ミッション・ベイ (護衛空母)
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1943年12月28日 |
進水 | 1943年5月26日 |
就役 | 1943年9月13日 |
退役 | 1958年9月1日 |
その後 | 1959年8月30日にスクラップとして売却 |
除籍 | 1958年9月1日 |
性能諸元 | |
排水量 | 7,800 トン |
全長 | 512.3 ft (156 m) |
全幅 | 108.1 ft (33 m) |
吃水 | 22.5 ft (6.9 m) |
機関 | 3段膨張式蒸気機関2基2軸、9,000馬力 |
最大速 | 19ノット |
航続距離 | 10,240カイリ(15ノット/時) |
乗員 | 士官、兵員860名 |
兵装 | 38口径5インチ砲1基 40ミリ機関砲16基 20ミリ機銃12基 |
搭載機 | 28機 |
ミッション・ベイ (USS Mission Bay, ACV/CVE-59) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級の5番艦。
艦歴
ミッション・ベイは当初 AVG-59 (航空機搭載護衛艦)に分類されたが1942年8月20日に ACV-59 (補助空母)に艦種変更され、1943年7月15日に再び CVE-59 (護衛空母)へと艦種変更された。1943年12月28日に海時委員会の契約下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工、1943年5月26日にジェームズ・マクドナルド夫人によって進水する。1943年9月13日にオレゴン州アストリアで海軍に引き渡され、同日ウィリアム・L・リース艦長の指揮下就役する。
カリフォルニア沖での整調後、ミッション・ベイは11月15日にサンディエゴを出航しパナマ運河経由で東海岸に向かい、12月5日にバージニア州ポーツマスに到着する。船団護衛および対潜任務が割り当てられたミッション・ベイは12月26日にヨーロッパに向けて出航、1944年1月14日にモロッコのカサブランカに到着した。二日後帰路に就き、2月8日にポーツマスに到着した。
2月20日に陸軍の航空機および人員を搭載したミッション・ベイはニューヨークを出航しインドに向かう。途中ブラジルのレシフェ、南アフリカのケープタウンに立ち寄り、3月29日にカラチに到着する。ミッション・ベイは5月12日にポーツマスに帰還した。
5月28日に再びニューヨークを出航、南アフリカへ向かう。6月6日にカサブランカに到着し、二日後出航、6月17日にニューヨークに到着する。同日、ミッション・ベイは浚渫機に衝突し、修理のためポーツマスに向かい6月22日に停泊して修理を行った。
9月8日にミッション・ベイは南大西洋に向けてポーツマスを出航した。9月20日にダカールで燃料を補給した後、11月まで対潜作戦活動に従事し、11月25日にポーツマスに入る。ミッション・ベイは12月21日に次の任務に向けてポーツマスを出航し、1945年3月までフロリダ州メイポートとグアンタナモ湾の間で訓練を行う。2月にミッション・ベイは重巡洋艦クインシー (USS Quincy, CA-71) と合流するためジブラルタルへ向かうことを命じられる。クインシーにはヤルタ会談に出席するルーズベルト大統領の一行が乗艦していた。ミッション・ベイはニューポートニューズに向かう途中で船団を離れ、2月27日にバミューダに停泊。その後3月9日にポーツマスに到着した。
北大西洋での対潜任務を3月29日からドイツ降伏後の5月14日まで行ってニューヨークに停泊したミッション・ベイは、7月19日まで東海岸を巡航しパイロットの訓練任務に従事した。8月2日にロードアイランド州クォンセット・ポイントに到着し、日本が降伏する8月15日まで東海岸での訓練任務を継続した。
12月19日にミッション・ベイは第16艦隊に配属され、ノーフォークを母港と指定される。ミッション・ベイは任務を外れ、翌年には予備役となる。1947年2月21日に大西洋予備役艦隊入りし、1949年11月30日までニューヨークに係留される。1955年6月12日に CVU-59 (雑役空母)に艦種変更され、1958年9月1日に除籍、1959年4月30日にニューヨークのユゴー・ニュー社に売却された。
関連項目
外部リンク
- NavSource Online
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。