五輪塔
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Eisonto-mae.jpg/180px-Eisonto-mae.jpg)
五輪塔(ごりんとう)は、主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種である。五輪卒塔婆、五輪解脱とも呼ばれる。 五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれるが、日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く使われるようになる。
材質と形態
五輪塔の材質は石造のものが主体をなし、安山岩(あんざんがん)や花崗岩(かこうがん)が多く使われている。小さいものには凝灰岩(ぎょうかいがん)のものも多い。他に木製、金属製、鉱物製(水晶)、などの塔もある。
五輪塔は下から四角・丸・三角・半丸・上の尖った丸を積み上げた形に作られる。製作された時代・時期、用途よって形態が変化するのが特徴である。石造のものは変化に富んでおり、例えば鎌倉時代に多く作られた鎌倉型五輪塔とよばれるもの、一つの石から彫りだされた小柄な一石五輪塔(いっせきごりんとう)、火輪(三角の部分)の形が三角錐(さんかくすい)の三角五輪塔、地輪(四角)の部分が長い長足五輪塔(ちょうそくごりんとう)、火輪の薄い京都型五輪塔とよばれるものなどがある。また、板碑(いたび)や舟形光背(ふながたこうはい)に彫られたものもや、磨崖仏(まがいぶつ)として彫られたものもあり、浮き彫りや線刻(清水磨崖仏などに見られる)で彫られている。
特殊な例としては、一般的に塔婆(とうば)や卒塔婆(そとうば)と呼ばれる木製の板塔婆や角柱の卒塔婆も五輪塔の形態を持つが、五輪塔とは言わず、単に塔婆や卒塔婆という。卒塔婆(ソトーバ)はインドにおける仏舎利(ぶっしゃり)を収めたストゥーパの中国における漢字よる当て字で、日本では略して塔婆や塔もといわれる。ただ、塔は近現代の一般的な塔の意味との混同があるため、現代では仏塔という場合が多い。(詳しくは、仏塔や塔を参照)つまり、五輪塔の形=仏塔のように扱われている。木製の角柱の卒塔婆は石造の墓を作るまでの仮の墓として使われることも多い。
構造
五輪塔は、下から方形=地輪(ちりん)、円形=水輪(すいりん)、三角形(または笠形、屋根形)=火輪(かりん)、半月形=風輪(ふうりん)、宝珠形=空輪(くうりん)によって構成され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を象徴する。
これらは密教の思想、特に空海(くうかい)(著作『即身成仏儀』等)や覚鑁(かくばん)(著作『五輪九字明秘密釈』等)の影響が強い。それぞれの部位に下から「地(ア a)、水(ヴァ va)、火(ラ ra)、風(カ ha)、空(キャ kha)」の梵字による種子を刻むことが多い。四方に梵字(ぼんじ)による種子(しゅじ)を刻むこともある。種子は密教の真言(しんごん)(密教的な呪文のようなもの)でもあるので下から読む。
宗派によって、天台宗・日蓮宗では上から「妙・法・蓮・華・経」の五字が、浄土宗では上から「南・無・阿弥・陀・仏」の文字が、禅宗では下から「地・水・火・風・空」の漢字五文字が刻まれる場合もあるが、宗派をとわず種子を彫ることも多い。日蓮正宗では必ず上から「妙・法・蓮・華・経」の五字を刻む。また、種字や文字のない五輪塔も多く存在する。
木製の板塔婆(板卒塔婆)も五輪塔の形態を持つ。板塔婆(板卒塔婆)には表に下から「地(ア a)、水(ヴァ va)、火(ラ ra)、風(カ ha)、空(キャ kha)」の梵字による種子を、裏には仏教の智慧をあらわす金剛界の大日如来の種子鑁(バン van)を梵字で書くことが多い。木製には他に角柱の卒塔婆もあり、真言や念仏がかかれることが多い。
