922年(大正11年)2月 - 御前崎軌道が静岡電力に合併[5]
  • 1923年(大正12年)12月29日 - 南山 - 池新田間が開業(内燃動力、軌間762mm)。内燃動力(ディーゼル機関車)を導入
    • 単気筒ディーゼルエンジンを搭載した小型機関車で、幅が極端に狭く、妻面の窓は船舶を思わせる丸窓であった。エンジンの爆音が凄まじいうえ、慢性的低出力と扱いの不慣れのために故障が絶えず、廃線まで運用されたが非常な苦労があった模様である。使用された機関車はドイツのモトーレンファブリーク・ドイツ社製のオットーサイクルと呼ばれる方式のガソリン起動型ディーゼル機関車であり、沿線の人々からは「オット機関車」の通称で呼ばれた。堀之内軌道で使われたものではないが、これと同型の機関車が千葉県銚子市ヤマサ醤油工場に静態保存されている。
  • 1924年(大正13年)7月23日 - 西横地 - 南山間を軌間762mmに改軌、同区間を内燃動力に変更
  • (不明) - 堀之内 - 西横地間を軌間762mmに改軌、同区間を内燃動力に変更
  • 1925年(大正14年)5月 - 機関車による直通運転を開始
  • 1926年(大正15年)11月30日 - 堀之内駅を国鉄堀之内駅前に移転し、堀之内駅前駅に改称
  • 1935年(昭和10年)5月10日 - 営業休止
  • 1935年(昭和10年)12月4日 - 廃止

[編集]

堀之内駅前駅(開業当初は堀之内駅であった)- 五丁目駅 - 万田橋駅 - 三軒家駅 - 円通寺駅 - 西横地駅 - 奈良野駅 - 上平川駅 - 城山下駅 - 平田駅 - 橋本駅 - 赤土駅 - 南山駅 - 南山学校前駅 - 川原駅 - 新野駅 - 木ヶ谷駅 - 大橋駅 - 苗代田駅 - 池新田駅[7]

バス事業[編集]

1934年時点で12路線、使用車両(常用11予備5)[8]

遺構[編集]

佐栗谷隧道
  • 佐栗谷隧道(さぐりやずいどう)
    菊川市高橋字佐栗谷と御前崎市新野の境界にある全長93.3m[9]のトンネル。両端は煉瓦造り、中央部は掘り放しとなっている。トンネルは静岡県道37号掛川浜岡線の旧道トンネル脇にあるが、夏場は草に覆われる。御前崎市側の坑口は既に埋められている。菊川市側の坑口は現存するが、入口は菊川市が設置したバリケードで塞がれており、立ち入ることはできない。御前崎市側には線路跡と見られる道が農道として残っている。
  • 終点に近い静岡県立池新田高校周辺には、線路跡を示す「オットのみち」と書かれた看板が住宅地に立てられている箇所も存在する。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ ヤマサ醤油で、現在は保存状態にある同型機(「ヤマサ醤油#名産品利用」を参照のこと)がディーゼル機関としては「現存する最古」であるが、内燃機関に範囲を広げると、より古い例として、筑後馬車鉄道などで採用された焼玉機関を積んだ機関車や石油発動機による機関車があった。「日本のディーゼル機関車史」を参照のこと。
  3. ^ 『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 鉄道院. 鉄道院年報 軌道之部. 明治44年度. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974219/11 土木局統計年報第21回https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974213/188 では軌間を2フィート2インチ=660mmとしている。
  5. ^ a b 静岡県保安課・土木課『静岡県電気事業概要』1926年、p. 3頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976231/18 
  6. ^ 許可は1922年2月8日。鉄道省鉄道統計資料』 大正10年度https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974244/474 
  7. ^ 静岡鉄道駿遠線の池新田駅(後の浜岡町駅)とは別位置。
  8. ^ 『全国乗合自動車総覧』1934
  9. ^ 新野小学校(現・御前崎市立浜岡北小学校)による実測

参考資料[編集]

関連項目[編集]