マヒリョウ

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マヒリョウ
Магілёў
市役所
市役所
マヒリョウの市章
市章
座標 : 北緯53度55分 東経30度21分 / 北緯53.917度 東経30.350度 / 53.917; 30.350
行政
 ベラルーシ
  マヒリョウ州の旗 マヒリョウ州
 地区 マヒリョウ地区
 市 マヒリョウ
地理
面積  
  市域 118,50 km2
標高 193 m
人口
人口 (2013年現在)
  市域 370073[1]
その他
等時帯 FET (UTC+3)
市外局番 +375 222
公式ウェブサイト : http://www.city.mogilev.by/

マヒリョウベラルーシ語: Магілёўモギリョフロシア語: Могилёв)は、ベラルーシ共和国東部の都市マヒリョウ州州都。人口は367,788人(2007年)でベラルーシで3位。ロシア連邦に近くロシアのスモレンスク州まで76km、ブリャンスク州まで105km。

歴史

町ができたのは1267年14世紀以降は、リトアニア大公国の一部となり、ルブリン合同ポーランド・リトアニア共和国となった以降はポーランド王冠領の直轄に移された。その後、地理的な位置から交易の中継点として栄え、ステファン・バートリよりマクデブルク法の特許状が与えられ、自治都市となる。1772年の第一回ポーランド分割ロシア帝国領となると、モギリョフ県グベールニヤ)の中心都市となる。

第一次世界大戦ではロシア帝国軍スタフカがこの町に置かれ、総司令官の皇帝・ニコライ2世がここで指揮を執った。1918年ドイツ帝国に占領され、その間にブレスト=リトフスク条約ベラルーシ人民共和国が宣言され、編入される。1919年赤軍に占領され、白ロシア・ソビエト社会主義共和国が建国され、そこに組み込まれる。

第二次世界大戦までは、マヒリョウには大きなユダヤ人コミュニティがあった。1897年の人口調査では市の人口の実に半数以上がユダヤ人であった。1941年から1944年ナチス・ドイツ占領下で、ユダヤ人の多くが粛清された。

1991年の独立以降、マヒリョウはベラルーシの主要な都市であり続けている。第二次世界大戦以降、製鉄業や金属加工業が盛んで、トラクター工場や化学工場もあるベラルーシ有数の工業都市となっている。ドニエプル川の船運も盛んである。

著名な出身者

イスラエルの首相だったイツハク・ラビンアリエル・シャロンはともに母親がこの町の出身である。

姉妹都市

出典

  1. ^ Оперативные данные статистики БелСтат