歴史
五大思想(宇宙の構成要素についての考え)は元来インドにあった思想で、五輪塔の成立にはインド思想を構築し直した密教の影響が色濃くみられる。日本において五輪塔の造立がはじまったのは平安時代後半頃と考えられている。岩手県平泉町・中尊寺願成就院の有頸五輪塔(宝塔と五輪塔の中間タイプ)や同町・中尊寺釈尊院の五輪塔(「仁安四年(1169年)」の紀年銘)などが最古例である。五輪塔が一般的に造立されるようになったのは鎌倉時代以降で、以後、室町時代、江戸時代を経て現在に至るまで供養塔や墓碑として造塔され続けており、現存するもの以外に考古遺物としても出土している。
平安時代後半、覚鑁の「五輪九字明秘密釈」随筆の背景には、当時の浄土信仰の流行と密教の衰退があるといわれる。当時、空也の火葬と称名念仏による善行、源信の「往生要集」の随筆などにより、阿弥陀信仰と称名念仏を旨とする浄土思想が広まっていた。しかし浄土思想には往生については説かれていたが、墓のことは殆ど説かれていない。日本の思想に大きく影響してきた中国の儒教に倣えば、魂魄(こんぱく)の魂気(こんき、天に昇るたましい)については浄土思想が対応するが、形魄(けいはく、地に帰るたましい)は密教とはいえ浄土思想の上に成り立つ覚鑁の「五輪九字明秘密釈」が好都合だったように思われる。以後、仏教の葬儀天台系、墓真言系の緩やかな時代の流れが見えてくる。覚鑁は真言宗中興の祖といわれ真言宗再興を果たす。
初期の五輪塔の普及の要因としては、高野聖による勧進の影響といわれる。「五輪九字明秘密釈」の著者覚鑁も元は高野聖といわれる。高野聖による五輪塔による具体的な勧進としては、五輪塔の形をした小さな木の卒塔婆に遺髪や歯などを縛り寺に集め供養する。
勧進には大きな事業のための寄付集めの勧進もある。鎌倉時代の国家的大事業としては重源の東大寺再建工事がある。重源は勧進により再建のための資金を集めていた。
鎌倉時代の奈良東大寺再建にあたり、重源に招かれ宋より日本に渡り、日本に石の加工技術を伝え、後に日本に帰化した石大工伊行末(いぎょうまつ)の子孫で伊派(いは)といわれる石工集団や、忍性と共に関東へ渡った伊派の分派大蔵派といわれる石工集団が、宋伝来の高度な技術で石塔製作を行った。伊派や大蔵派が中心になり鎌倉時代以降に作られた五輪塔の形を後に鎌倉型という。代表的なものには、鎌倉市の極楽寺にある忍性の墓塔で忍性塔と呼ばれるもの(高さ308cm)や、奈良市の西大寺奥の院にある叡尊の墓塔で叡尊塔と呼ばれるもの(高さ334cm)などがある。
五輪塔の意義
仏教で言う塔(仏塔)とは、ストゥーパ(卒塔婆)として仏舎利と同じような意義を持っている。しかし、小規模な五輪塔や宝篋印塔、多宝塔(石造)は当初から供養塔や供養墓として作られたのであろう。中世の一部五輪塔には、地輪内部に遺骨等を納めたものが現存する。また、供養塔・供養墓としての五輪塔は全国各地に存在し、集落の裏山の森林内に、中世のばらばらになった五輪塔が累々と転がっていたり埋もれていたりすることも稀ではない。現在多くの墓地で見られるような四角い墓は、江戸中期頃からの造立であるが、現在でも多くの墓地や寺院で一般的に五輪塔は見ることができる。
五輪九字明秘密釈
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覚鑁著作の「五輪九字明秘密釈」とは、「五輪」つまりア・ヴァ・ラ・カ・キャ(胎蔵界の大日如来の真言)と 「九字」つまりオン・ア・ミリ・タ・テイ・セイ・ラ・ウーン(阿弥陀仏の真言)との 「明」つまり真言についての「秘密釈」つまり密教的解釈という意味である。
「五輪九字明秘密釈」には胎蔵界曼荼羅の解釈から阿弥陀仏の極楽浄土と大日如来の密厳浄土は本質的には同じものであり、釈迦や弥勒菩薩、毘廬遮那仏など他の仏やそれぞれの浄土も本質的には同じものであり、往生と即身成仏も本質的には同じものと書かれている。それは五輪塔が宗派を超えて成仏できる仏塔であることを意味する。
五輪塔の円形=水輪は胎蔵界の大日如来の印を表し、三角形=火輪は金剛界の大日如来の印を表している。これは五輪塔が五大に加え空海が『即身成仏儀』に書いた識大をも併せ持つ六大の意味を持つということである。識大とは仏と一体になることを意味し、成仏することを意味する。二つの印を結ぶということはまた、五輪塔が金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅を併せ持つ立体曼荼羅であることをも意味する。
また、五輪塔は成仏するための三つの行い密教の三密を併せ持つ。三密には身密、口密、意密がある
- 身密=手に印を結ぶ。五輪塔は胎蔵界と金剛界の大日如来の印を結ぶ。
- 口密=口で「真言」「陀羅尼」をとなえる。五輪塔に真言を彫ることにより、死者が真言をとなえる形になる。
- 意密=心を集中して「三摩地」の境地に入らせる。(座禅をすること)五輪塔は、方形=地輪が人が脚を組む形、円形=水輪、三角形=火輪が印を結び、半月形=風輪が顔、宝珠形=空輪が頭と、人が座禅をする形をとっている。
『五輪九字明秘密釈』により宗派を超え、幾重にも成仏の形を持つのが五輪塔の構造や概念と言える。(参考資料 小畠広充監修編著『日本人のお墓』)
宗派と五輪塔
浄土真宗
浄土真宗では、「五輪塔」やそれを簡略化し薄板で作った「卒塔婆」は用いない。浄土真宗では、先祖供養の教義概念が無いためである[1]。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、「閉願せば、(遺骸を)鴨川にいれて魚にあたうべし」と遺言したと伝えられている[2]。実際には、弟子たちにより埋葬され、簡素な墓石を東山・大谷に建てられた。その墓石の形状は、西本願寺蔵・専修寺蔵の「御絵伝」には笠塔婆型で、比叡山の横川にある源信の墓を模したものと考えられる[3][4]。
五輪塔の影響
五輪塔の形が他の仏塔に影響を与えた例をあげる。国東塔(くにさきとう)を例にあげておく。国東塔は本来宝塔であるが、時代を経る中で五輪塔化した形態がみられるようになる。五輪塔化した宝塔は全国的に存在するという。五輪塔の風輪、空輪の部分が相輪に代わり宝塔になる。
脚注
参考文献
- 小畠宏充監修編著『日本人のお墓』第一集、日本石材産業協会
- 石田茂作著『日本佛塔の研究』講談社
- 若杉慧著『日本の石塔』木耳社:山川均著『石造物が語る中世職能集団』日本史リブレット、山川出版
- 瓜生津隆真、細川行信 編『真宗小事典』(新装版)法藏館、2000年。ISBN 4-8318-7067-6。
- 高松信英、野田晋『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ』真宗大谷派宗務所出版部、1987年。ISBN 978-4-8341-0164-5。
関連項目
- 仏塔
- 多層塔
- 宝篋印塔
- 無縫塔
- 宝塔
- 覚鑁
- 叡尊
- 忍性
- 密教
- 浄土教(浄土思想)
- 五大
- ヴァーストゥ・シャーストラ
- 業
- タットワ
- 西大寺 (奈良市)
- 極楽寺 (鎌倉市)
- 般若寺
- 竹林寺 (生駒市)
- 額安寺
- 墓
ギャラリー
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一ノ谷にある平敦盛胴塚